第二章:舞踏会へ I

 長いとも短いとも言える半月が過ぎて、とうとう式典の日となった。ルキナやマチェータからは「動きに妙なキレがあって逆にこわい」と言われ、ベインからは「というかそれ、ステップじゃ無くて足裁きだろ」と言われた、シアンの唯一にして最大の懸案事項であったダンスも、この頃にはなんとか様になっていた。


 また、やはりシアンが丸腰で警備に当たるのは危険だろうということで、背中に刃渡りが指一本くらいの小型ナイフを2本、両足首に大型ナイフを一本ずつの計四本を装備することになった。

 多すぎかもしれないが、これでも「自分の剣か、百歩譲ってサーベルを装備させろ」と主張したシアンを宥めるのは大変だった。


 舞踏会が始まるのは遅いので、いつもより長く眠ることを許されたシアンは、正午より少し前に目を覚ますと、手早く身を清めて身なりを整え、ルキナとマチェータが待っている衣装部屋に向かった。

 ベラム達や他の隊の人達もすでに皆出払っているので、もぬけの殻となっている官舎の中を、この格好で出せる限界の速さで走り抜ける。

 目的地であった衣装部屋のドアをノックすると、ルキナがドアを開け、顔を出した。

「来ましたね、シアン様。」

 ルキナがにやりと笑いながら言うと、シアンは

「お願いします」

 と二人に頭を下げた。彼女たちも、暇では無いのだ。


 部屋の中にはいると、マチェータが何か持ってきた。

「眼帯は外せないとのことでしたので。」

 見ると、それは白い布で作られた眼帯だった。これならシアンの髪の色に紛れて一瞥しただけでは眼帯をしていることが分からないだろう。「練習を頑張ったご褒美です。」とマチェータはそれをシアンに手渡した。

「ありがとうございます。マチェータさん。」

 白い眼帯を握りしめ、うれしそうに破顔するシアン。


 それをほほえましい顔で眺めていたルキナが、ふと柱時計に目をやると、さっと表情を変えた。

「それはそうとシアン様、そろそろ始めますよ。あと、それを着けるのは髪を結った亜世です。」

 そう言うと、ルキナはシアンの背中を押して大きな鏡の前に移動した。周りには今日シアンが着る物が置いてある。

 前回同様、ルキナとマチェータが服を引っ剥がし、ドレスの下に身につけるドロワーズやら絹の靴下やらを着せていく。

 ただ、コルセットを締める時はシアンの強靱すぎる腹筋と背筋のせいで見た目には余り変化が見られなかった。元々シアンの体は女性にしてはかなり引き締まっており、問題ないと言えば問題ないのだが、胸が小さめなこともあって、いわゆる“砂時計型”にはならなかった。


 マチェータがシアンの髪を結いながら言った。

「これなら、シアン様は皇太子妃候補の方と間違われてしまうかもしれませんね」

 鏡の前に座ったシアンが、はにかむようにして笑う。

「そうでしょうか。でも私は張りぼての淑女ですから。―そういえば、その候補の方は結局何名いらっしゃるのですか?」

「四名です。本来なら五名いらっしゃるはずだったのですが、その中の一人が先日、ご病気で来られなくなったという知らせがありまして。」

「そうですか、それは残念です。」


 すると、髪飾りが入った小さめの箱を持ってきたルキナが言った。

「シアン様は結婚とか、どうなさるつもりなんですか?」

「へっ?結婚!?まだ考えたことも無いな……」

 ルキナがええっと声を上げて驚く。鏡に映っているマチェータの顔も、驚いている様に見えた。

 シアンがわたわたと慌てながら弁明する。

「だ……だって、こっちに来てから結構忙しいし、そもそも何も言われないし、それでそのまま……というか。」

「え、何も言われないってことは無いでしょう。」

「いつもグングニルの官服を着てるから、声を掛けにくいのでしょう。それに、そもそも女と思われていないのかも。」

 シアンの言葉に納得してしまったのか、ルキナが口を噤む。

「それに、自分より剣が強い女と結婚しようなどと言う人はいないだろうし、かといって剣を持たない人だったら驚くだろうし。ほら……私は古傷だらけだから。」


 しゅんと項垂れたシアンに、ルキナが「だったら!」と勢いよく言った。

「グングニルの人と結婚すればいいんですよ!」

「はあ?あ、いや……それなら大丈夫だけど……」

 むう、とシアンは考えた。

 グングニルには、『例え練習用の刃の付いていない剣であったとしても、徒手であったとしても、グングニルの者同士で闘ってはいけない』という鉄の掟がある。理由はもちろん、片方または両方が重傷を負うまで闘い続ける阿呆が多いからだ。

 よってグングニル内では、“誰某だれそれが一番強い”とか“あの人よりこの人の方が腕が立つ”という話は禁忌とされており、『みんなとてもつよい』という認識で一致させている。

 同様に、『他の人がどんな闘い方をしていても、足手まといにならない限りそれに口出ししてはいけない』という物もある。


 黙ったシアンをそのままに、ルキナは嬉嬉として言った。

「グングニル内で同年代となると……デヴィドですか?あのオスカー隊の。」

 シアンは同期であるデヴィドの顔を思い浮かべ、首を横に振った。

「確かデヴィドには婚約者がいたはずです。本人は政略結婚だからどうの。と嘆いていましたが。」

「となると、ティムは既婚だし……ソールですかね?」

「…………」

「あれ?シアン様、どうしたんですか固まって。」

「……この話、やめません?」

 ルキナがシアンを覗き込むと、案の定、シアンは真っ赤な顔をしてルキナから目をそらした。」

 ルキナとマチェータの目が、怪しく光る。

 その日、シアンは一つ学んだ。ルキナとマチェータ……いや、侍女達に、この手の話題を振ってはならない、と。


***

 身支度が整うと、シアンは背中と足首にあるナイフを確認し、おもむろに一本抜いてそれを逆手に持ち、体の可動域を確かめる様に適当に振り回した。

「よし、大丈夫そうです。」

 本日の得物を元に戻し、その場で軽くジャンプする。

 半月前は履いただけでよろけていた踵の高い靴も、今ではすっかり使いこなし……いや、履きこなしていた。


 マチェータが別れる直前に言った。

「シアン様、今日は仕事であることに縛られ過ぎず、楽しむことも忘れないで下さい。」

 シアンは少し考えてから頷いた。

「分かりました。今日はありがとうございました。」

 そう言って二人に頭を下げると、シアンは昨日ベインに渡された偽の招待状を持ち、会場の近くにあるグングニルの仮説の詰め所に向かった。

 もう式典が始まっているので、すれ違う可能性のある人は警邏をしている近衛師団の衛兵だけだが、幸い誰にも見られずに済んだ。


 あらかじめ決められていたリズムで詰め所のドアを叩くと、中から鍵を開ける音がして、扉が開いた。

「え?……シアンか?」

 ドアを開けたのは同期のデヴィドだった。オスカー隊は会場内ではなく外の警備らしい。

 シアンは目を丸くして固まっているデヴィドをさらりと無視して、中に入った。

 ―瞬間、部屋の中にいた全員がシアンの方を向いて……静かになった。シアンも一瞬吃驚して固まっていたが、ベラムの姿を見つけるとそこに向かって歩き出した。

「隊長、準備整いました。」

 気付けにでもなればと思い、カッと音を立てて足を揃える。

 ベラムはようやく口を開いた。

「いや……一瞬誰だか分からなかった。武器は大丈夫そうか?置いてってもいいんだぞ。」

「全く問題ありません。このまま行きます。」

 ベラムはシアンが武器を装備する事に最期まで難色を示していたのだが、結局、それが通ることは無かった。

 シアンの回答に少しがっかりしながらも、ベラムはシアンを失礼にならない程度によく見た。

「マチェータは今朝から気合いを入れていたからな、疲れたろう。」

「ええまあ……どちらかというと精神的に。」

 がっくりと項垂れるシアン。ベラムは苦笑いを浮かべながら「お疲れさん」と言った。


 そうこうしているうちに、詰め所のドアが開いて、式典の警備をしていたフィアリン隊がどやどやと入って来た。

 小隊長がベラムに異常なしと報告すると、ベラムは立ち上がって部屋の中を見渡した。

「では、フィアリン隊は有事に備えてここで待機。ベラム隊、オスカー隊はこれより進発する。知っての通り、我々は影の存在だ。ガーディアンも配置すら知らん。影としてそれぞれの任に全力を尽くすように!」

 ベラムが敬礼したのに合わせ、全員が敬礼をする。

 そして扉の近くにいたオスカー隊から部屋を出て行った。

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