空の向こうに
大村澄子は永遠の眠りに付く。
児島由香は岡村晴一と共に大村澄子を見送る場所へと向かうーー。
***
〈有志一同〉と書き記す香典を児島由香は会場の受付に預ける。
既に通夜は始まっており、由香と岡村は参列者の最後尾の席に腰を下ろす。
誰もが喪服を身に纏い、手には数珠を握り締めている。由香の服装は派手な柄とまではいかないが、目が痛くなるような黄色のトレーナーと黄土色のジャージ下。
軽率だと思われそう。と、由香は読経の最中でも身なりを気にする。
参列者は焼香台にひとりひとりと足を運んで行き、岡村の後に由香は煙に噎せそうになりながら香炉にひとつまみと焼香を注ぎ込む。
合掌をして深々と一礼をすると祭壇の中心で笑みを湛える大村澄子の遺影を見つめるーー。
「香典返しは俺の車に積んだままで良いから、そのまま帰れ」
往復およそ二時間の道のり。ハンドルを握り締めていた岡村は会社の駐車場に乗用車を停めると後部座席に座る由香に言う。
「お世話になりました。しかし、大村さんにお別れを告げる余裕がありませんでした」
「気にするな。児島、おまえが大村さんを忘れなければ良いだけだ」
「岡村さんは喪服に着替える余裕があった。私は着のみ着のままでの参列。激しく悔しいですよ」
「俺に喰って掛かる余裕があるならば、仕事に気を回せっ!」
岡村は由香が乗用車から降りてドアが閉まると同時にアクセルを踏み込む。
ーー嫌い、嫌い、嫌い。
駐車場にひとりで佇む由香は岡村に怒りを膨らませる。
帰宅をして自室に入ると香典返しが入る紙袋を振り上げると緑と黒が交じるカードが畳の上に舞い落ちていく。
由香は拾うと開いて綴られる文字を目で追って読む。
由香は背中を丸めて肩を震わせる。目から涙が溢れても拭うことはなく、雫をカードに吸わせるように滴らせる。
自分は本当に大村との別れを惜しんではいなかった。通夜に参列していた間は目立つ服装に気を取られていた。証拠は本音を岡村へと口を突いた。
だから、岡村は怒った。
明日があるからと急いで風呂から上がって就寝をするものの、一睡も出来ずに夜が明けるーー。
***
何時ものように出勤の身仕度をして自転車のペダルを漕ぐ。会社に着くと清掃をして就業の準備をする。
最初は退屈な作業だと思えた配置の業務。大村より引き継いだ『班長』となって以来何かと慌ただしくなったものだと、由香は身体に鞭を打つかのように動く。
配送係の従業員に積み込む品物を催促される度に頭を下げる。休憩時間であるにも関わらず場内アナウンスで自分を呼ぶ声。営業が受けたクレーム対応。
由香は全てに立ち向かう。獲物を狙う獣のように相手を睨みつける。言葉も乱暴になる。
由香の態度が日に日に部署内で不協和音となり、噂は岡村の耳に入るーー。
「言いがかりです」
由香は岡村に呼ばれてきっぱりと『噂』を否定する。
「
会議室で正面に座る由香に岡村は腕を組んで言う。
「岡村さんはたったそれだけで私が悪いと決めつけるのですか」
「児島、おまえは人を纏める立場なのだ。仕事は出来るだろうが、人を敵に回すやり方はどうなのかと考えたことがあるのか」
「もう、いいです。失礼します」
由香は椅子から腰を上げて岡村を睨みつけると、会議室を飛び出して行く。
扉が激しく閉まる音と同時に「あの馬鹿」と、岡村は眉を吊り上げる。
***
今日が指定休日でよかったと、由香は布団の中で思う。
頑丈が取り柄と自負をしていたが、身体のあちこちが痛くて堪らない。頭を使うのも億劫だ。
由香は普段着に着替えることもなく遅い朝食を取る。満腹になると自室に入って再び寝入る。
ーー児島さん、大丈夫よ……。
聞き覚えがある声。由香の眠気は掻き消され、被る布団を剥がしてサイドテーブルに置きっぱなしのカードに手を伸ばす。
「大村さん、私に世話が妬けてゆっくりと眠れないですね」
由香は呟く。
〔〈娘〉は育ち盛りです。皆さん、此れからも温かく見守ってください〕
大村が残した『別れの言葉』で綴られるカードを由香は涙で濡らすーー。
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