私を殺さないものは、私いっそうを強くする

湖城マコト

痛覚

 彼女は土砂降りの雨に打たれながら、真夜中の路地裏に座り込んでいた。

 外見年齢は10代後半から20代前半くらいだろうか。髪は胡桃くるみ色で肌は色白。服装は薄手の白いワンピースタイプのようだが――


「君は、捨てられたのかい?」

「……はい。主は私を不要と判断したようです」


 彼女の身体はボロボロだった。右腕は関節から不自然な方向に折れ曲がり、左足は折れているうえに、すねから下の皮膚が大きく剥がれ落ちている。一番酷いのは顔の右半分で、右目に至っては完全に潰れていた。その他にも細かい傷が体中に点在しており、正直酷い有様だった。

 もしも彼女がアンドロイドではなく人間だったなら、間違いなく死んでいたであろう。

 

「痛むかい?」


 通常のアンドロイド相手ならこんなことは聞かないが、彼女は例外だと思われる。損傷で動けないだけならともかく、彼女は表情まで歪ませていた。感情プログラムだけならここまで生々しい表情は出来ないはずだ。


「……痛いです」


 やはり彼女は痛覚内蔵型のアンドロイドのようだ。3年前から運用され始めた痛覚内蔵型アンドロイド――通称『ニーチェ』。

 もちろん痛覚のメカニズムは人とは違う。全てはプログラムであり、体の損傷具合によって感じる痛みのレベルが事細かに設定されているだけに過ぎない。

 だが、設定したのが人間である以上システムにはあらも存在する。

 例えば今の彼女は右目が完全に潰れているが、右目が潰れる際の痛みなど想定していないため、見た目の深刻さに反して痛みの度合いはそれ程でも無いはずだ。

 むしろ、間接部や皮膚といった日常でも起こりうる損傷の方が痛みは強いかもしれない。

 

「君の元の持ち主は、相当悪質な人間だったようだね」


 彼女の身体の損傷の理由は分からないが、手当てもせずにこんな路地裏に放置するなど人道に反している。

 アンドロイドにも感情プログラムが備わり、ついには痛覚までも手に入れようかという時代に来ている。そんな存在を物のように捨てる心理は到底理解出来ない。


「とりあえず痛覚を一度遮断しよう」

「そんなことが出来るのですか?」


 管理者以外の人間が痛覚プログラムを遮断することは、本来は専門知識を持つエンジニアでもなければ不可能だ。私自身はエンジニアでは無いが、その辺りの知識には一応通じている。


「大丈夫。心得はあるから。少し肩を開けさせてもらうよ」

 

 右肩にあるメンテナンス用のカバーを開けて痛覚プログラムの遮断しゃだんを試みる。この部分はメンテナンスのために定期的に開放する必要があるため、痛覚は感じない設計になっている。


「よし、これで痛みは無くなったはずだ」

「ありがとうございます。楽になりました」


 彼女の歪んでいた表情が砕けた。とはいえ痛覚を遮断しても体そのものが損傷していることに変わりは無い。修復が必要だ。


「損傷個所の処置をしよう。私の家に招待するよ」

「あなたは、エンジニアさんですか?」

「私はアンドロイドのお医者さんだよ」


 身分を告げると、私は彼女の華奢な体をお姫様抱っこの要領で抱え上げる。


「私、けっこう重いですよ」

「大丈夫。私はけっこう力持ちでね」


 ☂☂☂


「よし、とりあえずの処置は完了だ」


 気が付けば夜が明けていた。

 有り合わせのパーツを使った処置ではあったが、右腕の間接は元通りの可動を取り戻し、脚部は完全修復とはいかないまでも専用の添え木と一部のパーツの流用で安定感を得た。皮膚に関しては彼女に合う種類の物が無かったので、後で仕入れにいかねばならぬだろう。

 問題なのは右目だった。眼球パーツのストックは無いので、損傷した眼球を取り出し、その上から眼帯で覆うことくらいしか今は出来ない。


「どうだい? 少しは体が動くようになっただろう」

「凄いです。有り合わせのパーツだけでここまで修復出来るなんて」


 状況が落ち着いたためだろう。出会った頃よりも彼女は饒舌じょうぜつになったような気がする。


「遮断した痛覚プログラムは、皮膚の修復を終えた後で戻そうと思う。それでもいいかな?」

「……はい」


 彼女の返事は煮え切らないものだった。あれだけの損傷を受ければそれも当然か。


「痛覚を取り戻すのが怖いのかい?」

「……少し怖いです」

「分かった。じゃあ、痛覚を戻すタイミングは君に任せることにしよう」

「……ありがとうございます」


 実際に痛みを感じたのも、これから痛みと向き合っていくのも彼女自身だ。元より私も強制するつもりは無い。


「そういえば、君の名前をまだ聞いてなかったね」

「ナオミです」

「ナオミか」

「あなたのお名前は?」

「私は名乗る程の者じゃないよ。とりあえず先生とでも呼んでくれたまえ」

「分かりました」


 キョトンとしながらも、ナオミは静かに頷いてくれた。


「立ち入ったことを聞くけど、君は愛玩あいがん用のアンドロイドだね?」

「……はい」


 一目見た時からその可能性は感じていた。男心を惹く顔立ちとスタイルをした少女型のアンドロイドが、性玩具として使用されるケースが昔は多かったという。感情プログラムによりアンドロイドが人間に近づきつつある現代ではその行為は法律で禁じられているが、違法な愛玩用アンドロイドの闇市場での流通は後を絶たない。

 一般社会でもまだそれほど普及していない痛覚内蔵型の『ニーチェ』までもが利用されているとなると、人間のごうの深さを感じずにはいられない。


「君の主は、君を痛めつけることに快感を覚えていたんだね?」

「はい。これまでにも何度も愛玩用アンドロイドを痛めつけてきたそうですが、痛みを感じぬ相手では不満だったようです。その点、私はちゃんと痛がるから楽しいと」

「酷い話だ……」


 痛覚を備えたアンドロイドをそのように扱おうと考える者がいるとは嘆かわしい。痛覚内蔵型アンドロイド『ニーチェ』が生み出された理由は、優しさに溢れていたはずなのに。


「先日の行為で主はこれまでで一番激しい暴力を私に振るい、その衝撃で私は一時的に機能を停止してしまいました。再起動した際にはすでにあの路地裏にいましたので、主は私が壊れたのだ判断し、廃棄したのだと思います」

「身勝手な……」


 感情と痛覚を有するアンドロイドの自らの欲望のはけ口にし、不要と判断したら廃棄する。人間はどこまで身勝手で残酷になのだろうか。


「辛い話しをさせて済まなかったね。疲れただろう。少し休むといい」

「先生の方こそ休まれてください。一晩中私を直してくださっていたのでしょう?」

「大丈夫。私もちゃんと休むよ。だから、君も少しお休み」

「分かりました」


 ナオミが一時的に機能を停止するのを見届け、私も休息を取ることにした。


 ☂☂☂


「おはようございます。先生」


 正午過ぎにリビングでニュースを試聴していると、再起動したナオミが姿を現した。処置の甲斐もあり、ちゃんと自分で歩けるようになっていた。


「昨晩は本当にありがとうございました。何とお礼を言ったらいいか」

「お礼なんでいいさ。あれは、私のちょっとした使命感のようなものだから」


 ナオミを呼び寄せ隣の席に座らせた。

 応急処置は終わったが、彼女の身体にはまだ無数の傷が残っている。なるべく早く細かな傷の修復も終わらせてあげたいが、全身となるとなかなか骨が折れそうだ。


「……この人」


 ニュース番組の内容が切り替わった瞬間、ナオミの顔色が変わった。何事かと思い画面に目を向けると、そこには若い女性を殺害した容疑で逮捕された男の顔が映し出されていた。


「この人が、私の主です」

「何だって!」


 思わぬ展開に私は食い入るように画面に見入った。

 報道によると逮捕された男は本日未明、繁華街近くの路地裏に女性を連れ込み暴行。そのまま死亡させたのだという。

 調べに対して男は、『加減を間違えた。人間は脆過ぎる』と供述しているという。


「……いかれてる」


 それ以外の表現を見つけられなかった。自身の欲望の赴くままに行動し、果てには人の命までも殺めてしまう。まるで獣だ。


 これでは、アンドロイドの方がまだ人間らしいではないか。


「大丈夫かいナオミ」

「大丈夫です……」


 大丈夫そうには見えなかった。


「もう少し休んできたらどうだい?」

「そうします」


 ナオミが席を立つのと同時に、私はテレビの電源を消した。


 ☂☂☂


「主が人を殺め捕まったことで、色々と考えさせられました」


 診察台に横たわりながら、ナオミは静かに語り出す。


「例えば?」

「まず始めに、主に殺されてしまった女性に申し訳ないと思いました」

「それは君のせいではない。悪いのは全て君の主だった男だよ」

「悪いのが主であることは私も同感です。ですが、こうも思うのです。私が昨晩、機能を停止せずに主の相手を続けていたなら、殺された女性に被害が及ぶことは無かったのではと」


 報道を見る限り、犯行が行われたのはナオミが廃棄された数時間後ということになる。愛玩用であった自分を失ったことで、主は生身の人間に欲望の矛先を向けたのではとナオミは考えているようだ。


「主の欲望のはけ口になることで世の女性達を守る。きっとそれが、私の役目だったんですよ」

「そんなことはない」

「いえ、きっとそうなんです。私の存在意義はあの男の暴力をこの身に受けることで――」

「そんな悲しいことを言ってはいけない」

「先生には分かりませんよ!」


 ナオミは上体を起こし、声を荒げて私と向き合った。激しい身振り手振りを交え、ナオミは感情を剥き出しにしている。


「何かしら意味を見つけないと自分が分からなくなってしまうんです。あの男から暴力を受ける以外に、私という存在に意味はあったんですか? どうして私には痛覚が備わっているんですか? せめて痛覚が無ければ良かった。痛かった。痛かった。痛かった。暴力はとても痛かった。どうして私がこんな目に遭うのか、いつも考えていました。私が暴力を一身に受けたことで、主の暴力が他の女性に向かずに済んでいた。そうとでも思わなけば、私は私という存在を理解出来ない!」


 心の内をナオミは全てぶちまけてきた。これまで抑え込んでいたであろう感情が溢れ出している。感情を爆発させる今の彼女はアンドロイドなどではなく一人の女性だ。痛覚プログラムは遮断したままになっている。それでも彼女の表情は悲痛そのものだった。心の痛みはプログラムを遮断したところで治まりはしない。


「どうして、私には痛覚が備わっているの……」

「体に障る。激しい動きは控えた方がいい」


 ナオミの手を取り、再び診察台へと寝かせた。


「すみません……先生にこんな」

「君の感情を思えば当然さ。むしろ、心の内を見せてくれて嬉しかったよ」


 ナオミのスカートを捲り上げ、脚の状態を確認する。先程、修復に使うパーツを仕入れて来たので本格的な作業が出来る。


「ナオミ。『ニーチェ』にどうして痛覚が備わることになったのか知っているかい?」

「……分かりません」


 ナオミは困り顔で首を横に振った。


「一般的には、危機管理能力の向上のためだと言われている」


 痛覚内蔵型アンドロイド『ニーチェ』。発表当初は賛否両論ではあったが、実際に世に出ると『ニーチェ』は高い危機管理能力を発揮した。

 これまでのアンドロイドには痛覚が備わっていなかったため、良くも悪くも怖い物知らずだった。そのため危険な作業を行う際に誤って体を損傷するケースが少なからず存在した。

 その点、痛覚を有する『ニーチェ』は事故を起こす回数が激減した。痛みを感じるが故に、失敗し痛みを感じないように努めるためだ。

 痛みという本来は邪魔と思われがちな要素をあえて投入することで、アンドロイドは確かな進化を遂げたのである。


 そして、痛覚を内蔵したことによる効果はそれだけでは無い。


「だけど、痛覚は思わぬ副産物を生み出してね」

「痛みが何を生むんです?」

「優しさだよ」


 『ニーチェ』と関わった人達は皆が口を揃えてこう言う。

 「彼らはとても優しい」と


「痛みを知る『ニーチェ』は周囲に対する配慮がとても上手になったそうだ。例を挙げるなら、階段では自主的に高齢者の補助を行うようになったという具合にね。誰だって痛いのは嫌だ。それを理解したことで、『ニーチェ』は優しくなれた」

「……私は、優しくなんてありません」

「君はさっき、殺された女性のことを思ったじゃないか。あれだって優しさだろう?」

「それは……」

「君は痛みを知っているからこそ、彼女に申し訳なく思ったんだよ。痛かっただろう、辛かっただろうってね」

「私は……」

「君は人の痛みに寄り添えるとても優しいアンドロイドだ。暴力を受けるために存在していたなんて、そんな悲しいことはもう言わせない」

「先生……」


 ナオミの眼には涙が浮かんでいた。アンドロイドが泣けるようになって久しいが、泣くことの大切さを改めて感じさせる。


 ☀☀☀


「痛覚プログラムはどうしようか?」

 

 脚の修復が完了し、私はナオミに問い掛ける。


「繋いでください。今の私なら、痛覚とも向き合える気がします」

「分かった」


 痛覚プログラムを繋ぎ合わせるために肩のカバーを外す。


「先生……」


 作業中の私にナオミは不安気な顔で語り掛けて来た。痛覚を繋ぎ直すのが怖いのかとも思ったが、彼女は不安はまったく別の理由からだった。


「……これから私は何をすればいいんでしょう」


 確かに、自由を得た直後に新たな道を模索するのは難しいだろう。

 彼女を修復した者としての責任もある。


「じゃあ、しばらく私の仕事を手伝ってみないかい?」

「先生のお仕事。お医者様ですか?」

「アンドロイド専門のだけどね」


 自慢では無いが個人から企業まで仕事の依頼はそれなりに多い。最近は一人では手が回らなくなってきたし、助手がいてれたらありがたいと、前々から思っていた。


「やらせてください。まずは、先生のお役立ちたいです」


 ナオミの表情は活き活きとしていた。彼女が本当にやりたいことを見つけられるまでの間、居場所を提供してあげようじゃないか。


「まずはナオミの身体を万全にしないとね。三日もすれば眼球パーツも手に入りそうだし、今週中には全快させてあげるよ」


 私の言葉を受けて、ナオミはとても嬉しそうに笑ってくれた。


「先生。一つ聞いてもいいですか?」

「なんだい?」

「先生はどうしてアンドロイドのお医者さんになったんですか?」

「痛みを理解し、優しくなれたからかな」

「先生。もしかして?」

「その話しはまた今度ね」


 私は悪戯っぽく笑ってその場は誤魔化し、ナオミの痛覚を繋ぐ作業に戻る。

 製造番号一桁代の先輩であることは、また改めて教えることにしよう。




 了

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