第6話 家族団らん
「としまさ! 降りて来れる? 夕飯ができましたよ」
母の声で陰鬱な夢から目覚めたとしまさは、ベッドからするりと抜け出ると、明かりを点け、部屋の鏡で自分の顔を見た。
なんとも言い難い、恐ろしいような、まぬけなような、不思議な顔だ。少し笑ってみようと口元を動かすと一層怖さが増したので、家族の前ではなるべく笑わないようにしようと決めて、としまさは部屋を出た。
「……おかえり、まゆ」
としまさはリビングに入ると、恐る恐る妹に声をかけた。
「…………」
振り返った妹は、彼の姿を凝視したまま、黙っている。
「ごめんな、お兄ちゃん、こんなのになっちゃった……」
としまさが気弱な声を出す。
「ぶほっ!」
突然、妹が噴き出した。
「ぶはははははは! ひー! なにそれマジで虫じゃん!」
予想外の反応に、としまさは驚きながらも、少し傷ついた。
「笑うなよ」
「ぎゃはは! しゃべってんし! マジウケる! ちょっと写真撮っていい?」
妹はそう言うと、としまさの返事も聴かず、彼の顔に顔を寄せてスマホで写真を撮った。
「家に帰ったら兄貴がムカデになってた件」
早速写真をインスタグラムにアップする妹。
「いや、ムカデじゃないんだよ、これはヤスデで……」
「は? うざいんだけど。そういう細かいことばっかり言ってるから30にもなって童貞なんでしょ」
「こらこら、あなたたち、遊んでないで席について。まじめな話なんだから」
母にたしなめられ、二人は席についた。
「お父さん、大丈夫ですか?」
妻の問いに、さきほど失態を演じた父が答える。
「ああ、大丈夫だ。さっきはすまなかったな、としまさ」
やや声は震えているものの、なんとか平静を装えてはいる。
「それじゃあね、としまさのことなんだけれど」
改めて、母が話し始めた。
「これからどうするか、みんなで話し合おうと思うの。その前に、としまさ、あなたはどうしたい? 病院に行く? それとも家でしばらく休む?」
聞かれて、としまさは悩みながら答える。
「そうだね、まず、病院はどうだろう。行っても、すぐにはなんとかならないんじゃないかな。こんな病気、ないだろうし。いろいろ検査されて、大変なだけだと思う。お金もかかるだろうし」
続けて、彼は仕事について語った。
「あと、仕事は続けようと思う。しばらく自宅勤務になるだろうけど、ライターの仕事は自宅でもできるし。取材とかはできないけど、むしろこうなったわけだから、おれに取材が来るかも。そうしたら、なるべく受けようと思う。ヤスデだけど、できる仕事はやりたいんだ」
これには、父が震える声で答えた。
「い、いいんじゃないかな。虫の姿になっても、としまさは人間だもの。人間らしいことをしたほうが、きっといいよ」
としまさは、少し涙ぐんで答える。
「ありがとう、父さん」
続けて、父が言う。
「うん。父さんな、虫が苦手で、今はこんなんだけど、きっとそのうち慣れるからさ。努力する。だから、その、もしお前が家を出ていくことを考えてたりするなら、そんなこと、考えなくていいんだぞ。ここはお前の家なんだから。ちょっと姿が変わったからって、誰もお前に出て行けなんて言わないんだから」
この言葉に、としまさは涙を落として言った。
「ありがとう……ありがとう父さん。おれも、できればしばらくは、この家に居させてほしい。なるべく、迷惑がかからないようにするから。それでさ、せっかく夕飯用意してもらったけど、これからはおれ、自分の部屋で食うよ。さすがにさ、こんなのと一緒だと、食欲わかないだろ?」
「は? ダメに決まってんじゃん」
としまさの言葉を、妹が一蹴する。
「うちのルールでしょ。仕事と学校で遅くなるとき以外、夕飯は必ず一緒に食べるの。くちゃくちゃ音が出ちゃうとか、なんか汁が垂れちゃうとかいうなら、それは兄貴が努力してどうにかしなさいよ。それくらいできんでしょ?」
妹の言葉に、母が加えて言う。
「そうね。ご飯は一緒に食べましょう。食べにくいものがあったら、いろいろ工夫してあげる。大丈夫、なんとかなります」
そこから先はもう、としまさが泣きじゃくってしまったため、会議にはならなかったけれど、田中家が懸念としたおおむねのことは、これで見通しが立ったのだった。
家族は団らんの食事を終え、静かな眠りについた。
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