第5話 泣きわめくおやじ

「おかえり。どうしたの? 早かったね」

 そう言ってとしまさを出迎えた母は、彼の変わり果てた姿を見て絶句した。

「ごめん、母さん。朝起きたら、ヤスデになっちゃってて」

 すまなそうにうなだれながら言う息子に、母はうろたえながらも悲鳴を上げることはなかった。

「……そう、そんな日もあるかもね……お昼ご飯、どうする?」

 母の気遣いに、再び落涙するとしまさ。

 彼がゆっくりとリビングに入ると、すさまじい音を立てて、テーブルがひっくり返った。

「ひぃーー!」

 悲鳴を上げたのは、としまさの父親だった。

 彼はテーブルをひっくり返し、そのまま腰を抜かして転がるように部屋の隅へと逃げ込むと、ざぶとんを頭にかぶって助けを求めた。

「母さんッ! ムカデッ! でっかいムカデッ!」

 そのあまりの狼狽ぶりに、としまさが慌てて釈明する。

「父さん、ごめん急に入って。これはムカデじゃないんだ、ヤスデなんだよ」

「やめてッ! ダメッ! 虫はッ! 母さん! 母さーん!」

 年甲斐もなく泣きおらぶ夫をなだめながら、としまさに向かって母が言う。

「しょうがないねえ。としまさ、しばらく部屋で待っててくれる? まゆが戻ったら、みんなで話そ」

 としまさは自室に入り、母がもってきてくれたチャーハンをもそもそと食べた。味覚の変化は自覚できなかったけれど、もっと味が薄いもののほうが望ましいように思えた。

「ああ疲れた――。このまま横になって、少し眠ったら、すべて悪い夢だったことになってくれはしないだろうか。でなければもうずっと眠ったまま――眠っているうちに、誰かがそっと処分しておいてくれたらどんなに楽だろう」

 彼はベッドに寝転んでみたものの、いつものように背中を下に向けたままでは、どうにも寝苦しく、落ち着かない。いくつかの姿勢を試してみた末に、彼は諦めたように、うつぶせになった。彼がどんなに自分は人間だと思ってみても、今のこの姿では、獣のようにうずくまって寝るしかないのだった。

 久しぶりに長い距離を歩いたせいか、眠りはすぐに来た。

 やがて彼は夢を見た。

 夏の烈しい日差し。

 枯れた紫陽花の花壇。

 その向こうに広がる、一面の墓、墓、墓。

 それは小さなころに見た風景のような、あるいはいつ行ったのか忘れてしまった旅行先で見た風景のような、なつかしいけれど、よく思い出せない、そうした印象を感じさせる風景だった。

 その風景の中で、彼は一匹の虫を眺めている。

 細長くて、脚がたくさんついている虫。

 彼は手にしたスコップで、その虫を――。

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