第7話巡るもの
僕はベッドの上で目覚めた。
朝のようだった。
薄いグリーンの壁紙と、この家具の配置は、間違いなく高田明人の部屋だ。
机の横にある姿見を覗くと、そこにはパジャマを着た、人の良さそうな好少年が映っている。
まさしく僕。高田明人だ!
おまけに今は、高田昌男としての記憶もある。
次元スリップの使い道、いろいろ考えられそうだね!
気分が妙に軽い。
それもそうか。
三十八歳の記憶があったとしても、脳は十七歳なんだ。
脳内物質のバランスも、身体を流れるホルモンバランスも違う。
記憶が同じでも、同じ考え方をするとは限らない。
昌男分は年を取ってるだけあって、ちょっと賢いな。
明人としては問題ないけど、伊緒、リサ、真陽奈はどうだろう?
来る世界を間違えてなければいいんだけど。
部屋を出て確かめようと思ったとき、本棚の前の空間に、ぽっかりと黒い穴が開いた。
状況が飲み込めない。
ぎょっとして見つめていると、身だしなみをばっちり整えた朝の伊緒が、黒い穴の中からひょっこりと現れた。
伊緒は普段どおりといった様子で挨拶してきた。
「おはよー、明人くん。わたしが来る前に起きてるなんて珍しいね」
「お、おはよう伊緒。今朝もばっちりだね……」
「えへへ」
伊緒も……次元接続体なのか……?
だけどその事に関する記憶は、今のところ何もない。
悩んでいる暇もなく、今度は部屋のドアが勢いよく開けられた。
シャツにキャミソールを着た真陽奈が入ってくる。
「お兄さまー、真陽奈、今朝はゆけつしたい気分なのー(棒」
「ゆ、輸血……!?」
「えいー(棒」
真陽奈が僕に向かって右腕を突き出すと、その手首から赤い管が飛び出して、僕の額に刺さった。
赤い管はどくどくと脈打って、僕の中に何かを流し込んでくる。
「えっ、えっ?! 大丈夫なの、コレ!?」
自分で外してもよいものか迷ってるうちに管は抜け、湿った音を立てながら真陽奈の手首の中に戻っていく。
真陽奈は満足げに目を細めて吐息を漏らした。
「はぁー、兄妹の絆だったー(棒」
「ぐっ?!」
急に身体が熱くなってきた。
溢れんばかりの活力に満たされていく。
……活力というか、なんかエロチックな……おおおおおっ!
燃えるような発情だよ!
「もう、真陽奈ちゃん、やたらに輸血しちゃ駄目って言ったでしょ」
真陽奈を諭そうとする伊緒。
その彼女を構成する曲線という曲線が、僕にはもう、もう……辛抱たまらん!
僕は伊緒にむしゃぶりついた。
「ちちしりふとももーっ!」
「きゃーっ?!」
「お兄さま、はしたなーい(棒」
伊緒の身体の柔らかさが、ますます僕を駆り立てる。
「明人くん、やめなさい! ちょっと、明人くん!?」
伊緒がポカポカと叩いてくるのにも構わず、僕は身体を擦りつけ、衝動を叫ぶ。
「ちちしりふと……ぐおっ?!」
叫びの途中で、後頭部にバチッという炸裂音と衝撃が走った。
体中から力が抜け、僕は潰れるように倒れる。
嬉しそうなリサの声が聞こえた。
「こんなこともあろうかとーっ!」
潰れた状態から目だけを巡らせて声の主を見ると、ピンク色の四角いバックパックを背負ったリサの手に、何か黒い機械が握られていた。
黒い機械は多関節のアームでバックパックに繋がっている。
リサが手を離すとアームが何重にも折りたたまれ、黒い機械はバックパックの中に収納された。
金髪を右手でかきあげると、得意満面な様子でリサが言う。
「昨日のうちに調整しといてよかったわー、無害スタンガン。もう変態にはあたしにキスもさせないし、伊緒ちゃんに破廉恥な真似もさせないから」
「ぐっ……くくっ……」
僕はまだ口も利けない。
そうか、リサは発明家タイプなんだ……。
伊緒がほっとした表情でリサに礼を言う。
「ありがとう、リサちゃん。もう、真陽奈ちゃんの輸血は、明人くんには効きすぎるの!」
真陽奈は自分が話題にされても素知らぬ風で、部屋を出て行く。
「ゆけつしたらすっきりしちゃったー。メシだー、メシだー(棒」
リサも僕をチラッと見下すと、真陽奈に続いた。
「明人に使ったから、スタンガン、消毒しなくちゃー」
今の満足げな眼差しは忘れないからな、リサ。
伊緒も無情に部屋を出て行こうとして、ドアのところで振り返る。
「明人くん……」
「ぐっ、ぐっ……」
言葉も出せない僕を見て、伊緒はにこやかに言った。
「カッコ悪い」
そう言い残すと、ドアを閉めて階下に下りていってしまった……。
一人残された僕は、屈辱的な姿勢のまま考えてみる。
ここは確かに、三人の女の子に囲まれた高田明人の世界だ。それは間違いない。
しかし、彼女たちはいつの間に次元接続体になったのだろう。
その発端と、これまでのいきさつを僕は知らない。
この記憶の断絶は気になるところだ。
時間的には、僕が昌男の世界に戻ったあとから続いているようなんだけど。
やっと、身体に力が戻ってきたらしい。
ベッドの縁につかまってなんとか立ち上がると、今度は急に耳鳴りが始まった。
「くそっ、何が無害スタンガンだよ、リサの奴……」
両耳に人差し指を差し込んで抜き差ししてみるが、なんだか余計酷くなった。
いや、違う。
甲高い音は部屋の中央あたりから発されている!
耳をふさいで見ていると空気がさざ波立ち、若い男の声が聞こえた。
「いい姿勢だ。そのままでいたまえ」
直後、部屋の中いっぱいに霧が広がった。
かと思うと、それが凝縮して物体を形づくる。
高さ二メートル、直径一メートル程度の、金属でできた円筒が出現していた。
円筒の表面に凹凸が浮き上がり、大雑把で男性的な顔が形作られる。
銀色の顔が喋った。
「よっ、高田くん。先達として君の疑問のいくつかに答え、忠告を与えるためにやってきた。俺のことは話に聞いているだろう?」
うーん、確かに話に聞いただけなら、心当たりがあるな。想像とはずいぶん違うけど。
僕は心当たりを口にしてみた。
「鍬金博士のお友達か。名前は聞いてないんだけど」
「名乗る必要のあるときは、巡るもの、と名乗っている。君もそう呼んでくれ。君の問題はだいたい把握した。原因は一つに集約される。君がこの世界にケイオスウェーブを導いた。それが大元さ」
「えっ?! どういこと?」
「君は昌男の世界で次元接続体になり、その能力で明人の世界に次元遷移してきた。ケイオスウェーブは、君の通り道を使ってこの世界に到達したんだ。ケイオスウェーブはそのようにして、多次元に拡散するものだから」
僕は腕を組んで頭を捻る。
「それだけじゃ、僕の頭では理解できないよ」
「コーヒーでもすすりながら話し合いたいところだが、今の身体ではそうもいかないのが少々残念だ。時間にとらわれないケイオスウェーブは、この世界の二十年前から影響を及ぼし始めた。明人の世界が書き換わるのに邪魔だった君は、いったんこの世界からはじき出された。首尾よく戻ってきたものの、この世界での君の過去は、次元接続体が関与せずにそのまま残っている事象と、次元接続体が関与して変わってしまった事象のモザイクになった。それが記憶の断絶を引き起こしている。人間の知覚の限界だ」
「ぼ、僕はどう振舞うべきなのかな?」
僕の問いに、金属の顔はこともなげに答える。
「記憶喪失を受け入れればいいさ。もしかしたらこの世界に馴染むと共に、新しい記憶ができるかもしれない。そうでなくとも、彼女たちや周囲の人間に聞いてまわればいいだけのこと」
「天才ってのは割り切るね。そもそもケイオスウェーブってなんなの?」
「今のところ、俺でも自然現象の一種だと思うのが関の山だ。しかも人類にとって未曾有ということもない。古い神話は超人で溢れてる! だろう? 俺のしたい忠告ってのも、そのことに関連する」
「聞くだけならタダだよね?」
「太古において地域的な超人の出現は、人類全体の趨勢に大きな影響を与えなかった。しかし現代以降はそうともいえない。次元接続体的な能力を持ってなくとも、人類を滅ぼしうるような世界なんだからな。ケイオスウェーブの拡散は、今のところ好ましくない。しかし君が新たな世界に移動した場合、ケイオスウェーブもついていってしまう。だから君には明人の世界か昌男の世界、どちらかで踏ん張ってもらいたいのさ」
「そんなことならお安い御用だよ!」僕は請合った。
「納得してもらえてよかった。ケイオスウェーブを導いてしまうのは、俺も同じでね。だから行ける場所は限られてる。また会うこともあるだろう。まだ時間の行き来ができない身の上では、いろいろ忙しくてね。ここらでお暇しよう」
そこで区切ると、巡るものはいくぶん感情を込めてこう言った。
「ごきげんよう、高田くん」
僕も複雑な思いを込めて口にする。
「……ごきげんよう」
巡るものは霧のように広がって消えた。
いつの間にか部屋のドアが開けられ、伊緒、リサ、真陽奈の三人が目を丸くして見ていた。
伊緒がおずおずと訊いてくる。
「い、今の……なに?」
僕は素直に答えた。
「新しい友達……かな。あまり気にしなくていいよ。さあ、急いで着替えるよ! 僕の脱ぎっぷりを眺めるか?」
「じょ、冗談じゃないっ!」
リサが顔を赤くして、どすどすと足音を立てながら自分の部屋に向かう。
「またあとでね」
伊緒は空間に黒い穴を開けて消えた。
一人残った真陽奈がニタっと笑う。
「真陽奈、見てるー(棒」
「残念、お前は年齢制限に引っかかる」
僕はドアを閉めた。
次元スリップは自由奔放に使っていいものではないらしい。
でも今はただ、伊緒、リサ、真陽奈の三人と騒がしい日常が過ごせるだけで十分だ。
僕は自分を納得させると、喜びに包まれながら、もそもそと着替え始めた。
スリップリー 進常椀富 @wamp
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