第7話 それから
それから一か月。
としまさの姿は相変わらずヤスデのままだったけれど、身の回りには小さな変化がいくつも起こっていた。
まず、彼は近所の家々を回って、事情を説明した。初めは嫌な顔をする人も多かったが、父と母、妹を伴って、家族であいさつに回る姿に、やがては心を動かされ、いくつかの家庭は惜しみない協力を申し出てくれた。
また、警察にも相談に赴いた。
これにはだいぶ時間がかかったものの、としまさが人に危害を加えるようなことはないこと、毒液も十分コントロールできることを、最終的には認めてもらうことができた。こうしてとしまさは、この土地でヤスデ人間として生きていく地盤を得たのだった。
いくつかのテレビ局が取材に来た。
としまさはこれに快く応じ、できるだけきれいな身なりをして、視聴者に嫌な印象を与えないよう努めた。地域の迷惑にならないよう、自宅の取材は断り、その代わりにどこへでも彼自身が出向いた。その一見グロテスクな見た目に反し、丁寧で実直なとしまさの語り口がメディアに喜ばれ、ある程度はとしまさの収入になる仕事も入った。
取材が重なるうちに、妹がいくつかの衣装をつくってくれた。初めはワイシャツだけで対応していたとしまさだったけれど、どうしても見た目が悪い部分が映ってしまうと、そこにはモザイクがかけられていた。そうした部分を隠して、キモカワイイ印象を与えられるよう工夫された衣装だった。
彼の部屋がきれいになった。
人間の姿だったころの彼の部屋は、雑然として、多少臭いもあったが、ヤスデの姿になってからは、常に清潔に保つよう、彼自身が努力した。まれに毒腺から漏れ出る臭気がこもらないよう、換気をよくし、いつ人が入って来ても、「虫の巣」とは言われない部屋にしている。
しばらくして、周囲がとしまさの存在に慣れてくると、彼は買い物にも出かけるようになった。
スーパーのような大型の店舗には入れないけれど、商店街の路地で買い物ができる店なら、彼を拒みはしなかった。
「やあ、としちゃん。最近どうだい?」
肉屋のおばちゃんが、そう彼に問いかける。
「元気にやってます。みんな、優しくしてくれるから」
けなげにそう答えるとしまさに、おばちゃんは優しく言う。
「そうかい。不便も多いだろうけど、がんばるんだよ。これ、おまけ」
おまけのコロッケをかじりながら、としまさは考える。
「ヤスデになってしまったけれど、ぼくはなんとか生きていけている。いやむしろ、人間だったころより、いっそ充実して、人間らしく生きているかもしれない。もちろん彼女はできないけれど、まあそこはもともと諦めていたところだ。家族も、近所の人たちも、優しく接してくれる。ライターの仕事も、できないことが増えた一方で、ぼくにしかできない仕事もできた。生きてきた中で、今がいちばん自分の価値をはっきり感じられているかもしれない。ただ、少し不安に思うこともある。ぼくはヤスデだから、こうして脚を使って仕事ができるけれど、手も足もない、ミミズみたいなものだったら、どうなっていただろう。言葉がしゃべれなかったら、どうなっていただろう。今でもたまに夢に見る。朝起きたら、人間の言葉が話せなくなる夢。そういう意味では、ぼくは実に幸運だったのかもしれない」
彼の足元を、アリの一群が通り過ぎてゆく。
アリたちは、大きなムカデを抱えて、巣へと持ち帰ろうとしていた。一つの体節から、一対の脚。間違いなくムカデだ。
暮れなずむ夕日の中で、としまさはひとりつぶやく。
「ヤスデ人間でよかった」
終わり
ヤスデ人間――あるいは人の価値に関するいくつかの不安―― 既読 @kidoku1984
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