蒼い雫
会うは別れの始め。
児島由香は大村澄子に例えて思う。
自分にも当てはまるだろうと、考える。
児島由香にとっては当たり前の事を尽く否定をする人物が現れる。
名は岡村晴一。
虚勢を張ることは愚か。気付くのが遅かったと、後悔をする。
本当に、遅かったと只管涙を流すーー。
***
児島由香は業務終了後に日報を持って事務所へと向かう。
「お疲れ様です」と、一礼をするものの無愛想な男が通り過ぎた後ろ姿に顎を突き出して睨みつける。
「児島さん、まだ残っていたの」
デスクの椅子に腰掛けるショートカットの女性事務員の田代が言う。
「伝票の確認をしていたのです」
由香は事務用のクリップで留める用紙の束を目の前にいる田代に渡す。
「日報は木田さんの机の上にお願いね」
「田代さん、自分達よりさっさと帰る上司によく我慢をしてますね」
「時間から時間までに効率よく仕事をして無駄を省く。管理課の朝礼でどこかの誰かさんが言ってたのを実行しているのよ」
田代が言う『誰か』は岡村ではない。由香は岡村がどんな男だったかを覚えている。
工場現場の従業員さえも知らなかった岡村の退職。明らかになったのは、皮肉にも四月一日だった。
女性陣に囲まれて昼食を取り、何かと色恋沙汰の話題となっていた岡村。一方、仕事に於いては常に自身が現場に入って働く、指示をする。
ーー児島、おまえに足りないのは協調性だ。
岡村と面談の場で突かれた言葉が呪縛のようだと由香は今でも思い出す。
由香は岡村に指導をされる度に眉を吊り上げていた。
どうしても感情が剥き出しになって、決まって岡村と抗論になっていた。と、由香は振り返るーー。
***
「記憶にない」
「いいえ、しっかりと仰っていました」
〈呑み処大葉〉の座敷席で、白のワイシャツと灰色のスラックス姿の岡村晴一がショートボブの髪型で水色のポロシャツと緑の七分丈パンツの女性と酒を酌み交わす。
「岡村さん、児島さんは強すぎます」と、岡村の右隣に座る青年が顔を赤くさせながら言う。
「林田、あんたは口が軽すぎる」
児島と呼ばれた女性は座卓の下から伸ばす褄先を青年の膝に命中をさせる。
「児島、その調子だと行き遅れるぞ」
岡村は徳利から日本酒をお猪口に注ぎ入れて口を付けて飲み干す。
「余計なひと言です」
児島は鰹のたたきをひと切れ箸の先で挟むと口の中へと頬張っていく。
「ははは。岡村さん、児島さんは今でも好きなのですよ」
「ほう、一人前に色恋沙汰に目覚めていたのか」
林田の言うことに興味津々と形相の岡村。
「岡村さん、林田に〈鬼サワー〉を飲ませてください」
「良いだろう。ただし、児島が色ボケ相手を明かしたならばな」
「勘弁してください、児島さんにとっては岡村さんはお兄さんみたいな存在だったーー」
ーー茂吉〈鬼サワー〉を頼む。
岡村達が座る席に大ジョッキ並々で赤紫色の液体を店主が蒼い盆に乗せて運んでくるーー。
風の盆 鈴藤美咲 @rakosuke
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