3話 たった1人の世界の敵
バベルの塔の彷彿とさせる、ファンタジーの世界の城の階段をひたすらに登る。下を見ると、雲と海が見える。恐怖を振り払い、階段を上がる。この城の主は自分の住処を、富士山か何かだと勘違いしてるのか、ご丁寧に途中途中簡易的な小屋が用意されている。どうやって補充してるかは分からないが、食べ物から湿布、露天風呂、マッサージ機まで完備してある。馬鹿みたいに高い所にある以外、訪問客には優しく思えた。
目前に巨大な城が広がった。ここまでくるのに、三日かかった。報酬に釣られた過去の自分を戒める事はもうなかった。胸いっぱいに空気を吸い、それを思い切り口から出した。
そして、長い髪を後ろで束ね直し、身なりを整え、扉の前に立った。ここの主は人ではないかもしれない。そのくらいの扉を目の前にして、どう呼び出したものか、まごついていると、扉がゆっくりと音を立て開いた。
これから、世界最悪の男に会う。
※
薄原 与一。72歳。男。
【抗素】を40年の歳月をかけ発見した研究者。62歳の時、唯一無二の抗素加工プログラム。ヘファイストスを作成。ヘファイストス試作品第一号が[エデン]。一部では[愚者の館]。要するに、この天空城だ。
世界中を敵に回した薄原の事を愚者と報道したニュースから広まった愚者の館という別称。国家元首がこぞってこの表現を使うものだからとんだ茶番だ。
問題なのはエデンが作られた半年後に突如現れた試作品第二号[ラブリュス]。ほとんどの国の主要都市の上空に必ず存在する巨大な斧。斧とは言っても、柄の部分がない。だから、ギロチンという方が近い気がする。そのため、一般市民は[国家の処刑台]や、そのまま[ギロチン]と呼ぶ。まあ、今日にギロチンなんて使わないから通じるわけだけど。
で、そんな物を主要都市に設置したら勿論敵とみなされる。だが世界は彼を殺す事などできなかった。こんな事ができるのは世界でただ1人しかいないから。
そもそも【抗素】というものは世界中誰からも存在を認められていなかった。ただ彼一人しか【抗素】とは何なのか、どのような物質なのか知らない。【抗素】を薄原が学会に発表することも無かった。全て、この時のためだったのだと人は言う。
全てが謎に包まれている。もしかしたら今日、私がこの謎の全貌を知る事になるかもしれない。そう思うと胸が高鳴る。とは言え、仕事は仕事できちんとある。それもこなさなければならない。
※
「やあ、はじめまして。君が藍田 陸さんだね?」
「私が、薄原 与一だ。」
ドアが開いて、そこに立っていた老人はそう言った。皺は微笑みの形に刻まれていた。足腰はしっかりとしているようだった。素直にこの人が本当に世界最悪の男なのか…?そう思った。どこにでもいる健康なお爺さんといったイメージだ。
とここで、挨拶を返さないのは無礼、そう思い、口を開きかけるが、とっさにいつもの癖が出てしまいそうになる。ここは仕事出来てるが仕事のようにしてはいけない。下手にでなければ。
「はい!私が藍田 陸です!」
「そうかいそうかい元気がいいね。それにしてもよかった。招かれざる客では困ってしまうからね。」
「さあ、私の園へようこそ。」
そう言って、彼は微笑みながら、私をエデンの中へ招き入れた。私に向けたその背はやけに小さく見えた。
※
そうして、私はとある客室に招かれた。
そこは秘境だった。もはや客室ではない、さながら[エデン]であった。手入れの行き届いた銀色の草花、そして木。そして、純白のドームと椅子。そこにちょうど降り注ぐ太陽の光がスポットライトのようだ。
場違い感を否めずに椅子に座っていると、案内してすぐに席を立った薄原が帰ってきた。押してきたカートのようなものには茶菓子やらティーポットやらが入っているようだ。取り出す様子を見て、私はお茶しに来たわけじゃないんだけどな。なんて思いながらお茶菓子に期待する。
「どうですか?ここは。」
薄原は自分ののティーカップに不意打ちのコーヒーを注ぎながら尋ねた。私は自分のは紅茶で良かったなんて思いながら、答えた。
「凄く…綺麗だと思います。」
「そうでしょう。ここには自信があるんです。今まで見せる相手も居なかったものですから、少し自慢したくてここを選んだんです。」
「どれくらいここにいるんですか?」
これはチャンスだと思い、メモを用意し、質問へと路線を変更する。彼はコーヒーを啜りながら、目を瞑り、穏やかに答えた。
「10年になります。」
「誰かと一緒に住もうと思った事はないんですか?」
「ありませんね。世界の敵に一緒になってくれ、なんて。親友が居ても、いや、居たら余計に言えませんね。」
「それは…そうですよね。」
静寂がややあって、踏み込んだ質問をする。
「なんで世界を敵に回そうと思ったんですか?」
彼はコーヒーの入ったカップをさらに静かに置き、右手を左胸に当てた。そして、ゆっくりと目と口を開いた。
「…くだらなかったからですかね。」
彼の回答にすこし、訝しげな表情になる。彼はそれを分かっていたかのように続けた。
「私には恋人がいました。」
その言葉から始まったのは隠された歴史の一ページいや、それは薄原という男の人生そのものであった。
薄原には16歳の時、同い年の恋人がいた。彼女は彼のつまらない話をいつも面白いと言って聞いてくれていた。些細な幸せだった。しかし、それはすぐに崩壊した。彼女は浮気していた。相手はいわゆるイケメンだった。薄原は大人しく手を引いた。自分には魅力がなかった、好きな女性の幸せを願おうと思って。憎む気持ちを必死に殺しながら。
翌年彼女とイケメンは学校の交換留学で渡米した。思えば、そこが悪夢の始まりなのかもしれない。帰ってきた彼女に温もりはなかった。なんで。なんで。そう呟く事しかできなかった。薄原は未だ、一途に思い続けていた。
イケメンは彼女から聞いた話や当時の状況を語ってくれた。彼女は割と名の知れていたホストファミリーのホームパーティで、とある政治家と出会った。酒の入った政治家は彼女をいたく気に入り、2人きりになり、べらべらとトップシークレットを語ってくれたそうだ。酔いが覚めた翌日に事の重大さに気付き、始末されたらしい。そんな馬鹿な。そう思った。けれども、イケメンがその数日後、遺体なって発見されたことで信用せざるを得なかった。
次は自分の番かもしれない。そんな事より、何故彼女が殺されなければならなかった。そう思った。誰に言うつもりも無かった。言えばそいつが殺されかねないし、なにより、言ってもどうにもならないと思った。この時点で、薄原は世界が嫌いだった。
その後、彼はただ、ひたすらに研究していた。ありきたりだけど、愛した彼女を、真実を伝えてくれた男を生き返らせる事は可能か。
結果だけ言えばそれは不可能だった。
そんなことは初めから分かっていた。
ただ、生きる意味が欲しかった。
そして、見つけたのが【抗素】だ。
何の因果か彼女を救う方法は見つからず、彼女を殺したあいつらに、世界に復讐する方法なら見つかった。
話は変わるが、30前の時、もう既に蘇生が不可能と悟った後、助教授として働きながら、重力を不完全と感じた。彼女の言葉もあったからだろうか。彼女は薄原の重力についての話に、こう語っていた。
「なんで、物が集まったら引力なんかできるの?影響を及ぼす範囲とかなんで決まってんの?」
良く、理科については語っていた。だから、別にこれについてだけ、彼女は語ったわけじゃない。でも、ここで思い出したのも運命な気がした。
【抗素】はこうして見つかった。
これを使えば、世界などそれこそ蟻のようで、潰す事は容易かった。でもする気はなかった。彼女の生きた世界を壊すつもりなど無かった。平和に暮らしたかった。
そして、薄原は1度【抗素】を封印した。彼が40くらいの時である。そう、彼は【抗素】の研究に40年費やしたのではなかった。【抗素】を発表して、世界を敵に回そうとするまでに40年かかったのだ。
ある時、とある生徒が薄原の研究室にやってきた。彼は留学生で、将来はノーベル賞をとるような学者になると励んでいた。彼はどこから漏れたのか、泣きながら、薄原の研究を見せろと迫った。刃物を持って。薄原は言った。
「殺すといい。君の国の発展、ひいては世界の発展を遅らせるだけだ。それに、私自身死など1度も恐れたことなどない。」
薄原は自分の研究が、生真面目な生徒にこんな真似をさせるなど、微塵も思っていなかった。最悪な発見だ。そこでそう思った。
少年は警備員に取り押さえられた。薄原は[ヘファイストス]の制作を始めた。来ないでほしい、いつかのために。
その日は50代も終わる頃に来た。
兵器開発で、世界の頂きに立とうとしてるのが見え見えのスーツの同年代を見るのは実に滑稽だった。いくら笑おうと、いくら熱弁しようと、要はまもなく始まるであろう戦争に向け、大量虐殺装置を作りたい。そのためにも、お前は【抗素】を公にし、手伝え。と言っているのだ。
何も知らないくせに、人殺しの装置になるものである事は知っているようだった。実に腹立たしい。
「そして、62の時完成した[ヘファイストス]で、[エデン]を築き、翌年、[ラブリュス]を各国に配置しました。」
静かに語る老人の目はまるで、孫を愛でるような目だった。
「いつだってこの世界のお偉いさんは座って議論するだけで終わる。末端の人間などどうでもいいと思ってらっしゃる。」
「彼らは理不尽に愛する人を殺される悲しみを知らない。」
目の前に座る男は紛れもなく、世界最悪の器を持つ男だった。ただ、彼は最悪になりきれぬ、1人の人間であったためにここまで、世界は平和だった。
そして、薄原はコーヒーカップを置き静かに微笑んだ。
「貴女に私は殺せない。」
その言葉に過敏に反応した。靴裏で白のレンガの床を蹴り、右手に仕込んでいたナイフで『敵』に襲いかかる。彼は動じなかった。
「起動」
たった一言そう言った。その瞬間カートのようなものの中から機械の唸る音がした。ナイフが体を持ち上げようとした。そのせいで飛びかかる体はそのままテーブルの上に落下する。ナイフは浮いていた。
「身内に切りかかる教育をさせたのかい。私の妹は。」
「うるさい!!!」
聞きたくなかった言葉に思わずテーブルに手を付き体を半分起こして食いかかる。
「あんたのせいで!!!残されたあたし達は!!!」
「血は繋がっていない。関係ないだろう?」
「周りがそう言えばそうなるんだよ!!!」
泣いていた。幼き頃から母はいつも血の繋がっていない兄を気にかけていた。そして、突然敵となった時、私達にも何も知らされなかった。その日から私は、私達は『世界最悪の家族』のレッテルを貼られた。耐え忍んで生きてきた。
私は叔父とは違う。そう訴えるかのように軍に従属した。必死で働き、叔父を恨み、生きた。
そしてこの前、遂にその時は来た。[エデン]に一人、立ち入りができそうだと、『敵』を殺せるかもしれないと。直接上部に掛け合った。私なら。姪である、私なら一番生存確率、殺害の成功確率が高いと。こうして、憎き叔父へ復讐できるチャンスを得た。軍での訓練に比べれば階段など容易い。やっと、たどり着き、殺せると思った矢先、決心が揺らいだ。
こいつを殺せたとして、そうしたら【抗素】は兵器となるのか?戦争になるのか?そうなった時、この男は正しいのではないか?
何故ここまで憎んだのだろう。彼だって人間で、1度愛した人を失っていて、それで家族を危険な目にあわせるような男ではないと分かってしまった。分かってしまったから。
「…殺したい。」
そう言い聞かせた。言葉とは反対に頭は下を向いた。
彼はゆっくりと前のめり、指を組ませて口を開いた。先程の気迫など皆無だった。ただ、1人の家族がいた。
「少し、話をしないかい?軍人と敵とではなく、1人の男とその姪とで。会わせたい人もいる。」
姪はゆっくりと椅子へと戻った。
※
「初めまして、いらっしゃい。」
「なんだい?珍しいお客さんだね。」
「杉浦 明一佐です。貴方達を殺しに来ました。」
「おやおや、その割には涙で目が潤んでるけど、大丈夫かしら?」
「うるさい!!!黙れ!!!お前らのせいだろ!!」
「まあまあ落ち着いて、話をしないかい?杉浦君。いや……なあお前、こういう時、ジャパンでは義理のとか入れるのか?」
「ホントに肝心な時何も出来ない男だわ。そんな事はどうだっていいのよ。こっちへおいで、お茶でもしながら話しましょ。」
「ふざけてるのか!!」
「ふざけてなんかないさ。」
「そうよ。だって。」
「愛すべき人《かぞく》でしょ?」
袋詰めの宝石 河條 てる @kang
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