鳥の海
時野マモ
鳥の海(全)
歴史の前からあると言う、山川あるが物は無い、そんな辺鄙な田舎の町に、生まれてから何百年も経ったその男ですが、あまりに長く生きまして、日々移ろうこの世にはとっくにおいて行かれましたのに、まだあの世に行くわけでも無い。男は、その様な、生きてるとも死んでるとも言えない曖昧な様子で、ただぼんやりと毎日を過ごしておりました。
今日もまた、昨日と同じように、ずいぶんと前に先に死んでしまった知り合いの口利きで始めて、もう百年にはなります役場の清掃を、丁寧に黙々と、時々死んでしまったのかと思わせるような緩慢な動きになりながらも、愚直に、時間かけて、手間をかけて終えますと、隅から隅まで磨き上げました廊下を見て少し嬉しそうに微笑んだ後は、誰にも挨拶もせぬままそのまま役場から出て行く、――それは夏の日の事でした。
男は、外に出ますと目を顰めました。太陽が光り輝き男を強く照らしたのでした。もう時刻は夕刻となっておりましたが、虫取り遊びの子供達、野良から帰りの農家達、市を終えた物売りの者達、――道々歩く皆様が、暑い暑いと口に出す、そんな季節の事でした。時計の針は宵時を指しましても、いまだ太陽は空高く、陽が山の向こうに落ちるまではだいぶ時間がありまして、闇がこの地を包むまでは、まだしばらく待たねばならないのでした。
ならば男は役場を出ましても、そのまま家には帰らずに、まるであてなく歩き出す。――なぜなら、この男、今、家に帰りましても、部屋にただひとり居り、それしか他にやる事も無く、大酒を飲み、酔いつぶれて寝るに、まだ陽も天にあれば、早々に、差し込む夕日が眩しくて、覚めての寥寥恐れるに、――帰らずに、ただ足の赴くままに、どこかに行きたいわけでも無く、誰かに会うと言うわけでも無く、ただ辺りを彷徨うを選ぶ。
大して広くもありませんこの町の中、長く生き過ぎたこの男に、いまさら珍しき場所も無いのですが、いつものように、いつものごとく、同じように、昨日しましたように、今日もしますように、男は歩き続けるのでした。
男は、町中をくまなく歩きました。神社の杉の木陰で涼みましたり、在にふらついてあぜ道から田んぼに足を落としそうになってみたり。はたまた、商店街の外れの駄菓子屋の横でぼうっと突っ立っては子供達に馬鹿にされても、そのまま彼らが去るまでその様子を眺めていたり、――歩き出せば、一度通り過ぎた場所も忘れ、同じ人に何度も挨拶を繰り返しては、笑われても、また「暑いですな」と言葉を返しましたりの、いつもの通り、いつのものごとくの徘徊でした。
昨日の話どころか今々の事も忘れ、ただ目の前の物事のうつろうに、ただその縁の偶々に、誘われるまま、楽しからず、苦しからず、ただここにあるに、あるだけに向かって、男は、見るまま、見えるまま、見えるもの、そのものに導かれるまま、そのままに進むのでした。
男は、蜻蛉を追いかけていたかと思えば雀に目をとられ、雲の流れる方へ歩いていたかと思えば川の流れる方へ行きました。ふらふらと、歩き、止まり、また歩く。右へ行ったかと思えば左に曲がり、前に向かうかと思えば突然戻りました。そんな危なげな歩みながらも、なんとか少しずつ、狭い町のあちらこちら、隅々まで歩くのでした。見るそばから忘れ、忘れまた見て、また忘れ、だから進めば、また戻り、戻り過ぎればまた進み、――何度も何度もぐるぐると、ただ、帰るに良き頃合いを待ち、どこも行くべき場所も無く、また特に行かぬべき場所も無く、何も思わぬ、何も無き、心を空にしたまま、ゆっくりと、ただ時が過ぎ、時刻に空が追いついて、——夕暮れ時、そろそろ帰るに良き時間を待ち待ちまして、男は、歩き続け、……ついに時間が参るのでした。
夕焼けが川を赤く照らしました。男はそれ眺め、微笑みました。そして、ちょうどその時に男がおりました橋近くの河原の、大きな石に男は座るのでした。それは偶然ではありますが必然でもありました。それいつもの事なのでした。さして広くもない町中を散々に巡った、男の放浪の末は、結局、いつも彼がたどり着く場所なのでした。彼は、座り、夕日が赤く照らす川を眺め、途中でかったカップ酒を飲むのでした。
男のその姿は、まるで、すでに誰なのかを忘れられた偉人の彫像ででもあるかの様でした。堂々と、しかし少し寂しい様子でした。その前を、鳥の群れが山に向かって飛びました。魚が川を登って行きました。夕暮れでした。何もかもが通り過ぎました。人も畜生も。風も川も。太陽も雲も。何もかもが、流れ来て、流れ去りました。ある物も無い物も、来ては去るのでした。昼でもなく夜でもないあやふやな時間、――この逢魔時です。川を、現在も過去も、まだ来ぬ未来さえ、流れて来て、流れ去って行くのでした。
様々な瞬間が、渦巻き集まり、この河原にあるのでした。ある物も無い物も、何もかもがあるのでした。男はそれをじっと見つめるのでした。一面の夕焼けの下で、男は、身動きもせずに黙って河原を見つめるのでした。そこを行き交う全ての物、ある物も無い物も見つめながら、座っているのでした。じっとそこにいるのでした。一度降ろした腰は重く、なかなか立ち上がるのも面倒で、座ったまま、そのままじっと、時を過ごすのでした。それは危うい様子でした。――その日は、今からもう半世紀も前の事です。田舎には街灯もあまりない頃でして、空の星空は明るいかわりに地は暗く、暗闇は静寂を包み込んで、静寂は暗闇に溶け込んでいる頃でありました。秘密神秘がその闇の中に在った頃の事でした。気をつけないとその中に人は魅入られ入り込む。死ぬべき時をとっくに越えて、この世とあの世の境のあやふやなその男など、たちまち闇に魅入られ取り込まれてしまうに違いありませんでした。
夜が男を包みました。このままでは、男はそちらに連れ込まれてしまいそうな様子でした。男は、あまりに儚げな様子でした。そのまま目をつむれば、その闇の中に取り込まれてしまいそうでした。このままでは、男は闇の中に解け、その中から戻れなくなってしまいそうな様子なのでした。とは言え、いつもなら、鳥が鳴くでも、魚が跳ねるのでも良いのですが、何かそんなこの河原の静寂を破る何事かさえあれば、それで男は動きだしたのですが、――毎日毎日、それを機としまして、日が沈む頃、男は家へと歩き出すのでした。毎日がそうでした。今日も、そのはずでした。
しかし、何故か、今日に限り、河原は静かでなにも起きません。鳥も魚も、もう皆帰ってしまったのか。この日ばかりは何も機を得ないまま、そのまま時間が過ぎ、いつのまにやら日も落ちてしまいます。そして、男は、紫から黒に変わってゆく小焼けの空を、嬉しいのか悲しいのか良く分からないような不可思議な表情を浮かべながら眺め、何事か言いたげな様子なのですが、しかし決して声は出ないままに、口元を微かに動かし続けています。
風のないその夜は、冷え込みの始まるのも遅く、蒸し暑く、眠気を誘う気候です。思わずうつらうつらとなる男を、漆黒が呼びます。まだ遠く、微かな、しかしそれでも分かる甘い甘い声で呼んでいます。誘っています。暗闇が、いえ、その暗闇の中の、遠く、ほのかに輝く灯りの下で顔の見えない女が呼んでいます。女の声が聞こえます。
こちらに来ませ、参りませ。参りましたら、休みませ。休みましたら、眠りませ。眠りましたら、また眠りませ。
男は、その声に誘われて、ついつい心をそちらへ向かわせてしまいます。目を半分瞑り、しかしまだ意識はあるなかで、男は、光が地より消え行く頃、その弱々しく、もう見えない程の光を、じっと心で追います。光りに誘われ進みます。それは恐ろしくも魅惑的で、男は止まる事ができません。光りは進み、彼はそれを追い、さらに進むと、光りはさらに先にあり、追い、進み、追い、ついにそこにたどり着けば薄暗い光の中に、暗闇に浮かぶ夢の中に、自分がいるのに気づくのです。そこは、多分、夢の中でした。様々な夢。色々な夢。地に、空に、吹く風に、流れる川に、乗り、流れ、やって来た、うつろう物達の夢の吹きだまりでした。
助けましょうか、助かりましたか、死にましょうか、死にましたか、落ちましょうか、落としましょうか。
男は、その夢の中、女の声を聞きながら、流れ、下り、どこへ行く。――水草の茂る夏の川。間際に生えるクヌギの林。甲虫の這い回るじめじめとした林の中。進み、淀み、回り込み、染み込み、潜り、浮かび出て、うつろい、漂い、また進む。蒼色が紫に、橙が灰色に。変わる空の映るのは水銀の川。その水面の平面の中で、男は、この夏の真中と言いますのに、凍り付いたかのような世界、白色に光る時に埋もれながら、鏡面の中に飛び立つ白鳥を見るのでした。
静かな光景でした。思わず息を飲み言葉を失ってしまう様子でした。まるで絵のような光景でした。男は、その様子に見蕩れながら、動かない。動けない。止まる。身体も心も止まってしまうのでした。男は、動こうと思っても、動かない自分の手足に気付く。――でも、それもそのはずでした。男は気付きます。自分はその絵の中にいるのでした。動かない世界の中にいるのでした。白は反転し黒となりました。男は絵の中に落ちたです。それに気づき、男はあわてて、そこから出ようとしますが、もはや手も足も動かない。男は河原に後ろ向きに倒れ、そのまま動かなくなる。
——男は死んだのでした。誰も看取る者も無いままに、河原の石ころと同じように、男は物になる、空一面の星々にだけ見守られながら、息を引き取ったのでした。その瞬間、今までの静寂を破るかのように、蛙がいっせいに鳴き出しました。その声が更に夜を深めるのでした。星に声が響き、それに誘われて空よりここへ、降りる黒色は、男をしっかりと包むのでした。彼の歴史は、この夜に、この闇に溶け、消え行く。男の、長い長い人生は、この日、この時、この場所で、淡く儚くも散りまして、暗闇に融け行けば、物言わぬ物々の、個物の群れの中に紛れ行くのでした。
男の、――本当に、長い、長い人生でした。長ければ、多くの日々は凡庸でも、長いだけには、それだけ様々な事があった人生でした。男は生き、死にました。その間、人は誰しも、ただ生きていただけようであっても、――誰でも歴史があるでしょう。生きて、死んで、それだけで、語れるはずもありません。だから、語るなら、語りあかせるでしょう彼の事。語り続けるでしょう、彼の事。それは歴史。ある歴史。時代時代にひっそりと埋もれ、隠れた人々の、生が重なり見つめ合い、視線が重なり生まれ出た、この今あるのは、この男、彼もありえたからなのでしょう。この夜に、誰かがそれを知りたい事でしょう。男も語り明かしたい事でしょう。
しかし、男は、最後を看取る者も無く、たった一人で死にました。消えました。語られる事も、思い起こされる事も無く、ただの骸になりました。覚えている者も思い起こすも者も無いのでした。この後は、彼の歴史は、たちまちに、あっという間に忘れられて行くのでしょう。なぜならば、何事も、移り変わるこの世なのです。なぜならば、すべてが流れ行く、何物も移り変わる、ひと時も同じ姿のない、この世なのです。忘れられぬ者などありません。ましてや、生きるうちからすでに忘れられていたようなこの男の事です。いなくなった事も忘れ去られそうなその男なのです。すでに忘れられた上に更に忘れられ、その先に何も無し。何も無しの先には、更に何も無し。男は虚無となり、跡形も無く消えて行くのでしょう。男は、このまますぐに散り散りになり、消え去って、地と空になるでしょう。もう誰も思い出さないでしょう。彼の事、空と地と区別もつかずに思うでしょう。誰も男を知らぬでしょう。そんな未来が来るでしょう。ただし、それまでの僅かな間、死と無の間のしばしの間なら、男はまだ歴史の中にいます。死に、しかし生と繋がる曖昧な時間にいます。そんな時、空がまた薄らと赤くなり始めて来たそんな時です。夜なのか、朝なのか、曖昧な、そんな頃に、曖昧な男は、――そんな自分に、気づくと笑ってしまっていたのでした。
男は、死んでしまったのに、惨めに河原に横たわっていると言うのに、とてもすっきりとした気持ちなのでした。頭のなかのもやもやがとれ、悩みも憂いも何から何までが全て消えていたのでした。男は、それを一瞬不思議に思いますが、しかし、考えてみれば、それも当たり前。男はもう死んでいるのですから。それ以上、何を心配する事があるでしょう。男はもう直ぐに誰からも忘れられるのですから、それ以上何を失う事があるのでしょう。なるほど、だから男は気分がよかったのでした。気持ちが良かったのでした。なんとも、たまらなくおもしろおかしい気持ちになっていて、自分でもわけの分からないくらいに、ひたすら笑い続けてしまっていたのでした。朝の音、鳥の歌、花開く音、地の目覚める音の聴こえるそんな中、身動きもできないその体を、起こそうと思うができずにいる自分がとても滑稽に思え、それが自分にとってもうどうでも良い事に思える事に、更に笑うのでした。
怖くも悲しくも無い。死んでしまった自分が、何も出来ぬその体が、もはや指一本動かせぬその体が、物と同じ、そのへんの石ころと同じなのだと、消え行く事が惜しくもないと、落ち着き考えている自分が、昨日までそんな物に縛られていた自分がとてもおかしくて、男はただ笑うのでした。その体が、日に照られ、乾けば崩れて川流れ、あるいは風で宙に舞う。消えて行く、散り散りになって行く。そんな自分の運命を、思えば、嬉し、おかしくて、笑い続けるこの河原。いつのまにやらすっかりと、地を満していた夜は明け、濃い緑に包まれた夏の山。緑が包むこの土地に、緩く蛇行し伸びる長き川。空の雲は白く、照りつける太陽はみるみると高くなり、強く輝き、ならば跳び上がる魚が銀色にきらめいて、狙う鳥は低く跳び、堰堤からちょろちょろと流れ落ちる水のしぶきも輝いて、まぶしくて、でも男は目を閉じる必要も無い。なにしろ死んでしまってこうして河原に倒れてしまっているのです。そう考えれば、男は喜び笑うのです。もう、景色を見てもそれに奇麗だとか気に入らないだとか言う必要も無いのです。男はそのものになってしまったのです。景色そのものになってしまったのです。蛇が体の上を這って越え、ネズミは周りを這い回る、カラスは向こう岸に止まって目の玉を狙っているけれど、何も心配する事は無い。もう死んでしまっているのだから。男はもう人間ではない。物なのだから。それ故に、男はいつのまにか自分の目の前に立っていた子供に向かって、こう語ります、
「朝が終わり、昼が過ぎ、夏の陽気に早くも腐り始めた体を虫が這いまわり、鳥に啄まれながら、まったく思わず笑いがこみ上げると言うものだね。そうだね、このままずっと笑っているしかないと言う気持ち。気づいた時はもう、たまらなくおかしくなったもんで、……今までずっと笑ってしまっていたもんで、気づかないうちに朝になっていたと思っていたら、……いつのまにかこんな日差しが強くなって、……もう昼なのかい。(頷く)これじゃ体がどんどん痛んで行くではないか。だからといって暑さも感じる事はないのだが、……不快な事は何も無い。なんと言ったって、もう死んでいるのだから。水たまりの上に倒れて、泥だらけでも、石ころが気持ち悪いだなんて言うもんかね。泥の中で汚れているのが嫌だなんて言うもんかね。石ころが、……石ころともう同じなんだ。我は。すると笑いがこみ上げてこないかね。おかしくてね。自分が。ああ、分からないかな。おまえには。(頷く)ああそうだな。そうだろうな。徐々に自分が消えて行って、石ころと、川と、山と、空と一緒になって行く気持ち。段々と冷えて行き石ころと同じになるまでの気持ち。分からないだろうな。(頷く)そうだな。そうだろうな、こんな死人の前に立つ、おまえは死神というわけでもあるまい、そんな子供の死神なんているわけもない。おまえはただの子供だろう。(頷く)そう言えばおまえはそこの小学校の校庭で遊ぶのを見た事があるような。(僕は……)ああ、名乗らなくても良い。死人に名乗って良い事などない。魅入られたいのか。(表情が固まる)そうだ、お前は立ち去った方が良い。我は、おまえを一緒に引っ張って行くかもしれない。近づかない方が良い。(困った顔)迷うような事でもないのだがな。まあ好きにするが良い。我は知らんぞ。(頷く)ああ、勝手にしな。近くにいて、どうなっても知らないぞ。(頷く)はは、変な子供だ。死人のそばを好むなどと。本当にどうなっても知らないぞ。(頷く)はあ、まあ、それならば、そうでも良いが、一つだけ願いがある。(はい)今おまえの立つ、そこを少しどいて、影を私にかけるのをやめてくれないかな。(慌てて一歩後ろに下がる)ああ、ありがとう。お前に太陽が隠れていてね。(恐縮した顔)いや、そんな、恐れ入らなくとも良いぞ。どいてくれればそれで良い。死人の望みなど生者に、ましてや子供に分かるものか。(頷く)そう、我は、空をお天道様を見てたいんだ。なぜなら、我は今や空なのだ。見る事がすなわち、そのままに、ある事なのだ。そうすれば我はあれになれるのさ。ならば、日を浴びて、その中にいたい。その中に溶け込みたい。気持ちよいじゃないか、お天道様の下、動く雲と一緒なるんだ。そのものになるんだ。自分が、自然そのものにだ。全てにだ。我は全てになるんだよ。我は自然の一部……、いやそのものになろうとしているのだよ。それが笑いを引き起こすと言う事が君には分かるかね。失うから悲しくなる、悲しくなるから怖くなる、怖くなるから暴れてしまう。そんな事をもうしなくても良いんだからね。そう思うと、それらに縛られていた、……そしてそれから解放されて行く自分を思えば、笑うしかないじゃないか。楽しいね。このまま一緒に回るんだ……地面と一緒に、お日様を周り、星空と共に回る。それが我なんだ。回る自然と同じ物に我はなるのだから、我が塵になり、泥になった後、お日様を見たならば、それは我だと思っても良い。星が我だ。その間の暗闇が我だ。 我ははここから消えたなら、それ以外のすべてが我だ。そう思えば良い。ある歴史、我の歴史、それはあったからこそもうすぐ消える。あった物が消える、ただそう言う事だ。元来た場所に、無に帰る、そう言う事だ。全てとつながる、元の場所に帰る事だ。我がお日様にもなれると言う事だ、そう思えば良い、お日様の光と共に、我はそこにある、月と星々の光と共に、皆に語りかける、ある歴史。それは無い歴史、有る歴史、どちらか分からぬ程に混ざり合う、何にでもなり得た、起きえたその様々を、我はゆっくり思い出しながら笑い出すのだ。面白くて。いつまでもいつまでも……。
(でも――)
それで良いのかって。
この死人の前に立つおまえの問い。それが我に思わせる。生と死の狭間、有るものも無いものも混ざり合い、絡み合って伸びて行く、可能性と言う名の木の枝の先、止まる小鳥の鳴く声は、聴く者もなくどこにいる。あなたがいないとどこにある。見られぬ花はどこにある。お前の問いが呼び戻す。このまま皆に忘られて、覚える者の無き生と、なるべき我を呼び戻す。それは生きたといえるのか。それは生きたと言えるのかい。有った、無かった、有りました。無かった、有った、無いですか。嘆きではなく、悲しみではなく、あきらめでもなく、ただこのまま、いなくなる。消えるのではなく、溶けて行く。溶けて世界と回り出すはずの、我をお前が呼び戻す。
――おまえの問いが呼び戻す」
*
僕は、朝の散歩の途中、
「あの人はなぜ河原に寝転がり、空を見ながら笑っているのでしょうか」と母親に尋ねまして、そのままもっと近づいて、更にしっかり見てみようと足を一歩踏み出すのですが、
「誰もおりませんよ、河原には毛木虱がいるから近づいてはいけませんよ」と母はそう言いまして、僕の手を強く握り止めるのでした。
ぎらぎらと太陽の照る夏の日でした。日本のあちこちを焼け野にした戦争が終わりその痛手から回復してしばらく経った頃、世は高度成長と呼ばれる時代となった頃の事でした。何もかもがめまぐるしく変わって行った時代でした。この、なかなかに時の動かぬ町にしてもそのままではいられない、――道路も少しずつ舗装され、町中をだんだんと自動車が通り抜けるようになり、川の堤防も立派になって大雨で簡単に水があふれる事も無く、電気が山の奥の道までも照らし始め、――世の中は便利で快適になって行く。その頃は、何もかもが変わって行った時代でした。人が、世が、進めば進むだけ、文化の光りに照らされる。闇も神秘も消えて行く。時代が進めば先は科学の未来。因習や神秘から離れ、物と理屈に作られた世界に進んで行く。そんな時代でありまして、――僕もそんな時代の子でありました。
だから、僕が母の手を抜けて走り出した草むらも、神秘の消えたただの場所に過ぎなかったはずでした。僕は鬱蒼とした草むらを抜け、誰もいない河原にぽつんと立っているはずなのでした。歴史の消えた、瞬間だけの世界に、僕は立っているはずでした。そうして、僕は、物だけを見れば良い、神秘など考えなくとも良い、そんな世に生きるはずでした。
しかし、ちょうどその時、草むらが大きく揺れまして、思わず立ち止まると、鳥が妙な鳴き声を上げたならば、蛇がそこから這い出して、僕はびっくりして、目を更に見開きまして、時代の眼鏡も飛びまして、心の目が開き、それが見えたのです。
「あそこに……」
僕は、そこに見えたものを、指差して言います。しかし、それが見えない母は、
「ほら、河原はまだ小さい子には危ないのです」僕が蛇に驚いたと思って、手を強く握り、引きながら、「さあ、今朝はもう帰りましょう」と言う。
でも、僕は、引かれる手に少し抵抗しながら、
「誰かいます」と、まだ河原を見て言い、
母は、
「なんですか。誰もいませんよ」
「けれど――」
おります、あの陽炎の向こう。そう言いたかった僕の言葉をさえぎって、
「もう行きましょう。やはり誰もいませんよ」と言うのでした。
だが、確かにおるのです。引きずられるように、川の土手を上りながらもう一度振り返り見る川岸、そこには確かにおったのです。幻のように揺らめきあやふやな様子ですが、そこにおります人が僕にはしっかりと見えたのです。
それは、あっけに取られた様な顔で、ひどく惨めに転がって、しかし天をしっかり見つめる老人でした。その姿は、ひどく汚れ古ぼけていて、母が泥か何かと見違えたのだとしてもしょうがない、そんな有様ではあったのですが、しかしその様子はそれ故にかえって神聖に思えたのでした。その老人は、土のごとく、石のごとく、地のごとく、雨が降れば流れ、風が吹けば飛ぶような、そんなものとも見えながら、だからこそ強く尊く見えました。僕はその不思議に惹かれました。だから僕は母の手を振り切って、また走り出そうと思うのですが……。
しかし、今度は、僕のする事を予感した、母の手はますます強く、抜け出せず。すると引かれるまま歩くしかありません。そして次の橋まで行くうちに、何せ子供の時分の事、照りつける太陽に、野を歩く高揚に、河原に横たわる人などもうすっかりと忘れてしまい、水面にあめんぼうの立てる波紋を眺め、土手を横切る蜻蛉でも追っているうちに、いつの間にか、もう昼になるからと、家に帰りました私は、よく冷えた素麺などを食べながら、おばあさんの昔話を聞いているのでした。
興味津々に目を見開いている私に向かって、おばあさんはゆっくりとした口調で語っておりました。
「そうですね、まだ世にはお殿様がおりました頃、参勤交代の時、この家に立ち寄った事があったのですよ。春なのに、暑い日だったかね。……それで喉が乾いてしまったお殿様、この辺は水の金気の多い場所でね、あまり良い水が無く、それでも中ではこの家の井戸が一番と評判で寄りました。冷たい井戸水をご所望で、この家の前に輿が止まりまして、どれ評判の水を我が殿にとの、お付きの侍様の言葉に私とおじいさんは恐縮して座して、瓶に汲んだ井戸水を差し出しまして、ずっと頭を下げておりましたところ、輿の中から殿様が出てきました時には、本当に驚いてしまいまして、そのまま立てなくなるまで腰を抜かしてしまうかと思ったのですよ」
「何かお話はしたのですか……お殿様とお話を」
「あら、そうだねえ、したかもしれませんね、でももうずっと昔の事で、ああ、そう言えば前の飢饉の事を気にかけておいでで……」
「飢饉があったのでしょうかこの町でも」と僕はびっくりして問います。
「そうですね。昔の事とて今のように何でもある時代ではなかったのですよ、お天道様の機嫌一つで、何もかも一変したのですよ。でも大丈夫、ここはそれほど酷くはなかったのですよ、山の村はずいぶんと酷かったと聞きましたがね。――とは言えここも沢山の方が無くなりまして、私はそう言いましたのですよ。――はいお殿様、悲しい事でございますと。でも、しかし今年は今のところ天気がよろしいですし、日照りばかりでは困りますが、雨も一昨日降ったばかりで、きっと良い年になるでしょう。はい、お言葉はありがたく、頂戴いたしまして、お殿様は去りまして、私どもはほっとして、平凡ですが楽しい毎日で、同じような日々をしばらく過ごしまして、少し時が経ちまして、後に、その頃は幕末と呼ばれました激動の時代とされますが、この辺りにはあまり関係もなく、安穏と過ごしたのでありますが、そのうちに今で言う戊辰戦争が始まりましたら、いつのまにか戦いも近くに迫りまして、私どももこのままではおられませんと構えます(僕はおばあさんが敵襲に備え薙刀を構えた写真を見せてもらう)、しかし日本が二つに分かれた戦争の時でも、この町では戦いは結局起こりませんで拍子抜けではありましたが、その他にもいろいろと大変な事もありまして、……いえいえ、その頃の話をしたならば、いつまでもそれはつきないのですが、それも、あれもと、……いやいや、でももう昔の話なのですよ。……もうこの進んだ世の中の今となってはつまらない出来事で、……近頃の世の中の変わりように比べたら、退屈に感じてしまう事で……」
話しているうちに、聞いていてさらに続きに興味がわき、真面目な顔つきになった僕を見て、もしかして、それがつまらなそうな顔にでも見えたのか、自分の話が子供には時代遅れのつまらない話と思ったのか、おばあさんは少し悲しそうな口調になりました。
でも、その様子を見て
「違います」と僕は咄嗟に言います。「つまらなくはありません」僕は、力んで、少し場違いなくらい大きな声で言います。
すると、
「おやおや……」それを聞いたおばあさんはニコリとして、「……それは良かったです」と言うのでした。
それは、僕の言葉は、もちろん本心からの物でした。僕は、おばあさんの話に本当に感心しておりました。こんな話ができるのは長く生きているからだと、肉親への自慢の気持ちが湧いていたのでした。でも、おばあさんは、
「まったく長く生きてるだけで現代についていけない老いぼればっかりですが。ただ長く行きても意味は無いのかもしれません。(首を振る僕)この世の中に古い事ばかり知っていてもなにも偉い事はありません。(また首を振る僕)まったく宇宙船はもうすぐ月に行くというじゃありませんか。信じられない世の中じゃないですか。あの星の世界に旅をするなんて。世の中はどこまで進んで行くのでしょうね。私見たいな古い者には、とてもとても……ついていけません。長く生きているだけではどうにもならない世の中になってきたのでしょうか。老人にはどうしようもない世の中になって来たら……そろそろ……」と少し疲れた様子で言います。おばあさんは、子供が老人に同情か何かから話をあわせてくれたと思っているようでした。自分など、これから何もかもが変わって行く未来を生きる子供からすれば時代から取り残された用済みの人間で、自分の時代の終わり、死さえ意識するその言葉。それを聞いて、僕はたちまちに胸がとても苦しい気持ちになり、
「違います」と思わず強く、少し目に涙を溜めながら言うのでした。
その様子に、
「違います?」
おばあさんは、さすがに子供が本心で話すを悟りますが、
「意味が無い事は無いのです」
まだ、はたとはならず、
「こうして長生きしている事がですか」
僕の意を確かめるように。さらに問いかけるのです。
しかし、僕の意は決まっています。
「そうです」
即座に答え、
「なぜですか」
問われ、
「それは……」
僕は、少し言葉に詰まりながらも、心のそこから湧き出ます。僕は、言葉にしようとすればあいまいだが、心の中では決して揺るがぬその意を、なんとか現にひねり出しますと、
「……こんなに色々な話を聞かせてもらえます」と言うのでした。
すると、
「そうですね……」おばあさんは笑いまして、「長生きも意味がありますね」と言います。おばあさんは、満面の笑みでした。孫に自分の意味が認められた喜びの、その嬉しそうな表情に、僕も嬉しくなります。僕も思わず満面の笑みとなり、――ならば、僕をもっと喜ばそうと思ったのでしょう。「でも、それなら、もっと色々とお話できる人もいるのですよ、もっとずっと昔から生きている人もおります」とおばあさんは話を続けます。
その話に、
「どんな人ですか」と僕は問います。おばあさんの昔話がこれほど面白いなら、さらに長く生きた人はさらに様々に話をすると、その人に興味を持ったのです。
しかし、
「そういえば……中でも、飛び抜けて長く生きているのがおりあした。……あれ。なんて名前でしたっけかねえ。名前がでてきません……すっかり忘れてしまいました、最近物忘れが酷くて、……でもそういうものなんですよね……」
「そういうもの?」
おばあさんはその人しっかりとは思い出せないようです。むしろ話しながら、さらに忘れて行ってしまうような表情でした。
それは、
「いつのまにか気づけばいなくなっていて、少しずつ思い出す事さえなくなって、名前も忘れられ、最後にはいた事さえも忘れられ。あれ? ……もしかしてあのおじいさんも亡くなったのかもしれませんね。こうして、――思い出せません。そう、そんなものなのですよ。私だってやはりいずれは……」話しながら、自分自信さえ忘れて行ってしまう事を心配するような、またもや死を示唆するおばあさんの言葉でした。
それに、
「――でも僕は覚えていますよ」
僕はびっくりした様子であわてて言いますと、
「あらあら、まだまだ死なないですよ私は……。安心してください」とおばあさんは優しく笑いながら言うのでした。
僕は失言に恥ずかしくなってだまってうつむきますが、それをおばあさんはじっと何も言わずに見ているうちに、時は流れ、事を忘れ、夏の午後、少し風がでてきまして、日差しの差し込まない家の奥にいるのならば、庭の揺れる草木に反射する光をただ眺めまして気持ちよく、感じるまどろみに目を瞑りまして、畳の上に転がりましたら、いつのまにか意識はうつらうつらと今にも寝入りそうであるのですが、不思議と、そんな時でないと見えないものがありますね。例えば、無いはずのものとか、――風の色などとかが見え始め、虹色に渦巻くそれは、点々に分解して世界がそのまま夢の中に溶けてゆくのですが、その中に自分も混じり、世界が金色になる途中、僕は思うのです。忘れられた人はどこに行くのでしょうか。昨日まで覚えていた人を思い出せなくなってしまう時、忘れられた人はどこに行くのでしょうかと。僕は、うつらうつら、そんな事を考え、ぼんやりとした頭ながら、さらに考えながらも、何も分からないもやもやのうち、そのイライラのもたらす心地良い眠気の中で、危うく本当に眠ってしまいそうになる瞬間、――はっとなります。
もしかして、おばあさんが思い出せないでいた人とは、あの河原におりましたおじいさんであったのかも、と思いついたのでした。――そうならば、と僕はいても立ってもおられなくなります。僕は、今にも眠り出しそうであったのに、なんでこの子はいきなり起き上がったのだろうかといぶかしむおばあさん達が呆気にとられているうちに、裏庭で遊ぶとか言って、さっさと家を抜け出しまして、そのまま庭では止まらずに、川まで走って行ったのでした。
*
今より半世紀も前の事です。その頃は、まだまだ、現実の視線から逃れている場所、隠れた場所、秘密の場所、静かな場所、理屈にあわないような出来事の許される場所が残る時代でありました。例えば川の堤防のそばの小さな林の中、――河原に倒れていたその人を引っ張って連れて行った大きな木の根元も、そんな場所の一つだったのでした。
そこは、薄暗く静かな、周りとは別の時間が流れているように思える場所でした。夏なのにひんやりとして、ここならば河原よりは心地よく過ごせるのではと思って、背負い、運びました。林の奥の、草の上。うっそうと茂る木々の下。昼でも薄暗くも、程よく木漏れ日の射す、所々に花も咲く、綺麗で、落ち着いた、そして優しげな感じのする場所でした。
いくら暑さも寒さも感じぬ死人とは言え、陽が照り水に洗われるあの河原では厳しと運びましたその場所で、その人は、じっと横たわる。身動きできぬ骸の身体で、木々の隙間から、ずっと空を眺めておりました。僕は、そんな、――その人のもとへ、毎日朝起きたら、小学校の校庭に遊びに行くふりをして、来る日も来る日も、通ったのでした。
それは、話を聞くためでした。昔の話。過去の話。他の人は皆、忘れてしまった歴史。過去より今へ見る視線。それは、その話は、何か自分の心に抜けていた、大事な部品がはまったかのような、気持ちよくしっくりとした体験となりまして、面白くて面白くて、明日の待ちきれぬ僕でした。
ちょうど夏休みのその間、毎日毎日林の中のその人のところに、僕は通い詰めたのでした。我も忘れ、季節も忘れ、気が付けば、林のそばを飛び回っていた鴉鳳蝶も見なくなり、赤とんぼの群れが飛んで行く。この北の町とは言え、寒風吹くのはまだだいぶ先ですが、吹き抜ける風は昨日より今日がより寒い。そんな季節になるまでに、――毎日毎日、ずっと話を聞いておりました。能く能く聞いておりました。
歴史。ある歴史。繰り返し、時には同じ話を聞かされて、言われた言葉が分からずに、考え込むうちに先に進まれて、理解できずに混乱し、しかし、飽きもせず、いえ、飽きる気配もなく、僕は今日も、骸のその人の元に行き、そしてまた、聞くのです。
記憶をたどり、たどられ、語られる、――昔々の物語。明治の話から、遡り、江戸の半ばもとうに越え、江戸の初めの事となり、想い、想われ、語られる。物事は遠く、しかしその中の人々は近く、昨日の事ででもあるかのように活き活きと、目の前に現れて来る。語られる。様々な話がありました。様々な喜びと悲しみが、こんな小さな町にも、そこらの山や川の合間にも、物語が沢山かつてあたったのだと知ります。僕は歴史に引き込まれます。森を切り開き、沼を埋めて田を畑を広げ、山に入り、鉱山を開き、獣を狩り、平和もあり、戦争もあり……。
――その人は語ります。
――僕に与えます。
ある歴史。あった歴史。その人の歴史。思い出し、語る。川下りの船のつく、川港の喧噪。今は無い喧噪。運ばれる材木の下って行く川が夕日に照らされて、やはり今は無い本当の暗闇。
光が流れる、稲穂の実る田の中を、夜、ゆっくりと移動する、かがり火が揺れるその中に、次々に虫が飛び込んで行く姿を、その人は語ってくれました。江戸の終わりの頃、皆で、田を荒らす虫どもを誘い、殺すため、暗闇の中、光を追い歩いた夜の事。魅惑とはこの事である。次々に飛び込んで来る虫達の姿。水の落ちた、収穫前の田の中を、歩きながら見た光景。光を求めて飛ぶ虫どもは、この灼熱に焼かれ、何を思うのか。ゆっくりと動く炎の周り、煌めく、翅が光る、空から落ちた光の欠片のように、集まる虫達は、星々の下る野の暗闇の星雲。それは、感情も無い虫達が、まるで身を焼く事を求めて飛び込んで来る、亡者の魂ででもあるかのよう。繰り返す、生より逃げて、無に至る事を望むのは、光。揺れる光。炎。その中に開く扉を目指し、集まり、行く先の、その先は、どこに。生の成れの果てたそのものの行く先は、どこに……。
光、焼き尽くす。この世は、そこより至りそこへ帰る。炎は、始まりと終わりを告げる。死により保たれる生を照らす。松明は、この世を照らす。暗き野に、死を燃やしながら、生きる我らの光は、――祭り。かがり火の焚かれた通りには、囃子の満ちるその場所に、亡者を宿し、顔を隠した人々の踊る夜。祭りの夜。舞う指先はゆっくりと動き、止まり、動く。進む。回る。炎のまわり。その重力に引かれながらも、それに落ちる事は無い軌道を描きながら、踊りながら、歩き、回る。炎を見つめ……
「あれ今日は盆踊りの夜かい」と、この林の中までも微かに聞こえる太鼓の音に気づいたのかその人は言います。
「今日が最初の日です」と僕は答えます。
今日は盆踊りの夜。なのでもう日も暮れかけたこの時間まで、僕が帰らなくても、母親も家の他の人達もあまり心配しないでしょう。友達と少し祭りを回って帰ると思うでしょう。だからこの日はもっとこの人と語れるのです。
だから……、
「そうかい、それは楽しいね。いやこの夜は何百回たっても楽しいね。太鼓の音がこんな風に聞こえて来るならば、心が浮き立つと言うものだ。それは変わらない。何回たっても変わらないよ」
「飽きたりはしないのですか」
「飽きる? そんな事は思った事は無いね。君は毎日太陽が昇る事に飽きたりはするのかい」
「しません」
「同じだよ。太陽と同じように……朝になれば陽は昇るようにそれは繰り返し来る。飽きるとか飽きないではなく、ここの夏が終わる時、盆踊りは来る。
――もっとも……」
「もっとも? なんですか」
「太陽とは違うな。踊りはこの世が始まったときからあったわけではないからな」
「なるほど……、でも、であるなら、それは何時からですか」
「分からないな……もう、あったから」
「もう?」
「ああ、私が生まれた時だよ。その時にはもう盆踊りはあった」
「なるほど、あなたが生まれる前の事なのでしたか……」
昔の事ならば何でも知っていると思っていたこの人に、知らない事もあるのかと、僕の言葉には、少しだけ残念そうな感情が含まれていたのでしょう。
「教えてやれなくて申し訳ないな。私はただ長く生きただけの凡人で、生まれる前の事を聞かれると……」
その人は、自分を否定されたかのような、悲しそうな様子です。でも、違うのです。この人は、物を知るからあるのではないのです。この人のある事が、在った事が、その歴史を僕は羨むのです。知らぬ事など問題ないのです。
だから、僕はにっこりと笑いながら、
「良いですよ」と言うのでした。「……ならば、その話は良いです。この後も踊りが飽きないのが分かりました。太陽と同じような物なのですね。いつ始まったのかなんて関係ないですね。僕が聞きたいのはその事なのです。それを教えてくれるあなたと話がしたいのです」
その人は、僕の言葉に少しまだしっくりと来ない様子ではありましたが、自分が僕に必要とされていると言う事は確信できたのか。
「それならば良い。話を続けよう。始まりは知らぬが、自分の生きた毎年の、祭りを、踊りを、語る事ならできる」
「はい」
僕は、まさしく欲しかった答えを聞いて、嬉しくなりました。昔の祭りの様子を聞ける事にわくわくとします。それが望みだったのです。実のところ、本当に始まりなど僕にはどうでも良いのだと思うのです。
いえ、むしろ、始まりが誰にも忘れられていても続く何事かがあるのならば、むしろその方が素晴らしい。起源が無いなら終わりも無い。たとえそのものが無くなる事があっても、忘れられたとしても、そんな事は問題ではないのです。なぜならば、それは……、
*
「……すでに永遠だからなのではないでしょうか」
僕は、あの夜の事を思い出し、一人で小声に出して話してみます。あの時に思いつかなかった答を今言うのです。かがり火を中心に回る踊りの輪の外で、いつのまにか有名になっているこの町の盆踊りを見にやって来た観光客の人混みの後ろで、笠やずきんで顔の隠れ、何者なのか分からない踊り手達を眺め、――誰でもない、死者達の帰る季節に、踊るその者を見ながら、僕は心の中で答えたのです。身体は踊りの列の外にありながら、見つめるうちに、顔の無いものとして、僕は、踊りの輪の中に入りながら微睡む。夢と現の間の場所で、過去と今の間で、囃子の音に合わせて踊る。僕ではない僕がそこにいる。この真夜中まで続く踊り。誰でもない者達の踊る舞。その中、その舞の中にならば、消えたあの人も、今日は居所を得ます。
揺らめきます。焔が。かがり火の中に、大きな蛾が飛び込み、焼かれ、魂は消え、
――無よりも先に行きましょう。
その者の起源も忘れ、見つめる者の視線が、消え、届かぬ先の永遠。しかしその先の、無よりも先には……。
何も在りませんよ。
誰かが私の耳元で話します。僕は、自分の後ろではっきりと呟かれた、その声にはっとなり、振り返って話したのは誰だったのかと確認するのですが、見てみても周りには僕に話しかけた人など居らないようです。みんなそれぞれが、踊りに魅入り、僕の事など気にするわけもありません。しかし、前を向くと声は、また聞こえます。ならば、何も無いならば、君は夢の中、その中に忘れなさい。起源を忘れ、自分を忘れ、それに溶け込みなさい。揺れる。時が揺れるその中に。溶け込みなさい。
なぜか、どこからか、振り子時計の音がします。昨日と明日。生まれた時と死ぬ時の、その間の人生の、自分の過ごす卑小な時の、振り子時計のその音の、鳴った鐘は何回ですか。あれ、もう真夜中なのですか。僕は寝ているのですか、それとも起きているのですか。曖昧で、朦朧として……
僕は、家の二階で、二日酔いに少し気持ちが悪くなりながら、目を覚まします。どうやら、祭りで酔って帰って来た後に窓を開けっ放しのまま寝てしまったようでした。そこから吹き込む風の冷たさに目を覚ましたのでした。しかし、空は薄らと明るいのですが、まだまだ時間は早く、会社の夏休みに帰郷している今の自分には、この後起きて何かしなければならない事があるわけでもありません。僕は一度深呼吸をして気持ち悪さを少し飛ばしたら、立ち上がり、窓を閉め、もう一度眠ろうと思うのでした。
ですが、僕は窓のところに立ち、空を眺めたその時に思わず動きが止まる。その場で固まってしまったのでした。なぜなら素晴らしい朝焼けです。一面の焼けるような赤い空。僕はその空に気持ちが吸い込まれるように、目がそれから離せなくなってしまっていたのでした。
すると、
「あれ、これはまるであの時の事のようですね」
いつの間にか僕の背中から聞こえる声。しかし僕は振り向けません。でも、そんな僕に構わずに――年老いた女にも男にも聞こえる――その声は語ります。
「あの時は、北の空が真っ赤になってしまっていたのですよ。戦争の最後の日、――ここから百キロも離れた港が、戦争の最後の最後にアメリカ軍の大空襲にあいまして、こんな内陸からもその様がはっきりと見えたのです。次の昼にはあの放送のある前の夜の事だったのですよ。その港にあった製油所を狙われたのでした。それはポツダム宣言を受け入れる事を打診後の空襲なので戦後はしばらくタブー視され、広く人の口に上る事もまれだったのですが、――あの日の事はしっかりと覚えていますよ。それは、アメリカの飛行機がもう我が物顔で日本の空を飛び回るようになってからだいぶたってしまってからの事でありました。威嚇なのか本当に殺そうとおもっていたのかは分かりませんが、飛行機が突然急行下して農作業をしている人に銃撃をする等と言う事が、こんな田舎でも日常茶飯事になってしまって、戦争は明らかに劣勢である事は明らかであったのですが……。しかし、突然の事に酷くびっくりしたのですよ――。空は赤々と燃えており、焼かれています……。燃える、終わる、世が終わる、変わる――。そして、空の赤く燃える夜が終わり、朝となり、なんとも不思議な予感の下、その知らせは、まるで歴史から分断された、理由など何も無い、突然の逆らえない神託のようなものとして、ラジオから流れて来たのでした。でもその時の感情は覚えておりませんし、語る事もない。終わりました。時代は、あっという間に。……いや、長く生きているといろいろな事があるものですよ――。何度も同じような経験をしました、変わりました、お殿様の時代の終わった時もそうだったのですが、何事も変わるときは突然変わったりする物なのですよ、その時は分からなくても、今から思うと、それは同じ自分とは信じられないくらい変わってしまうのです。そう言えば、――そう思うなら不思議です。江戸時代などとは言わずとも、一瞬前の自分と、今の自分がなぜ一緒なのかと、思う。私は何故そうやって続いているのかと。私は私であるのかと……」
声が止み、僕は振り返り誰もいない部屋を見ていました。そして喉に残る微かな震えから、いままで話していたのが自分自身である事に気づき、はっとなりました。
僕は、覚えているのです。いえ、声は覚えているのです。僕が知らない昔々の事も。僕の知らぬ記憶を持つのです。そして、その声はまだ話したがっています。喉が震えます。微かな、消え入りそうに僅かな、その声を、この世を揺らす波を捕らえたならば、今、話さなければならないのです。近づくと逃げて行ってしまいそうなその声に、こっそりそっと寄り添って、もう一度、それが話し始めるのを、僕は聞くのです。
「それは――その時と今が歴史により結びついているのはなぜなのでしょうか。なぜ明日の僕は今の僕と同じと信じられるのでしょうか。不思議です。同じだとしたならば、それは、いったい何が結びつけてくれるのでしょうか。その歴史はなぜ無かった事にならないのでしょう。……人はあっさりと、時には昨日の事さえ忘れてしまうのに、少し前にあった事がなぜ今あるものの原因となり、同じ物とされる、そんな不思議な事が何故起きるのか、とは思わないでしょうか。まったく理屈も無く、居合わせた人と人、物と物とが原因と結果となり、それが歴史になる不思議。それはそう……、思います。もし我々が幻でなく、いや幻であったとしても、であればこそ、我々の躯が物となるとして、塵になって飛び去るとして、それでも残るものがあるのではないかと、そんなものがあるのではないかと思いながら、見つめる、進む。その先に思います。思い出す事ができるのです。すれ違った者の人生でなく、私の人生が。不思議です。不思議です。でも、世の中はそう言う物であると、それ以上は考える事などあるまいと、そんな風に思うのならば、――ああ、戦争に負けたときのお話でしたね、その後に世の中はすっかり変わってしまうのですが、私はやっぱり私でした。……と、そんなものなのですよ、やはり」
*
男は、今日も一日を終えまして、酒を飲み、泥のように眠り付きますが、その後に、寝言に語る物語。その、人が何百年も生きているような骨董無形な話を、そばの女はじっと興味深そうな様子で聞いております。人が、それ程長年に生きるなど、あり得ない事ではありますが、――夢の中での話なのでしょう。それならば、その中でならば、何事でも真であるのでしょう。それをいちいち気にしても野暮なもの。
冬の夜の事です。雪に閉ざされた、暗い家の中は、ひどく静かで音はなく、遠い世界から漏れてくる、どんな小さな音でさえさえ、聞こえて来そうではないですか。普段は聞こえない別世界の出来事も、耳をすませば聞こえるのではないでしょうか。なんとも不思議ではありますがどこか本当らしい雰囲気の持つその話。でまかせとも思えない確信を持って語られる寝言の物語。それはその別の世界での本当の事なのかもしれません。いえ、もしかしてそちらの世界の方が本当の事で、今のこの世界が幻であるのではと思える程の、それ程の自信が、力が、その声には有るのです。ひどく静かな家の中で、朗々と響く声を聞いていると、そんな風にさえ思えて来るのです。この世が夢になってしまったかのように思えるのです。
――しかし、
「……また馬鹿な事を」と女は呟きます。
すると一瞬で現実が戻ります。
男の話があり得ない事は、共に老いた妻である、女が一番良く知っております。この世では、人はあっさりと老い、死ぬものであります。老いるその途中で、病も、飢えもあります。命などはかないものなのです。三年程も続いた飢饉もなんとか今年は終わり、この冬もなんとか越せそうでありますが、そんな冬を幸運にも何十年も越えてきました二人とも、そろそろ老いの先に来る物が見える歳にもなりました。なのに男は夢の中で、このままずっと何百年も続けて生きて、その先の世界を見ているようでした。まったく突拍子も無い事を。明日さえ知らぬこの時代の生の中で、自分がとても生きていないような先の心配をする……。
しかし、女は、その滑稽さを、馬鹿な事とは思っても、笑おうとはしません。なぜなら、雪の降るひどく静かな夜の事です。音の無い夜の事です。空から落ちて来た白い結晶は、たてるべき音をどこかに吸い込まれたかのようにふわりと落ち、降り積もって行きます。あるはずの物が無いように見えるその光景は、無いよりも無い、静寂を地に与えます。そんな夜ならば、無い物よりも更に無い物の満ちる夜ならば、無い事ぐらいはあっても良いのでしょう。そう思いながら、裏の戸締まりをして、蝋燭に照らされた舞い降りる雪の姿を眺めながら、女は、降る雪の音の事を思いながら、振り返り家の中に戻ります。
そして女は思います。無い音は、果たしてどこに行ったのか。心の中で予期したが聞こえぬその音は今どこにあるのでしょうか、と。女は男の横の寝床に入りながら、蝋燭の灯りを消しながら、まだひたすらに考えています。それは果たして本当に無かったのでしょうか。どこかでその音が聞こえているのではないでしょうか。おおよそこの世に有る物は……。
たぶん、有る物はある、それは間違いないのでしょうが、果たして無いものは無いと言えるのでしょうか。男の語るありえない物語も、この世のどこかに存在していると言う事はないでしょうか。もしかして……、この何も聞こえない静寂の中。この何も見えない暗闇の中。
夜、静かな夜。長く伸びた夜です。秋の田仕事で、夢の中以外では悩む間もない忙しい季節も終わり、この雪の降る季節となるならば、長い夜は、果てしなく、いつまでも終わらずに、暗く伸びて、終には歴史よりも長い夜となります。それが更にふけまして、世界の終わりを越えましたなら、いつのまにか女も眠りにつきます。そして、それから新しい物語が始まるのです。
物思う、静かな、灯りを消した、冬囲いをした、月の光も入らぬ家の中、何も見えぬ、暗闇の中、しとしとと降る雪に、音も気配も吸い込まれた静寂の中、何も聞こえない、何も無い、無いものの先に踏み入った、静かな、静かな、その中で語られる物語。沈黙の中、語り得ぬ物語、誰も知り得ない物語。
――無いもの先の物語。
そう言えば私ははそんな物を、語られぬ物語を、無い者の先で語る者を見た事がありますよ。時は飛びまして、もう時代は平成となった頃の、場所は大都会東京です。その街中ともなれば、日中は喧噪と物に満ちまして、とても語り得ぬ物語が語られる様子ではありませんが、池袋駅から上野方面に向かう山手線に乗りまして、その電車の中、まだ始発から二本目の休日の朝早い電車とあれば、都会とはいえそこにはまだ語り得ぬ事もあろうかと言うもの。そんな時、そんな場所での事でした。
車中は人もまばら。向かいの席には夜の仕事の終わったと見えます水商売風の女が座席に横に寝転がりまして、大きないびきをかいております。店の薄暗いあかりの下でならそれなりに見えない事もないのでしょうが、明るい車内では随分と安っぽい服装の、腰の贅肉が皺になった辺りを無意識で掻いている、その女の疲れきった寝顔はお世辞にも美しいとは言えぬ様子でして、その上、夕べは呑み過ぎたのか、二日酔いなのか、苦しそうな声をあげて、げっぷをして、身をもだえると、寝返りを打ち、――うっかり座席から落ちて床に転がってしまいまう有様でした。
バタンと大きな音を立てて、女は床に打ち付けられ、すると、一瞬目を開きかけるのですが、よほど眠くそれが羞恥心よりも勝ったのか、めんどくさそうな表情になると、また目をつむり、そのまま電車の床でまたいびきをかき始めます。
すると、この早朝、同じ車両に乗り合わせました数少ない乗客達はそれを見て眉を顰めます。僕も、嫌らしくも、思わず嘲笑を浮かべその仲間となっていたでしょう。車内に突然できた序列に、曖昧であやふやな夜明けの時間にできた物差しに、寄るべき秩序に、そんな型を通せば、何もかもが突然はっきりと見え出してきて、私は、少し、気持ち悪くなります。吞んでもいない昨夜なのに、悪酔いをして嘔吐感が出てくるような気持ちになります。レールの音、つい今まで気にもしなかったその金切り声のような音がやたらと気になって更に気持ち悪く、一度そんな風になったならば収まる様子もない。これでは次の駅で降りましてホームのベンチででも休みますかと思ったのですが……。
そんな時、私は車内に妙な男が一人いるのに気づきます。同じ車両の反対側のシートに座り、無関心に、宙を見つめる、歳は三十代後半でしょうか、もう若いとは言えなくなってきた年頃で、着てる物やら、その所作に、ど事なく田舎臭さを漂わせる男でした。彼は、旅の荷物をつめたらしい、パンパンの、少しすり切れた大きなビニールのボストンバックを足下に置き、目は何も無い空間を捕らえ、じっと身動きもせずに座っています。このひどくだらけた雰囲気の早朝の車内で、彼は一人だけ凛とした様子でした。背筋を伸ばしてしっかりと座り、手を膝の上に置き、微動だにしないのでした。妙に良い姿勢、それは決して馬鹿にされるような事ではないのでしょうが、しかし、その様子はまるで人形か何かのようです。姿勢が良すぎて、かえって奇異な感じがするのです。つまりは、浮いた感じです。その所作がずれている。周りから。時代から、取り残されたような感じがするのです。
その男は、だいぶ昔の人がこの現代にうっかり紛れ混んでしまって困っているかのような様子に見えました。あきらかに周りと違った時間の中に生きている様に見えました。ひどく目立っていました。そのせいで、私はその男から、何となく目が離せなくなってしまい、横目でじっと見ていたのですが、そうして良く見てみると、気づくのは、――涙。車内の物など何も見ていないその男の目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ちているのでした。
それを見て、私は、
「ああ!」思わず声に出して叫ぶのでした。
私はその悲しみに惹かれ、思います。私はその時、その悲しみにより、彼の時間が私の目の前に現れたような気がしたのです。私はその中に入り、叫んでしまったのです。
「ああ!」
私は叫びながら思います。それは、その涙は、その心は、その想いは、どこに続いているのでしょうかと。悲しみはどこにに続くのでしょうか、涙は、どんな歴史に流れて行っているのでしょうかと。
冬の朝。夜半から吹き出した風に、何時もより早くに目を覚ました女は、まだ薄暗い空の下、庭に出て、雪の下に埋めてあった大根を掘り、朝飯の支度を始めます。竃の火をおこし、井戸の水をくみまして、――寒い朝、少しずつ明るくなった空からは、雪がひらひらと舞いながら降って来ております。明日の事さえも知れぬ時代のただの一日。その始まり。今日もまた、雪の中で閉ざされた世界はじっとその下で寒さを耐え忍んでおります。女もまた、――春をまつ草木のように。
*
近頃のあの子は少しおかしいのではと祖母が言えば、そういえば、と母親も心当たる。彼女の息子は、毎日毎日、心もそぞろと言った感じで河原に歩いて行き、遅くまで帰らぬ事もあり、帰って来ても何かまるでこの世界の物ではないかのような、まるで心を別の世界に奪われたかのような有様でした。となれば、何かは分からないが、子に悪い事が起きているのではないかと、とても胸さわぎがするのでした。しかし、胸騒ぎと言いましても、この文明に満ちた現代に、怪奇譚でもでもあるまいとは思いつつ、もしかして、高い木へ登りましたり、沢蟹取りで滝の淵まで行きましたりの、幼子にはまだ危ない遊びに夢中になっているのやも知れぬと思えば、今日は子の外に出る時には、手伝いの者にこっそりと後をつけさせましたのでした。
ところが、手伝いの者は、うまく気づかれずに林に入る所まではつけて行きましたのですが、その後で、どうしても中に入ったはずの子が見つかりません。川とその近くの田の間にある林は、せいぜいが半町歩くらいで、いくら小さな子供と言えど、しっかりと探しましたなら見つからないわけは無いのですが、まるで神隠しにでもあったかのようにどこにもおらないのでした。
子を見失い、焦った手伝いの者は、木の上にでも隠れているのではないか、はたまた用意周到に隠れ場所でも作っているのではないかと、上を向き、下を向き、「坊っ子、坊っ子」と叫びます。しかし返る言葉は何も無く、彼女は、困り果て、それでもどうしようもないので更に林を更に探しますが、手がかりの一つもありません。
もしやと、河原にも行き、戻り近くの小学校の方も見ますけれど、そこにも見当たらなく、家に戻り他の者にも頼み大勢で探しますも、まだ見つからず。あせり、探し、でも見つからずに、その事が近所にも知らされるとちょっとした騒ぎとなり、皆子探しに参加して更に探し、それでもやはり見つからず……。
そうこうしているうちに、ついには日も暮れました。皆、もうこの後に警察に捜索の願いを出すかと思い詰めておりました。探せるところなど、もう虫一匹の入る隙間も探していたので、警察に言ったとしても、それで何かが変わるかとも思えなかったのですが、でも出さないよりはましと、手伝いの者が派出所に走り始めた後、それでも最後にと、一縷の望みをいだきまして、もう一度皆で見に行きました林の前……、ふと気づけば、子は母の後ろにぽつんと立っておるのでした
それを見つけました母親は、びっくりしたのと安心しましたので、そのまま倒れてしまうのではと言うくらいに動転しておりましたが、すぐに気を取り直すと、また消えぬようにと思ったのか、慌てて手を強く握りましたならば、そのまま家まで抱きかかえながら連れて行ったのでした。
この様子を聞いて、神妙な顔になったのは祖母でした。彼女は、そのままこの子を見張り、今日はもう外に出さぬようにと言い、家の庭にある祠に行くと、その中の神様に手を合わせた後、強い顔で敷地の境界に立ちました。そして、そばに来た母親に何事か指示を出した後、家の中に戻りますと、明日の朝まで、子供から決して目を離さないようにと家の者皆に言い聞かせるのでした。
――そして夜。この北国では、もう季節は冬の気配も漂わせる、十月も終わりに近づいたその日であれば、夕方は短く、あっと言う間に夜でした。底冷えのする風の強い夜でした。子は、風呂に入った後、今日は生臭な物を食べず、神棚への氏神様への祈りを行ったら直ぐに寝る事を言いつけられて、何やら物々しげな今晩の家の様子に、何事かといぶかしむのですが、今日ははご先祖様の命日であるからと言われ、納得したのか、しないのか、……どちらにしても、その日のしんとした家中の雰囲気に、いつの間にか眠りに就きます。
そして、その後、すぐに夢を見ます。風の音に不安になり、起き上がり、外に様子を見に行こうとする夢です。
いや、これは夢なのでしょうか。夢にしては妙に現実的な、しかし体は目が覚めている時のようには自由が利かず、ふらふらと夢遊病の人のように歩いているような気分です。
しかし、夢。……これは夢なのでしょう。子が、いつもは怖がって、日の暮れた後には決して自ら行こうとはしない土蔵に躊躇無く足を踏み入れているのですから。
普通には考えられない事。なので夢の中なのでしょう。灯りもつけずに、暗闇の中を、あっさりと、その土蔵の中を彼は通り抜けておるのですから。それを自覚して、
「……夢でしょう、これは、夢の中なのでしょう」と、
子はそんな風に自らに言い聞かせるように語りますが、
「夢、夢ならばどうなのかな」と別の声があります。
声に向かって子は答えます。
「夢ならば、覚めます。夢ならば、何事でも起きますが、覚めれば全て終わります」と。
――すると、
「覚める夢ならばな」とまた声。
「覚める夢? 覚めない夢もあるのでしょうか」と子。
「君は、夢と現の区別をどうつける」と続けて声。
「夢、夢ならば覚めれば分かります」
「覚めない夢ならどうする。もし現が覚めない夢だとしたら」
「そんな夢があるのでしょうか」
「そんな現があるとしたら」
「そんな物があるわけはありませんが……あるとしたら、それは現とは呼べません、それは夢です」
「でも夢なら覚めるはずだ。覚め無い夢ならそれは現といっても良いのではないか」
「……そうかもしれませんが、それは本当の現ではありません。偽物です」
「偽物とな」
「所詮、夢の中の事です……現が無くなったら消えてしまう物です」
「ほほう、では現が無いのならば君は無くなるのかもしれないな」
「どう言う意味でしょうか」
「君と言うものが寄る現が無いのなら、君は消えなければいけない」
「これは……今は夢の中です」
「そうかもしれないな」
「夢が消えても現に戻るだけです」
「そうかな」
「そうです」
「何故……」
「何故とは」
「……何故そんな事が信じられる」
「何故って、僕は現のある事を知っております。信じております」
「ほう……。知っているとな。君は現の何なのかを知っていると言うのか」
「知っております」
「ではなんだ」
「……聞かれると分かりませんが……聞かれるまでは分かっておりました」
「聞かれても答えられない物を信じておるのか。そんなあやふやなものでも信じておるのか。現の存在を……」
「はい。現はございます。私が覚めます現はございます」
「夢の中の人間が現を信じるとは不思議なものよな」
「夢でもなんでも関係ありません。ある物はあります……」
「ほう……」
「私は信じます。現を。……それは私を作っている物なのです。それは、……私が生まれて来た、……歴史なのです」
「ならば我の歴史の中に覚めるのも良いではないのか」
「はい、いいえ……」
「いいえ、とは」
「いいえ。はい……」
「お前は分かっているはずだ」
「何を」
「目覚めよ」
大きな声でそう言われた後、子は、はっとして、びっくりして、その後、声が出ないのでした。しかし、不思議な事に、自分が話しているのは聞こえる。いや、その声は、老人の声のようにも聞こえる。と思えば自分の声に聞こえる。
それは言葉でありました。そこにはただ言葉があったのでした。その言葉は歴史を語ったのでした。それは、そこに、物のようにあったのでした。
その歴史――あるのは――ある歴史。寒風の中、吹きすさぶ林の中、葉の落ちた桜の木の根もと、髑髏は笑い、――言葉がありました。彼の歴史がありました。長く生き、消え去る前に子に伝える現。その言葉は、現を語ると言いながら、果たして本当にそうであるのかは、髑髏にも分からぬのであるが、夢の住人となっている子であれば、立つべき大地も無い彼であれば、その言葉だけが現をつくるのでありました。
言葉は現を作り出し、夢から覚めたその先にそこがありました。現とは。髑髏も、それが何なのかと聞かれたらはっきりとは答えられなかったのですが、しかし少なくとも語るべき物が髑髏にはありました。
それが大地を作り空を作りました。
交わったその二つが万物を作りました。
影が作った偽の世界。
写し絵の中の世界。
それが新しい現でありました。
覚めた夢の行くところ。
語れ、物となったはずの自分に残る残滓――歴史を――語れ。
その中に現を作れ。
その中に覚めろ。
「君はその中で生きるのだ」と言いながら、
――枯れ葉の中から起き上がる骸。
歩き出す……。
夢の中に躯は入る。
躯は、林から出ると、寒い風に乗り、転がるように歩きながら、――夢の中に入る。
そして家の前まで来た躯は戸の前に立ち……。
――それをどんどんと叩き、
「君、その戸をあけて、外にでましょうか。こんな夢から出て行きましょうか」と言うのです。
すると、子は、その声に言われまして、指示されるがままに、戸の突っ張りを外しましたなら、
「はい」と答えながら取っ手に手をかけます。
「さあ、はやく、はやく」
外で骸は焦らすように叫びます。
「さあ、はやく、はやく――夜の開ける前、目の覚める前、さっさと夢から覚めましょか」
子は、また「はい」と答えます。取っ手を持つ手に力が入り、戸は少し開かれます。
風が入ります。背筋が寒くなります。
その瞬間、不気味な感覚――後悔のようなものが心の中にわき起こります。それでびくりとした、子は、あわてて戸を閉めようとするのですが……。
ほんのちょっと開いた戸の隙間に骸の指先が入り込み、抗えぬ、凄まじいばかりの強力をもって、それは開かれ夢が覚めかけて……。
骸が――物がそこに立つ――現が……。
光り。
中に入ってきた手が子の腕を掴み……。
引きずられ。
子は、いまにも、そちらの世界に入ってしまおうかと言う時に……。
「申し訳ございません――亡者様よ。この子はお渡しするわけにはいきません」
言ったのは子の祖母と母親でありました。
彼女らは、子の後ろに立ち、手を引き、躯から引きはがしました。
すると、虚を突かれた躯は、一瞬後ずさるが、すぐに、
「お前達よ……なぜ我から引きはがす。この子を夢の中より出さぬ気か。お前らの夢の中に捕らう気か」と叫ぶのでした。
すると、
「そうではありませぬ亡者様よ。この子は自分で覚めるのであります」と祖母と母親。
しかし、
「自分で覚める? 寄るべき現もあらぬのにか」と、
骸は引かず、さらに問う。
それに、
「あります、夢は自分で覚めるのです……今はそう言う時代になったのです」祖母と母親は、台に乗せました供え物の鯛を差し出しながら、土下座をしながら言います。「……必ず覚めます。時間はかかろうとも、我々は、もはやかのようにはは生きられぬのです」
「それは、お前らの夢にも生きぬと言うのか」
骸は、脅すような、馬鹿にしたような口調で言います。それは、いい加減な気持ちの、覚悟無き様子で向かうなら、飲込まれてしまう深淵を覗かせておりました。
でも、祖母と母親はその様にもひるむ事なく言います。
「そうでございます、亡者様よ。物は物に返り、土になり、野に咲く花を育てる……それでよろしいのではないでしょうか」
しかし、
「それが新しい現だと言うのか……それならば我は何の為に生きた! 我は、その歴史はどこに行く!」
今まで以上に恐ろしく、怒気をはらんだ骸の声でした。その鳴り響く声は、外の野分けのような激しい風の音と混じり、ひどくさわがしく、恐ろしげな様子でした。さすがに、祖母と母親はさすがにその様子に気圧されてうつむき黙ってしまいました。
だが、その凄まじき音にもかき消されず、子は前に一歩進むのでした。いままで夢のごときぼんやりとした表情であったのに、突然、その年頃の子供らが時折見せる、何もかもが、今ならば一瞬だけ分かったと言うような、とても美しく尊い、悟りをえた高僧がごとき様子になると、亡者をしっかりと見つめながら、
「忘れられ……しかしそのままに、きっとあるままに……あるのではないでしょうか」と言ったのでした。
すると、その瞬間、骸は、亡者は、雷のような咆哮を放ちました。亡者は差し出され鯛をつかみ取ると、まるで獣のような叫び声をあげ、振り返ると闇の中に戻るのでした。
しかし、骸は消えても、残る声でした。悲しみと、怒りと、何よりも諦めに満ちた声でした。失う、自らを失う恐ろしさに震える声でした。その音は、長く響き、いつまでも、いつまでも、地を揺らすようでした。そのうちに、吠える声は何時のまにか風の音に混ざり合えば、その区別がつかない様子が、亡者が風となりまだ猛っているかの様にも思えるのでした。
とは言え、時もだいぶ進み、朝近くともなれば、その頃には風もだいぶ弱くなり、空も明るみを増して来るに合わせて、混じる闇の声も弱く、小さく、去り行く風とともに消えて行き、そして、もう一刻程たって、朝になり、――鳥の声とともに子は眠りから覚めるのでした。何か蠱惑的な、怖いようで魅力的な、そんな夢を見ていたような気がしますが、良くは覚えてはいませんでした。いえ、今晩の夢だけでなく、別のもっと大事なものも忘れているような気がしたのですが、朝飯に呼ばれ、
「夕べの風はすごかったね、何もかも吹き飛ばされそうな様子だったよ。でも、随分とうなされていたようだが、風で坊の怖い夢も飛んで行ったのではないかしら」と、おばあさんに茶碗にご飯を盛られながら話すその内に夢の事など忘れるのでした。
そうして、この日以来、子は、林に行く事も、何かに惑わされる茫然自失となる事もなく、ますます物にあふれて行く日本の中で生きて行くのでした。時に、川縁を歩いてみたりして何か不思議な感覚が心の奥底によぎる事もあるのですが、そこで改めて見渡すこの地平、そこには何も変わった物はありません。しかし、ゆっくりと曲がりながら進む川とその周りのに立つ家々。そんな小さな集落を過ぎれば、一面に広がる田んぼと遠くに見える山。
――僕はそれを見つめ、視線が時を越え僕をみるのでした。僕を見るのでした。山の中腹から、僕は眼下の土地を見ているのでした。僕の住む土地を見つめるのでした。――遠くまで伸びる細長い盆地を僕は眺めています。海のようでした。鳥の海です。この見渡す盆地全体に水を湛えたと言う伝説の中の湖。僕が今見ているのはまさにそれでした。長く伸び、太陽の光を反射して、キラキラと光る伝説の海。幻の海。それがこの世に姿に重なって、今、目の前に現れるのでした。
この地に古くから伝わる話だと言います。この盆地は太古には湖であったのですが、大明神の子孫と言う二人の兄弟が埋め立て土地となし、一面に瑞穂実る場所になったのだと言うのです。そんな史実も地学的事実も、実のところ、まるで存在しないのですが、――一説には、この細長い土地を縫うように流れる川と、あちらこちらで沸き出す泉がつくる沼の姿が水の引いた湖の姿を想像させる事から生まれた伝説とも言われます。確かにこうやって高台からこの土地を見るならば、そんな風にも見えます。長く伸びる川と点在する沼はそんな風な想像をかき立てないでもありません。
しかし、僕には伝説の元は他の物であるように思えます。この季節、このような高い場所から、この山に挟まれた細長い平地に続く、水を満々に貯えた水田の姿を見れば、それこそが正解。伝説の出所は一目瞭然と思えます。まさしく、今、目の前にある物は湖では無いですか。キラキラと光る水面が見渡す限りに続くこの土地を一望とする、山の中腹の林の隙間から、春の光に輝く水田の満々と水が湛えるその光景、僕はそれに見入ります。僕はそんな眺望を見下ろす山の中腹にいます。
この日、その時、爽やかな春の日曜の午前中。僕は、最近親に買ってもらった新しい自転車が嬉しくて、特にさしたる用事は無いのに山の中の集落に住む友達の所まで行って見ようと、自転車で山道を行く途中でした。勢い良く家から走り出したのは良かったのですが、登り慣れない長い山道で疲れ、ついつい足が止まってしまった坂の途中、一休みして眼下に広がる景色を眺めていたところでした。見晴らしの効く曲がり角の少し広くなった路側帯、僕は、そこにあった調度良い高さの木の切株に座りまして眼下に一面の眺望を眺めていたのでした。
僕は景色をただそのままに見ておりました。ただ眼下の光景を見ていたのでした。見蕩れておりました。景色の中に我を忘れ、視線も失い、自分がその物になったように思えました。景色と自分の区別がつかなくなっていたのでした。あるものをそのままに見ているうちに、自分が見晴らす目の前の自然の中に溶け込んでいる――その物になったような気がしていたのでした。目の前の物、それは、山に周りを囲まれた細長く伸びる盆地の光景でありした。水の張られた田の光り輝く光景でした。僕は、それをあるがままに、じっと眺めていたのでした。それが――その事が――見る事が――それだけでとても気持ち良い事なので、だから僕は、もう疲れが取れて汗がひいてからも、じっと、ずっとその風景を眺めているのでした。
僕は、何も考えず、ただ直に見ました。魅せられました。黙って見つめました。空を。雲を。山を。緑を。木々を。川を。光る水田を見ていました。ただ見る。考えずに見ておりました。そうすると、いつの間にか、目の前に見えているのがこの盆地を満たす大きな湖となっている事にも、自分がその水の中に漂っているように思える事も、何の不思議も感じずにいたのでした。そして、どのくらいそうやっていたのかは分からないのですが、しばらく時間が経ちまして、次々と瞬間が通り過ぎて行きまして、自分が何故景色を眺めていたのかも忘れてしまっていた頃、風が吹き、冷たさに我に帰り、随分と時間が過ぎていた事に気付き、あわてて立ち上がり、深呼吸をして、自転車に戻って、急がないと約束の時間までに友達の家につかないと、焦りながらサドルにまたがったその時に、……何かが私の心を横切ります。
目の前を飛ぶ鳥の方角に、幻の湖畔の森の中に、何かが見えたような気がしたのでした。それは何か生々しい思い出。きっと、僕は忘れては行けないものを忘れてしまっている事であるとまでは思い出すのですが、その忘れているものが何なのかはどうしても思い出せないのでした。その、もう少しで届きそうな物が自分の手をすり抜けていくような感触がとてももどかしく、気持ち悪く、僕は一生懸命にかすかな記憶の糸をたどるのですが、荒々しくすれば切れてしまいそうなそれを慎重に手繰り寄せ、目の前まで持って来て見れば……、鳥の海。思い出す先から、その海は消える。記憶の底に海は消える。その伝説が歴史の中に沈んで行く、その逃げ去る岸辺を僕はひたすら追いかけまして……。
湖畔。それは、自分がかつて幻の湖を追いかけた事などとっくに忘れてしまっていた、もう良い大人になってしまってからの事。故郷を離れ、大学を出て、会社に入り、毎日毎日、日々の雑事にかまけておりまして、子供の頃に感じた神秘も崇高もすっかり忘れておりました頃の事でした。春の連休に、たまたま友人達とでかけました行楽の帰り、長いドライブに疲れて、一休みにと寄った公園の中にあった小さな湖の岸にあったベンチに座り、湖に浮かぶ水鳥を見ておりましたら、それはいつの間にか自分の目の前にあったのでした。僕は目の間に見えるのが追いかけていた湖である事に、それがいつの間にかそこにある事に気がついたのでした。
少し離れた所から、ゆっくりとした太鼓の音が聞こえてきます。日曜日の夕方、昨夜からこの公園では大きな祭りのような物があり、ほんのさっきまではその余韻にひたって、公園の中にある小さな湖の周りに、まだ家には帰らずにぼんやりとしながら座っている若者達が多数いたとのですが、空も赤みの差し始めたこの時間、残るのは僅かな者ばかりの寂しげな湖畔。有る物が消えた後の無常観とでも言いましょうか、しかしその心持ちを逆に楽しんでいるかのような人々の、そんな瞳に空がただ映ります。夕焼けが水面を照らします。その様子が、――気持ちよい夕方でした。夕暮れの公園を歩く僕はこの場をおおったそんなよい気のおこぼれに預かって良い気分まま空を見つめ、――顔を降ろすと目の前にそれはあったのです。
湖が光りました。
それはありました。
幻が、幻だからこその本物としてそこにありました。
公園の中に良くあるような、何の変哲もない湖が鳥の海に見えたからこそ、それはそれでしかありませんでした。
そこにある実在の湖とは違うからこその本物でした。
鳥の海でした。
それを僕はその瞬間に知り、それと共に、一緒に、他に自分がずっと忘れていた物がむくむくと心の奥から沸き上がり、もう少しで意識の表面まで膨れ上がって見えて来ると思えて来た。
――そんな時でした。
突然携帯が鳴り響き、祖母の死の知らせを僕は伝えられたのでした。
*
祖母の葬式は、ちょうど桜の花の頃でありました。それは久しぶりの故郷でした。進学の関係で高校からこの町を出て、その後そのまま大学、就職と、再び住居としてこの町へ戻る事の無かった僕は、一度東京に居を構えたなら、仕事やらなにやらと浮き世のやっかい事も多々ありまして、盆だ正月だとしても、なかなかちょうど帰郷すると言う事もまれになり、そうこうしている間に、いつのまにか、帰るのもまれになった。そんな中で突然の訃報でありました。
あの、いつまでも生きているように思えた祖母がいなくなる日の来るなんて僕には信じられませんでした。人間には必ずいつか死ぬ日が来るとは知っていても、いつも矍鑠とした祖母に限ってはと、僕はそんな日が来る事を、露一つほども思ってもいなかったのでしたが、そんな人に限ってか、悲報は突然にやって来たのでした。
僕が中学生の頃に死んでいた祖父の場合は、脳梗塞から始まって、それは一命を取り留めたものの、その後は次第に弱まって行く生命を看取った縁者の心の用意はあったのですが、祖母は持病の腰痛はあるものの他はどこも悪い所も見当たらず、なにも前兆がないまま、本当に突然に死を迎えたのでした。眠るような死であったと言う事でした。前兆も何もない突然の死であるとの事でした。
その突然の死に、親戚一同が集まるまで少し時間はかかったのですが、友引をさけて二日後の通夜と言う事で、その時までになんとか集まった親戚一同が、夜を徹して酒を飲む通夜に語られる昔話は、知るものもあれば知らないものもある。でも酔いも回り、何もかもが曖昧となる中、知らない話も知っているかのような気分となる中で、思わず寝入りそうになると時に線香を絶やさぬように、順番で番をする中、思わず眠っては起きるそんな最中でした。夢うつつ、朝も近く、意識朦朧とした中、――なにか不思議な衝動が僕の目を覚まさせて、動き出させたのでした。
僕は、その時に、何か思い出せないがしなければいけない事があると言う思いに突き動かされて、丁度母親達が起き出して線香の番を任せられるようになると、そのまま家から抜け出しまして、近くの河原まで歩いて行ったのでした。
春の朝方は、少し寒かったですが、酔って火照った体にはそれがちょうど良い、気候でした。なので僕は、河原についてからもそのまま歩き続け、自分で自分の目的も分からず、まるであてもないままに、ただ突き動かされる衝動に従い、歩き、付近を眺めていましたのでした。
故郷の風景。あらためてこうやって見てみたならば、それは確かに懐かしい風景でありますが、いつの間にかかなり入れ替わってしまったものがありまして、それが微妙な違和感を僕に生じさせてもいました。木造の小学校の校舎があった場所には鉄筋コンクリートの幼稚園と町の公民館や歴史資料を収めた図書館等が散在し、川の護岸は新たに張り直されているのか記憶のそれに比べてずいぶんと新しい感じがします。
途切れた歴史。自分が知らない歴史がそこにある事の戸惑い。僕は、目の前の風景が本物であるのかどうかとまで疑うような――目眩のするような頼りない感覚に捕らわれています。あれもこれも、入れ替わってしまう――自分の歴史の始まったその場所が、あやふやな、捕らえ所の無いものになってしまっているのだとしたら、僕は自分と言う者の成立までも疑わねばならないような、そんな気がしてしまうのでした。
僕はそんな事を思い、それならば、変わらぬ空を見れば、気がしっかりするのではと思い上を向くと、桜の花びらが落ちてきます。ゆらゆらと、踊るようにゆっくりと青空を背景に。――僕は思います。空は流れ、ひと時も同じ姿を見せないのにいつも同じ物であるのだと。何もかも見下ろして、――空。そこに意識を集中させると何かを思い出せそうなのですが、しかし相変わらず、……もう少しで、思い出せそうな気持ちになりながら、思い出せないまま、――私は橋を渡ります。すると、その瞬間、対岸の堤防の上から見下ろす風景に、何か、真空に引き寄せられる空気のように、そこに引かれるものを感じます。桜の木が一本生えている他は何も無い草むらなのに、その空虚ゆえになのか、その場所にとても強く引き寄せられてしまうのでした。
僕は、そこに忘れてしまった何物かを見つけようとしているのかもしれません。何もかもが移ろい、変わるこの世界で、少しずつ、河原の土が少しずつ削られて流されて、逆に上流から流れて来た土といつのまにかすっかり入れ替わってしまうように。酩酊した中で見た昨夜の祖母の横たわる顔がすでにあやふやになって、生きていた頃の別の顔に記憶が入れ替ってしまっているように。歴史の表面に少し散らばって日々を生きてるような人の生などは、この瞬く間に移り行く世界の中で、あっという間に塵となり流れ去る事が分かりながら、――いえそれが分かるがゆえにこそ、その流れ去った過去を、空虚を埋めようとしてしまうかもしれません。
何もかもが消えて行く、草むらを見つめながら、そんな事を考えながら、道路と道路に挟まれた草むら、その中に僕は足を踏み入れます。そして、桜の木の真下――満開の桜でした――その木の根元で僕は立ち止まります。僕は、そこにとても懐かしさを感じました。いえ、やはり確たるものは何も思い出せないのですが、東京ではとっくに散ってしまった桜を見て、私は季節が巻き戻されてしまったかのような、まるで時間旅行でもしてしまったかのような、ありえないものに遭遇してしまった、巻き込まれてしてしまったかのような混乱した気分になったのでした。そこは、あった物が無くなった、空隙でした。その事だけは分かります。その真空に僕の世界が引き込まれているのです。つまり、ここで、――ここに関する何かが僕の中から消えているのです。それが何なのかはやはり思い出せないのですが、それこそに、この場所に、この空隙にこそに、僕は引き込まれてしまうのでした。
それでもうっすらと覚えているのは、ここは林だったのではなかったのかと言う事です。この草むらは、林を伐採して、一度何かを建てようと更地にしたまま放っておかれていたのではないでしょうか。良く見るとまだ整地しきれていない切株のようなものも沢山残っています。いや林だったのが分かったからと言ってそれ以上何か思い出せるわけではないのですが、思い出せないけれども、しかしそこから離れられず、ただ花を見上げ、そして、その桜の花は僕を不思議な気分にさせます。東京ではとっくに散ってしまった桜がこの北の町では満開となる、その時間の遅れに僕はなにか目眩のようなものを感じてしまうのです。
足下が、大地が、それと共に進むはずの時間が乱されてしまったかのような感覚でした。桜の時間。暦の日付ではなく、桜の咲く日を時間の基準とするならば、僕は、一ヶ月程も時間を巻き戻してここに立っていると言う事になります。桜は春をつげる、田植えの季節を告げる時間なのです。日本人が桜日本を次第に上ってゆく桜の花、季節、桜によって伝えられるもの、それが時間の本来の形であり、それは繰り返すものであり――一瞬のものではなく繰り返されるからこそ――我々は物よりも、行動よりも大切な事を目指すのです。
そう、繰り返す、何度も時間が繰り返されるならば、我々の今なす事に何の意味があるでしょう。何度も同じ事が繰り返されるならば、歴史に何の意味があるでしょう。ある歴史、繰り返す時間。それは期待と思い出に、時には恐怖や後悔に変わり、我々はしかしその中で生きています。それは、無為で、無意味な繰り返しのような気もします。決まった運命をただ繰り返すだけのからくり仕掛けの人形と変わらないのではないのかと。
しかし、僕らは生きて生活しているのです。そこで、もし運命が決まっていて僕らは繰り返すその時間の中に捕われているのだとしても、……いえむしろそうだとしたらこそ、運命が何度自分をとらえても、繰り返す中でもその中でより良い生を求めて動くなら。その動く事ができたなら、もし、そうならば、我々は次第に増えてゆく混沌の中に浮かんだ泡や淀みにすぎないのではないのです。
と思えば……。
――そこも満開の桜の下でした。
――そして、それは、ある歴史。あり得た歴史。
僕はいつの間にか、その桜の木の根元に転がる髑髏に向かって話しかけていました。
「こんなところにいたのですか」
「いない。ここにはいない。ここ以外にいる。ここ以外の全てが我だ。なぜならここに私があるのだから」
「ずいぶんと探しましたよ――探している事さえ長く忘れてしまっていましたが、思い出しました、今、やっとあなたを見つけました」
「探していない。探していては決してここにはたどり着けはしない。ここは迷い込むところだ。君はなぜここに迷い込んだ。ここは君のたどる歴史の向こう、どこでもない場所へと至る場所である。ここは袋小路であり、花咲く楽園であり、迷い込む事がすなわち、理由であり、目的へと至る場所だ」
「あれ? なんで僕はここにいるのでしょう。僕はあなたを知りません」
「完全に運命が分かれるという事がこの世にあるのだろうか。もし宇宙がなにか始原の一つから始まったとするならば、その時に生まれた波から全てが分かれていったとするならば、我々は皆大きな波の一部であり、それらは相互に揺れ合っている、運命は、その歴史は関連するのではないか。その関連が極々小さく、君の目には見えなくても、その小さな一本の糸は我々をつながっているのではないか」
「……思い出しました、僕はあなたに言うべき事があります。長い、長い話になります……」
「心配しなくても良い。語るための時間はいくらでもある。つまりここには一瞬しかない。ここは時間から外れた場所。つまりここには永遠しかない。どちらでも無いもの以外がある。ここでは、矛盾が無限大を作り、無限大が永遠を作る」
「話す事はいくらでもあります。何事でも語れます。いくらでも話せます。永遠にとらわれたならば永遠に語れます。永遠以外の何物も永遠の外にはおりません。ならば語りましょう永遠を」
「それならば語れ永遠を」
「語りましょう一瞬を。一瞬の中の永遠を」
話しましょう、僕は語りましょう。戻り、進み、また戻る。歴史は回る、現れては消えて、また現れる。回る、回る。また回る。永遠があるのならば、宇宙の寿命がつきたって、一瞬の中に永遠を詰め込めるのならば、一瞬の中に無限があるのならば、幾多の時間の中漂う、花吹雪の奔流に流されながら、その中に浮かびながら、流されてたどり着くのは、同じ場所です。様々な人生が、様々な花を作りますその場所。様々な流れが歴史となって山を下って地におりて、混ざり別れまた別れますその場所で、僕の歴史も、流れ潜り別れてまた潜り、地に現れて思い出し、また忘れ、思い出し……、
――夢の先へと至るのです。
*
私は、この町から電車が消えた時の事を覚えております。それは、まだまだ日本は、どこまでも発展しますと、国民の誰もが思っていた頃の事ですが、しかしそれはまた地方の過疎が問題となり始めていた頃の事でもございまして、戦後のベビーブームで人の増えた最盛期に比べれば、だいぶ人が減ったこの町では、それに比例して電車に乗る人もずいぶんと減っておりました。それに、なにしろ、もうバスも走り始めておりまして、マイカーなども皆が持ち始めた頃の事でもありまして、このままでは電車は、いつ無くなってもおかしくはないと皆思ってはいたのですが、遂に、その最後の時が来た日の事でした。
終わる物を惜しむ場なのに何故か不思議な高揚感を感じるお祭り騒ぎの、その中に私はおりました。そこは、いつもの閑散とした電車の様子からでは考えられないような、大変な盛況となっておりました。こんなに最後を惜しむ人がいるならば、何故止めなければならないのかと、普段はまったくこの電車を使う事もないのに、無責任にも、そんな事を思いながら、長く伸びた列に並ぶ私でしたが、これほどの人がやって来るとは思わずに、家からゆっくりと出てきてしまったので、長い列の後ろの方、随分と待つはめになり、乗れたのはぎりぎり、最終の電車となってしまったのでした。
でも結果的にはその方がよかったのでしょう。最後の最後と言う事で生じたのだろう、車内を満たす甘美な感傷に誘われて、私は、様々な事を思い出す事ができたのです。最終電車。隣の市まで行った折り返しの戻り道。並走する自転車を逆に追いかけるくらいの、のろのろとした電車の中で、雪国の、やっと始まった春の気持ちよい風に吹かれながら、景色がゆっくりと過ぎ去って行く窓の外を眺めながら、ゆっくりと流れる昔を思い出すのです。
私は、微笑みながら、野を駆け穂を摘んだ日々の事を、森を切り開き田を作り出して行った日々の事を、懐かしく思い出します。ああ、過疎化などと言いましても、あの頃に比べたら、この町も人も増え、物も増えました。戦乱も災害も、幾度か恐ろしい事もありましたが、それ以上に良い事もありました。北国と言えども夏は堪え難く暑い年もあり、冬には雪はいつも降りましたが、それはかならず終わる日がありました。
ああ、色々な事がありました。色々な歴史がここにあり、あったはずなのですが、今はこの大地の下隠されて、上に稲穂を実らせるばかりに見える窓の外。
流れます。
思い出します。
過ぎ去ります。
何もかもが過ぎ去って行きます。永遠に思える事だって終わりはあります。でも、終わるから始まる事もあるのではないでしょうか。もうすぐ終点に付き、終わってしまうこの電車だって……。
でも……、あれ? いつの間にか終点を過ぎても電車はとまりませんね。ああ、そうですか、今日はそこまで行くのですか。そうですよ、昔、この電車はもっと長く走っておりました。今は町の入り口で止まる電車の終点は、ずっと山の方まで続いていて。――最後の電車はそっちの方まで戻りますか。線路も無いのに走りますか。
なんとも、これは面白い物に乗り合わせました。ああそれならば、私も更に思い出せそうです。様々なこの土地にあった事。いえ、起きなかった過去も。可能な物ならば全て思い出して、車内から見つめるのです。旅をします、電車に乗って、森の中を走る。まだ日陰に雪の残る山の中。朽ちた杉の木の横を越え、いつのまにか途中まであった砂利道も消え、森はより深くなります。まだ暗く、寒く、鳥の声も無く、静かで、少し恐ろしくなる程荘厳な、清涼な空気の中を、進む、登る、――そのうちに、山の、沢に突き当たったところで電車は止まります。
どうやらここが今日の終点のようでした。いつのまにか、車内にたった一人の乗客となっていた私は、そこで降り、電車の直ぐ前の沢の間際まで行くと、まだ雪の残る林の中を細く走る水の流れを眺めます。すると、色彩に見蕩れます。沢の、とても澄んだ流れの下には、紅葉して落ちた、様々に色鮮やかな葉の姿が、秋そのままであったのでした。まるで時間がとまっているかのようでした。夢のような色彩でした。秋の、山が雪の下に眠る前、その最も鮮やかな瞬間で時を止め、そのままに取っておいたかのようでした。
それを見て、私はそれに触れてみたくなりました。思わず、止まった時に向かって手を伸ばしました。水の中に手を差し入れて、その雪解け水の冷たさにびっくりしながらも、一枚葉を拾い、その匂いを嗅ぎ、上を向き空を見ました。葉の落ちた雑木林。頭上の開けた明るい一画にいる私は、空に向かって、手を掲げ、気持ち良く深呼吸をしました。そして、地が生に満ちる前の野の、凍り付いた大地が融け、しかしまだ生のむせるような匂いに満ちる前の野に一瞬だけあるこの季節の、心地よい清浄の中を、――私は歩き出したのでした。
私はそのまま尾根づたいに、山の中腹まで登り、眺望の開けた場所から、長く続く盆地を見下ろしながら、切り株に腰掛けて、太古から未来までを同時に見るのでした。あった事も無かった事も、無い事さえ無かった事も同時に見るのです。ここから見れば。何もかもが同時に存在する、そんな風景を私は見ています。私はこの大地を、そして幻の湖を、見下ろすのです。鳥の海、この地がかつてそうであったと言われた壮大な湖を、私は飽きる事も無くずっと眺めるのでした。そして時間を忘れたならば、空間に溶け行きて、次第に暗くなる、地を包む闇の中に、ゆっくりと、微睡むように、――消えて行く。
(終)
鳥の海 時野マモ @plus8
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