第一章:隻眼の騎士 IV
ベインが最期に大きな爆弾を置いたところで、今回はお開きになった。もう外は日が落ちてすっかり暗くなっている。ベインはしまったという顔をしながら、
「こんなに長い時間王子の側を離れてしまった。こりゃ、文句の一つでも言われるかな。」
と笑いながら官舎を後にしていた。
シアンはベラムに明日からの予定を話してから、自分の部屋に向かった。
ドアの前に見覚えのあるバスケットが置かれているのを見て、これから半月の事を想像し、小さくため息をついた。
それもそのはずで、シアンは物心が付く前から剣の修行をしており、そのせいで女物の服をあまり……いや、全然着ていなかった。いつも兄弟子達のお下がりの服の袖や裾を捲った物ばかり着ていた。その流れでここまで来てしまったわけで、ちゃんと女物の服を着たのは今日が初めてだったりする。……少なくとも、彼女の記憶の中では。
「あー、もう何なんだよ……。ルキナとマチェータさんは楽しそうだったけど……。」
シアンはクロゼットの前に立ち、バスケットの中に入っていた官服やらワンピースやらをハンガーに掛けながら独りごちた。
「でもまあ、仕事だ仕事。やるしかないっ。良い経験が出来ると思えば良いか。」
うじうじと悩んでいるのは一応騎士としてふさわしくない、とシアンは半ば無理矢理に割り切った。
一応、というのは、シアン達グングニルを含めガーディアン、その他職業軍人(の上位)は
だが、昔ながらの騎士の高潔な気風はまだ残っており、彼らの行動の規範とされている。
「あれ?なんだこれ。」
シアンが間の抜けた声を出した。手には、バスケットの一番下に入っていた、透けてしまいそうなほど薄い白絹で作られた一着の服を持っている。
「ワンピースにしては薄いし簡単だし……それに、これじゃあ透けて見えてしまうし。いや、そういう物なのか?悪趣味だな。これを着て外に出ろと……?ま、明日ルキナに訊けば良いか。」
そう自己解決して、手に持ったそれを畳み、バスケットに戻そうとした矢先、部屋の外から二人分の足音がした。声から察するに、ソールとティムらしい。ちょうどよかった、とシアンはドアを開け、二人を呼び止めた。
ティムが驚いてシアンをまじまじと見る。先刻は外套を着ていたので、ソール以外の人がシアンのワンピース姿を見るのは初めてだった。
「シアンちゃん、その服、ルキナちゃんとマチェータさんの見立て?よく似合ってるよ。たまにはそういう服を着てみるのも良いと思うけど。」
シアンはティムの言葉に少し驚いて、
「そう……かな。ありがとう、考えてみるよ。」
と顔を綻ばせる。すると横に居たソールがドアに手をついて言った。
「それで、シアンちゃん。何か用があったんじゃないのか?」
「あ、そうそう。これのことなんだけど。」
ん?と顔を寄せる二人の目の前に、例の服を広げて見せる。
「マチェータさんが持ってきてくれたバスケットの中に入っていたんだけど、他の服とは明らかに何か違うから、何かと思って。ティムなら分かるかなと思ったんだけど。」
シアンの人選は正しかった。ティムは小柄で、シアンを除けばグングニルの中で一番背が低く、しかも童顔のために実年齢よりうんと若く見える。そのせいで前の部隊に居た時から女装をする事が多かった。
グングニルに入ってからはそれをする機会は無くなったが、実のところ、シアンがベラム隊に入って一番喜んだのはこのティムであった。
よって、シアンを含むグングニルの中で一番そういう物に詳しいのはティムということになる。ただ、本人はそれを一切認めようとしていない。
しかし、今のシアンの行動と発言により、ティムはそれを全面的に認めなければならなくなった。
頬を引きつらせながら純粋な信頼の目を向けるシアンに、ティムはあくまでも優しい声で言った。
「シアンちゃん、それはシュミーズと言ってだね。」
「はあ。」
後ろで必死に笑いをこらえているソール。
ティムはそれを全力で無視して続けた。
「要するにそれは寝間着というか肌着というか。」
「じゃあ、これを着て寝ろってことかな。」
手に持った物をさっと引っ込めてから、しげしげと見るシアン。
「だと思うよ、多分。」
「ふーん。……あ、教えてくれてありがとうティム。明日ルキナに訊いてもよかったんだけど、また『そんなことも知らないの?』って怒られるところだった。」
シアンは泣きそうな顔で笑った。今日一日自分の無知さを散々に言われて、何も感じない訳では無かった。
それを見たソールがしまったという顔をするが、時すでに遅し。シアンは笑顔すらも剥がれた、ただの泣きそうな顔で二人に別れを告げ、ドアを閉めた。
暗い顔で部屋の中に入ったシアンは、手の中にあるシュミーズをもう一度広げて眺め、ベッドの上に乱雑に放り投げてから、自分もその横にばふっと寝転がった。靴を脱いでいないので、足はベッドの外に出す。
「うあ~~~、そうか、肌着か-。うん、何か言われてみるとそんな気がしてきた。あーもう最初から素直にルキナに訊けばよかった。まああの二人だから言いふらすような事はしないだろうけど……」
スカートの裾がめくれている事にも気づかずにベッドの上でじたばたと暴れるシアン。
ひとしきり暴れた後、一度拳でベッドをボフンと叩くと、起き上がって机の上に置いてある水差しの水を呷り、小さくため息をついた。
後に、ソールはこの一連の出来事のことを『シアンは粗暴というわけではないし、むしろ騎士としてはすばらしいが、少なくとも淑女ではなかった』と評し、シアンに小突かれることとなる。
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