第13話 フィナーレ

 昨日で一区切りついたな、明るく騒いで映やレギャを送り出した。

片付けていない食器やグラスが感傷を呼び起こす。

 朝早く店の前を掃除していた私にレギャは、

「じゃあね、お姉ちゃん」と言うので、

とりあえず呑みこんで

「時々漣乃ちゃんの元に行ってやってよ」とにっこり笑って言った。

レギャはふわふわ飛んで着いた赤色の屋根の上から手を振った。

 いつものように、仕事を終え店を閉め、

お疲れーってコーヒーを淹れ二人で飲んでいた。

あのさ、と切り出して、次にお前の頬の柔らかさが好きだとか言うかと思ったら、「旅に出たいんだ、明日から君一人でも大丈夫だよね」

なんて突然すました顔で言われてもねぇ。

「えっ、どういうこと?私なんかした?」

「違うよ、色々なとこに行ってみたいんだ」

「そう……元気でね」

「そっちこそ。でもこんなにこき使われるとは思わなかったな」

 水を飲み終わったホワを抱き上げ、

ひょいと腕を持ち上げて爪を向けるようにして、

私は精一杯可愛らしげな声をイメージして引っ掻いちゃうぞと言った。

苦しいといけないからすぐに離して。

「はは、君も意外にファンシーな真似をする。もっと早く見たかった」

 それから朝まで喋っていた。

最初こそ、けっこう真面目に振り返っていたのに

映がだんだんおちゃらけ始め、お前って意外と胸あるなとか、

口からコーヒー豆が出たらそれを洗って人に売りつけるとか、

言動が変になってきた。

しまいには倒れる演技をして、足に顔をすり寄せたり、

ふーふー息を吹きかけたりしてきたので、

私は映の暴走を牽制しようとその顔にビンタをした。

思いの外、強くビンタをしすぎて痛みに泣き顔の映。

「覚えてやがれ、いつか従わせてやる」と捨て台詞を吐いて、

いったん姿を消し、5分後に戻ってきた映は、

「旅の途中で珍しい花見つけたら届けるよ、

でも俺は君が花を見ている時にはまた新しい地へ向かってるんだ。

なんかかっこいいだろ」

と言うと、わしゃわしゃ私の頭を撫でて、

またなと言いつつ握手して、手を離すと向かいの坂まで歩いていった。

遠ざかる映の背中を見ていると、突然立ち止まって振り向き、

何かをしている。ん?あいつは何をするつもりだと注目していた。

七色の光が溢れ、虹がかかった。カラフルな世界。

視界が滲んで、よくわからない気持ちになる。

ほんの少し眩しい色が世界に届けていけば良いなと思う。

淀んだ色ばかりじゃなくてさ、

もっと、もっとね。明るい和音を響かせられたらなあ。きっと、いつかは。


 富士山に近い町を茜さんと二人で歩いている。

蒔さんの故郷が山梨だとは知らなかった。

「3連休取れたんだけど、詩瑛ちゃんも来る?」

 実家に里帰りする茜さんに一緒についてきたのだった。

もちろん二つ返事で。

一人で寂しい状況にありがたい電話がかかってきたものだ。

出かける前にペットシッターにホワは預けてきた。

新幹線に乗って初めて別の県へ来た。

修学旅行は休んだし、蒔さんも時々電話をしてはいたけれど、

詳しくは聞かずに私は甘えるばかりだった。

会話よりもふれあいが欲しかったのかな。

それに口を開けば花の話題が圧倒的に多かったし、

亡くなった後にアルバムで富士山をバックに

公園かなんかでピースしてる蒔さんの写真を見たことがあったけれど、静岡なのか?山梨なのか?と思った。どっちかわからなかったのだ。

でっかいな、すぐ近くに富士山があるよ。

昨日の夜に降った雨でできた水溜りにも映っている。

 暖かみのある茶色の家が蒔さんの実家だった。

「帰ったよー」と言いながら、居間へ進む茜さんについていく。

テレビを見ながら、座布団に座りお茶を飲み、

穏やかな声で話す蒔さんのお父さんとお母さん。

後ろの私たちに気付き、慌てて会釈をするので私も会釈を返す。

「詩瑛ちゃんじゃない、よく来てくれたわね。

蒔から良い子だからいつか連れてきたいって言われてたのよ」

「第二の故郷だと思ってくれ」

「まあ、あなたったら。大袈裟すぎるわよ」

 ぽろぽろ涙がこぼれた。じわじわ広がる。心。

改めて蒔さんが優しかった理由の一つがわかった気がする。

どうしたらいいんだろう?止まらない。

欠けていたものがピタリと組み合わさって、

確かに満たされたのかな。うん、満たされた。


でも、届かないものだと決め付けていたんだ。血のつながりも無いのになんて。違った。この温もりは幻じゃなくて。

蒔さんの笑顔が沁みついて離れない。離したくない。

むせび泣く私を抱き、背中をトントンと軽く叩くお母さん。

胸がいっぱいで、溢れ出した感情をひたすら感じていたかった。

 落ち着きを取り戻した私に、

お母さんはいくつか積み重なった座布団からウグイスが木に止まって、

3連符で鳴いている、ホ・ケ・キョといった感じで。

ホーは入れずに、ホ・ケ・キョと3連符で鳴くウグイスがいたっていいじゃない。

とでもいうかのような座布団を用意してくれた。

私はウグイスの上に座って、耳を傾ける。お母さんが話し始めた娘の思い出話を。

「蒔が高校生の頃だったかしらね。花を入れる容器に凝って、

マグカップ、ジュースの紙パック、

ダンボール箱に花植えたりしてて、面白い娘と思ったわ。

富士山が花で埋め尽くされたら可愛いなとも言ってたわね。

あと、河原で失業したサラリーマンの方に花を渡してたわね。本当優しい子だった」

「むむ、そんなことがあったのか。あの子は真心があったね」

「花といえば、エスプレッソ入れる時に、

なんていうかわからないけど、花の絵描いてくれたな。姉さん妙に芸が細かいし」

 とにかく花に関しての逸話というかエピソードが絶えない。さらに続いていく。

「まだ蒔が小さい頃、庭の金木犀をぼーっと見ていたわね」

「姉さん、よく花のしりとりするの好きだったな。

私はお菓子や色だったけど、姉さんがテーマを決めるのは花だった」

 おっと、そうそう。

そういえば蒔さんは客が来なくて暇だったり、

定休日にリビングでコーヒーを飲んでまったりしていたりする時に、

「時計草だからウね。しりとりしよ」と振ってきたな。

「茜さん、私も蒔さんとしりとりしてました」

「ふふっ、やっぱりか。ああ、いつぞやの誕生日にアスターのブローチくれたな」

「今もそのブローチはありますか?」

「それがね、どこに置いたかわからないんだ」

「どこか行っちゃうことってありますよね」

 お母さんとお父さんは昔の話をしている。

茜さんは、「私の部屋に行こう」と言うと、

かつて姉妹で使っていた部屋に連れて行ったのだった。

 カスタードクリームみたいな優しい雰囲気の部屋だった。

どこが?と言われると困るが、淡くまろやかなところというか、

ほんわり包み込まれるような空間。

記号で言えば○のような。

実際に薄紫の丸い机があるしね。

ここでも色々な話をしてくれた。

夏休みの自由研究で蒔の友達と一緒に山に行き、

なんかの花を摘もうとしたら、

蜂が出てきててんやわんやに逃げ回り、その時も一緒だったこと。

また、ペラペラになってなんとなく可哀想な気がするから

押し花は好きじゃないとか、

でも食用花を用いたケーキは食べてみたいとか、

蒔さんらしくて笑ってしまった。

おもむろに立ち上がって、押入れを探す茜さん。

フクシアが描かれた筆箱、ノートに書かれた花の落書きなどが名残を感じさせる。

カセットを片手に、下に置かれていたラジカセを引っ張り出し、

トンと床に置いてカシャッと入れる。

日光でラベルが黄色く変色したカセットを。再生され流れ出すのは。

「じゃあ、名前を言ってください」

 どことなく若い自分の声にうわあと恥ずかしがる茜さん。

「あたしモリシマアカシア。

さわさわの花がしとしとでぽとぽとでぬれぬれで

やれやれでつやつやでひやひやでうるうるでまるまるよ」

 きらきらした蒔さんの声。ほわほわした気分になる。

懐かしいな、慕わしいな、苦しいな。

「異様にオノマトペばっか使いますね」

「あなた、きれいな角してるのね。くるくるしてて、ゆるゆる曲線を描いてる」

「モリシマアカシアさんこそ、って名前長い。モリーこそスカイブルーのローブが良いわ」

 サーとカセットのノイズ+沈黙。過去÷愛=懐かしさ。

「モリー、簿記には興味ある?」

「何を唐突に。数字ずらずら並んだだけでいらいらして思考がばらばらになる」

「坂上さん、不思議な映像作るよね」

「うん、シャワーをかけられた途端に風呂嫌いな猫がダッと走り、

テーブルの上の青海苔をぶちまけ、猫はWOWと叫び、

転げ回って青海苔まみれになっちゃうのよね。

でね、椅子の下にもたれた緑の変なぬいぐるみと色がシンクロしていたんだ。

本当変なんだよ、そのぬいぐるみ。馬と狸を合わせたようなさ。

馬狸が猫パンチをくらってふっ飛ぶシーンが笑えた。

しかもふっ飛んだ先に仲間が何匹もいるしね」

「どれも間抜けな顔してて、力が抜ける」

「行く先々に馬狸が置いてあって、カクカク動くし。

侮っていた馬狸に囲まれ驚き怖がる猫が可愛かったけど、

ちょっとかわいそうだった」

「ハニワと猫とドレッドの男の三つ巴はシュールすぎ」

 そこでブツッと音がして、何だ?とラジカセを見つめる。

「暗がりの中を、華やかな花で染めていけたら・・・誰かが笑ってくれるのかな」

そんな一言を蒔さんがつぶやいた。過去の音像の中で。

 声や姿を留めておけるというのはかけがえのない意味を

いつか生み出すことになる。

本当は、大切な人がそこにいるということが何よりも必要だけれど、

それが叶わなくなった時に記録があると助かる。

でも、残っていなくてもそれはそれで良いんじゃないかな。思い返して、胸が温まる感覚を忘れないでおこう。

遥かに染み込んでいく、遥かに。

 カセットとラジカセはしまっちゃって、

茜さんは苺のお香を焚き始めた。

木琴かフルートみたいな楽器が似合いそうな香り。頭の中でFの和音が鳴った。ぼわーんとぬくぬく。

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