雲の世界

ドアの向こうは、雲の世界だった。

雲の世界。

天国。

「どうかしら?死の世界は?」

「うん、悪くないと思う」

「気分悪いです、っていわれても困るんだけどね?」

「はあ・・・」

さて、とミユキは振り向いた。

「あなたは、今からひとつの旅をしなくてはいけません」

「え?」

「旅。死後の旅。」

「はい・・・?」

「そもそも、死後の世界の住民がすることであり、根本的なルールはたったひとつ。苦しんではいけない。」

ミユキはまじめな顔をしていた。

「だから、簡単に言えば・・・」

「?」

「ずっと気持ちよく、心地よくいなくちゃいけないの」

沈黙。

「そのまんまの意味。人によっては、そういう感情を感じる方法って、色々あるわよね?ずっと食べていたい人。あるいは、ずっと眠っていたい人。ずっと本を読んでいたい人、喋っていたい人、遊んでいたい人。それから、えっちなことをしていたい人」

「あ、ああ・・・うん」

「そういう事をするの。この死の世界でね。で、あなたがこの世界ですべきことを、色んなそういう人たちだとか、この世界の隅々まで見ていって、あなたがここでなにをするべきなのか、考えなくちゃいけないの。それが死後の旅」

「へえ・・・。」

「これ、って決めたら、ずっとそれしかできないから・・・。この旅は非常に重要。わかるわよね?」

「・・・うん、ほんのちょびっとだけ」

僕はなんでこんなに幼い喋り方なんだ?

体と喋り方がマッチしている。思考が追いついていない。

視界の端でお花畑と噴水が見えた。

「そして、私があなたの補助係、『魂の癒やし人』。要は天使。」

「天使・・・」

「そう、天使よ。私が、天使。あなたがしたいこと、望んでいることは私が全てかなえてあげる」

「本当に?」

「ええ、本当に。それが私の役目だから。」

「へえ・・・」

「だから、言ってね?のどが渇いた、お腹が減った、なんでもいいから」

「わかった」

「まあ、きっとそんなことは無いと思うけどね」

「やっぱり?」

「やっぱり、ね」

少女は雲の上を歩き始めた。

僕もそれについて行った。

後ろに違和感があったので、少し振り返ってみると、さっきまでいた部屋のドアはなくなっていた。

まったく、便利なものだ。

「これからどこへいくの?」

「まずは、歓迎の泉。そこで、あなたはその湧き水を飲まなくてはいけないの。」

「ええ?」

「そうしないと、消えちゃうわよ?」

「・・・ええ?」

「本当に。魂も何もなくなっちゃうの。」

「それは飲まなくちゃいけないな」

「・・・でしょう?」

少女は本当に、落ち着いた声と落ち着いた表情で、容姿をはっきりとみなければ、大人そのものだった。なんというか・・・母性的。

無邪気さの欠片もない。逆に、無邪気な光景をみれば嬉しそうに笑ってくれるタイプだろう。

大人びていた。

さっきまで僕と少女だけだったが、歩いていると、結構人とすれ違うことがあった。

「あの人達はね、みんな、この世界の仕事をしている人たちなの。魂を運ぶ人、水を運ぶ人、魂を癒やす人、それを育てる人、あと色々」

僕が不思議そうにしていた様子を察してか、少女がおしえてくれた。

「魂を癒やす人、っていうのは、組み合わせが決まっているの?僕には、ミユキとか。そういう・・・シフト的な物が?」

「ううんと・・・。難しい話ね、それは。生の世界の人が、死期が近づくと、死の世界に魂の一部が、送られるの。」

「ふううん」

「そして、それを魂の運び人が拾って、それをあのお花畑に蒔くの。」

少女がお花畑を指さした。

「へえ・・・」

「そう。そこに水をまいていると、私たちが生まれるの。・・・まあ、つまり・・・、私はあなたの一部だったの。魂の、一部。」

「へええ」

「驚かない?」

「驚かないよ」

「・・・まあ、そういうことね。だから、シフトが決まっているのか?って言えば、その答えはイエス、だってあなたの一部だから。そういうことになるわね」

「ふううん」

「そんな風に、旅の途中はなんでも聞いて欲しいわ。」

「・・・努力してみるよ」

「本当に?」

「たぶん」

少女はいかにも愉快そうに笑った。

「ところで、その旅の途中は、こんな風にしてずっと歩き続けるのかな?」

「いいえ。歓迎の泉の水を飲めば、雲を自在に操ることができるわ。それを乗り物にして移動するの・・・ううんと、孫悟空みたいに」

「ああ」

「わかる?」

「君は、操れないの?」

「私もまだ、泉の水は飲んだことがないわ。」

「味、あるのかな?」

「あるといいわね。」

僕は少し疲れてきた。案外、遠いのだ。

だいたい、雲はふかふかとしていて、進みずらかった。

「あと、もう少しだから、あともうちょっとだけ頑張って」

「ありがとう」

そんな僕の疲れた様子を見て、少女は応援してくれた。

噴水が見えてきた。

「ふう・・・。あれよ。あれが、歓迎の湧き水。」

「へえ・・・。ほんとうに、湧き水なの?」

「・・・知らないけど、そうなんじゃないかしら?」

僕らは噴水のところまでたどり着いた。

案外、普通の噴水だった。

「かなり、澄んでいる。綺麗だ。」

実際、噴水の底まですっきりみることができるくらい、綺麗な水だった。

水道水でないことは確かそうだった。

「じゃ、飲みましょう?」

少女がコップを渡してきた。

僕はそれを受け取り、綺麗なその水をくみ取った。

「綺麗だ。」

「本当に、綺麗ね」

そのコップを見ていると、心が純粋に洗われそうだった。

透き通っている、何も汚れていない、透明の水・・・。

吸い込まれそうだ。

「くんだ?」

「ああ。汲んだよ。」

「じゃ、それ貸して。そしてこっちを飲んで」

少女が汲んだ方の水を僕によこした。

「これには、意味があるんだろうね?」

「もちろん。お互いが汲んだ方を飲まないと、問題アリなのよね」

「じゃ、のむよ?」

「どうぞ」

僕はコップを掲げて、そして口をつけた。

冷たかった。だから、僕の体内を通っていくその感じが直に伝わった。

隅々まで通っていった。

味はない。だけど、おいしい。

僕は一気に飲み干した。

少女も、ごくごくと飲んでいた。

「案外、おいしいのね。これ。」

「そうだね。僕も正直、びっくりした。見ているだけで心が洗われそうだったけど、飲んだらもっと洗われたよ」

「良いんじゃない?生の世界は、きっと汚いところだろうしね」

「その通りさ」

僕はもう一杯飲もうと、コップで汲み上げようとしたが、どういうわけかコップが手の中になかった。

「あれ?」

「どうしたの?」

「コップが、ないんだ。」

「ああ。これね、一度しか飲むことができないの。」

「ええ?」

「水が飲みたいなら、別にも水があるんだけど・・・きっと、この水には劣るわね」

「ええっと・・・それだけ、この水は特別なの?」

「特別よ。確か、この水だけは湧く場所が違っているのね。」

「へえ・・・残念だなあ。」

「そんなことより、あなたはもう雲を自在に操れるはずよ。操ってみたら?」

僕は、試しにかがんで雲を掴んでみた。

掴める。

そしてその掴んだ雲を少し投げてみた。

飛ばされた雲は少し飛んで、そして消えていった。

しろい、雲。

「自在に操れる、というと少し語弊があるかもね」

少女は言った。

「雲の下はどうなってるんだろう?つまり、雲を掘り続けたら?」

「何があるのかしら。とっても素敵な場所に違いないわ。」

「君・・・・」

「なあに?」

「知らない事が多くないか?」

「・・・まあね」

少し遠くで話し声がした。

ミユキより少し高い声の少女の声がした。

「最近、死ぬ人って多いのよ。なんでかしら?」

「何でだろうね。みんな、生の世界が嫌になるんじゃないかな?」

「あなたって・・・」

「なんだい?」

「なんでもないわ」

「さて、この泉が混んでしまう前に、ここを離れましょう?」

そうするべきだ。



「ねえ、また歩くの?」

「もう歩かない。実は、この雲、途中で途切れるのよ。」

「え?」

「途切れるの。底なし沼っていうか・・・。」

「じゃ、雲の下には何もないんじゃないか」

「まだその話してたの?」

「うん。」

「とにかく、そこから雲を少しちぎって、そしてそれを乗り物にするの」

「どれくらいの広さになるの?」

「千切りたいだけ、千切ればいいだけだけど・・・。そうね、六畳ぐらいあればいいんじゃない?」

「ワンルームだ」

「そうよ、そんなもん」

少女は進んでいって、やがて立ち止まった。

「ここが、その雲の乗り場。」

「わあ・・・」

雲の下を覗いてみた。

そこにはずっと、下が続いていた。

底なし・・・。

「これが、いわば発着場。ここで雲をちぎるの。さあ、ちぎりましょう?」

「うん・・・」

雲を、ちぎった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

少女という天使 梯子田ころ @ninjin32

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ