第4話
『はい、もしもしー』すぐに電話から気だるそうな女性の声が発せられた。
「チトセです。運搬完了しました」
早速、報告を済ます。
暫くの間があり、電話ごしにキーボードを叩く音が聞こえてくる。
『うん、ご苦労様。じゃあ、早速クライアントに金の催促でもしようかしらね』
女性の名はセシリー・パーユーロン。
風見重工の上級特務監査。
特務監査員とは風見重工における情報工作の役割を担っている存在だ。
通常は身分を隠し、情報収集のため嘘でその身を塗り固める。
ある時は軍人に。ある時は市民に。ある時は犯罪者に。
ありとあらゆる者の隣人として寄り添うのだ。
そうして集まる全ての情報を統括、管理するのが上級特務監査であるセシリー・パーユーロンの仕事である。
二八歳という若さでその地位についた彼女は、誰もが羨むほど才能に溢れていた。現場で叩き上げられた彼女は人という生き物をよく理解し、人を掌握する術に長けていた。様々なエージェントが彼女の才気に惹かれ情報をかき集めていく。一匹の女王蜂となり、働き蜂を駆使して蜜を集める。それは甘い甘い禁忌の味。そうして彼女は風見という怪物を蜜の虜としてきた。
それが、セシリー・パーユーロンという女性であった。
二人の前では金に五月蝿いくせに面倒くさがりな性格を曝け出す。
ひょうきんで、ユーモアもあり、人間味溢れる優しい人。
しかし、それは彼女のたくさんある顔の一つにすぎない。
少なくともチトセは、それを理解していた。
信頼に足る人物。
それが三年間という月日で出した答えであるのは確かだ。
しかし、彼女の本質はどこにあるのか未だに掴めていない。
それが彼女には、ほんの少し恐怖でもあった。
「もう疲れましたよ……最悪です」
「行く前まであんなに楽しみにしてたのに、随分な変わりようね……何かあった?」
その問いかけに、チトセは道中での襲撃を事細かに説明し始める。
今回の輸送任務は極秘裏に行われたものであり、そこに偶然ヤタガラスと遭遇し、襲撃されるというのはいかにもタイミングが良すぎた。
情報の漏れは命に関わる。
それはセシリーが一番理解している。
今回の荷がそれなりのデメリットを抱えている品なだけに、細心の注意を払い、最も安全に輸送できる術として、今回の単独輸送を発案したのは紛れも無く彼女である。持ちうる情報から導き、それが最もベターな策だと判断したのだ。
実際、品は無事に届けられた。問題はその過程にある。
彼女の想定では本来であれば、戦闘事態に陥ることこそがあり得ないシナリオだった。無論、何事にも想定外はある。そのための保険も用意した。
しかし、それはあくまでほんの僅かな可能性で生じるであろうイレギュラーに備えてのものだ。それはあまりに出来過ぎた話だった。
全てを見透かされた上で、遊ばれているような不快感が全身を走るのを二人は感じていた。それこそが違和感の正体であった。
チトセの説明が終わり、静まり返っていた携帯から大きなため息が漏れた。
『何とも解せない話ね』
「やはり情報が漏れているってことでしょうか?」
今回の輸送は風見重工とサーマシバルだけの問題ではない。
民間軍事企業としての側面が強い風見重工の動きは全世界が注目する。
ましてサーマシバルとの癒着は脅威をいたずらに喧伝することに他ならず、周辺諸国、特に休戦状態にある赤色教団を刺激しかねない。
情報の漏洩は火薬庫の中で煙草を吹かすようなものであった。
『それは十中八九。腹立たしい限りだけどね。それより気になるのは何を考えてヤタガラスをけしかけてきたかってことよ』
「それは品物の奪取が目的なんじゃ?」
『それなら、あらかじめ行路に罠を仕掛けるなり、手勢を増やすなりすればいいもの。そうしなかったのは、喋り屋にとって品物は標的ではなかったってこと』
彼女の言い分はもっともだった。
まだ仮定の域を出てはいない。
目的がはっきりしない見えざる何者かの存在。
考えるだけで、不安でいっぱいになってくるのをチトセは感じていた。
「そもそも、情報提供者とヤタガラスの関係が見えてきません。ヤタガラスがその情報を信用して動いたのだとしたら、それなりの信頼関係があるということになりますよね」
見ず知らずの誰かの話にほいほいと付いて行く人間などそうはいない。
もし、その何者かとヤタガラスに接点があるのは確実であった。
「もし情報提供者が同じヤタガラスなのだとしたら話も分かりますが……」
そうであっても目的が見えてこないのであれば仕方のない話だった。
もし全てを把握した上で仲間をけしかけたのであれば、それは仲間を殺したも同義である。品物を手に入れるためであるならば、その理由もまだ納得できる。
しかし、蓋を開けばただいたずらに死体を増やしただけ。
チトセが納得できる辻褄はどこにも見つからない。
『何はともあれ、用心に越したことはないわ。ちょっとクロウに変わってくれる?』
チトセは「はい」と言いながら、クロウに携帯を手渡す。
クロウは左手でそれを受け取り、耳元にもっていった。
「何だ?」
『一つ聞くけど、ヤタガラスの死体はどうしたの』
「放置した」
冷たい一言。
クロウは自らがこしらえた野ざらしの死体など、存在すら忘れかけていた。
『……そう、そういうことなのね』
一人納得する声。
クロウにはそうに対して何を言うわけもなかった。
誰が何をどうしようが、自分にはあずかり知らぬ話だ。
関心もなければ恐怖もない。
何かに悩むチトセ。何かに納得しているセシリー。何かに歓喜している軍人たち。そして、死ぬ間際に恐怖していた彼ら。
分からない事ばかりだ。
理屈も倫理も思想も感情も、人を複雑にしていく。
分からない。
人間のことなど分かるはずがない。
『少し、面倒な事になるかもしれないわね』
それは、不気味なほど静かな声だった。
ナイフ・エッジカレス @bekobeko1212
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