星、ダンジョン、あなた

坂入

第1話

 深夜、ベランダから星を眺めていたら三ヶ月前にパーティーを解消した後輩が訪ねてきた。

「また死んじゃいました、あはっ」

 霊魂体の後輩──ニッカは三ヶ月前に見たのと同じ笑顔で言った。

 そう、同じ。本当に、同じだった。記憶の中のニッカと何も変わらず、三ヶ月という時間が何処かに消えてしまったかのように以前と何も変わらぬ様子で話しかけてくる。

「……それで?」

 三ヶ月振りに会うニッカに対して戸惑いはあったが、戸惑っていることを知られるのが嫌だったので感情を表に出さずそう訊いた。実際、ニッカが突然やって来た理由がわからなかった。

「それでって、死んじゃったんですからもっと心配して下さいよ」

「何を今更」

 ニッカは私が知っているだけでも二度死んでいるから今回で三度目の死亡だった。ダンジョンアタックをしている学生としては特別多くも少なくもない回数だ。

 ダンジョンアタックで死亡した場合、死体を組合に持っていけばその場で蘇生してもらえる。何らかの事情で死体を用意できないときは肉体を一から再生して生き返らせてもらうこともできるがレベルダウンのペナルティがある。

 普通、レベルダウンは避けたいので死体を用意するが、そのためには誰かに頼んでダンジョンから死体を回収してもらわなくてはならない。死んだ本人は霊魂体になってしまうから自分で自分の死体回収はできないのだ。

 だから続くニッカの言葉は予想通りではあった。

「先輩、私の死体を回収してもらえませんか?」

 私は、あからさまに嫌な顔をした。

 色々な感情が複雑に私の胸の中を渦巻いていたが、私はその感情群に名前をつけずただ不機嫌に吐き捨てる。

「そんなのパーティーのメンバーに頼みなさいよ。パーティーごと全滅したなら回収屋に頼めばいいでしょ」

「パーティーはもう解消しちゃたので今はソロなんですよ」

 それを聞き、私の中の感情が微妙に変化したがそれを悟られたくはなかった。

「それにちょっと事情がありまして回収屋さんには頼みたくないんですね。だから先輩──」

 ニッカは音もなく私に近づき、上目遣いで、私の瞳を見つめる。

「お願い、できませんか?」

「…………」

 私は、ニッカの〝お願い〟を断れたことが一度もなかった。


///


 次の日の放課後、私とニッカは北のB四ダンジョン入り口に来ていた。ここは初心者には難易度が高いが中級者以上ではやり応えがなく、レアモンスターの出現頻度も低く、手に入る資源も見劣りがするため人気がないダンジョンだ。事実、このダンジョンにアタックするパーティーは私たちしかいないようだった。

 私はゲート石を取り出し、二つに割る。そのうちの一つを適当な場所に設置すると起動ワードを唱え待機状態にする。それからバックパックからランタンを取り出し、ダンジョンに向かった。霊魂体のニッカが音もなく私の後ろに付いてくる。

 北のB四ダンジョンは地下迷宮タイプなので入ってすぐ階段になっている。階段を下りるのが大変だというのも不人気の理由の一つだ。階段を下りながらランタンの魔力を起動し、足下を照らす。ニッカは死んでいるので私一人分の足音だけがダンジョン内に響いていた。

 そういえば、ニッカと初めて会ったときも彼女は死んでいた。

 初心者向きダンジョンの隠し階層で資源掘りをしていたとき、何処からか鼻歌が聞こえてきたのがきっかけだった。上手いとも下手だとも思わなかったけどなぜだか妙に聴き心地の良い鼻歌だったので聞こえる方に進んでいったらメタル熊に腹を切り裂かれ死んでいたニッカの死体があり、その傍で鼻歌を歌っているニッカの霊魂体と出会った。

 私に気づいたニッカは鼻歌をやめ、照れ隠しするようにあはっと笑った。

「死んだの初めてなんですよ」

 聞いてもいないのにそう言った。

 死んでからさほど時間が経っていないのか、ニッカの死体はまだ温かかった。切り裂かれた腹からはみ出た臓腑にも温もりがあり、血でぬめっている。血の臭いに死体から漏れた糞便と体液の臭いが混じり合い死体独特の臭いがしたが、いつもとは違い不思議と不快に感じなかった。

 今までに何度も死体は見ていたし、露出した臓腑も見てきたけれど、ニッカのそれは今まで見たどの臓腑よりもきれいだった。健康的で、血に塗れていて、目が惹きつけられる。

 今まで見てきた死体の臓腑とニッカの臓腑になんの違いがあるのか、私にはわからなかった。説明もできなかった。理由はわからないけれど私はニッカの臓腑がとてもきれいだと感じたし、好きだった。これから先、ニッカの臓腑より好きになる臓腑なんてないと、心の何処かで確信していた。

「あなたの内蔵、きれいね」

 私がそう伝えると、ニッカは初めきょとんとした顔をしていたけれど、やがて嬉しそうに笑った。



 階段を下りきると森林エリアに出た。ここがダンジョン内であることを忘れるほど天井は高く、土の床には植物が自生し森林を形成している。天井に太陽コーティングがされているため常に発光し、エリア全体が昼間のような明るさになっていた。

 ランタンの灯りを消すとバックパックに戻す。

「ニッカ」

 そう呼びかけるだけでニッカはこちらの意図を察し、道を先行して進んだ。霊魂体はモンスターに襲われる危険がないため偵察に使うのがセオリーだ。

 しばらくするとニッカが両手で×を作りながら戻ってきた。

「メタル熊がいますよ」

 思わず舌打ちをした。

 メタル熊はレアモンスターなので普段であればむしろラッキーと言えるが、今の状況ではこちらの進行を邪魔する厄介なモンスターでしかない。自身を中心とした半径五〇メートルをナワバリとし、その範囲内に侵入すると問答無用で襲いかかってくる。活発に移動するタイプではないため進行方向にポップアップされるとかなり面倒だ。

「迂回しますか?」

 ニッカがそう提案したが、かぶりを振って却下する。

「この森でナワバリを避けて迂回したら一日無駄になるわ。それなら日を改めてまた来た方がいい、明日になればメタル熊も移動してるでしょうし」

「じゃあ帰ります?」

「まさか」

 腰の短剣を抜いた。

「折角だから、狩るわよ」



 一歩踏み出すと森の奥から低いうなり声がした。メタル熊の警戒音だ。つまり今いる場所がナワバリの境界線上。

 右手に握った短剣を目で確認し、左手で腰に下げたボム石の位置を確認する。ボム石は起動ワードを唱えた上で一定の衝撃を与えると爆発する魔法石だ。簡単に使えて高威力なので重宝するが一人三個までという所持制限がある。そのため緊急時に使う攻撃手段として持ち歩く人が多い。

 私が持っているボム石は限度いっぱいの三つ。安いものではないので使わないに越したことはないが、使わずに死んだら死体の回収代の方が高くつくので使用を躊躇うことはない。

 息を吸い、一歩踏み出し、続けて三歩ほど進む。うなり声は聞こえなくなった。その代わり、地鳴りと共にこちらに向かって来る突進音が森に響く。

 音の方を睨んでいると木々の間からメタル熊の姿が見えた。私がその姿を認めるのとほぼ同時、咆哮が空気を振るわせ枝葉を揺らした。メタル熊の咆哮はまともに聞けば体が硬直してしまい無防備になってしまう。あらかじめ耳栓をしていたので硬直効果は回避したが空気の震えを肌で感じた。

 メタル熊が、来る。

 重さ数トンはある三メートルほどの巨体がその重さを感じられないほどの速度で迫ってくる。その体当たりをまともに食らえば即死。短剣で受けた程度ではどうにもならず、やはり即死。私の能力スペックと装備では回避するしかない。

 メタル熊の動きは直線的だ、なので咆哮で体が硬直していなければ回避することは難しくない。私は右に飛んでメタル熊の体当たりチャージを回避するとすれ違いざま短剣を一閃させ、その体を薙いだ。

「────っ」

 短剣はメタル熊の体毛に弾かれ、その衝撃で手が軽く痺れた。

 その名の通りメタル熊は鉄が如く剛毛であり、並の攻撃では弾かれてしまう。物理攻撃でその剛毛を打ち破るには相応のステータス技術スキルが必要であり、そうでなければメイジ魔法使いによる魔法攻撃が有効だ。

 しかし私はスカウト非戦闘職のため力も技術もなく、ニッカはメイジだが今は死んでいる。

 メタル熊は地面を抉るようにブレーキをかけその巨体を停止、私の方に向き直ると再度体当たりをしてきた。

 速度に目が慣れたので最初よりも余裕を持って回避。今度は無駄に短剣で斬りつけたりもせず、ステップ。メタル熊に接近する。

 背中ががら空きだったが攻撃するだけ無駄なのでその場で立ち止まり、短剣を構える。メタル熊はこちらに向き直ると後ろ足で立ち上がり、私を正面から睨みながら咆哮を上げた。

 至近距離で浴びた咆哮は耳栓をしていても強力で、あらかじめ身構えていなければ硬直していただろう。体に若干の痺れを感じたが動くのに問題はなかった。

 メタル熊が前足を振り上げ、膂力のままに振り下ろす。鉄の如き剛毛で覆われたその前足は鉄塊のように凶悪。しかしメタル熊は熊なのだからその足裏には肉球があった。毛で覆われていない肉球が。

 呼吸とタイミングを合わせ、短剣を斬り上げる。狙いは私に向かって振り下ろされた前足。カウンターアタックだ。

 短剣と前足がかち合い、肉球に斬りつけた。深く、肉を斬った感触が刃越しに伝わる。

 再びメタル熊が咆哮を上げた。しかしそれは私に向けられたものではなく、斬りつけられた痛みから来る怒りと混乱の悲鳴に近い。

 メタル熊の前足から血が流れ、よろめくように二、三歩下がる。怯ませることはできたが致命傷にはほど遠く、同じ手はもう通じないだろう。

 なので、逃げ出した。

 メタル熊に背を向け脇目もふらず走る。私の走る速度よりもメタル熊の走る速度の方が速いが、メタル熊は直線的にしか走れないため私がジグザグに走れば上手く追うことはできない。

 追跡をかわしながら森を走り、目標の大木まで辿り着いた。あらかじめ作っておいた足場を使いするすると登り、太い枝に腰を落ち着けると仕掛けを引っ張り足場を崩す。それから油を流し、私が登ってきたところからは登れないようにした。それ以外の場所にはすでに油を塗ってあった。

 すぐにメタル熊が来て私を追おうとするが油の所為で木を登れない。メタル熊はその剛毛が既に凶器のため爪が未発達なのだ。だから他の熊に比べて木登りを不得手としている。

 何度か挑戦して登れないことがわかったのか今度は木を力任せに叩いたり体当たりを繰り返した。しかしメタル熊に攻撃されても耐えられるとしてチョイスした大木なのでびくともしない。やがてメタル熊は私のことを見上げ、威嚇するようにうなり声を上げながら大木の周りをぐるぐると回り始める。

「二十分ってところですか」

 木の上で待機していたニッカが熊の様子を見ながらそう言った。私はかぶりを振って「十五分くらいね」と訂正する。

「思ったより深く斬れたのと、あれだけ動いてるから回りも早いわ」

 私の言葉通り、十分を過ぎたくらいからメタル熊の動きが鈍り、それから五分もかからず麻痺毒が完全に回り動けなくなった。

 念のためもう五分ほど様子を見てから木を降りる。メタル熊は目だけで私を睨んだが体は動かなかった。

 メタル熊の毛は強靱だが皮膚は普通の熊と変わらない。なので毛をかき分け刃を皮膚に押し当てれば普通に刺すことができる。

 刃を心臓に押し込み、とどめを刺した。

 死んだのを確認した後、皮を剥ぐ。メタル熊の毛皮は高く売れるのだ。薬に使われる胆嚢も高額買い取り部位なので解体して取り出す。

「右手を切り取ってもらってもいいですか」

 ニッカがメタル熊の右手を指さす。

「熊の手って珍味らしいんですよ。一度食べてみたくって」

 右手は私が毒を塗った短剣で切りつけた部位なので麻痺毒が残っているような気もしたが、面倒なので何も言わず切り落とし保存袋に入れた。右手以外の部位はここに置いていけば動物が食べて始末してくれるだろう。

 一通り作業が終わったので一息つく。一人で熊を解体したのでだいぶ時間が経っていた、当初の予定では次のエリアまで行くつもりだったが今日はここまでのようだ。一日目にして早くも予定が狂ったことにわずかな苛立ちを覚えたが、よくあることだと自分に言い聞かせて気持ちを切り替えた。

 メタル熊の死体からなるべく離れ、ある程度開けた場所を探す。十分ほど進むとちょうどいい場所が見つかった。

 私はゲート石を取り出すと二つに割り、そのうちの一つを適当な場所に設置し起動ワードを唱える。そこから少し離れ、今度はダンジョンに入るときに割ったゲート石の片割れを取り出し、設置する。起動ワードを唱えると石の上に魔力の光が収斂し、ゲートが開いた。

「それじゃあ先輩、また明日」

 そう言ってニッカは笑って手を振った。霊魂体はゲートを通れないのだ。

「……また明日」

 私はそう呟き、ゲートを通る。手は振らなかった。


///


「ゲート石は真ん中で割れるように加工されてるからちょっと力を入れれば簡単に割れるのよ」

 私はゲート石を二つに割るとその内一つを設置して起動ワードを唱える。

「割った二つの石を起動させると石の上にゲートが開く。ゲートの有効期間は二十分、通過できるのは学生証を持った人間だけだからモンスターや霊魂体はゲートを通れないわ」

「なるほどー、勉強になります」

「……講習で教えられたはずなんだけどね」

 律儀にメモを取るニッカを見てため息を吐いた。その勤勉さを講習のときに発揮していれば私が教える手間も省けたのだが。

 ニッカは「講習の先生の話し方が合わなくてほとんど聞いてなかったんですよ」と言っていたが、たしかにニッカはそういうところがあった。ニッカと知り合ってまだ三日ほどだがその説明で納得できるぐらいにはニッカのことがわかってきている。

「ボム石はわかる? ゲート石の次に必要なものだからないときついわよ」

「うーん、ボム石は知ってるんですけど、なんか怖くて……だから持ってません」

「バカじゃないの」と短く罵倒してから私のボム石を一つニッカに投げ渡した。「あげるわ。怖くても一つぐらい我慢して持ちなさい、それがあるだけで生存率がかなり違うんだから」

 ニッカは渡されたボム石を両手で持ち、見せびらかすように掲げると「きれいですね」と言った。それからボム石を紐にくくりつけ、首から提げる。

「これ、一生大事にしますね」

 そう屈託なく笑うニッカに「使え、バカ」と蹴りを入れた。


///


 自室で目が覚めると一人だった。

 昨日の朝はニッカがいたが、ダンジョンに置いてきたので今日はいない。だから今日は一人だ。

 ただそれだけの事実に、なにか、違和感があった。

(……三ヶ月前と同じ感覚だわ)

 ニッカとのパーティーを解消したての頃、ダンジョンに行く度に味わっていた感覚。今まではニッカがいたのに、今は一人だというあの感覚だ。

(別にさびしいわけじゃない)

 今までずっと一人だった。だから一人をさびしいと思ったことも、辛いと思ったこともない。

 辛くも、さびしくも、悲しくもなかった。

 ただ、ニッカがいなくて、それが嫌だった。

 なにか、嫌だった。



 放課後、ダンジョンに行く。

 帰還用のゲート石を設置した後、昨日ダンジョン内に設置しておいたゲート石を起動、中断セーブポイントまで転移する。

 森林エリアに降り立ち、周囲をぐるりと見回す。変わったことはなかったが、ニッカがいなかった。

「ニッカ」

 そう呼びかけたが返事はなかった。おそらく待つのに飽きてそこらへんをぶらぶらと彷徨っているのだろう。目的地と進行ルートはわかっているのでわざわざニッカを待つ理由はなかった。

「…………」

 私はバックパックを地面に置き、その上に腰をかけ空を見上げた。ダンジョンの天井しか見えなかったが太陽コーティングのおかげで目を細めて見ればまぶしい空のように見えなくもなかった。まあ、全然見えなかったが代用品ぐらいにはなった。

 空が好きだ。昼の空より夜空が好きで、一番好きなのは星空だ。その気になれば何時間でも星空を眺めていられる。

「でもダンジョンだと空は見えませんよね」と昔、ニッカに言われた。その通りだけど、私はダンジョンも好きなのだ。星空が好きなのと同じくらいダンジョンが好きで、どちらにも理由はなかった。

 好きなダンジョンに行くと好きな星空が見えなくなるのはジレンマだったけど、世界とはそういうものなんだと思う。

 そう、私が言うと「違うと思いますよ」とニッカに反論されたことがあった。「世界って、ダンジョンで星空を眺めるようなことですよ、きっと」

 ニッカがそう言うのならそうかもしれないけど、でもそれは、私の世界ではなかった。

 きっと、私の世界とニッカの世界は違うのだ。私がニッカではないように、ニッカも私ではない。だから私たちの世界は永遠に交わらず、私はニッカの世界の形を知ることもない。

 そのことをニッカはどう思っているのだろう? ……私はどう思っているのだろう?

 二十分ほど天井を眺めて待っていたらニッカが戻ってきた。

「お待たせしました」

 悪びれもせずそう言って笑う。

 私はバックパックを背負い、次の目的地に向かって歩き始めた。



 下の階層に続く階段を下りる。ここはもう太陽コーティングはされていないが壁に照明苔が生えているので完全な暗闇ではない。しかし照明苔の灯りだけでは頼りないのでランタンをつけた。

 石畳の床に石造りの壁、オーソドックスな迷宮エリアだ。迷わないようマーキングをしながら進む。

 次のエリアに続く階段に行くだけなら今までの踏破者がマーキングしているため迷うこともないが、今回の目的地は階段ではない。階段までのルートを大きく外れ、公式マップでは行き止まりになっている場所に行く。

 ニッカから聞いた通り、その行き止まりの壁が崩れていた。壁の向こうには別の通路がある。公式マップにも記載されていない隠し通路だ。

「よくこんなの見つけたわね」

 感心七割呆れ三割の言葉にニッカは「たまたまですよー」と笑った。謙遜ではなく本当にたまたまなのだろう。ニッカは意味もなくダンジョンを徘徊する癖があるのでごくごく稀にこういう発見をすることがあった。

「このことは誰にも言ってなかったから回収屋さんにも教えたくなかったんですよ」

 隠し通路のことを秘密にしておきたかったから回収屋に頼めなかった、とニッカは言った。私に教えるのはいいのかと聞いたら「先輩はいいんですよ」とあっさり答える。

 その言葉に特別な意味などないのだろう。だから私も深くは考えず、崩れた壁から隠し通路に入った。



 ニッカは人に頼るのがとても上手く、聞けばゲート石の使い方を知らなかったのも同じパーティーの人にいつもやってもらっていたかららしい。人がやってくれるのだから自分でやり方を覚える必要がないと思ったと言っていたが、なんでも自分でやらないと気が済まない私からすると異世界の意見だ。考えられない。だから私は人に頼るのが苦手なんだろうな、となんとはなしに思った。

 そんなニッカから「パーティーを組みませんか?」という申し出があったとき、私は自分が断るものだと思っていた。今までパーティーを組んだことはなくずっとソロでやってきたのだ。今更パーティーを組む理由なんてない。

 なのに私は「いいわよ」と二つ返事で承諾した。ニッカは「そんな簡単に受けてくれると思いませんでした」と少し驚いた顔をしていた。私も自分で驚いていた。

 その日からニッカと二人パーティーでダンジョンにアタックしたが、ソロよりも二人パーティーの方がなにかと効率が良かったし最初の印象よりもニッカは優秀だった。だからパーティーを組んで良かったと素直に思った。

 でも、私は、自分がそういうメリットからパーティーを組んだのではないことに気づいていた。ただ、ニッカに〝お願い〟されたからそれを断れなかっただけなのだ。

 ニッカのことを見ていると、いつも最初に見たニッカの死体を思い出す。本当に、彼女の死体からはみ出た臓腑はきれいだった。目の前にいるニッカの皮膚と肉の内側にあの臓腑が隠されているのだと考えるだけで胸に熱いものを感じた。

 しかし、パーティーを組んだのはそれが目的だと言うつもりはない。実際、わざとニッカを死なせてその臓腑を見ようとしたことなどない。そんなことは考えたこともなかった。私はニッカの皮膚と肉の内側にあのきれいな臓腑があって、自分はそれを知っている、それだけで良かったのだ。

 それに、ニッカと一緒にいるのは楽しかった。

 臓腑とは関係なく、ただ、楽しかった。



 通路を抜けた先は氷原だった。地面も壁も天井も厚い氷で覆われたエリア。天井ははるか高く、開けた場所だが所々地面が隆起し起伏のある地形になっている。地面がトゲのように盛り上がり岩でできた森のような情景を作りだしていた。

 このトゲのような岩は魔力石の鉱床でよく見られる形だ。ランタンの窓を閉じ、灯りを遮断すると周囲がほのかに発光しているのがわかった。地面や天井に埋まった魔力石の原石が発光しているのだ。

 つまり、ここは鉱床エリアだ。公式マップに記載はないので正真正銘の未確認エリアだ。ここには手つかずの資源が眠っている、回収屋に知られたくないというニッカの意見にも納得できた。

 ランタンの窓を開け、灯りを戻す。魔力石の発光はささやかなものなのでランタンの灯りの中では打ち消されてしまう。バックパックから防寒ジャケットを取り出し羽織った。

 息を吸う。冷たい空気が喉を撫でた。このエリアの何処かにニッカの死体がある。

「確認するけどあなたが見たモンスターは一体だけなのね?」

 ニッカは頷き「そうですよ」と言った。「ゴーレムタイプのモンスターが一体だけです」

 無機物型魔法生命体ゴーレムは私もニッカも苦手とするタイプのモンスターだ。無機物のため魔法が通じにくく、当然毒も効かない。防御力も高いので私の腕力ではダメージを与えるのは難しい。

 ゴーレムにエンカウントせずニッカの死体を回収できればそれが理想だ。しかし魔法生命体は普通の生物とは違い五感を持たず独自のセンサーで敵を探知する。このエリアにいるゴーレムがどのようなセンサーを持ち、どの程度の範囲まで探知できるのかもわからない以上、エンカウントするかしないかは運でしかない。

 それにゴーレムは生物のように生命維持活動のため動いたりはしない。決められた巡回ルートを回り続けるか、動かずその場に留まり続けるかのどちらかだ。どちらにせよ、ニッカはゴーレムにやられたのだからニッカの死体の近くにゴーレムがいる可能性は高い。

 腰から下げたボム石を確認する。ゴーレムに通じそうな攻撃手段はボム石ぐらいしかない。三つのボム石で倒せるかどうかは実際に相対しないとわからなかった。

「ニッカ」

 名を呼び、死体の場所までナビゲートさせる。ニッカもこのエリアはそんなに詳しくないらしく、自分が死んだポイントもだいたいの場所しかわからないと言っていた。少し歩くとニッカがつけたであろうマーキングがあった。ニッカはそれを確認して「こっちです」と指をさす。

 息を吐く。白く曇る。前を行くニッカの背中を見ていた。

 死んだんだな、と、今更、思った。

 私の知らないところで死んで、今も死体を晒しているんだな、と。

「先輩」

 立ち止まり、ニッカが言った。

「見つかっちゃいました」

 ニッカが指さすその先、トゲのように盛り上がった岩のその先端に、人型をした三メートルを超える岩の塊が佇立していた。

 音がして、ゴーレムが跳んだ。

 真っ直ぐ、私達に向かって岩の塊が降ってくる。


///


 月の初めに出されたアイテム製作の課題は落とすつもりだった。その製作に使う資源はソロだと回収が難しく、中規模から大規模のパーティーに入る必要がある。私はそんな大所帯のパーティーに入るつもりなどなかったのでその課題は端から諦め、他の達成できそうな課題だけをやるつもりだった。

「そんなの駄目ですよ」とニッカは主張し、課題は一週間ぐらいでクリアできること、課題をクリアしたら解散する臨時パーティーの募集もあることを並べ、「一週間だけパーティーに入ってみましょう」と提案した。

 私は断らなかった。

 ニッカの言った通り、普段はソロか少人数でパーティーを組んでいる人を対象とした臨時パーティーの募集があったのでそれに参加した。私達以外には二人パーティーと三人パーティーのメンバーがいて、合計七人の臨時パーティーを結成した。

 人数が多いと確かに効率的だった。多人数の方が戦闘で有利なのは言うに及ばず警戒や探索もやりやすくなり、ランタンなどの全員が持っている必要がないツールは分担して持てばいいので荷物の量も減った。減った荷物の分、いつもより多く資源を持って帰ることができた。

 メンバーはみんな善い人だった。同じ少人数パーティーを組んでいる同士だからか気の合う人が多く、特別何かをしたわけでもないのに年下のメンバー数人からは妙に懐かれた。

 ニッカは人に頼るのが上手かった。人を頼り、人を動かし、人を用いるのことに長けているニッカは自然とパーティーの中心的立ち位置になり、みんなのことをよくまとめていた。

 六日ほどで資源も集まり、課題をクリアした後も解散するのがもったいないねという話になり、パーティーを継続させる話が出た。もちろんニッカは賛成した。私も反対しなかった。かくしてパーティーは継続し、それからはそのパーティーでダンジョンにアタックを続けた。

 そんなある日、ニッカが死んだ。


///


 ゴーレムの拳がつい数瞬まで私がいた場所を砕く。表面の氷は粉々に吹き飛び、重量感のある拳はその下の岩をも砕き穴を穿った。まともに食らえば一撃で致命傷になりかねないほどの大威力。

 私は飛び退き、その攻撃に脅威を感じながらも敵を冷静に観察する。

 岩でできた人型の巨体。しかしただの岩ではなく体の所々に魔力石が見える。ジュエルゴーレムだ。希少石ジュエルを中核として育成されたゴーレムは普通のゴーレムより高性能だが、中核となる石を破壊されると機能停止するという弱点もある。

 ただのゴーレムなら動けなくなるまで壊すしかないのでジュエルゴーレムの方が倒しやすい。しかし中核となる石は普通、一番防御が固い場所に──胴体の中心に埋め込まれているため中核石を壊すにはまずどうにかして胴体を削らなくてはならない。

 私はボム石を一つ手に取り、腹式呼吸で息を吸った。酸素を体内に取り込み集中する。

「────」

 ゴーレムがバッタのように跳ね、私に向かって直線に迫る。魔力石のジュエルゴーレムは魔力総量が多く、そのためゴーレムとは思えぬほどの機動性を発揮する。実際、眼前のゴーレムもその動きは機敏だが、落ち着いていれば対処できない速度ではない。

 拳の軌道を見切り、サイドステップでかわす。距離を取るためのバックステップを踏みながら起動ワードを短く唱え、ボム石を投げつけた。

 敵として見ると威圧されるその巨体は、的としてみれば当たりやすく都合が良かった。胴体の中心に当たると同時にボム石は爆発し、その体を削り取る。

(いける)

 口に出さずそう呟いた。与えたダメージ量から見て上手くいけばあと一つ、そうでなくとも二つボム石を当てれば胴体は削りきれる。

 ゴーレムはなおも私に近づき、今度はなぎ払うように腕を振るう。拳の攻撃が連続でかわされたため攻撃パターンを変えたのだ。知性も感情もないゴーレムはあらかじめ設定されたパターンの組み合わせでしか動けない。そのパターンさえ見切ってしまえば単調な動きしかできないでくの坊だ。

 先程と同じリズムで攻撃をかわし、ボム石を投げ、胴体を削った。砕けた岩の隙間から中核石がわずかに顔を出したが、直接攻撃で中核石を砕くにはまだ露出が足りなかった。最後のボム石を握り、次の攻撃に備える。

 ゴーレムはまた攻撃パターンを変え、今度は腕を振り下ろした。数トンの重量の腕が降ってくるのは脅威的だったが回避するのは難しくなかった。

 やはり、リズムは同じだ。攻撃をかわし、ボム石を投げ──投げようとしたとき、

「────っ!?」

 振り下ろされたゴーレムの拳が床を殴り、砕いたのだ。拳が打ち下ろされた場所からヒビが入ったと思う間もなく音を立てて床が崩落する。

 足場を失いバランスを崩した私は手元が狂い、投げたボム石は狙いを大きく外れゴーレムの右肩で爆発した。

 崩落する床と共に落下しながらゴーレムは再度攻撃の構えをとり、その拳を打ち出した。同じく落下している私にその拳をかわす術はない。

「先輩!?」

 ニッカの悲痛な叫びが聞こえた。

 私はとっさに短剣を抜きその刀身でガードしたが、そんなものは些末なことだとでも言うように、ゴーレムの拳は短剣のガードごと私と私の意識を吹き飛ばした。


///


 ニッカが死んだとき、メンバーの一人が首だけ持っていこうと提案した。

 資源採取ポイントの手前で死んだためすぐにゲート石で戻るのは非効率的だった。ここまで来たのだから資源を採取してから戻った方がいい、しかし採取ポイントまでニッカの死体を担いでいくのは大変だ。そこで折衷案として死体の首だけを持っていこうというわけだった。

 頭部さえあればロストとは見なされずレベルダウンのペナルティもない。首から下も蘇生の際に再生されるので問題ない。だからすぐ戻れないとき死んだメンバーの首だけを持ち歩くというのは他の人もやっているちょっとしたテクニックだった。

 他のメンバーはその合理的な提案に賛成した。死んだニッカ自身も「それで構いませんよ」と承諾した。

 構いませんよ? 首だけを持って帰ることを?

 私は正気を疑った。この人達は頭がおかしいんじゃないか。何よりもニッカ自身がそれを承諾したことがショックだった。そんなことを言って欲しくはなかった。

 首だけを持っていくということは、首から下を置いていくということだ。あのきれいな臓腑が詰まった胴体を、だ。

 ニッカの死体はちょうど腰のくびれのところで切り裂かれており、血と体液と臓腑をまき散らしていた。

 今、目の前にあるむき出しになったニッカの臓腑を見て、何も感じないのだろうか? 体が引き裂かれ、体内のそれが露わになったときにしか嗅ぐことのできないニッカの匂いを嗅いで、なんの衝動も覚えないというのだろうか?

 人は、嘘を吐く。醜い本性を隠すため外面を飾り立てる。だから人の言葉も、外面も、信用することなんてできはしない。

 信じられるのは人の内面だけ──その内側に宿した臓腑だけなのだ。

 初めてニッカの臓腑を見たとき、私は感動したのだ。こんなにもきれいな臓腑を持った人がいただなんて。こんなにもきれいな臓腑の人なら信用できると、人を信じてもいいと、生まれて初めて思ったのだ。

 だからニッカが体を置いていくことを承諾したことがショックだった。信じていたのに、私の心を裏切ったことがどうしようもなくショックだった。

 でも、それが私の稚拙なわがままだということもわかっていた。

 私はダンジョンが好きだけれど、全ての人がダンジョンが好きなわけではないことを知っている。私は星空が好きだけれど、星空になんの興味もない人がいることを知っている。

 人と人とは違うのだ。私がニッカではないように、ニッカも私ではない。私は他人ではなく、他人も私ではなく、だから他人が私のことを完全に理解することはない。私が他人を理解できないように。

 私がこの世界で感じたこと、思ったこと、考えたこと、信じたこと、それらは必ずしも他人と共有できるとは限らないのだ。少なくともこの場において、私はパーティーメンバーの誰とも──ニッカ自身とさえも──価値観を共有できなかった。

 私は、好きなのにな。

「……先輩?」

 ニッカが私の顔をのぞき込む。心配するような響きが含まれていた。私はニッカと目を合わせず、ニッカの首を切る役目を申し出た。

 反対もなかったので私はニッカの首を切り落とし、それを袋に入れて腰に下げた。それから採取ポイントに行き資源を回収するとゲート石を使って帰還した。組合にニッカの首を持っていき、蘇生してもらう。蘇生した次の日は休養をとることが義務づけられているので「ゆっくり休みなさいよ」と言ってニッカと別れた。

 その日のうちに私はパーティーを抜け、メンバーとは一切連絡をとらなかった。

 三ヶ月後、ニッカが私を訪ねてくるまでは。


///


 目を開けると体中が痛んだので、それで自分がまだ生きていることを知った。

 辺りは薄暗く、魔力石の灯りだけがぼんやりと氷に覆われたエリアを照らしている。落ちたときにランタンをなくしてしまったようだった。

 思ったより落下距離は短かったらしく、全身が痛み幾つか骨にヒビが入っているようだったがなんとか動くことはできた。握ったままの短剣を杖代わりに立ち上がる。

「ニッカ」

 そう、薄闇の中に呼びかけるが返事はない。落ちたときにこちらを見失ったのかもしれない。

 吐いた息が白く曇る。氷に体を打ち付けた所為かひどく寒かった。暗く、寒く、一人で、たまらず叫ぶようにもう一度名を呼んだ。

「ニッカ!」

 からん、と石が崩れる音がした。

 音がした方に目を向けると、ゴーレムがいた。落下の衝撃で壊れたのか右腕がなかったが、稼働するのに問題はないようだった。

 ゴーレムが跳び、左の拳を打ち下ろす。私はとっさに飛び退きその一撃を回避するが、落下のダメージがあったのか着地時に足を滑らせ転倒した。しかも転倒した場所が坂になっていたため私はそのまま斜面を滑落していく。

「…………っ!」

 勢いがついている上に氷で滑り、止まることができない。私は短剣を氷に突き刺しブレーキをかけたが、ゴーレムの拳をガードしたときにヒビでも入っていたのか短剣は刃の半ばで折れ私は再び滑落する。

 転がり、全身を打ち、上も下もわからなくなり、息をするのも難しくなってきたところで底についた。ようやく転落が終わり、私は痛む体にむち打って起き上がった。

 目の前にニッカがいた。

 ニッカの、死体だった。

「────」

 低い気温と砕けた氷に覆われていたおかげか、ニッカの死体はついさっき死んだかのようにも見えた。強い衝撃で下半身は潰されていてぐちゃぐちゃになっていたけれど、上半身はほぼ無傷で、そこだけを見ていると眠っているようだった。

 潰れた下半身は肉と骨が露出し、むき出しになった腹部からは臓腑も見える。

 その臓腑を見て、これはニッカなんだと確信した。本物のニッカの死体なのだと。

「本当に死んだのね」

 今更、そんな事実を噛みしめる。死んだのは知っていたし、霊魂体も見ていたけれど、今まで実感がなかった。死んだという言葉だけが上滑りするように私の中で浮遊していた。

 気配を感じ、滑落してきた斜面を見上げる。ゴーレムが私を見下ろしていた。

 私がまだ生きていることを感知したのか、跳んだ。真っ直ぐ私に向かって機械的な執拗さでとどめを刺しに来る。

 とっさに私はニッカの死体に手を伸ばした。ニッカがいつも首から提げている、私があげたボム石。

〝これ、一生大事にしますね〟

 その言葉通り、ニッカは何があっても私があげたボム石だけは使わなかった。

「────っ!」

 紐から外したボム石を私に向かって落下するゴーレムへと投げつける。胴体の中心で爆発したボム石は中枢石ごとゴーレムの体を破壊した。

 中枢石の制御を失ったゴーレムの体はばらばらに壊れ、細かい破片が雨のように降ってくる。

 私は見届けるようにその光景を瞬きもせず見ていた。

「…………」

 星が見えた。

 いや、それは星ではなかった。天井に埋まっている魔力石が発光してそれが星のように見えただけだ。

 でも、このエリアは薄暗く、天井の魔力石はいくつも輝いていて、それはまるで星空のようだった。

「これを先輩に見せたかったんですよ」

 いつの間にか傍に来ていた霊魂体のニッカがそう言った。

 私は霊魂体のニッカを見て、星を見上げて、それからニッカの死体を見た。

 私はダンジョンが好きで、星空が好きで、ニッカの臓腑が好きだった。ここには私の望む世界の全てがある。

「────」

 ニッカの死体を抱き寄せ、目を閉じた。

 この満ち足りた世界の真ん中で、私はニッカの死体の匂いを嗅いだ。

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星、ダンジョン、あなた 坂入 @sakairi_s

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