left in charge

「ねえ、働き蜂さん」


 運転席のすぐ後ろ、荷台に通じる小さな穴。女性的でしなやかな、だけれども筋肉質な腕が伸びる。横目で見える装備からして、前線で戦う兵士だろうか。彼女は煙草フォーチュンをよこして、


「あげるよ、それ。もう必要ないだろうし」

「そんなこと言わないでください。縁起でもない」

「いいから貰っといてよ、口説いてるんだから」

「困ります」


 そう答えても、彼女は戦場に行く強引さでもって、たばこの箱を無理やり運転席にねじ込む。2、3本が箱からこぼれて太ももに落ちた。


「煙草は吸わないんです」

「……じゃあさ、預かっといてよ」


 バックミラー越しに哀しげな笑顔が見えた。運転席と荷台、隔てられた空間に渦巻く空気は共通じゃない。唯一、2つの部屋をつなぐのがこの穴で、預かったものは全てダッシュボードに詰め込まれている。


「なら、まあ」

「悪いけど、お願いね」


 こうしてまた、忘れてはいけないものが増えた。





 行きよりも帰りの方が速く景色が過ぎていく。そりゃそうだ。は戦場で降ろされる。人を、物資を、兵器を、その他諸々、戦闘に必要なものをA地点からB地点へ。それが仕事だから。


 輸送隊だった。戦争において、輸送隊の流れは血液といってもいい。戦場から戦場へ、兵士を運ぶ働き蜂Worker Bee。女王蜂が国だ、働き蜂は我らだ。そういって今日も、各地へ血と鉄を運ぶのだ。


 周囲を見る。フロントガラスに打ち付ける雪が少なくなれば、安全圏に出たことを意味する。とりあえず一息つけるな、そう思いながら見渡す景色は、ずっと続く針葉樹林。この道を少しでも踏み外せば地雷原だと言うけれど、輸送隊の車両は友軍のトラップを避けるようになっているし、もし踏んでも、地雷くらいならびくともしない造りだ。


 輸送隊をしていると嫌でもこの景色に想いを馳せることになる。というより、景色のことしか考えないようにしないと、戦場に呑まれてしまうのだ。


 荷台の瘴気しょうきは、運転席にまで漂ってくる。


 戦場からの帰りだった。運んでいるのは、行きの10分の1の人数といったところか。人がいる、救援ビーコンが送られてくる、ということは勝ったのだろう。だがそこに、かつて想像された歓喜はない。華々しい勝利は死んだ。生き残るということは、次の戦場への切符なのだ。


 この戦争において、各戦場での勝ち負けは、大したことではなかった。隕石落下地点に拠点を築くなら、圧勝でなければままならない。だが、戦力を偏らせるとどこかが落とされる。分散すれば圧勝は不可能。つまりはジリ貧で、両陣営が少しずつ消耗していく、緩慢な死が各地で進んでいた。


 そのことは流石に国軍の上の方もわかっているらしく、輸送隊の活動はより活発になってはいるものの。戦争は実際問題、終わっていない。この前の戦いなんか、生存者は一人の狙撃手だけだった。その狙撃手も、それ以来見かけていない。他の戦場で戦っているのか、あるいは死んだのか。彼女はをしなかったから、特に憶えていることはなかった。なにより彼女は生き帰ったわけだし。


 戦場の持つ地獄性は、はっきりと言語化できる嫌悪感となって、確実にこの車両に充満していた。負傷者のうめき声、戦友を悼む歌、えた血の臭い――。輸送隊は地獄を背負い歩き、兵士を地獄へ送る業務だ。荷台の向こう側の地獄を、安全圏と繋ぐ業務だ。


「働き蜂さん」


 と、声に振り向くと――輸送隊として誤解がないように言っておくと、この辺りは自陣の中で、雪の一本道だから、多少のよそ見は問題ないのだ――あの時の彼女。幸運の女神フォーチュンという銘柄の煙草をよこしてきた兵士だった。


「預けてた煙草、一本ちょうだい」


 またあの、しなやかな手をこちらに伸ばしてくる。今にもいろんな場所をかき回されそうな勢いだったので、速やかにダッシュボードから煙草を取り出して手渡した。物を取り出す為にダッシュボードを開けたのはいつ以来だろうか。


「ありがと」


 そう言って、彼女は荷台に戻る。これが、彼女との奇妙な交友の始まりだった。




 彼女は、聞いてもいないのに、カイルだと名乗った。聞いてもいないのに武勇伝を語り、かつての戦友の話をした。


 友人であり、幼馴染であり、恋人であり、戦友だったという。2人は常に一緒に作戦を遂行する名コンビだった。必ず2人で生き残ることから、戦乙女ヴァルキリーではなく幸運の女神フォーチュンと、そう呼ばれていた。実際、運に助けられたこともあったと、カイルは度々言っていた。


 カレンはあたしの全てだったんだ。カイルは決まって、過去形でそう話していた。


 そして、それだけの話を聞けるほどに、彼女は戦場から帰ってきた。相変わらずフォーチュンは預かったままで、カイルが戻ってくる度、一本ずつ煙草を渡すのが習慣になっていた。楽しそうに笑いながら、昔話をする彼女は、いつしかこの地獄の中で唯一の光に思えた。



 最初は箱一杯だった煙草も、残り一本になっていた。


「それ、ずっと気になってたんだけど」


 いつものように、戦場に向かう兵員輸送車の中だ。ありふれた戦場に向かう、ありふれた輸送車。彼女はダッシュボードを指さして、


「なんでそんなにいっぱい詰まってんの」


 輸送隊が運ぶのは、戦争の道具だけではない。あくまで非公式ではあるけれど、戦場の兵士が家族に向けた手紙や贈り物も運ぶのだ。では、家族や身寄りがいない兵士達が最後に会う、兵士以外の誰かといえば、それが輸送隊の隊員になる。


「預かりものなんですよ、これ全部。『何かをここに残しておけば、その為に帰ってこられる』って。たまに物を預ける人がいるんです」

「おまじない、かな」


 そして、ほとんどの場合が誰も帰っては来ない。ダッシュボードに詰め込まれた預かりものの数は、帰ってこられなかった人の数なのだ。


 きっと、みんな忘れられるのが怖いんです。


 今から死にに行く、死ぬかも知れないと思ったとき、何かを残したいと思うのは当然のように思えた。一つ間違えば、間違えなくとも、自分の中身が雪に曝されて、むくろは雪に埋もれ、ただの背景になってしまう。そんなことに、人は耐えられるのだろうか。今まで生きてきた人生も、物語も、何もかもが、なるべくして無に還る。それが戦争であるがゆえに、人は正気では臨めない。


 君たちの死は、決して無駄ではない。国はとてもマクロな視点のプロパガンダを打ち立てる。だから安心して死ねばいいと。君たちの死に意味を与えてやる、と。


 だが、個々人の単位で見れば、そんな雑な思想なんてものはそれこそ無意味だ。自らの死を悼んでくれる人とまでは言わずとも、自分という存在がいたことを憶えている人がいてほしい。ダッシュボードに詰まっているのはそういった、想いだった。


 だからわたしは、そういった全てを預かっていないといけない。


「それが輸送隊員としての務めです」


 輸送車の揺れが少し大きくなったのを感じた。吹雪が強まってきている。


「でも、時々怖くなります」

「怖く?」

「わたしのこの行為は、『もう死んでも大丈夫』っていう思いを抱かせているんじゃないかって。わたしに物を預ける人の目は、いつも決まって、地獄を見据えているんです。わたしの行為は、死にに行くことを肯定しているかのように感じて」


 声が震えてしまっていた。今から戦場に向かう兵士に向かってする話ではない。でも、抑えることができなかった。


 カイルはしばらく黙っていた。その様子は、ただ何か考え事をしているような、そんな感じで――


「あたしがあなた煙草をあげようとした時、あたしは死のうと思ってた。その前の闘いでカレンは死んだから、もう幸運の女神フォーチュンは死んだって。」


 風が強く吹く。パラパラ、という音はどんどん大きくなって、フロントガラスは不安になるくらい音を立てる。視界は赤外線で確保されている。戦闘区域レッドゾーンは近い。


「でも、あなたは『預かっといて』って言わないと納得しなかった。あたしはそれで、戻ってこようと思えた。あなたは決して、死を肯定してるんじゃないさ」


 カイルの目はこちらを向いていない。フロントガラスの向こう、戦場の向こう、地獄ではない遥かを見据えている。


「あなたの行為はきっと、それだけ意味があることだった。少なくともあたしにとっては。それじゃいけないかな」


 アラート。車内に響き渡る、警戒の知らせ。レッドゾーンだ。


「みんな勝手に預けてるんだ。あなたが気負うことじゃない。あなたはただ、あたしらのことを憶えていてくれればそれでいい」


 あなたに煙草を預けてる奴が、ここに1人いるってことを忘れないで。


 轟音。カイルの「行けムーブ!」という号令でハッチが開かれ、部隊は吹雪に消えていった。ハッチを閉め、輸送車を発進させる。


 彼女が輸送車を降りる直前、振り返って見せた笑顔は、今までのどの表情より美しかった。







 ダッシュボードには、フォーチュンの空箱だけが納められている。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪の弾丸 前野とうみん @Nakid_Runner

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ