第7話 サイコキラーは治らない

「はぁはぁはぁっ」


ミサオは手を緩めはしたが今だ拘束は解いていない。的打(まとうち)は、辛うじて呼吸ができる状態である。


「ねえりょーちゃん。アタシなんで我慢できなかったか、教えたげよーか?」


ミサオは微笑みながら問いかける。的打は表情をしかめるだけで質問には答えない。だがミサオは続ける。


「アタシだって最初は従順にやってたよ。命令通り被疑者を誘い出して、アタシの色香で虜にした。正直ゲロ吐きそうなくらいあのクソヤローにムカついてたけど命令だからね。仕方なくアタシもまんざらじゃないフリをしてた」


「はぁっ‥はぁっ‥」


的打は呼吸を整えるのに必死でミサオの話は半分ほどしか耳に入っていない。


「何故そんな周りくどいコトをするのか。アタシは尋ねたよね?そしたらりょーちゃんは何て言った?『物的証拠の回収も命令されているので、被疑者が犯行を行った現場も突き止めて下さい。それまでヤツを騙し続けて下さい』そう言ったよね?」


ミサオは少しづつ緩めていた的打の首まわりにまた力を込めだした。


「アタシはりょーちゃんの言う通りにやったよ。あのゴミヤローの頭を何度地面ですり下ろしてやろうと思ったか。回数を数えてたけど知りたい?知りたくないよね!とにかくさ。あのキザで紳士ぶってるエセインテリヤローとゲロを堪えて恋人ごっこしてたわけ。そんで見事ヤローのヤサを突き止めた」


「ぐぎぎっ」


また、ミサオの腕に力がはいる。


「そこまでお膳立てして、後は応援待って踏み込むだけって時にさ。面が割れてる筈のどっかのバカ刑事さんがヤローにうっかりみつかっちまったんだよねえ!?あろうことかさあ!!最後の最後って時にさあ!あぁりぃえないよねえ!そんあことさあ!」


的打の額に当てられたナイフにも力が込められてゆき、一筋の血が肌を伝って落ちてゆく。


「散々りょーちゃんにも言ったよねえ!殺人鬼ってのはさ!!クソぶっ飛びヤローってのはさ!!どいつもこいつも動物みたいに勘が鋭いんだよねえ!少しでも違和感があると、危険を察知して逃げちまうんだよ!!あんまり迂闊な行動されたらアタシも我慢できねえんだよ!!」


ぎりぎりと、ミサオの身体中から音がしている。


「おまけに、ヘマをしない様にと給仕係のメスガキを外したとこまでは良かったよ。だけどそのあと街中で、あのガキに遭遇しちゃったのはいただけなかった。警察がどこまで話したんだか知らないけど、あのガキの怯え様ったらなかった。ヤローが三流じゃなかったら失敗してたかもしれないよねえ」


ミサオは鼻息を荒くして喋り続ける。


「代わりの給仕役のあのクソ警官もダメだよねえ。アイツは本当にダメ。相手がどれだけ動物じみた感覚を持ってると思っているの?緊張感まるで無いよ。後でアイツ殺すから。ねえりょーちゃん。アタシはね。警察の不手際に何度も我慢できるほど、温厚じゃないんだよ。知ってるよね?知らない?」


よく喋るのは興奮が極度に高まっている証拠だ。


相当な力が的打にかけられている。


「お陰でアタシはあの口臭ヤローに舌を入れなきゃいけないハメになった。最悪だったよ。自分から便器を舐めてる気分だった。でもそうでもしなきゃアイツはパーティをお開きにしようとしていた。冗談じゃない。ここまで来てダンスもしないで帰れるかっつーの。でしょ?」


ここで、ミサオの表情に柔らかさが戻りまた手が緩められた。


情けないことに的打は成人男性にも関わらず、失禁してしまっていた。死と、ミサオへのあまりの恐怖に耐えかねて。


「あの羽虫ヤローの息がアタシの顔に吹きかかる度に、アタシは気が狂いそうだった。あっ、元々狂ってるじゃねえかって言う野暮なことは言いっこなしね♡ま、とにかくさ、アタシは限界まで我慢してた。ぜえんぶりょーちゃんの為にね。だけど遂にそれも終わる時がきた。アタシがブチ切れた原因、何だか知りたい?」


的打は既に白目を向いて意識を失っている。


「あのヤローはさ。事もあろうに嘘を付いたんだ。このアタシに。そりゃあキレちゃうよね?」


ミサオは何処か遠く一点を見つめ孤独なケダモノの様に咆哮し続ける。


ミサオの口の端には、興奮し過ぎた為か泡が着いている。


「もうダメだって思ったよねえ!つかれたのはごくごく小さな嘘だよ、だけどね!アタシは殺したいくらい嘘が嫌いなの。アタシが嘘をつくのは良いけど、アタシが嘘をつかれるのは嫌いなの。りょーちゃんわかるよね?」


ミサオは手を離して大げさな身振り手振りを始めた。完全に自分の世界に入っている。


「気が付いたらナイフを投げてた。そっからは早かったぁ。でもね。それまでずっと抱えてたストレスに羽が生えて飛んでった。だからもう自分の欲望に忠実になる事にした。で、イマココ、なわけ」


ミサオは口で言う通り突然憑き物が落ちたかの様な表情になりその場に座り込んだ。


「だからアタシは今、スッキリしてるんだ。アタシだってさぁ。結構頑張ってたんだよ。知ってるよね?アイツが留守の間にりょーちゃんが拝借した手記。そうだよ。あの読み難い上に胸糞悪い自己満足の羅列をさ。毎日毎日資料として読まされた結果、アタシはどう思ったか」


ここで漸く、気を失っていた的打が目を覚ます。しかし彼の視界はボヤけている。


「日に日にヤローへの殺意が育っていった。読んだそばから燃やしてやった。ヤローは相手を好きだから殺して喰っていたみたいだけどアタシは逆だよね。まさに逆。憎いから殺したい。嫌いだから喰ってやりたい。ごくありきたりで自然な感情なの。」


的打はそれを聞いてか聞かずか、上体を起こして頭をぶるぶると振り始めた。モヤがかかった頭を覚醒させる為だろうか。


「ミサオさん。ひとつ、聞いてもいいぜすか」


搾り出す様な声で的打はミサオに再度問いかけた。


「なあに、りょーちゃん♡」


彼を見つめる眼差しには、一貫して光りが無い。


「ミサオさんはあそこに転がっている殺人鬼と自分が、同類だと思いますか」


落ち着きのなかったミサオの動きが止まる。


「いい質問ね。だから好きよりょーちゃん」


ミサオは大きく息を吸い込む。


「あのヤローとアタシは同じ快楽殺人者ではあるけれど決定的に違う事がひとつある。それは動機やポリシーとかっていう物ではないの。もっと根本にあるもの」


「それはなんですか。」


的打がミサオの目に宿る暗闇を見つめる。


「ヒトの部分が残っているか否か。それだけよ」


その時のミサオは本当に無表情で、まるで人形の様だった。


「この男はアタシと恋人ごっこをするウチに、もしかするとヒトに戻れるかもしれない、戻りたいと思う様になった。殺人鬼なんて無様なものでね。そんな風な考えが過ぎった瞬間、下手をうって死ぬ奴が多いの」


ミサオは立ち上がり歩き始める。そしてゆっくりと、自らが手にかけた男の側で立ち止まる。


「あれだけの人間を手にかけ、欲望の赴くままに弄んだ。それなのにヒトに戻って生きようとしたんだ。自分だけ平穏な側に逃げようとしたんだ。そういう奴はダメなんだよ。何ていうか許されない。だからコイツは死んでしまった。馬鹿だよね。一度自分の快楽の為に殺人を犯した奴は、更生なんて絶対できないんだよ。サイコキラーは治らない」


サイコキラーは治らない。


ミサオのその言葉を聞いて、的打は上司が同じ事を言っていたのを思い出した。


『いいかね的打亮平捜査官。キミがあの檜山ミサオに好かれている事は、神が与えた才能だと思った方が良い。惚れた弱みというヤツだ。あの殺人鬼はキミの言う事を辛うじて守っている。我々警察の手に余る犯罪をああいった手合いに処理させ、なるべくこちらの犠牲を減らす事が最優先なのだ。これはキミにしか出来ない特別な仕事なのだよ。くれぐれもあの女の機嫌を損ねない様に注意したまえ』


『もしも彼女に嫌われたら、私はどうなりますか?』


着任早々の的打はそう上司に問いかけた。彼はしばらく言いづらそうにして、漸く言葉を放り出した。


『特例捜査官として、キミの相棒として今は従順に命令に従っている。だが一度でもキミがあの女の逆鱗に触れたら。言い訳の時間すら与えられずに、キミは瞬時に肉塊にされるだろう。あの笑顔に騙されるな。軽快な会話に惑わされるな。殺人鬼は更生などしない。サイコキラーは決して治らないのだ』


『そんな‥』


それでは自分は、まるで人柱ではないか。


的打はそう言いかけたが、その言葉が出てしまう前に上司に肩を掴まれた。


『すまない。キミにしかできないのだ』


彼はそう言って、涙を浮かべていた。


彼が言う、自分にしか出来ない特別な仕事だという事をその時初めて重く受け止めた。


「質問は以上かな?りょーちゃん♡」


ふっと我にかえる。ミサオが目の前で微笑んでいる。美しい、綺麗な顔立ちだと思う。雪川ユリと偽って純情無垢な娘を演じていたわけだが、この容姿なら誰であっても心動かされてしまうに違いない。


あの男に、殺人鬼を辞めてヒトに戻ろうと思わせたきっかけは雪川ユリという名の檜山ミサオなのではないだろうか。そう考えると、ミサオという存在がつくづく残酷に思えてきた。


「ミサオさん。被疑者はアナタの為にヒトに戻ろうとしたのではないですか。雪川ユリという女性の為だから、もう一度やり直したいと思ったんではないですか?雪川ユリを心底愛していたから。愛が彼を変えた。アナタは最初からそれを狙っていたんではないですか。相手の気持ちを解った上で煽り、挙句なんの躊躇もなく殺した。そうではないんですか」


的打は先ほどの事で更にミサオに対して恐怖を抱いてしまっている。しかしそれでも、彼の中の正義感が口をついて出てしまう。今度こそミサオの機嫌を損なうかもしれない。今度こそ、殺されてしまうかもしれない。


だがしかし、彼の心配とは裏腹にミサオは上機嫌に笑い出した。


「あはははははは。りょーちゃん最高だよ。さっき余計なこと言ってアタシに殺されかけたのに、またそんな挑戦的なこと言ってアタシを煽る。だけど良いよ。そういうトコも魅力あるなあ。そうだね。確かに解っててやってたよ。それを狙ってたのも図星。だけどそれがなに?相手は快楽殺人犯だよ。どんな手を使ったって構わないでしょ」


そうしてミサオはふわりと身体を浮かせる様に移動して、今度は恋人がそうする様に的打の身体を優しく抱き寄せた。彼女は光のない目で、的打の怯えた瞳を見据えて言った。


「ちなみにひとつ間違えてるよ。名探偵さん」


ミサオは唇をぐっと近づけて、彼の耳元で囁く様に言った。


「あのヤローはね、初めからどっかでヒトに戻る機会を伺っていたんだ。中途半端なヤローだったんだよ。雪川ユリの存在はほんの引き鉄に過ぎなかった」


的打は少しだけ驚いた顔をして尋ねた。


「どうして、そう思うんですか?」


ミサオは的打と優しく唇を重ね、またふわりと離れていった。


「『イートマン』あの野郎はそんな名前だったよね」


的打は手記の内容を思い出す。


「確か、マスコミではそう呼ばれてましたね。本人も気に入っていたとそう書いています」


「そう、『イートマン』つまり『食べる男』。ヤローは初めからヒトを捨てるつもりはなかったんだ」


そう言ってミサオは再び遺体に馬乗りになって右手でその血液をすくい、さも美味しそうに舌を這わせた。


「所詮はヒトの部分が残った半端モノ。アタシはそんなのとは違う」


ミサオは立ち上がり微笑む。


「名前なんてどーでも良いけど、あえて言うならアタシは『マンイーター』『人喰い』なんだよ。とうの昔にヒトではないんだ。アタシにとって、ヒトは下位の存在。だから『イートマン』だろうが警官だろうがムカついたら殺して喰う。人並みの生活なんて考えない。アタシはヒトを超越してるから。それだけの話」


窓から差し込む月明かりを背にして、マンイーター檜山ミサオは笑ってみせる。


「僕は違うと思います」


「んん?」


ミサオがまた、可笑しそうに微笑む。


「たとえサイコキラーであっても、何かのきっかけで正常な心を取り戻す事だってあると思います」


的打がそう言うと今度はミサオは笑わなかった。


「だったら証明してみせろ。ひとでなしが人に戻れると証明しろ。アタシとコンビを組んでいる間に、一体どの位のサイコキラーを救えるかな。アタシが奴らを殺す前に、奴らを救ってみせろ。もしもお前が正しければ、アタシの命をもって祝福してやる」


「もし僕が、間違っていたら?」


的打の全身に嫌な汗が滴る。


ミサオの言葉で、世界が停まる。


「お前の命をもって償え」


こうして、的打は自分の命をかけて自らの掲げる正義を主張する事になった。恐ろしい化け物達の中で、自分の命を狙う物に背を預けながら彼は戦う事になった。


ミサオと上司が口にした


『サイコキラーは治らない』


という言葉が的打の中でいつまでも反芻し続けた。


また今夜も、きっと眠れない。


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EAT,MAN 三文士 @mibumi

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