語り継がれるべき物語。

 唯我独尊 (ゆいがどくそん)と、共存共栄(きょうぞんきょうえい)を単純比較したお話にも見えますが、その意味は、読む人次第で、色々と変る物語です。

 私は、物事を始める、成し遂げる。と言う事が、如何に難しいかを、改めて思い起こします。

 兄は思いのままに生きて、野望を果たし、半ばで夢破れますが、単順に「浅はか」だとは思えません。
 調子良く、上手く行っている時に、人の意見が聴ける人と言うのは、中々居ないでしょう。
  気が付けば自分一人、手遅れ、と言うのは単純ですが。いやな決断、難しい決断ほど「独り」で下さなければならないと思うことはあるはずです。
 また、兄としてのプライドがあったか?無かった?性格設定が逆なら、違った展開もあったでしょう。

 一見、弟が優れているようにも思えますが、発端は全て兄の発案です。つまり兄が存在しなければ、弟の「国」は無かったと言う見方も出来ます。兄を追放するという選択は弟にとって公共性はあっても、個人として幸せな選択だったのでしょうか?
 思慮深さは現実的な行動を生みますが、感情的な問題とぶつかりやすい物です。
 又、優しい人は、時に多くの犠牲を伴う変革は、出来ない人と言う欠点があります。

 皆が、同じ方向に行ければ幸せなんですがね、なかなかどうして。分かち合い、共有し、助け合う。理想ですが、意見の違う、合わないは、どうしてもあるものです。
 ソコはソレとして認め合い、パートナーの手を離さずいければ一番良いのですがね。^^;

 教訓めいた逸話は、敬遠されがちですが。時々、誰かがこうして綴っていく。人の気をひいて、物語として楽しく読ませる。文字、言葉として読者の心に種と残す。

 いつか又、時代に合わせて、誰かが違った形で綴っていってほしい物です。