少女という天使

梯子田ころ

僕はそっと、目を開ける。


僕は、そっと目を開ける。

みたくもない請求書を見なければならない時のように。

目映い光が目に飛び込んでくる。案外、単調な色が続いていることを把握する。

・・・ここはどこだ?

僕は思う。

あたりをキョロキョロとしてみる。

何も見えない・・・?

いや、そうではない。

ここは真っ白な四角い部屋。見渡す限り空っぽな、何もない、真っ白な部屋。

僕は死んだのだ。僕は死んだ。

なんで死んだんだっけかな?

頭がズキズキと痛む。今、考えごとをするのはよくないようだ。

僕は自分の体をみてみる。

傷ひとつない。それどころか、なんだか体つきが若い。若い、というよりなんだか幼い。

成長期の少年のようだ。

全身をパワーが駆け回り、それでも発散させなければならなかったあの頃。

エネルギーが爆発していた、あの頃。

服装は僕があの頃好んで着ていた、部屋着のジャージ上下だ。学校から帰ってくると、一目散に制服を脱ぎ、この愛しのジャージに着替えていた。

懐かしいな、もうかなり前のことだ。

「あら、起きたのね?」

優しい、諭すような、甘い声がする。

僕は声の方を振り向く。

「いらっしゃい。天国って、案外想像通りでしょう?」

少女は言った。

綺麗な少女だ。

年齢は13、4歳と思われる。

胸は膨らみ始めたばかりで、足つきも幼い。髪型はショート。動く度に白いワンピースがなびき、ふんわりと女の子の、優しいにおいが香った。

華やかなお花畑に咲く、美しい一輪の花だ。

お花畑がドアの向こうに広がってたらいいのにな、とか呑気なことを考えて、少し笑ってしまう。

「うん。あなたで間違いないわね。楠本マサユキさん。」

少女は微笑んだ。

少女は右手にキャンパスノートを持っていて、鉛筆で何か書き込んでいた。

僕が不思議そうにみていると、

「これが気になるのかしら?」

と可笑しそうに笑った。

「これはね、いわゆる、えんま帳って言えばわかるかな?あなたのあらゆる情報がここには記してあるの。」

僕は感心して頷いた、

「喋っても大丈夫よ?別にここは私語厳禁じゃないんだから」

「・・・そうだね」

そうだね、これが僕が天国で発した第一声。

もっと感動的な言葉がよかったと、僕は後悔する。

「ちょっと見てみる?」

「それ、僕が見ても・・・大丈夫、なのかな?」

「ほら!」

少女はノートを広げ、僕の方へつきだした。

僕は思わず目をつぶった。

「目、開けてみなさい?」

僕は恐る恐る目を開けた。

まっさらな、新品のノートだった。

学生時代の、講義をロクに聴いてなかったころを思い出す。

「これは、私とあと、神様しかみることができないの。あなたにだって見えない。生の世界なら、きっと裁判沙汰よね」

「ところで・・・えんま帳って、地獄の番人が持ってるんじゃない、の?」

「ここが地獄でない根拠はあるのかしら?」

「だって、君は、さっきここが天国だって・・・。」

「ふふっ、言葉の綾ね。ごめんなさい」

少女は笑った。

「ここは死の世界。生の世界の対極にある。後になれば解ると思うけど、ここが天国になるか地獄になるかは、あなたにかかっています」

少女は宣告した。

「今私がしている作業は、あなたが死の世界にやってきたことを登録してるの。ちょっと待てってね・・・」

「あ、いや、全然まつよ」

少女はサラサラと鉛筆を動かした。

「えんま帳とあなたの魂を、生の世界から死の世界へ運ぶのは、『死の運び人』っていう係の人なんだけれど、最近は仕事が適当すぎるの。悩みどころね」

「はあ・・・。」

「それじゃあ、はいっと・・・。これで登録が完了したわ。あなたもこれで死魂の仲間入り。ようこそ、死の世界へ」

「はあ・・・。」

「私が、あなたの使い、ミユキよ。」

「ミユキ、さん」

「ミユキでいいのよ?」

「じゃあ、ミユキ。」

「うんうん。それでいいの。」

少女は鼻歌を歌った。

鼻歌を歌いながら、左手にもっていたはずのキャンパスノートがなくなって、代わりに鍵を持っていた。

「じゃ、ドアを開けるから、少し下がっていてね?」

大きな地鳴りがする。地鳴りで全ての会話が途切れる。

「ひとつ、聞いても――――?」

「駄目。このドアの外に出たら、だよ。それまでは、何も聞かないで?」



僕は、死んでいる。

全くもって、確実に死んでいる。

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