闇に落ちた境内で
一層高く飛び上がったドラゴンの影を見ながら、久坂航平は一人佇んでいた。そこへ着信音が鳴った。
『久坂航平、貴様何故あんなものを作った!』
電話に出るや否や放たれた少女の怒声に顔をしかめながら、久坂は淡々と話す。
「君は例の密偵だな。とりあえず、まずはありがとうと言っておこうか。彼女を殺されたら、それこそテロリストじみた大量破壊を決行しなければならなかったからな」
まあ君達も善意で見逃したわけではないのは知っているが、と合わせて呟いた。
『質問に答えろ! 何故あんなものを作り、水上智沙都に渡したんだ!』
収まる様子のない相手の怒りに対し、久坂は僅かも表情を変えることなく語り始めた。
「……シミュレーションは絶対でなく、決して未来を予知することはできない。しかし、ある仮定の下にデータを収集、演算を行えば、未来の断片が見えてくることもある」
膨大な演算能力を必要とするがね、と久坂は付け足す。
「僕はそこに、破滅的な結末を代入した。そうして現れたのが、核をも上回る超越的な生物にして戦略兵器、ドラゴンの存在だった。そうと分かれば話は簡単、僕もドラゴンを生み出してその流れをコントロールしてやれば、破滅的結末は回避できる」
しばしの沈黙が、闇に落ちた境内を支配した。
電話の相手、安藤
『……何故、貴様がそこまでする必要がある。破滅的結末を知ったとして、わざわざ自分から手を出す必然性などないじゃないか。一市民として生活していればドラゴンになど』
「まさか、一国の未来を担う密偵が知らないとでも言うつもりか?」
平坦な口調ながら力を持った言葉が、奈瑠美の言葉の続きを断ち切った。
「核は二度も実戦に投入された。この国に対してだ。死者は二発で数十万人。その中にただの市民がどれだけ含まれていたか、説明するまでもないだろう。ならば核でさえ止められないドラゴンがその力を存分に振るえばどうなるか。その矛先がこの街に向けられてから動き始めたのでは、あまりに遅すぎる」
久坂の言葉の端々から放たれる気圧されるほどの真剣さに、奈瑠美は一時自分が怒っていたことさえ忘れて訊いていた。
『ならば、尚更ドラゴンの数を増やすのは愚策なんじゃないのか?』
「いや、むしろ逆だ。現在のようなパワーバランスの傾いた状況ではドラゴンは止めうる手立てがないことから、実戦投入が容易だ。だが、ドラゴンが各国に配備されればどの国も容易にドラゴンを動かせなくなる。うかつに他国に向かわせようものならその隙に自国を攻撃されかねないし、万一ドラゴンを失えばその国は無防備も同然となる。つまり、配備されながら使うことはできないという、相互確証破壊に似た膠着状態になるのだ」
『最後に聞かせろ。何故そこまでの力を国のために振るっておきながら、貴様は単独で行動しているんだ?』
紡がれた言葉は、最初の激情に身を任せたような声からすれば、想像もつかないほどに穏やかだった。
だが、答える久坂の声は変わらず平坦なままだった。
「この国のためとは一度も言っていないが」
『何……?』
電話越しで奈瑠美は息を呑んだ。平坦な久坂航平の声の奥に隠れた、いや隠すつもりもなく存在していたモノに、そこで初めて奈瑠美は気が付いた。
「無論、この街のためでもない。僕は僕自身を守るためだけに動いているだけで、それが自分の手に負える事ならわざわざ他人の手を借りる必要はない」
それは狂気。この男は初めからずっと狂人だったのだとしか、奈瑠美には思えなかった。
『じゃあ、智沙都は……』
「決まっている。僕を守るために天女となってもらったまでだ。彼女にはそれを伝えてはいないが、何一つ嘘はついていない。彼女の守る街に僕が含まれるというだけの話だ」
ギリィと奥歯を噛み締める音が電話越しに境内の空気を揺らす。そして隙間から絞り出すように言葉を吐き出した。
『き、さま……
それでも、久坂航平の吐く言葉は揺らがない。
「
大切な人を危険な目に晒された怒りと、こいつを野放しにしてはいけないという理性が奈瑠美の中で一つに合わさる。そうして吐き出された言葉には純然たる敵意が滲んでいた。
『この……狂人め!』
「僕には他人に全てを捧げられる君達の方が狂っているとしか思えないがね」
そして通話は切れた。
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