残されるものへ、最期に与えてやれるもの。

並兵凡太

父と息子

「おい親父! 大丈夫だ、またすぐに良くなるって!」

 布団に倒れている俺の枕元で、息子はそう叫んでいた。

「『すぐによくなる』、かぁ……」

 俺が寝たきりになってはや二ヶ月。

 今までも酒の呑み過ぎで肝臓悪くしてて、何回か入院したこともあった。

 その時は確かに『すぐよくなった』んだが……二か月前、山登りで滑り落ちて腰を強打。しばらく立てない体になったんだが、これがいけなかった。

 俺が倒れたのを死神はここぞとばかりに襲ってきて、肝臓どころか心臓、肺までやばくなっちまって……まぁ、息子はこう言ってるが、俺は多分死ぬだろう。下手すりゃ数時間ねぇな。

「……お前もさ、もう俺が長くねぇことわかってるだろ……?」

「何言ってんだよ馬鹿! んなこと言ってたらマジに死んじまうぞ!?」

 俺が消極的な発言をすると、息子は猛烈な勢いで否定した。その顔は涙と鼻水でわけがわからなくなっている。相変わらずこいつの泣き顔おもしれーなー。

「まぁ、落ちつけよ。な」

「親父は、落ち着き過ぎなんだよ……!」

 そうは言うものの、息子は俺に従って深呼吸をすると、落ち着いた会話をする体勢になった。

 よし、じゃあ俺も語るとするか。

「おしおし、それでいいんだよ。……ったく、心配させやがって」

「心配させてのはどっちだよ!」

「あぁもう、悪いな」

「ったく……昔から、親父はそうやって何も話さねぇんだもん、何もわかんねぇよ」

「そうだったか? まぁ、否定はできないがな」

「…………」

「いつまで泣いてんだお前は、仮にも成人男性だろうが。ん? 戦国時代とかの武士の家柄なら、『次期家主は自分だ!』って内心はしゃぐところだぞ?」

「うち武士の家系じゃねえだろ……?」

「うん。農民の家系」

「だろ? ……ってか武士の家系だとしてもそんな風には思えねぇよ。俺親父いないと、もう、どうすればいいか……」

「あぁもう、また泣きやがって……。ファザコンかお前は。……お前は俺無しでも十分やっていけるって」

「死ぬ前みたいなこと言うんじゃねぇよ、縁起でもねぇから……」

「『縁起でもねぇ』なぁ……。…………でも実際よ、お前も気付いてんだろ? 俺はもう長くないよ。多分今週中に死ぬ」

「死ぬとか言うなよ!」

「あぁわかってる。俺だって認めたくないさ。……母さんが数年前に死んじまって、俺が逝ったらお前は一人になる。でも、お前には嫁さんいるじゃねぇか」

「いるけど……いるけど、さ。まだ親父、孫の顔見てねぇじゃんか」

「孫の顔か……。お前の嫁さんべらぼうに美人だから、きっと美男美女が生まれるんだろうなぁ。確かにそれは未練だな」

「ほら、未練とかあんだろ!? だからまだ――」

「まだ、だからっつっても逝かなきゃいけないもんは駄目なんだよ。わかってくれよ……実際、俺はそんな未練感じてないんだよ」

「………………何だって?」

「未練がないって言ってんだよ。本気だぞ?」

「ない、わけ、ない、だろ。生きてたらきっと――」

「だから死ぬんだって。あぁもう、泣くなよ? 俺は実際、これ以上生きる必要ないと思ってるし。ほら、死んだ母さんにも会いにいかなきゃいけないし」

「母さんなら、待ってくれるよ」

「まぁ、母さんは俺のせいで待つことには慣れてるからなぁ」

「それに言ってたじゃんか。『孫の顔見るまでそっちの世界は頼んだよ』って。どうすんだよその約束」

「ん~~……。……昔から俺は母さんとの約束破ってたし、なんだかんだ言って母さん淋しがりだからさ、そろそろ会いにいってやらないと」

「いきなり来られても、母さんも困るって」

「んなことねぇよ。あぁ、絶対だ」

「………………遺書、とか書かねぇのかよ親父」

「お、ようやく俺の死を認める気になったか」

「認めるわけねぇだろ………………んで、どうなんだよ」

「遺書ねぇ……。昔小説家目指してたから長い文章書くのは苦手じゃないけど……お前、俺の字の汚さ忘れたのか?」

「……あ、いや、思い出した。…………うん、読めないかも」

「だろ? それにもうすぐ死ぬかもしれないかもしれないって時に長々としみったれた文章書きたくないな」

「……………………じゃあ、何も残してくれねぇか」

「お? 本性を現しやがったな我が息子め。くっくっく。俺が死んだ後には何も残らんぞぉ!」

「……………………………………」

「……冗談だよ冗談。でも俺は死んだ後には何も残せないよ、本当に。…………あぁ、これなら準備してたよ。忘れてたぜ」

 俺はそこまで言うと、枕の下から真っ白なノートを取り出した。

「なんだよ、コレ」

 いぶかしげに見る息子に、俺はどこか自信あり気に語った。

「うーん、何て言えばいいのかな」

 俺は色々と考えた挙句、挙句、挙句、挙句――――普通に答えた。


「お前の物語だよ」


「――俺の、物語?」

「あぁ。開いてみろ」

 俺に言われて、息子はノートをぱらぱらとめくる。

「……何も書いてねぇじゃねぇか」

「うん、まだ何も書いてない。俺は書かない。お前が書くんだ」

「俺が」

「そう、俺の息子のお前が。そこに、俺が死んだ後の、お前の物語を記せ。――いや、死んだ後のじゃなくていい。思い出せる限りの、お前っていう存在の『過程』全てをそこに書き記せ」

「それで、どうするんだよ?」

「どうもしない。俺はどうもしない。お前が読み返すんだよ。今の俺みたいに、死ぬときに」

「死ぬときって」

「死ぬときだよ。死にそうなときだ。死にそうなときにそれを読み返して、自分の人生が――過程が、どれだけ充実したものだったかを感じるんだ。噛みしめるんだ。……俺みたいに、空虚な気持ちにならんようにな」

「……親父の人生は空虚なんかじゃないよ。俺が保証する」

「ありがとよ。でも、その俺はもういなくなる。これからは、お前が生きてくんだ」

「………………………………」

 息子はそうして何かを考えるように俯き、黙りこくる。

「………………………………」

 そして。


「………………………………わかった」


 顔を上げた息子は、一筋だけの涙と確かな覚悟を持っていた。


「わかったよ、親父。俺は、俺の人生を生きてく。親父にも母さんにも天国から笑われないように、家族を必死に支えながら、精いっぱい、生き抜いて見せる。だからさ、


――――見ていてくれよ。いつまでも」


「あたりまえだ」


 俺は自分の口元が思わず緩むのを嬉しく感じながら、さて、と一呼吸を置いて息子に言った。

「おら、せっかく覚悟もついたんだ。酒持ってこい酒!」

「で、でも親父、肝臓が」

「いいんだよ、んなことは。ほら、一人の男が新たな決意をしたんだ。酒呑んで祝わずにどうするんだよ、ほい、持ってこい!」

 俺が陽気にまくしたてると、息子も少しだけ楽しくなったみたいで、「わかったよ」と言って酒を取りにいった。

「…………さて」

 息子が、ようやく決意してくれた。

 確かに孫が見られないのは未練だけど……一番の未練は解決してくれた。これでもう、申し分はない。

「――ったく、なーにが『見ていてくれよ。いつまでも』だ…………」

 んな当たり前なこと言いやがって。

 ――――泣かせてくれるじゃあねぇか。


 俺は、涙が溢れてくるのを、必死に抑えた。

「だぁぁぁぁぁぁ……ちくしょお……ちくしょお……」

 息子が、決意してくれた。

 もう、残すことはないはずなのに。

 ――息子の、行く末が見たい。どこまでもどこまでも、どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも、見守っていたい。一緒に酒呑み続けてたい。

「ちくしょお…………」

 息子がいなくなって何かが決壊した。


「――――……死にたくねぇよお…………!」


 死にたくない。

 でも、逝かなきゃいけない。もうそこまで来てる。

 あぁ、もう、死にたくないのに。もう少し、待ってくれてよかったのに。

 待ってくれてもよかっただろうがよぉ……!

 涙が、溢れ出る。

 ――……駄目だ、意識が……遠くなっ……てきやがった……。

 まだ……俺は死ねな……いって言う…のに……。

 息子が、酒を持って帰って来る。

「親父! 親父! しっかりしろ!!」

 あぁ、くそ、この愛しい息子を残していくなんて……。

 でも、息子の手前、涙は見せられない。親父は、気持ちよく逝ってやらなきゃならないんだ。

 俺は、息子に抱きあげられて、もの凄い勢いで心配されながらも、息を整え、精いっぱいの思いと、最期の力を振り絞って、言った。



「生きろ。生きるんだ」

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残されるものへ、最期に与えてやれるもの。 並兵凡太 @namiheibonta0307

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