第12話(終)
首を絞められた老人はすかさず指でトオルの肋骨に強烈な一撃を与え激痛を与える。トオルは手を離しよろめき、激しく咳き込んだ。
「何をする・・・せっかく無償で薬をくれてやったというのに・・・まさか・・・?」老人は信じられないような気持ちでトオルを見た。「進化を食い止めようと考えていたのかね?ありえん。なんと愚かな若者だ。」老人は侮蔑するように言う。「わたしはルドルフ少年よりも古く、不幸な遺伝の病気によって生まれてしまった不完全なヒトムシだ。人間なぞクソだ。わたしを気持ち悪いとのけものにして。だからわたしはさすらいながら、より完全なムシになるための勉強をした。そしたらルドルフ病とやらが現れたじゃないか。でもあれはまだ不完全だ。進化するのに痛みや不快感が伴ったりするし、変異しない人間も多くいると聞く。卵も形ばかりで赤ん坊の一人や生まれやしない。だから私はウイルスを採取し、研究し、実験した。そう、ルリとかいう娘のあれが、今までの最高の研究の成果だよ。高速、かつ一切の不快感なし、そして完全で着実な進化をするし、繁殖もおそらく成功するだろう。」
老人は固まったルリを指差す。トオルは立ち上がろうとしたが力が入らない。
「だからまもなくあの娘は誰よりも美しく強い生物として生まれ変わる。」老人は笑みを浮かべながら言った。「ヒトムシのオスどもが魅力を感じ、寄ってたかって彼女と交わりたがるであろう。そしてさらに強い種を彼女は生み出すであろう。そして彼女のウイルスが世界に蔓延する。ふふふふ。そうだ。」老人はトオルに憎しみの眼差しを向けて言う。「お前が愛した女は人以上の愛の生物へと進化し、下等な人間のお前は見捨てられ、より上等な生き物に好き放題女は体を貪られる。おうおう、人類の進化の縮図を見るようで、じつに面白いのう。」老人は今度は空のヒトムシたちを見上げて取り憑かれるように喋る。「わかるか?少年。人類は終焉し、あたらしい生き物へと"羽化"するのだ!認めたか?お前の状況、そして私の偉業がわかったかね?」
「ううううう・・・」死力を振り絞ってトオルは立ち上がる。バッグに入れっぱなしだった特効薬の入ったビンを取り出す。(劇薬かもしれないじゃない。)ルリのその言葉を思い出しながらトオルは老人に近寄る。「なんなら」トオルはビンの中から大量にカプセルを拳に固め、「お望み通り進化するがいい!」と言いながら老人の口の中に直接押し込む。
「あぐぐぐぐぐ!おぐ!ふご!」老人は喉を抑え、カプセルを何度もせきこみながら呻く。いい気味だ、とトオルは思いつつ、なにか取り返しのつかない事をしてしまった事に気付き、指先が凍えたような感触がする。老人は「えうっ・・・!」と喉のひっくり返るような悲鳴を上げたのでいくつか飲み込んでしまったらしい。トオルは再び全身が青ざめる。老人は倒れ、「ううううううう!!・・・・うううう!!!」とえづき続けたかと思うと突如青い泡を吹き出したまま急に動かなくなった。さすがに大量に飲み込んだので即効性があったのだろう。老人は全身を破壊され死んだ。
その時、ルリの方から、ぴきっと割れる音が聞こえる。とたんにトオルは憎しみも恐怖も忘れ、枯れたはずの涙が少しずつまた瞼より溢れようとする。トオルは振り返る。
(ルリ・・・!)
ルリの背中は大きく裂けた。まもなく別れがやってくる。別れがきてしまう。ルリだった骸はグロテスクな形で地面にべしゃっと広がる。中に白い塊が現れた。それは立ち上がる。白く気高く大きな羽を伸ばしたルリが、異様なまでに美しい。悲しみを感じる前に、その威光に圧倒され、トオルは思わずひれ伏したくなる。
「ルリ・・・!ルリ・・・!」しかしトオルは這い蹲りながらルリを呼ぶ。ルリはトオルを見て、不思議そうに首をかしげ、微笑を浮かべる。
「覚えてるよね!僕だよ!トオルだよ!」
ハッと思い出したかのように目を見開いたが、それはすぐにまた穏やかな微笑に戻る。そして口を開いて声を出す。
「アーッ!」
嗚咽に似たとても美しい声。もはやそれは言語ではなく鳴き声。トオルは今度こそ、心が消えていくのを感じた。"ルリ"は消えた。その鳴き声を合図にルリは羽ばたき出す。
「ルリ・・・」
ルリはそのまま空に向かって飛び、その姿は高度が上昇するにつれて小さくなるように見えた。向かう先は明らかである。空で輝くヒトムシの饗宴。
「ルリ・・・ルリィィ!!!」トオルは何度もルリの名を呼んで絶叫する。「ルリ!ルリ!ふああああああん!!」そして大きく泣き出す。パトカーの音がする。誰かが通報したらしい。警察が現れる。トオルはビンにカプセルが一錠残ってるのを見てすぐに飲み込む。警察はそれを自殺かと思って身構えたが、トオルがその後も元気そうに大泣きするのを見て、やれやれと首を振りながらトオルの肩を持つ。「あなたがあのご老人を毒で殺したとの通報が来ています。」「署でお話を聞かせてもよろしいでしょうか。」断片的に聞こえてくる警察の声。もうトオルには何がなんだか、わからなくなった。ただ、体の節々が痛み出した事だけ気づき、カプセルの進化促進ウイルスがきいたのかな、もしかしたらルリにまた近づけるチャンスかもしれない、と思って、「ふひ・・・ふひひひ」と笑い出した。警察の表情が一気に眉間にシワを寄せて首を傾げる。「ふははははははははは!ふははははは!」トオルは大爆笑した。笑えば笑うほど、老人に突かれた肋骨が痛むのに、笑いが止まらなかった。ルリの白い姿はもう空の群衆の中にいたが、トオルの視界はすっかり涙と混乱でふやけており、何が起きているのか全く分からない。疲れ切ったトオルは警察に肩を担がれ、パトカーの中に入れられた。
空は今日も、騒がしい。
(そして人は蟲になる・完)
そして人は蟲になる NUJ @NUJAWAKISI
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます