断章
彼について・その1
彼は言った。
――放浪は生き様、剣術は義務、魔剣鍛冶は趣味、料理は人生!
と。
『魔剣鍛冶師ファーレスの逸話』より抜粋
◇◇◇
「――弟子にしてください!」
「はぁ?」
突然の申し出に、銀髪の男は――ファーレスは振り返りながら首を傾げ、きれいに九十度腰を折り深々と頭を下げる若者を見て、心底意味が判らないという感情を微塵も隠すこともせずに、もう一度疑問を口にする。
「――はぁ?」
言外に、〝お前、阿呆なのか〟という
のだが、どうにもこうにもこの若者は、その言葉がまったく聞こえていなかったのか、懲りずに同様の言葉を口にした。
「――お願いします、弟子にしてください!」
「そうか。だが断る」
今度はしっかりと拒絶する。これでもかと言わんばかりの晴れ晴れとした笑顔と共に。それでいて今度は〝面倒くさいお断りだとっとと失せろ二度と姿を見せるなよ〟という絶対拒否の意味を込めた一言だった。
流石にこれで諦めてくれるだろう。
そう思ったのだが、残念なことにその期待は裏切られることとなる。
「ありがとうございます! 自分なんでもお手伝いいたします!」
「お前人の話聞いてた? 私は断固として拒否してるんだが?」
思わず真顔になって突っ込みを入れてしまう。すると若者は可笑しそうに首を傾げた。
「あれ? でも今、『そうか』って納得してくれ――」
「――てねぇから。そのあとはっきりと断るって言っているだろう。都合の悪い言葉だけ無視するんじゃあない」
「何故です!?」
「面倒くさい。以上。それじゃ」
実に簡潔に、彼は言った。
心の底からそう思った。そしてそれをそのまま言葉にして、ファーレスは最早要件は済んだと踵を返してその場を立ち去ろうとする。しかしそれで食い下がる若者ではなかった。
「はっ!? そうか、自己紹介もせずに申し訳ありません。自分はイヴァルティ・シグ=シルヴァンスと言います。ファーレス様、貴方が先日街の工房で打った魔剣を見て、貴方の下で学びたいと思い、こうして身一つで後を追ってきました! どうか弟子にしてください!」
「なんでこれだけ拒絶してる理由が〝自己紹介をしなかったから〟なんて解釈できるんだ。お前どんだけ自分に都合のいい脳みそしているんだよ? 返事は何度言われようと
若者――イヴァルティと名乗った彼の、なんとも自分勝手な思考回路に最早あきれを通り越して感心しそうになりつつも、ファーレスはすげなく拒絶の言葉をたたきつけ、彼が今まさに歩いてきたのであろう道を指さしながら言った。
「そもそもに、お前。シルヴァンスだと? この国最高峰の鍛冶師に与えられる称号じゃないか。そんな奴が今更なんで
この国は古くから鍛冶技術を重視する風習がある。数百年前の建国時に国を支えた武器は、この地にいた少数民族が培っていた鍛冶技術によって支えられた――とかいう話を、何かで読んだ記憶があった。
それと同時に、この国には国が直々に支援する鍛冶職人が存在し、
そのうちの一つが〝シルヴァンス〟。五つの称号の中でも最高位の位階とされるのが、この名である。
その名を、どう見ても二十代半ばの若者が冠している――もし法螺でないならば、彼はこの国でも最高位の鍛冶職人ということになる。そんな人物が、今更流浪の魔剣鍛冶師に弟子入りなど、なんの冗談か。
そう思っての発言なのだが、やはりというか、この若者は――イヴァルティは意に介した様子もなく顔を上げて声を張り上げた。
「何を言いますか! 魔剣鍛冶師ファーレスといえば、鍛冶職人にとってはまさに生きた伝説の存在です! 貴方の鍛えた魔剣をこの目で拝見した。あれは到底私のような凡人には造り上げることのできない傑作でした。
武器としての切れ味・強度・魔法武具としての性能だけでも感嘆の吐息が零れる出来栄え。
さらに実用性と装飾性を兼ね合わせた、見る者の目を奪い魅了する美しい形状。
あれこそまさに神の御業と呼ぶに相応しい傑作――それを鍛えた貴方が、先日この国に訪れたと聞き、いてもたってもいられず国境すれすれまで馬を飛ばして駆けつけてみれば、まさかの魔剣鍛造の場に居合わせることもできた奇跡! そして貴方の鍛える姿を見た瞬間、思ったのです! 私は貴方のもとで学ぶために生まれてきたのだと! ――……って、あれ? ファーレス様?」
熱く語っていたイヴァルティが我に返って周囲を見回すと、端から聞く耳など持っていなかったファーレスが、すでに遠くを歩いている姿が見えた。
その背に向かって、イヴァルティは早馬もかくやの如き速さでその背を追う。
「ああ、待ってください! 待ってくださいファーレス様!」
「だぁああああああああああああ、鬱陶しい! お前ついてくるなよな!」
追ってくる少年の声に抗議の絶叫を挙げながら、ファーレスは全速力でイヴァルティから逃走したのは、いうまでもなかった。
◇◇◇
イヴァルティ・シグ=シルヴァンスは目の前の焚き火を恨めしげに睨みながら溜息を吐いた。
正確には火の向こうで木に背を預け、眠りこけているファーレスを――だが。
結局、弟子にしてもらうことを許してはもらえなかった。
思わず溜息が出る。
イヴァルティにとって、鍛治とは人生そのものだった。代々高名な――それこそ王家御用達の照合を何度も拝命した鍛治の一族に生まれ、自身も若くしてシルヴァンスの銘を授かったほどだ。
天才と称され、自分自身もそのように自負している。少なくとも、壮呼ばれるに値する才能があると信じていた。
だが――
だが、シルヴァンスの銘を拝して間もない頃、偶々目にすることになった旅の魔剣鍛冶師の打った一振りを見た瞬間、イヴァルティの自負と自信は一瞬で砕け散ったのだ。
その魔剣を目の当たりにしたとき、イヴァルティはその魔剣の出来栄えに息を呑み、言葉を失った。
文字通りに空いた口がふさがらず、ただただ呻きと感嘆の吐息を零す意外にできることは皆無だった――そう、思ってしまうほどに。
だから彼の姿を見た、という噂を聞いた瞬間、いてもたってもいられず、仕事も全て投げ出して馬を走らせた。
そして彼に出会ったのだ――魔剣鍛冶師ファーレスに。
彼の魔剣鍛治は、元来の鍛治技術に必要とするすべてを必要としなかった。
炉も鞴も鉄床も用いず、ただ己の魔力だけで物質を生成・精錬・付与を施す。
あれは、如何なる鍛冶師にも真似できない――まさに神の御業と呼ぶような武器の鍛造だった。
真似をしようなどとは露とも思わなかった。
だが、その端に触れたいと――同時に思ったのだ。
ほんの僅かでいい。彼の持つ知識を得たい。
ほんの少しでいい。彼の学んだ術を知りたい。
何も最初から彼がこのような魔剣鍛治を行っているはずがないと、イヴァルティは直感していた。
確かに精錬技術は過去に類を見ない方法だが、完成した魔剣の随所には、イヴァルティの知る鍛治技術の名残があった。
つまり、彼は真っ当な鍛治技術を学んだ上で、現在の魔力を用いた魔剣鍛治を行っている――そう、イヴァルティは確信している。
だが、
(あの様子では、なかなか首を縦に振ってはくれまいか……)
ファーレスの態度から察するに、彼の説得は容易ではないだろうと思う。だが、だからと言って諦めるのかと問われたら、答えは否だった。
国から預かった仕事すら投げ捨て、一念発起で此処まで来たのだ。手ぶらでは帰れまい。
(どれだけ掛かろうと構わない。絶対に弟子にしてもらわねば!)
そう自らに言い聞かせながら、イヴァルティは数少ない持物である旅道具から鍋を取り出し、熾した火の上に乗せると、有り合わせの食材や調味料で簡単に食事を作り始めた――そのときである。
「――ほう」
いつの間にか、なにやら感心した様子で鍋を覗き、手に持った手記にペンを走らせるファーレスがいた。
「…………何してるんですか?」
「気にするな、続けろ」
思わず訊ねると、彼は一切自分に目をくれずに鍋を覗きながら言った。
どうしようかと一瞬悩んだが、イヴァルティは言われるがままに調理を続ける。火加減を魔術で調整し、お湯が沸騰するのを待ってグローティアの干し肉や、その辺で採れた野草を刻んだもの、そして香辛料を投入する。
「見ない香辛料だな。何処で手に入れた?」
「ペネロ根の粉末ですか? 何処って……この国にある店なら、大体何処でも扱っていますよ」
「そうか。なら、明日にでも街に行って買い足すとするか」
ファーレスは一人納得した様子で言った。
そして、視線を鍋から持ち上げて、イヴァルティを見た。
「で、この料理の名前は?」
「特にないですね。この国が少数民族の集まりで起こったのは知っていますか? ようはそれ以前の名残みたいなもので、グローティアっていう獣の肉と、食べられる野草、そして特産品のペネロ根から作った粉末を入れるだけのスープですよ。昔はペネロ根を刻んだり、炒ったりしたものを入れていたそうですが、今では粉末状にするのが普通です」
「グローティアって、あの犬だか狐だか狼だか判らんあの魔物か? あいつ食用なのかよ」
ファーレスは感心した様子で言葉を吐いた。そしてしきりに手元にある手帳らしきものにペンを走らせて何かをメモしている。
そして「ぺネロ根か……今度採取しないとな」とか「干し肉にすると味はどうなんだ? 干すときは何を塗す?」とかぶつぶつと一人呟き続け――やがて、彼は「よしっ!」と一人納得し、手帳を閉じてイヴァルティを見た。
「いいだろう。特別に、お前を弟子にしてやる」
「――え?」
それはあまりに突然の申し出で、あれほどまで突っぱね続けていたこの御仁が突然心変わりしたという現実に理解が追い付かず、イヴァルティはしばし唖然としたままファーレスを見た。
そんなイヴァルティに対し、ファーレスは不服そうに眉を顰めながら言葉を続ける。
「ただし――だ。お前は私の弟子でいる間、お前の知り得る料理のレシピを私に話せ。知っている調理方法でもいいし、〝あんな料理がある〟という程度の情報でもいい。それができる間は、お前を弟子として扱ってやる」
彼の言葉に、イヴァルティは「なんだそりゃ?」と思わないくもなかった。だが、そうしている間は自分を弟子にしてくれる――という事実が、彼の判断を鈍らせてしまった。
「あ、ありがとうございます! 自分、頑張って貴方の下で腕を磨きますので、どうかご教授お願いします!」
――そう言って頭を下げたことを、彼は後々後悔することになるのだが、それはまた別の話である。
◇◇◇
晩年、イヴァルティ・シグ=シルヴァンスはこう語った。
「あの人について行った三年間の旅の間で、魔剣鍛冶を教わったのは本当に数か月程度。後の残りはすべて……すべて料理関係だった」
と。
そのイヴァルティ・シグ=シルヴァンスの鍛えた武具が、その後何代にも渡って歴代王の佩刀として振るわれたのは有名な話である。
そしてイヴァルティ・シグ=シルヴァンスの子供たちが、その後鍛冶師としてではなく料理人として王都随一の料亭を構えるほどに大成した――というのもまた、非常に有名な話であったという。
ファーレスの魔剣 白雨 蒼 @Aoi_Shirasame
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