スタンダップコメディアンはチャイナドレスと話せない

一石楠耳

スタンダップコメディアンはチャイナドレスと話せない

 俺はスタンダップコメディアン。

 えげつないシモネタやら政治経済の皮肉、芸能人のゴシップ、モノマネ、人種差別ギャグ、別れた奥さんへの愚痴、歴史上の人物に対する好意的解釈と批判的あげつらい、若者叩きに老害叩き……。

 そういうものをバーやホールのステージで延々語ってると、驚いたことに、それを聞きに来る連中がいるんだ。

 しかも連中、そんな話を聞いて、ゲラゲラと笑ってる。俺と奥さんの泥沼の別れ話を聞いて、腹を抱えて笑うんだぜ?

 最後のキスで虫歯菌を移されて、「こんな財産分与は聞いてないな」って呆れたって思い出に、歓声を上げやがる。きっとあいつら、心底性格が悪いんだろう。

 更にもう一つ。信じられない事実に愕然としながら俺は、この衝撃的な告白をせずにはいられないんだが、お前ら全員耳鼻科の検診は約束通りに済ませてあるだろうから、健康なその耳でようく聞いてくれ。

 あいつらは俺の話を聞いて、金を払う。

 そういう複雑極まりない謎のシステムがオトナの社会にはあるもんだから、おかげさまで俺は人前で存分に悪口を言い、そのゲス度合いに応じて金をもらって、暮らしていけるわけさ。

 著名人の失言にはいつだって感謝してるし、巨漢の家族が隣の空き家に越してきた時には、全力でガッツポーズをしたもんだ。

 メシの種が間近に転がり込んできた、晩飯にトッピングをもう一品増やせそうだ、ただしお前にはやらねーぞこのデブ! ってね。


 ところでこれ、知ってるか?

 ピータンって言うんだ。

 こんな真っ黒い卵を産んだ鳥ってのはさぞや真っ黒いんだろうから、恐らくこれはカラスの卵だろうと俺は推測するぜ。

 俺はさ。この店の中国粥に、ピータンをトッピングするのが好きなんだ。

 カラス自体が店のトッピングメニューに載っていないところを見ると、あいつらは卵のうちに乱獲されて全部ピータンになって、絶滅しちまったんだと思う。

 ヒトのエゴってのは恐ろしいもんだな。


 俺がこの店に通っている理由は二つある。

 一つは、粥が旨いこと。

 そしてもう一つは、店員のチャイナドレスが実に扇情的だってことだ。

 見ろよあの脚。チャイナドレスは女の脚を引き立てる。

 その上、引き立てられた女の方も、服に引き立てられるまでもなく、素晴らしく美脚だ。

 ほら、あの子だよ。チャイナドレスがなくたって、男の目を釘付けするに足る力を持っているだろう。あの子が一人いるだけでも、充分に店に通う理由になる。だからこれが、俺がこの店に通う理由の、追加で更にもう一つだ。

 おまけに付け足すならこの女、顔も好みなんだよな。これも俺がこの店に通う理由の一つだと言える。

 ついでにもういくつか理由を付け足しておくと、食卓にネズミが登ってこないことと、注文した料理が間違いなく届くこと、うちの隣のデブ一家が急に俺の粥を横取りしに来ないこと、ピータンを載せた粥が旨いことも、俺がこの店に通う理由の一つだ。

 粥が旨いって理由はさっきもう言ったっけ? おお、そうだったか、なんてことだ。

 じゃあ被った理由にはまとめて消えてもらうとして、この店に通う二つの理由が、気づいたらたった一つになっちまったじゃないか。

 俺はこのチャイナドレスの女が好きで、この店に通っているんだよ!


 だから俺はいつも粥を食べながら考えている。どうやって彼女を誘い出すか。

 恥ずかしながら悪口雑言を並べ立てるだけで生きている俺にとって、女に話しかけるなんてのは、恥ずかしながら、まあ、なんだ、訳はない。

 だいたいこういうのは定型句で行けばいい。

 「これからの外食産業におけるチャイニーズフードの躍進と、ピータンの安定供給のためのハトの確保及び、黒いラッカースプレーの重要性について」とか、頭脳明晰ぶりを吹聴しつつ近づいていけば、自然と俺の胸に顔を寄せてくる。

 そうしたら次は、彼女の顎の下に手をやって顔をクイッと上げるだろ? 人体ってのは不思議なもんで、こうすると何故か瞳を閉じて唇を俺に向けてくるんだ。

 別れた奥さんはこれで行けた。別れた時もこれでキスしてぶん殴られて別れたが。しかも虫歯菌のおまけ付き。


 そんな膨らむ過去のあれこれと、しぼんでいく未来像を、想起しつつ。

 一旦食事に集中しながらも、彼女の誘致の予定を脳内で進めてみようと、俺は決めた。

 ピータンをレンゲで潰して、全体に黒いかけらを散りばめてから、むしゃむしゃと食べる。うん、うまい。こりゃきっと論語に載ってたメニューだな。「子曰く、ウマイぞ」って。

 彼女への誘いかけも、この粥みたいにウマいこと行けばいいが。論語に誘い方が載ってたかもしれないが、どうせ俺は中国語なんか読めやしない。だから俺が孔子になって考えてみるしかない。


「お茶、お代わりいかがですか」


 ところがそこで俺に話しかけてきたのは、脚だ。

 違う、視点が下がりすぎだ。人の目を見て話をしないと失礼だって、ユニーク会話術の先生が言ってただろ。

 改めて視点を上げて垣間見る。チャイナドレスのあの女だ。

 俺が飲んでいる茶にお代わりを入れようと、急須を持って近づいて来たというわけだ。

 いいじゃないか、気が利く女だ。下手に作り笑顔を見せるわけでもなく、それでいて物腰が柔らかいのもいい。薬膳ベースのこの店の粥と同じように、すっと腹中に染み入る暖かみがある。

 前から目をつけていた女の方から、こうやって一対一の状況で話しかけてきたんだ。

 ウサギが木の根っ子に飛んできて、目の前に転げ落ちたというならば、俺は帳尻を合わせるために、これからせっせと野良稼ぎをする義務がある。

 よし、今だな。

 舌先三寸で糊口をしのいできた、信頼と実績と自信の表れを、俺はあらんかぎりの雄弁舌鋒で、彼女に見せつけてやることにしたんだ。


「おひゃあふゅ」


 噛んだ。

 俺の口から飛び立って彼女の聴覚を支配するはずだった言葉は、尾行がバレかけた探偵のように、即座に喉へと引っ込んでしまう。

 代わりに解き放たれたのは、口に含まれていた粥だ。お粥の親玉から「散れ!」と言われたのか、命令に背くこともなく口の外に即座に飛び散る。忠実な奴らだ。


 俺はこの店が好きで通っているわけだが、その理由が二つある。一つは、このチャイナドレスの女がいるってこと。

 そしてもう一つは、俺がもう一件通っている場所の、すぐ近くにこの粥屋が、あるってことだ。

 人の悪口は歯にも良くないようで、ここのところ虫歯が痛くて、どうにもかなわない。このろくでなしの口が、今にもボロっと腐り落ちそうだ。どういうわけだが別れた妻の顔が頭に浮かぶが、これは虫歯と何ら一切関係ないノイズのはずなので無視しよう。グッバイ、ワイフ。

 そういうわけで遠路はるばる、名医と噂の歯医者に通って商売道具の周辺工事を俺は進めているわけだが、施術の前後は麻酔が効いてて、歯どころか口全体がバカになってるもんでね。

 腹が減ってても粥ぐらいしか食べれないし、呂律もうまくまわらない。

 喋りたいことや喋りたくないことをあれだけまくしたてて日々を過ごしていながら、肝心なところで、これだ。


 「お客様、大丈夫ですか?」と心配そうに近寄り、こぼれた粥を拭いてくれる彼女。

 「大事な粥を吹き出して済まなかった。お詫びとして、吹いた米粒の一つにつき一回ずつ、君に食事をおごることにするよ」と流暢に言える口の状態ではないことは自分で既にわかっている。俺も布巾を手に、無言でテーブルを拭いた。

 せいぜい口元に苦笑を浮かべることぐらいしか出来ない。


 幾億千万の無駄話をし続けてきたこの口が、この子の前でロクに動かないなんて。笑顔だって満足に作れているか、わからないぞ。

 しかも俺がこの店に来る時ってのは、いつも歯医者の帰りだ。わざわざ歯医者がない日に顔を出したことも何度かあるが、そういう時に限ってこの子がいない。

 そして今日は、いる。

 ああちくしょう、俺の武器って言えばこの舌先ぐらいのもんなのに、口が回らない時にしか会えないって、どういうことだよ?

 大事なところで空振り。やっちまった。こいつは失敗だ……。


「普段は案外、無口なんですね」


 複雑な思いの俺の苦笑を見つめながら、彼女はそう言った。


「喋らないのも、結構いいですよ」


 驚く俺の顔に対して、笑顔をじんわり浮かべてから、彼女はテーブルを去って行った。


 おお、そっか……。

 ……おいおい。ってことは……この子も、性格が悪いのか? ハハハ。

 何だよ、「普段は案外無口なんですね」ってよ。普段じゃない時を、知ってるってのか? こいつ?

 ステージでのシモネタ、これからは少し控えようかな。


 立ち去る彼女の後ろ姿を、俺は見つめていた。

 残りの粥をもしゃもしゃと口中にかきこみつつ、二週間後の歯の治療と、この店への再来店に、思いを馳せてみる。

 次来た時は……なんて言おう。

 いや、違うか。言わなくて、いいのか……。喋らないでもいいってことか。

 俺が喋らなくてもいいなんてことが、あるもんなんだな……。

 なんてことを考えていると、あの子はくるりと踵を返して、即座に再び俺のもとに戻って来た。


「あ、すみません。お茶のお代わり入れ忘れてました」

「おあふゅ」


 そして再び俺は、口に含んだ粥を吹いて対応してしまった。チャイナドレスのスリットから伸びる彼女の脚に、びっしりと粥がかかる。

 「あっつ! きったな!」と声を上げて睨まれたけれど、やっぱり俺は二週間後も、ここに来る。

 この女が二つのバイトを掛け持ちして、マスク姿で歯科助手を勤めてたってことに俺が気づくのは……もう少し先の話だ。

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