深緑の翼を夜空に広げ

 赤い太陽が地平線に掛かり、境内は薄暗闇に落ちていた。水上智沙都はその境内の中央、拝殿の階段の一段目に腰掛けて、膝下丈の黒の靴下に手をかけていた。足元には既に脱がれたローファーが左右揃えて置かれている。

「それで、私は何からこの街を守ればいいの?」

 智沙都が言葉を投げかけたのは、鳥居の向こうに立っている久坂だ。久坂は智沙都の言いつけ通り、きっちり背を向けたままそれに答える。

「それについては不明だ。何らかの自然災害の線も想定してはいたんだが、君の近くに密偵がいたとなると、どこかからの攻撃の可能性の方が高そうだ」

「攻撃……ねぇ」

 果たしてこの時代、この国に、ドラゴンとかいう超常の存在を駆り出さなければならないほどの攻撃を加える者がいるのだろうか。そう智沙都は考えたが、しょせん世界情勢に興味もない一人の女子高生の知識では、何が正しいのかも分からない。

 智沙都はするりと黒の靴下を脱ぎ去り、素足をまだ肌寒い夜風に晒した。


 改めて、智沙都は深緑のニーソックスを手に取って見た。そう、明かりのない境内はもう色も判別が付かないほどに暗くなっていた。それなのに、このニーソックスに施された刺繍はキラキラと黄金色に輝き、その光がニーソックス本体に、そして智沙都の手や顔に色彩を与えていた。

 と、その幻想的な光景をぶち壊すかのように久坂の声が飛んできた。

「ああ、すまない忘れていた。それは膝丈のスカートでは性能が完全に発揮されないんだ。申し訳ないがこれに履き替えてくれ」

 久坂が背を向けたまま投げてきたのは、智沙都も見慣れた学校の制服のスカートだった。ただしそれはミニスカート丈に改造されてあり、智沙都が履けば太ももの半分くらいまでの長さしかなさそうだった。

「なっ、どうしてそんな機能が付いてんのよ! あんたの趣味なわけ!?」

「いや違うぞ!? 構造上どうしてもその問題だけは解決できなかっただけだ!」

 ああもうこのクソ真面目エロ星人め! と心の中で罵倒しつつ、智沙都は手早くスカートを履き替えた。



 風が、止んだ。

 両脚に金の刺繍を施された深緑のニーソックスを履いた智沙都は、しかしその変化に気付かないままキョロキョロと辺りを見回した。

「ねえ、何も起きないんだけど?」

「そんなわけないだろう。ちょっと見せてみろ」

 久坂は、さほど緊張も興奮もしていないかのように言って、振り返った。

 その瞬間、智沙都が鋭く反応した。

「ちょっ、こっち向くなって言ったでしょ!」

 そう言って、追い払うかのように振った腕、その指先から、「スパン」と何かが放たれる音がした。一瞬の後、数メートル向こうで今度は「バシッ」という音。

「うわっ、危ないな! もう十分に順応してるじゃないか!」

 そう驚き混じりに叫ぶ久坂のすぐ左、石の鳥居に轍のような傷跡が一条刻まれていた。

 智沙都が慌てて自分の手を見ると、その手はほのかに黄金色に光を放っていた。よくよく目を凝らせば、それは毛細血管のような緻密に張り巡らされた光の線が手を、そして智沙都の全身を覆っているのだった。

「これが、『ドラゴンニーソックス』の……力?」

 呆然と、智沙都は呟く。だが、久坂は首を横に振った。

「いや、まだだ。それはまだ第二フェーズに過ぎない」

 直後、その言葉に応えるかのごとく智沙都の脚から熱のようなものが全身に這い上がってくる。

「ああっ、あ、あ……っ!?」

 やがて、這い上がってきた熱は腕、背中、腰、脚に分かれて留まった。我知らず天を仰いでいた智沙都は、目の前に両手をかざし、そして知った。その手が黄金の輝きを奥に秘めた、深緑の鱗に覆われていることを。

「綺麗だ…………これが、ドラゴン……」

 美しさに見惚れながらも、智沙都は感じていた。自らの肩甲骨の少し下と尾骨の先に、無いはずのものが存在している感覚だ。

 久坂は智沙都から生えた何かを見て、満足げに一度頷いた。

「ああ、これで竜化完了だ」

 しかし、その言葉は智沙都に伝わることはなかった。

 その瞬間、智沙都は最後の変化を迎えていた。



 目は、天頂の星々を見ていた。耳は、静まり返った境内に鳴った少年の声を聞いていた。鼻は、境内の土の匂いを嗅いでいた。体は、冷え始めた空気と内側の熱を感じていた。智沙都の肉体は、確かにそこにあった。

 だが、智沙都の意識はそこにはなかった。

 人間の感覚を五つとするなら、智沙都の意識があったのは第六感覚。それはドラゴンという生物の持つ、特別な感覚だった。

 自らの肉体を中心として全方位に広がるその感覚は、境内を抜け、山を下り、街を通り、海を渡り、島を越え、大地を、海洋を、大気を……。そして人智を遥かに超えた感覚が水平方向で重なりを捉えた時、智沙都はその意味するところを知った。

 その時、智沙都の意識は地球全体をも飲み込む巨大な虚空として存在していた。


(これが飛行機で、これは人工衛星、かな)

 ごく短時間で超常の力に順応した智沙都は、超感覚の中で動くそれらを撫でるように感じながら、自らの知識に置き換えていく。

 そして、智沙都は説明の付かない大きな何かを複数存在するのを感じ取っていた。それは西に一つ、北西に一つ、そして東に一つ。どれも海を隔てた遥か向こうにあるのに、人間が作った他のどんな構造物よりも大きく感じられる。

(つまり、多分これがドラゴン……)

 直感的に判断した智沙都は、続けてもう一つのものを感知した。それはドラゴンより遥かに小さく、そして飛行機より速く飛び上がる、筒状のものだった。それが放たれたのは海の向こうの比較的近い北北西……



「ミサイルか!」

 智沙都がそう叫んだのは、久坂が頷き話した一瞬後のことだった。さしもの久坂も、その反応は予想外だったのか思わず呆然としてしまう。

 その様子を不審そうに見ながら、智沙都は肩甲骨の下あたりから生えたもの——深緑の翼をはためかせ、盛大に風を巻き起こして飛び上がった。

「とりあえず、やれるだけやってみるわ!」

 そう自信ありげに叫ぶ半人半竜の少女を、久坂航平は鳥居にしがみついて体を支えつつ、目を細めて見送った。



 高井出神社の上空に飛び上がった智沙都は、第六感覚で捉えた北北西の筒状飛行体に感覚の照準を合わせる。いかなる法則によってか、そのタイムラグはほとんどないのが感覚として分かる。

 と、その飛行物体が何かを切り落としてさらに上へ加速するのを、智沙都は捉えた。

「ロケットみたいな飛ばし方するのか。弾道ミサイルだっけ」

 一人空中で呟きながら、彼方にあるはずのそれに視線を向ける。当然見えはしないが間違いなくそこに存在するのが分かる。

 その方向に向けて、智沙都は唇を突き出した。ちょうど口笛でも吹くようなその唇から、直径一ミリにも満たないような極細の輝線が一本、放たれた。

 その白い輝線は、甲高い音をたなびかせながら一瞬で何百キロもの距離を飛び、着弾。それは放物線の頂点で爆発し、木っ端微塵に吹き飛んだ。


「確かに、これは人間の手に負えないわけだわ」

 自嘲ぎみに笑った少女は、深緑の翼を夜空に広げてさらに高度を上げた。一発目を完璧に撃ち落としてみせたが、まだ地上の怪しげな動きが収まったわけではない。

 今夜は長い夜になりそうだった。

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