1話 「エイトの夢」

「おーい、クルミー。いたら返事しろー」と少年。


「ねぇ、エイト。ここなんか変な感じがする」と少女。


「大丈夫だって、セピア。ただの教会だろ?」


夕暮れ時の薄暗い教会に、大きな窓から真っ赤な夕陽の光が射し込む。そんな静寂が、ギギィという扉の音と弱々しい声の会話によって破られた。二つの足音は、教会に小さく響く。

そしてその2人の小さな影は、時折赤く照らされながら、窓際をゆっくりと進んでいる。


どうやらこの2人の子供は「クルミ」という人を探して、教会にやって来たらしい。少女は「変な感じ」と表したが、確かにここにはよく分からない「違和感」がある。しかし、「怖い」という感覚とは少し違う。言うなれば「寂しい」のだ。まるで、時間が動いていない空間に取り残されてしまったような…


少年が、一つの窓に差し掛かり全身を赤く染めた。そして少年は夕陽を浴びながら、何気なく外の景色に目をやる。その姿はどこか悲しげで、今にも遠くへ行ってしまいそうなほど霞んでいた。

ほかの窓からは薄汚れた建物しか見えないが、その窓だけは障害物になる物がなく、向こうの丘がよく見える。丘には黄緑色の芝が生え、そよ風がそれを少し揺らす。夕焼けで赤く染まった空の向こうに夕陽が沈む。


そしてそこには、人影があった。長い髪をたなびかせながら立つ母の姿。そして母は誰かと話しているようだった。


教会の鐘の音が鳴り響くのと、少女が声を掛けるのは同時だった。

ゴーン ゴーンと鐘が鳴り、


「あっ、ダメ!エイ…」


と少女の声と、ドサッという音。直後、少年の頭に鈍い痛みが走る。全身の力が抜けていっている事が他人事のように感じる。何が起きたのか確かめなくては…、そう思いめを開けたが、振り向くことはできなかった。

体が思うように動かなかったから、というのも確かだろう。しかしそれ以前に、そんな事はどうでもよくなっていたのだ。目の前の光景に見入ってしまったから。


丘で先程まで誰かと言葉を交わしていた母は、もうそこには居なかった。この世界には、もう…

母にはナイフが突き刺さり、大量の血が流れ出ている。殺したのが誰かは分からなかった。丘の向こうに沈む夕陽の逆光で、そこに見えたのはただただ黒い人影だった。その忌々しい人影は、倒れゆく母の隣で最後まで立ち尽くしていた。


しかしそれも一瞬のことで、少年は夕陽で真っ赤に染られた床に崩れ落ちた。もうほとんど意識のない中で赤色と、鳴り響く鐘の音だけが痛む頭に残り続けた。


その日、その教会で、彼ら少年少女の物語は一旦幕を下ろした。またいつか、物語が再開するその時まで…


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


2048年12月23日。


「っはぅ!はぁ…はぁ…。夢、かぁ…」


ジリリリリリリッ、カチッ。

横にある目覚まし時計を切り、すぐその隣に置いてある薬を口に入れる。さらに隣に置いてあるペットボトルの水で薬を流し込む。冷たい水が自分の喉を通るのを感じてから、前を見た。


「赤…か。」


目の前に広がる壁は、今朝は赤だ。ベットに座ったままただ時間が過ぎるのを、なんとなくもう一回ペットボトルの水を口に運びながら待つ。視界の赤が薄れていくのを感じながら、口と喉を潤す。

しばらくして、赤かった壁が完全に白へと移り変わる。だからといって本当に壁の色が変わっているという訳ではない。「色が変わったように見えている」というだけのことだ。


「不思議の国のアリス症候群」それが僕の病気だ。症状は「幻覚」「浮遊感」「時間の流れが早く感じる・遅く感じる」。脳の病気。この病気は事例が少なく、不明な点も多いことから「奇病」として扱われている。そんな病気を持つ僕は「奇病者」。そしてここは都内の病院の一室。


薬を飲むと、その日一日の幻覚は消える。この病院の院長である「白井しらい先生」が開発した薬だ。

ふと思い出して、ペットボトルを置くと、横に置いてあるリモコンを手にした。ボタンを押すと、斜め前に設置されたテレビ画面の黒色が色とりどりに発光を始める。


「今日のラッキーカラーは、赤!」


テレビ画面はそう鳴った。当たった。8日ぶりの当たりだ。毎朝見る壁の色でテレビの占いをするのが、ここ数カ月の日課になっていた。だからといって、特に嬉しいわけでもなく画面を見る。占いが終わり、テレビ画面はニュースへと移り変わり、あの事件のことが流れる。


「中学生集団消滅事件から早くも半年が…」


そこでテレビを切り、ベットから降りて着替える。そして、いつもどうり有栖ありす 永斗えいとは病室を出た。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


それにしても、今朝の夢は何だったのだろうか。

少年はたぶん幼い頃の自分だろう。しかしそれ以外のことが全く分からない。あの教会、一緒にいた少女、窓の外の景色、何をとっても見覚えないものばかりだ。だいいちなぜ久瑠実くるみを捜していた?久瑠実はあの世界にいるということなのだろうか。

それだけじゃない、僕は丘の上に立つ人影を「母」と思っていたが、なぜだ?母を刺した人影がそうであったように、逆光で誰かなんて分かるはずなかったのに。それに、そもそも僕は…

―母親を知らないのに―


「ただの夢だ、これ以上考えても意味無いしな」


夢の事は考えないようにして、病院の廊下を教室に向けて歩く。病室とは違い、冬の廊下は冷たくて掌を擦り合わせる。

この病院には病人専用の学校みたいなのがあって、学校に通えない自分みたいな人間の為にある。ちなみに僕は今、中3。


長い廊下をひたすら歩いていると突き当たりの階段の前に、ある人がいるのが見えた。こちらには気付いていない様子のその人に、近づいて声をかける。


「おはよ、ユウキ。今日もチョコ?」


軽い天然パーマの薄い茶髪をした少年が、ゆっくりと振り向いた。どう考えても邪魔であろう長い前髪のせいで、完全に右目が隠れてしまっている。


「うん」


そうとだけ答えた少年は、クラスメイトの池谷いけや 祐希ゆうきだ。少し小柄で、痩せてて、いつも眠そうで、「これぞ病人」って感じだが、本当に病人なのだからもう言うことなしだ。もっとも、この病院にいる時点で、ただの病人ではない奇病者なのだから。


「一個ちょうだい」


「うん、いいよ」


そう言いながら手に持った箱を差し出した。

祐希はいつでもチョコを持ち歩いている。僕もチョコは結構好きな方だが、祐希は普通を通り越して、異常なまでにチョコという食べ物に依存してしまっている。


「ユウキは一番好きなチョコって何なの?」


特に聞く理由もないが、何も話さないのもあれなんで、そんなことを聞いてみる。


「ないよ、そんなの。チョコなら何でもいい」


そんなことを言いながら、僕に会ってから既に3個目になるチョコを口に運ぶ。


「質より量ってやつか」


「でも、おいしくないのはやだよ?」


そんなことを話しながら階段を下りて、教室がある階の廊下を歩く。静かなだけに、2人の足音と話し声は、小さいながらによく響いている。ふと僕は立ち止まって、その音すらも無くなった上で言った。


「マコトも呼ぼう」


ちょうど隣の病室のプレートには「暁あかつき 誠まこと」と書かれている。その病室の扉を、ノックなしに横にスライドして開ける。いい病院なだけに、扉はほとんど音を立てずに開いた。

そこには、悲しげな顔でテレビ画面を眺める男の姿があった。彼はこちらに気付くことなく、未だにテレビ画面を見ている。その内容はやはり「中学生集団消滅事件」。

そして彼はようやく僕たちが居たことに気付き、表情を無理やり変えて、笑顔で言った。


「おっ!エイト、居たなら言えよー」


彼は「暁 誠」。体は鍛えられていて、背も僕より少し高く、目つきが悪いが、彼が優しいことはわかりやすいほどによく分かる。


「あの事件、マコトには関係ないだろ?」


「いや、でも…、それはエイトに関係がっ…」


誠は自分の頭にあるバンダナを触りながらそう言いかけて、僕の言葉に止められた。


「ちがう」


静かにそう言って、僕達は教室に向かう。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


扉を開けると、暖房の暖かい空気が流れ出た。

教室には、本を読む少女が1人。丸っこい髪型で、縁のある大きめの眼鏡を掛けている。


「おはよー、シラン」


「おはようございます、今日はずいぶん早いんですね?」


本を閉じて敬語で話す少女は、クラスメイトの七々瀬ななせ 紫蘭しらんだ。眼鏡が大きいからだろうか、少し幼く見える。


「いや、シランは早すぎるよ…」


「そうですか?ボクはこれが普通なんですけどねぇ…」


「そーだよそーだよ」と、隣で祐希がチョコをほおばりながら相づちを打っている。こんな感じで、しばらく話をしている内に、他の生徒もチラホラとやってきた。

普通の学校であれば、たわいも無い話で弾んで、朝でも少しぐらい騒がしくなるものだが、生徒11人全員病人であるこの教室では、そうはならない。


9:00。病院ゆえにチャイムは鳴らないが、扉が開いて男が1人入ってきた。白衣に片手にはタブレット端末を持った、この教室の担任である白井しらい先生。


「やあ、みんな。今日も元気そうでなによりだ!」


「…」


ただの1人として元気そうなやつなど居ないこの教室で、1人ニコニコと笑っている。そんな挨拶に、誰も何も返さないままスルーされた。


「いや〜、クリスマスだね!」


「…」


1人元気そうに話を進めている。


「まぁ、今日はまだ23日何ですけど…」


「…」


「先生、君たちにクリスマスプレゼントを用意しました!」


「…?」


無関心に聞いていた自分を含めて数人が白井の方へ顔を向ける。それを受けて、白井はいつもとは違う嫌な笑みを浮かべ、あいかわらず聞き返さない、いや、聞き返せないでいる僕たちの質問に答えた。


「君たちには、異世界に行ってもらいます!」


「っちょ、いや…!」


と、誠が立ち上がり何か言おうとして、何を言えばいいか分からず立ち尽くす。祐希はチョコを食べるのを止め、紫蘭はカバンから灰色の帽子を取り出し、それをかぶる。

こんなでたらめのような話を間に受けて、それぞれが焦りを見せ、テンパっている。それもそうだ、この話がでたらめなどではないという事を、ここにいる全員がよく知っているのだから。


「コマンド、Dゲート!!」


そしてついにその時は来た。一瞬、目の前に赤い電気が流れ、視界が闇に包まれる。何の感覚もないという未知数の感覚に縛られる。その時、もちろん怖いという気持ちもあったが、それ以上に何かもっと、大きく僕の心を動かすものがあった。


今日はほんとに運が良いな。心からそう思った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


風が草原の草を揺らし、なびく草は視界一面に広がっている。その向こうには、壁に囲まれた街が広がり、さらに向こうには、青く澄んだ空が広がる。その空ではばたいていたのは、1匹の飛竜だった。

今、有栖はこの地に降り立った。異世界への第一歩。そしてそれはまた、これから起こる物語の第一歩。


澄んだ空に、飛竜の高い鳴き声が響き渡った。

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culamusolders(クラムソルジャーズ) @zyubakurei_siro

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