第16話 「ゼロ」


『夏の陽炎』


「――――、――――」

 花火の音が響いていた。

 ひとつひとつ。どおん、どおんと体を揺さぶられる。それに負けじとしているのか、真っ暗な空に大輪の花が開くたびに、周囲からは感嘆の声が続いている。

 思わず目を細めるような空の光輪から目線を落とせば、そこもまたまばゆいばかりの世界が伸びていた。

 人の流れ。その左右に連なるのは、色とりどりの出店。フルーツ飴。金魚すくい。わたあめ。はし巻き。スーパーボールすくい。射的。ざっと見ただけでも、知っているものは全て揃っているようにも見えた。

「――――ねえ、どこから行こっか」

 どこでもいいよ。

「おなかは空いてる?」

 別に。どっちでも。

「どっちでも、って一番困るんだよ」

 不満そうな声は、どこか嬉しそうにも聞こえた。

「とりあえず、色々見て回ろっか」

 しゃらん、と根付けの鈴が鳴った。そして少しずつ、遠ざかっていく。おいて行かれる。そんな気がして、鈴の音を目印にしながら追いかける。

「人多いんだから、はぐれないでよね」

 それはこっちの台詞だよ。

「じゃあ、手でも繋ぐ?」

 ――――。

 花火の音がした。思わず、足を止めて見上げていた。

 最後の盛り上がりなのだろう。連続で打ち上げられる花火は瞬く間に真っ暗な夜空を埋めていく。音と光が全てを包み込むように。誰もがその光景に息を呑み、そして吐き出すように歓声を上げる。

「……すごいね」

 ああ。

「……きれいだね」

 ああ。

 花火と歓声の中、その声は、やけに通って聞こえた。

「……本当に、すごいね」

 その声は、すぐ近くで聞こえた。

 その声しか、もう聞こえなかった。

 最後だと思われるひときわ大きな花火が空に咲く。時間が遡るかのように、全てが明るく照らし出される。

 知れず、目線は空から下へと、ずっと隣にいた彼女へと、落ちていた。

 嬉しそうに、ほんの少しだけ頬を赤らめて、同じように俺を見ていた。

 手を差し出す。

 そうすることが当然のように、自然に。

 触れたいと、意思を示すように。

「……くす」

 彼女の手が重なって――そして、消えた。

 花火終了のアナウンスが流れる。音が戻ってくる。夜が帰ってくる。

 ――――ああ。

 もう、鈴の音は聞こえない。

 何もかもが光り輝いて、そして消えていく。きっと、それだけのこと。でも、それだけのことでもあった。

 ――ああ、もっと早く。

 差し出されたままの手を、ぎゅっと握る。

 ――こうしていれば、良かった。

 後悔も、思い出も握りこむように。

 それだけは失わないように。

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枝葉の物語【短編集】 吾妻巧 @estakumi

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