Talking with Dead

花木理葉(HANAKI Riyou)

…………。

Talking with Dead:死者とおしゃべりする、という意味

・では、誰が死者なのでしょうか

・当たっても、ハズレても、何も出ません。お化けも。



 カップの中のコーヒーみたいな緩やかさで、体温は下がっていった。蒸し暑い夜だ。あまりおしゃべり向きの日じゃないな、と多嘉子たかこは思った。

 湿気が髪の毛を、うねうねと波打たせる。髪留めをすればよかった、と後悔した。たまに頭が揺れると、頬にはりつく。それを払うのすらダルい。

「もうきみは自由なんだ。こんなところにいないで、好きなところへ行けばいいじゃないか」

 くたびれたように駿一しゅんいちが言った。うつむく顔から、表情は読みとれなかった。

 息子のまひるは、となりで静かに眠っている。ときどき、にぎった手のひらが弛緩したり、力んだりしている。いったいどんな夢を見ているのだろう。多嘉子は眠っているとき夢を見ない。だから、その感覚がよくわからなかった。

「まひると一緒にね」

「あんなにうとましがってたじゃないか」

「あなたが面倒をみないからでしょ! 家に帰ったらご飯があるのが当たり前だと思って! 冗談じゃないわよ。あなた、まひるの好きな食べ物、知ってるの!?」

 思わず大きな声が出てしまうのを自覚しながら、多嘉子はとめられなかった。そういう風にできているのだ。

「知ってるよ。俺だって、ご飯を食べさせた。こいつは偏食だから、将来きっと苦労する。おまえそっくりだ」

「はあ!? なにそれ」

「きみが抱っこしていると、まひるは泣きどおしだ。俺は違う」

「それは……」

 くやしいけれど、その通りだった。多嘉子が抱くと、火がついたみたいに泣き出す。未知の生物にしか思えなかった。まひるのことなど、何もわからない。でも、まひるだってそれは同じだ。駿一だってそうだ。

「それがなんだっていうのよ」

「いいや。なんでもないさ。そんなことぐらい」

「じゃあいいじゃないの」

 多嘉子の溜飲が下がる。勝った、と思った。

「俺が言いたいのは、そんなことじゃないんだ。頭でっかちなのは、きみの悪いクセだ」

「わたしがバカだって言いたいわけ?」

「そうじゃない。視野を広げた方がいい、と言いたかったんだ。一番最初に頭に浮かんだからといって、それに引きずられる必要はないんだよ。もっと別の選択肢だってある」

「あなたこそ」

 なによ、自分がそうすればいいじゃない。

 駿一はすぐ自分のことを棚に上げてしゃべる。それはわたしのことじゃない。鏡が必要なのは、おまえだろ。

「人にどうこう言う前に、自分が視野を広げたら?」

「悪かった」

 駿一が片手を挙げる。降参のポーズ、ということらしい。

 バカにされているような気がして、神経にさわる。

「だったら初めからいわなきゃいいのに。そういうわざとらしいとこ、いつまでたっても変わらないね」

「お互いさまさ。きみだって、結局変わっちゃいない」

「まひるがいれば変わるわ」

「違う。まひるが、きみに、変えられてしまうんだ」

「あなたのそばにいるよりマシよ」

 駿一が顔を上げる。

 彼は多嘉子の方を向かず、ただ前を見た。

「……どちらがいいなんて誰にも、まひる本人にだってわからない」

「まひるにはわからなくても、わたしにはわかってる」

「親の傲慢だね」

「傲慢なのはあなただけ」

「そういうところ、うらやましいとすら感じるよ」

 はいはい、そうですか。永遠にうらやましがってろ、と多嘉子は思う。口に出して、負け惜しみっぽく受けとられるとイヤだから黙っている。

「それに、わたしもまひるの親だから」

「きみは産んだだけ。親と名乗れるほどのことはしてない」

「産んですらいないくせに」

「俺はきみみたいに、気に入らないからといって息子を怒鳴りつけない。腕もつねらないし、チラシの紙で頭もはたかない。夜に幼い息子をひとりっきりで家に放置して、飲み歩きにいかない」

「まひるにはしつけが、わたしには息抜きが必要なの」

「逆じゃないのか?」

「この………っ!」

 腕を振り上げ、多嘉子はきつく駿一を睨む。けれど、にぎったこぶしが彼へ振り下ろされることはなかった。

「少なくとも、まひるに必要なのがあなたじゃないのは確かね。そういう態度が身につかないよう、これからは、わたしがそばにいてあげなくちゃ」

「息子には父親が必要なんだ。そばにいてくれる父親が」

「ええ。あなた以外の、ちゃんとした父親が必要ね」

「父親は一人で十分だ。母親は何人いてもいいが」

「まひるがあなたみたいにならないよう、やっぱりわたしがそばにいなくちゃ。強くそう思ったわ」

「十分後には弱まって、一時間後には忘れてるさ」

 辛抱強く、多嘉子が言う。

「わたしいま、かつてないほどの愛情をまひるに感じてるの。あなたにはわからないでしょうね」

「俺はずっと感じてた。にわか仕込みと一緒にしないでくれ」

「ずっと? あなたのいうそれって五分前?」

「もしかしたら、きみは五分前に生まれ変わったのかもな。悪い方へ」

「とにかく」

 このまま駿一とやりあっていても、らちがあかない。まひるを連れて行かなければ。別に駿一に会いたくて、こうしているわけではないのだ。

 多嘉子はできるだけ、冷静に考えられるようつとめた。まひるが見ている。たとえ眠っていたとしても、子供というのは親を感じているものだ。

「まひるは連れていくから」

「きみのそばにいたら、まひるは永遠に大人になれない。俺が育てる。二度と邪魔はさせない。酒臭い女のそばになんて置いておけない」

「ふっ」

 多嘉子はつい鼻で笑ってしまった。まひるが産まれてから、自分でも柄が悪くなった気がする。でも悪態をつくくらいでないと、世の中やっていけないのだ。

「何がおかしい」

 駿一に睨まれて、多嘉子は口を開いた。

「今日は一滴も飲んでないの。出会ったその日から酒浸りだったあなたと違うのよ」

「泥酔してるようにしか思えないことばかり言っている」

「それはそっちでしょ。いいから、まひるを返して」

「それは無理な相談だな」

 ひょうひょうと駿一がいう。彼のすかした態度が、多嘉子の堪忍袋の緒を切った。

「ふっ……ざけんな! もう限界。帰るわ!」

 多嘉子の怒鳴り声が、うわんうわんと響く。

 まるで耳元で他人がわめいてるみたいだと、彼女は思った。

 眠る息子に手を伸ばし、抱きかかえる。

「もうそっとしておいてやれ。まひるの眠りを妨げてやるなよ」

「うるさい!」

「こんなに安らかに眠ってるのに。おまえはいつもそうだ。何も見えちゃいない」

「うるさい! うるさい! うるさい!」

 すっかりまひるは縮こまって、冷たくなっている。かわいそうに。早く連れて帰って、あたためてあげなければ。

 駿一が大きくため息をついた。

「わかったよ。そんなに連れていきたければ、そうしろ。ただし、必ず病院に連絡しろよ。今夜中にだ」

「必要ないわ」

「嫌ならまひるは渡さない」

「……わかった」

 いかにも渋々といった様子で、多嘉子が受け入れる。しかしその場しのぎのポーズだと、はた目にも明らかだった。

「もし明日までに病院に連絡しないときは、俺がやる」

「ふん。あなたに何ができるっていうの?」

「そのくらいはできるんだよ。現にまひるをここまで連れてきた」

「……たまたまでしょ」

「今すぐにでもできるが、猶予をやる。せめてもの情けだ」

 多嘉子が舌打ちをする。

 もう、どうにもできなかった。諦めて、これからのことを考えるしかない。

 ふと、あるひらめきが多嘉子へ舞い降りた。

「なかったことにする。あなたとのことも、まひるも、ぜんぶ」

「どういう意味だ」

「そのままよ。あなたも、まひるも存在しない。そういうことにする。この手で」

「バカなことはやめろ。おまえのためを思って言ってるんだ。どうせろくでもないことを考えてるんだろ」

「大丈夫よ。あなただってまだ見つかってないじゃない。どうにでもなるわ」多嘉子は両手をぱちんと合わせた。「そうと決まれば、こうしちゃいられない。すぐ準備して出直さなくっちゃ」

「まひるがかわいそうだと思わないのか!」

 駿一の怒鳴り声は、小さすぎて多嘉子にしか聞こえない。

「別に。まひるなんて子、どこにもいないんだから。それにみんないつかは土に還るものよ。だったらわたしが直々に弔ってあげる」

「くそつ! なんてやつだ」

 くやしがる駿一を尻目に、多嘉子は歩き出す。背後で彼は、諦めたみたいに言った。

「またな、多嘉子。どうやらすぐにでも再会できそうだ」

 最後まで負け惜しみなんて、どうしようもない男だったと多嘉子は思った。

「人はそう簡単に、土へ還らないらしい」

 それきり彼が沈黙する。

 彼女はもう振り返らなかった。

 けれど駿一の言葉の真意を、善意の第三者によって、多嘉子はすぐに知ることとなった。対面した駿一を見て、彼女は自分の息子そっくりの顔つきをしている、と思った。

 それが多嘉子をどうしようもなくイラつかせたのは、言うまでもない。

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