第5話 月下の想い


 夜の竹林は、足場も悪く、薄暗い。

 ただ、この一帯は、月明かりが差して視界も悪くはなかった。

 それでも、山奥。


「最後はここに戻ってくるなんてね」


 月夜に、レイナの声が響く。

 かぐやを含めた、エクス達五人は――決して歩くのに楽とは言えない、そんな場所を進む。


 都から戻り、かぐやの家を通り過ぎて、一路林へ。

 それは出発点でありながら、終わりの場所でもあった。


 そして歩くだけでも体力を奪われる、そんな山中に……

 五人は、その老齢の二人を見つけた。


 ――竹を取る翁。その手伝いをする妻。


 夜遅くまで仕事をしている。そんな日常を営む、睦まじい老夫婦を。

 翁は、エクス達に気付いて振り向いた。


「……どうされたのじゃ皆さん」


 平素と変わらぬ穏やかな口調。

 その様子を正面から見ることが出来ないかぐやは、俯いていた。

 タオが一歩出て、見回す。


「この辺りは化け物が出るかも知れなくて危険だぜ。ちゃんと言ったろ?」

「わしらには、慣れた林ですからのう。仕事を休むわけにも、行きませぬ」


 そう応える翁に、首を振ったのはシェインだった。


「化け物を生んでいるのがあなた達だから、元々化け物の心配をする必要がないだけでは?」

「……」

「……それに、そもそも、あなた達はもう、元のおじいさんおばあさんではないわけですしね」


 翁と妻は、黙っていた。


「おじいさん。おばあさん……」


 かぐやが、力を振り絞ったように、声をかけた。

 違うと言って、とでも言うかのように。


 だが、二人にはそれができない。

 それがもし世界の歪みならば、その力は結局、隠しおおせるほどに小さいものではない。

 エクスはぽつりと言う。


「訪れる運命に、納得が出来なかったんですね」

「……」


 翁は目を伏せていた。

 そして、月明かりがしわがれた表情を照らす中……小さく口を開いたのだった。


「大事な一人娘が。ずっと大切に育ててきた娘がいなくなる悲しみが、わかりますかな」

「……」

「はじめは、拾った娘だった。でも、いつからか、わしらの生き甲斐になっておった。その娘が、いなくなる。そんな理不尽な話があるか。そんな運命は、なくなってしまえばいいと思いませんか」


 気付けば、月光が照らす翁の影の形が、変化していた。

 体は変色し、その姿は巨体となっていく。

 タオは運命の書を構えて見上げた。


「こいつは……ドラゴンに変化していってやがるのか……!」

「そんな、運命など……壊れてしまえばいい――!」


 強烈な風圧が、周囲に広がる。

 並のヴィランなど及びもつかない、歪みの元凶であるがゆえの、圧倒的な力の威容。

 それだけで、五人は吹き飛ばされそうになる。


 だが、かぐやを守りながら、地を踏みしめ、エクスが翁達に近づいていた。

 世界の歪みと成り果ててしまった翁を、必死で見上げた。


「もう、何を言ってもわからないかも知れないけど……今のあなたは、かぐやさんの望んだ姿じゃない……! ヴィランを生み出して、かぐやさんまで、危険な目に遭わせたんですから……!」


 自らを作り変え、魔物となった翁は、不気味な鳴き声を上げる。


「そうじゃ……外は危険だとわかったじゃろう。だから、ずっと家にいればいいのじゃ……ずっと……わしらが精一杯、かぐやを愛してみせる……」

「……そんなのは、愛じゃない。一緒にいる時間が短いなら、その時間を大切に過ごすべきでしょう!」

「……ずっと一緒にいたい……エクス殿も――かぐやといて楽しかったであろう……? かぐやもそうなのじゃ……じゃから、かぐやと結婚し、ずっと家にいてくだされ……」


 エクスは顔を一瞬うつむけた。

 空白の書に、栞が挟まれている。直後には、エクスは光に包まれコネクトを開始していた。


「それは、出来ません。あなた達を、元の優しい夫婦に戻さなくてはいけませんから」


 武器を構え、翁に向ける。


「それに。僕らは恋人のフリをしただけです。そんなの、かぐやさんが可哀想ですよ。もっと、……娘さんのことを、見てあげてください」

「うるさい……うるさい……全て、壊す――!」


 ドラゴンとなった翁は、大きな咆吼を上げた。


「わかってましたが、話が通じる相手ではないようですね」

「何にせよ……馬鹿親だな。さっさと、正気に返してやろうぜ」


 シェインとタオも、コネクト。

 怯まず、その運命の歪みを直視していた。

 レイナも、アリスへと変貌し、剣を構えた。


「ええ。みんな、行くわよ。この歪みを、正すために……!」




 夜が一瞬、昼になったように照らされる。

 それは翁――ドラゴンが吐いた、強烈な炎の固まりだった。


 翁の怒りそのもののようだ、とエクスは思った。

 反面、怒りに身を任せた行動であったために、エクスは紙一重で躱すことに成功する。


 体を翻しながら、すでにエクスの杖からは、強力な魔力が溢れていた。


「みんな、一気に攻撃して……かたをつけよう」


 エクスの言葉に、レイナ達は皆、頷いた。


 調律して、全てを元に戻す。

 それが、幸せの訪れを意味しているとは、限らない。


 運命を巻き戻したところで、別れは必ずやってくる。

 それは悲しいだろう。寂しいだろう。

 それでも――こんな悪夢はあんまりだ。


 涙を流してドラゴンを見つめるかぐやを見て、エクスは思う。

 きっとやりなおせる。

 それが自分達に与えられた力であり運命だと思った。


 魔力弾、そして、ヘンゼルとグレーテルになったタオとシェインの攻撃が命中し、ドラゴンは悲鳴にも似た鳴き声を上げた。

 このまま連撃でいける――エクスがそう思ったところで、しかし背後から魔法の一撃が襲った。


「坊主!」

「……平気だよ、何とかね!」


 タオに応え、エクスは飛び退く。

 そこに、魔法型のヴィランがいた。


 翁によってヴィランに変えられてしまった、その妻――

 再びこのヴィランが杖を振り上げたところで、甲高い音と共に、剣で抑えたものがいた。

 アリスへとコネクトした、レイナ。


「悪いけど、やられるわけにはいかないの。かぐやのためにもね」


 そのまま切り上げて、杖をはじき飛ばす。


 ヴィランの体自身までもが大きくのけぞったところで、レイナは走り込み、無数の連続攻撃を叩き込んだ。

 その斬撃の威力に、ヴィランはあっというまに体力を奪われ、倒された。


『ガァアアァァッ!!』


 ドラゴンが吼える。

 エネルギーを溜め、レイナに向けて放ってきた。

 さすがに躱しきれず、レイナはダメージを受けながら後退した。


「レイナ、大丈夫!?」

「まだやれるわ! エクスの言った通り……一気に終わらせましょ」


 おう、と皆で呼応し、一斉にドラゴンを囲む。

 ドラゴンはそれに対し、ただやみくもに、炎を撒き散らす。

 その先に、かぐやがいることにも構わず――


 だが、身を挺して、エクスがそれを庇っていた。

 タオ達が必殺技を打ち込むと同時、エクスも一気に、ドラゴンを包む魔力のフィールドを作り上げた。


「悪い夢は、終わりです」


 ドラゴンは悲鳴と共に、魔力に飲み込まれ、倒れた。





「おじいさん――!」


 かぐやは、倒れた翁に走って近づいた。

 エクス達が止めるのにも構わず、座り込んで、その顔をのぞいていた。

 翁はかぐやを見上げた。


「かぐや……かぐや……。行かないでくれ……」

「おじいさん……! 私……ごめんなさい……ずっと、二人の気持ちに気付かないで……!」


 翁は動かなくなるそのときまで、かぐや、と名前を呼び続けていた。

 だが、最後の一瞬だけは――

 きっと、エクスたちの気のせいだったかも知れない。

 そこに強い後悔の色が浮かんでいた。

 

 もし全てが戻るなら、そのときは――

 そんな言葉が聞こえるかのような。


 それから、翁は眠るように、目を閉じた。


 後に残ったのは、月夜の静けさだけ。

 それでも、この世界を再び“律する”ことの出来る人間が、ここには存在する。


「安心して。その二人は、元に戻るから」


 歩み寄ったレイナが優しく言うと、かぐやは、はい、と頷いた。

 気丈な面持ちで目元を拭い、それから一歩引く。

 そして、ありがとうございました、と頭を下げた。


 タオは、ようやく息をついていた。


「やっと、終わりだな。今度こそ」

「ええ。中々、苦労しましたね」


 シェインも元の姿に戻っている。

 そしてレイナは、全てを戻す準備を始めた。


「じゃあ、調律を始めるわよ」


 レイナの持つ書から、蝶と光が、溢れんばかりに生まれだす。

 それは世界を包むように、広がっていく。


「混沌の渦に呑まれし語り部よ」


 レイナが一つ一つの単語を言っていくと、光は世界中を覆った。

 それはまさしく悪い夢の終わりだ。


 かぐやが、エクスの横に立っていた。

 エクスは、最後に言っておいた方がいいと、口を開く。


「かぐやさん。言ってませんでしたけど、調律が終わるころには、僕らの記憶は――」

「ええ。きっとそうではないかと、どこかで思っていました」


 運命が元に戻る。

 それは、この出会いもなくなるということ。


 調律がもたらすのは、単なる幸せだけではない――

 かぐやも、とっくにそれには気付いていたようだった。


「レイナ様も、タオ様も、シェイン様も。そしてエクス様のことも、私は忘れてしまうのですね」

「……でも、おじいさんとおばあさんは、また、かぐやさんと一緒に暮らせます」

「はい」

「そのあとの運命は、変えられないけれど……」

「ええ。でも、月に帰るまでの間、その時間を大切にします。短い時間でも、家族ですから」


 かぐやはそう言って、笑った。

 いよいよ、光は世界を満たしていく。

 それが最後の別れの合図だ。


「我の言の葉によりて、ここに調律を開始せし……」


 響くのはレイナの声。

 エクスは最後に、かぐやを見る。


「それじゃあ、元気で」

「エクス様――!」


 気付くと、かぐやはエクスに近づいて、勇気を出したように、その手を握っていた。


「私、あなたと会えて、よかったです。記憶はなくなっても……きっと、この胸に温かい気持ちが残ると思います。今、この胸にそれがあるように」

「かぐやさん――」

「それから、私……あのとき。恋人の振りをしていたとき。エクス様には仮初めのことだったかも知れません。でも、私は……本当に、エクス様を――」


 そのとき、光が世界を浄化した。

 想区は調律され、運命は元の道をたどることになった。





 かぐや姫の想区。

 数日過ごしたこの世界に別れを告げるため、エクス達一行は竹林を進んでいた。


 あれだけ迷っていたわけだが、結局想区を出るにもここを通らないといけないらしく、皆で歩いていた。


「お嬢。確認だが、こっちであってるよな?」

「何度も聞かなくても平気よ。もうすぐで、沈黙の霧に出るんだから」


 不安げなタオに、レイナは自信満々に答える。

 それがまた、ことさらにタオの不安を煽っているようであった。


 エクスも、すでに半日歩いているこの道でいいのか、疑問はあったが……。

 それを言うとまたレイナが怒るので、しばらくは控えようと思った。


 と、エクスは突如、林から出てきた影にぶつかった。


「あ、す、すみません。こんなところに人がいるとは――」


 エクスは律儀に謝ろうとして、びっくりした。


 絹のような黒髪に、着物。

 忘れることのない、美しい顔立ち……それは、あのかぐやだった。


「かぐやさん! びっくりした。また散歩してるの?」


 エクスが何気なく言うと、かぐやは、ちょっと止まってから不思議そうな顔をした。


「すみません……あの、どこかでお会いしましたか?」

「……あ、そうか」


 エクスは今になって思い至った。

 かぐやが自分を覚えているわけはないのだ。


 坊主ーどこいった? とタオが向こうから呼ぶ声が聞こえる。

 きょとんとしているかぐやに、エクスは慌てて謝った。


「すみません。気をつけて帰ってくださいね。それじゃ」


 それだけ言って、すぐにタオ達とまた、合流した。




 かぐやは――エクスの言った通り、散歩でここへ来ていた。

 運命の書にあるとおりの、日々、結婚を申し込んでくる男性たち。

 都でまで立ち上っているという自分の噂……。

 そういうものに何となく疲れて、気分転換をしていたのだ。


 そして、また散歩を再開しようとしたが……。


「??」


 かぐやは、立ち止まって、胸を押さえた。


 いま、ぶつかって、すぐにどこかに行ってしまった少年――

 自分のことを知っているふうだった。

 間違いなく、かぐやの知らない人であるのだが……

 かぐやは困惑して、見下ろした。


「何でしょう、この、気持ち……。胸の、温かさ」


 彼のいなくなったあとを見ていると、どこか、胸の中に、幸せな何かが感じられる気がした。

 知りもしない赤の他人なのに、不思議でしょうがない。


 これから自分に待ち受ける運命は、寂しいものだと、そんなことをさっきまで考えていた。

 それを、この柔らかな感覚が、少しだけなぐさめてくれるようだった。

 かぐやは、ぎゅっと、胸の前で手を握った。



「……」


 しかし、それだけではない。


 きっと、全ては気のせいだろう。

 だからこそ――かぐやは、胸の中にあるものが単なる温かみだけじゃないことを、知っている気がした。


 それはどこか締めつけるような、甘い痛みでもあった。


「何故、なのでしょう。胸が、痛い」


 かぐやは、知らぬ間に、一粒、二粒と、涙を流していた。

 それは成就することのない――ひとりの少年に抱いた、切ない感情だった。


〈終〉

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月光の姫 グリムノーツ 松尾京 @kei_matsu

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