取り立て
平居寝
第1話
土砂降りの中で、麻生は路肩に立って手を
振っていた。丸山が車を寄せて停めるとすぐ
に助手席に飛び込んできだ。
「悪いな」丸山は後ろの座席から手拭を取る
と麻生に渡し、車を発進させた。麻生は手拭
で額の雨粒をぬぐう。「どうしたんですか?」
「病院から連絡だ。あの子が消えたらしいん
だが、どうにも要領をえんのだ」
「消えた? 消えたって…」
「俺にも分からん。これから病院に行く。そ
れで、そっちは?」
麻生はジャケットの内ポケットから取り出
した手帳をめくった。「火災現場から発見さ
れたクレジットカードですが、持ち主の姓名
は近田杜雄、四十五歳、都内在住でした」
「四十五歳? じゃあの仏さんは誰なんだ?」
「それが…」麻生は手帳に挟んであった写真
を取り出した。「近田さんの御家族から借り
てきたんですが…」
麻生は写真を運転席の丸山に向けた。
丸山は写真へチラッと視線を移した。「な
んだ、あの仏さんじゃないか」
「いえ、近田さんの父親です。10年前に六十
五歳で亡くなってます」
「何だっ」赤信号で車を停めると丸山は写真
をひったくり、食い入るように見つめた。
昨夜遅く、古い住宅街でアパートが半焼す
る火災が起きた。出火場所とおぼしき部屋か
らは男性の遺体が一体発見され、アパート近
くの路上に小学生ぐらいの男の子が倒れてい
た。身元が確認できぬまま男の子は警察病院
に収容され、事件性の有無を確認すべく所轄g
署から丸山と麻生の両刑事が派遣されたのだ
った。
丸山は焼け跡から運び出された遺体の顔を
思い出した。運良く焼け焦げずに済んだその
顔は皺だらけで禿げ上がり、どうみても六十
歳を越えているように見えた。写真に写る男
の顔は確かにあの遺体に似ているが、本当に
同一人物かと言われると確信は持てない。
「…で、その近田杜雄というのは?」
「はい、近田杜雄さん四十五歳。3ヶ月前、
入院していた都内の病院から居なくなりまし
た。末期ガンでした」
「末期ガン?」
「居なくなる当日、杜雄さんの親戚だという
二十歳ぐらいの男が尋ねてきましたが、御家
族に心当たりはないそうです。その30分後に
看護士が病室を覗いてみると二人とも消えて
いました」
「誰も二人を見ていないのか?」
「ええ。病室には二人の服が残されていたそ
うです。杜雄さんのクレジットカードが入っ
た財布がなくなってました。御家族は心配し
てカードを停止しませんでした。それと病室
には、杜雄さんの歯が落ちていたそうです」
「は?」
「ええ、歯です。杜雄さんは入院前に歯の治
療を受けていて、セラミック製の義歯を入れ
てました。その歯が病室に落ちてたんです」
「どうなってるんだ。で、アパートの方は?
部屋を借りたのはその近田杜雄だっのか?」
「それがまた、」と麻生は言葉を濁した。
「なんだよ」
「部屋を借りたのは三十代ぐらいの男で、不
動産屋に出した書類はデタラメでした。管理
人に聞いてその男の似顔絵を作ったんですが、
それがまた、ちょっと」
「なんだよっ、どうした」
「それが…その似顔絵を杜雄さんの御家族に
見てもらったんですが…若い頃の杜雄さんに
そっくりだというんです」
「なんだそれはっ。御前ふざけてるのか?」
丸山は思わず声を荒げた。
「僕にも訳が分かりませんよ。その若い頃の
杜雄さんにそっくりな男は、杜雄さんが病院
から消えた2日後に現れて部屋を借りてます。
それから火事のあった昨夜まで3ヶ月間、特
に問題もなく暮らしていたそうです。両隣の
住人も特に変わったことはなかったと言って
ます」
「で、火災当日の様子は?」
「向かって右隣の部屋に住んでるのは風俗嬢
なんですが、夜の10時ごろ出かけるので部屋
の前を通った時、ドアが開いていて争うよう
な声が聞こえたそうです。それで中を覗くと、
1人はその部屋の借主、もう1人は借主と同
じくらいか、もう少し歳上の男性だったそう
です。2人は『早く払え』とか『今は払えな
い』とか言っていた、と」
「火災発生は11時頃だったな」
「ええ、その前後1時間と推定されてます」
「部屋の中に居たのは借主の男とあの仏さん
じゃなかったのか? あの子供はどこから来
たんだ?」
「管理人の話ではあの遺体と収容された子供
に該当する居住者はいないということです」
丸山は車を脇道に入れ、ほどなくして警察
病院に着いた。
受付で用件を告げるとすぐに院長が現れた。
「一体何があったんですか?」
「それが、私にはなんとも…」狼狽している
様子の院長は、語らぬまま二人を院長室に案
内した。
院長室の応接ソファには、小学生ぐらいの
女の子が掛けていた。入院患者用の浴衣を着
て不安げな表情を浮かべている。
「こちらは…」と麻生が問うと、院長はさら
に困ったように目を伏せた。
「…あの少年を担当していた看護士です」
「え? どういうことですか」
「私にもどう御説明したらいいのか分からな
いのです」院長は、部屋の隅にあるテレビモ
ニターのスイッチを入れた。「ともかく、こ
ちらを見ていただけますか。御判断はお任せ
します」
ディスクを取り出した院長はテレビの下に
あるデッキにセットした。
「病室に取り付けた監視カメラの記録です」
モニターに映像が写った。病室内を天井近
くから捉えている。画面の中央にはベッドが
あり、昨夜発見された少年が横たわっていた。
しばらくして若い看護士が画面内に現れ、
体温計を持ったその看護士の手が少年に近づ
いた時だった。眠っているように見えた少年
が急に跳ね起き、看護士の腕を両手で掴んだ。
「・・・・・・・・・・・・・・」麻生も丸山も、自分から
喋るのをためらうように黙ったままだった。
「病院を中心に非常線を張れ」やがて丸山が、
決心したように呟いた。
「でも、どうするんですかこれ」麻生はまだ、
自分が見たものを信じたくない表情のままだ。
「事件の詳細を唯一知り得る身元不明の子供
が病院から消えた。理由はそれで充分だろ」
丸山は麻生を見据えた。「子供を連れ去った
と思われるのは二十代半ばの男性。子供を何
処かに隠し、一人で行動している可能性が大
きい。男の顔は…このビデオに写ってる」自
分自身に言い聞かせるように丸山は喋り続け
た。
「指紋は…取れるよな。病室で採取したのと
逃げている男の指紋を照合すりゃいい」苦々
しい表情のまま丸山は続けた。「指紋は歳取
っても変わらないんだから」
取り立て 平居寝 @hiraisin
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