オルタナティブ家族

湖城マコト

代替家族

「うちの主人ったらね――」

「あらやだ――」


 夕暮れ時に、買い物帰りの二人の主婦が世間話を交わしていた。旦那に関する愚痴に始まり、どこのスーパーが一番お買い得かに至るまで、話題のバリエーションは豊富だ。

 

「そういえばこの前……あら?」


 見覚えのある少年が近くを歩いているのを発見し、片方の主婦がいったん話の流れを切った。


「こんにちわ、ヒロムくん」

「こんにちわ」


 近所に住む小学三年生の少年――ヒロムは、にこやかに話しかけてきた主婦に無表情かつ淡々と挨拶を返した。


「最近調子はどう?」

「普通です」

「何か困ったことがあったらいつでも言ってね。おばさん力になるから」

「ありがとうございます」


 事務的に礼をすると、ヒロムはそのまま家の方角へと歩いていった。


「知ってる子?」

「うん。近所に住んでるヒロムくんって子」

「こう言ったらなんだけど、ちょっと不愛想な子ね」


 事情を知らぬもう一人の主婦の目には、ヒロムはそういう子に映ったようだ。


「……ちょっと前までは、ハキハキと挨拶する明るい子だったんだけどね」

「何かあったの?」

「ほら、先月事故があって、メンタルケアのためにアンドロイドが派遣された家があったでしょう」

「じゃあ、あの子って」

「そういうこと」


 説明を受け、もう一人の主婦も合点がいったようだった。

 ヒロムの家は、先月起こった事故に関連して、ちょっとだけ有名になっている。




「お母さん。ただいま」

「お帰りなさいヒロム」


 ヒロムが帰宅すると、母親が笑顔で出迎えてくれた。その表情見て、外では不愛想だったヒロムの顔にも笑顔が灯る。


「おやつを用意してあるから、先に手を洗ってらっしゃい」

「はーい」


 素直に頷き、ヒロムは洗面所へと駆け足で向かう。


「こら、走らないの」

「ごめんなさい」


 駆け足は止め、歩いて洗面所へと向かった。


「はい。来週の月曜日ですね。主人共々予定を空けておきます」


 ヒロムが手を洗ってリビングへ向かうと、母親が誰かと電話をしていた。予定を空けておくという文言だけで、ヒロムは電話の内容に想像がついていた。


「何のお電話?」

「ううん、何でもないわ」


 母親は穏やかに言って受話器を置くと、ヒロムのために手作りしたプリンを取りにキッチンへと向かった。


「美味しい?」

「うん。凄く美味しい」


 今のヒロムは母親に気なんて使わない。美味しい物は美味しい。不味い物は不味い。つまり、このプリンはとても美味しいのだ。


「僕。お母さんが大好きだよ」


 母親は何も言わずに、美味しそうにプリンを頬張るヒロムの顔を眺めていた。




「今日、メンテナンスの日程を知らせる電話が来ていたわ」


 時刻は午後10時。ヒロムが眠った後、母親と父親がリビングで話し合いを行っていた。


「いつだい?」

「来週の月曜。二人揃ってよ」

「せめて個別にしてくれればいいのにね。二人同時に家を空けては、ヒロムを寂しがらせてしまう」

「幸い時間はこちらの都合に合わせてくれるそうだから、ヒロムが学校に行っている間に済ませてしまいましょう」

「そうだね」


 現実的な話をなるべくヒロムの耳に入れないように、この手の話題はいつもヒロムが寝付いてからするようにしている。

 全ては、ヒロムの精神の安寧のために。


 ヒロムの本当の両親はすでに亡くなっている。今ここにいるヒロムの両親の姿をした存在は、ヒロムのメンタルケアのために遣わされたアンドロイドだ。

 まだ試験的な段階ではあるが、突発的な事故などで親を失った子供達のメンタルケアのために、親の姿を模したアンドロイドを派遣するという試みが政府主体で進められている。

 目的は、子供達に心の整理をさせ、親の死をきちんと受け入れてもらうことにある。親の姿をしたアンドロイドと過ごす日々は、突如として親を失った子供達に与えれた、心の整理が出来るまでの猶予期間なのである。


 ヒロムの両親は一か月前に交通事故で死亡。ヒロムも同乗していたが、座席の位置が幸いし彼だけが生き残った。

 メンタルケア用のアンドロイドが派遣されて今日で25日。ヒロムは今、代替だいたい家族かぞくと共に生活している。


「ヒロムのために、僕達は代替品としての役目を全うしよう」

「そうね。あの子の笑顔のために」


 ――僕は、前のお父さんとお母さんよりも、今のお父さんとお母さんの方が好きだよ。


 廊下に佇み、ヒロムはアンドロイド達のやり取りを全て聞いていた。

 周りが思っている以上にヒロムは聡い子だ。心の整理はすでにつき、両親の死も子供心ながらに受け入れている。


 受け入れることは簡単だった。


 誰にも話したことはないが、ヒロムは実の両親のことが大嫌いだった。

 父親と母親は家ではいつも喧嘩ばかり。それでいて外面だけは良かったので、家庭内が荒れていたことを知る者は少ない。

 喧嘩の絶えない家での暮らし。小学生であるヒロムが笑顔でいられるわけがない。だが、母親は外ではいつも笑っているようにとヒロムに強要した。そうしないと世間体が悪いからと。いつも仕事で帰りが遅く、たまにしか会話を交わさない父親も、ヒロムに対して外では笑顔でいろと念を押した。 

 両親は自分達が演じる外面の良さをヒロムにも押し付けたのだ。いつも喧嘩ばかりしているのに、そういう考え方だけは一致していた。

 怒られるのが嫌で、ヒロムは両親の言う通りにした。その結果、近所の主婦たちからは、ハキハキと挨拶をする元気の良い子という印象を持たれた。

 家では笑顔になれない。外では笑顔の仮面を纏えといわれる。ヒロムは自分らしさというものが分からなくなっていた。

 

 そんな大嫌い両親が死んだ。父親が運転する車が起こした単独事故。その原因もまた、夫婦喧嘩によるものだった。

 運転中に口論となり、集中力を欠いたことで父親はハンドル操作を誤り、家族3人の乗る車は事故を起こした。

 夫婦喧嘩の絶えなかった両親は夫婦喧嘩が原因で死んだ。ヒロムは子供心に、どうしようもない死に方だなと思った。

 

 それから程なくして、メンタルケア用のアンドロイドがやってきた。

 初めて目にした時。両親と同じ姿をした二人のアンドロイドに、ヒロムは嫌悪感を抱いた。まるで、大嫌いな両親が蘇って来たかのようだったから。


 また、あの辛い生活を送らないといけないのかとヒロムは思った。


 だけど、両親の姿をしたアンドロイドはとても優しかった。

 喧嘩なんてしないし、家族三人で食卓を囲む機会も増えた。

 ヒロムが何気なく「やっぱりお外では笑顔でいないといけないの?」と尋ねた時は、優しく微笑みながら「無理して笑わなくていい。自分の気持ちに正直でいいんだよ」と言ってくれた。

 世間的には、両親の姿をしたアンドロイドは家族の代替品でしかないという認識であるが、ヒロムはそんな二人のアンドロイドのことを実の両親以上に愛している。


 しかし、代替家族との生活は長くは続かない。子供の精神状態によって個人差はあるが、期間は半年から一年というのが一般的だ。

 別れの時は、近い将来確実にやってくる。

 本来、代替家族と共に暮らす子供に求められるのは、両親の死を受け入れる覚悟だ。

 だが、ヒロムの場合は違う。彼に求められるのは、実の両親以上に愛してしまった代替家族と別れる覚悟となるだろう。


 その時がきたら、彼はどのような決断を下すのだろうか?

 今はまだ、誰にも分からない。




 了


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オルタナティブ家族 湖城マコト @makoto3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説