紫乃(シノ)
ここに来るのは何年ぶりだろうか。
入り口前の広場で立ち止まって見上げる。
白い壁は汚れひとつなく、長い年月を感じさせない。
魔法書庫。
過去の大魔法使いたちが残した貴重な書物が、全てここに集められている。
そして、二百年前の争いの元凶がここにあった。
階段が数段。登りきると、大きな扉が現れる。扉全体を埋め尽くす魔方陣は、三大魔法使いのひとり、ロヴェールが描いたもの 。書庫に災いをもたらすと判断されれば、建物全体に鉄壁の防御魔法が発動される。
扉を抜ける。
私は災いとは判断されなかったようだ。
「久しぶりだな、紫乃」
入ってすぐ、あまり会いたくない男が立っていた。
霧野 ナギ。
魔法書庫の最高責任者。
私が来ることを知っていたようだ。
「ご無沙汰しております、ナギ様」
一礼する。
「今日はどういった用件で?」
問われる。
あまり目立った行動はとっていないけど、どこからか情報が漏れているのかもしれない。
私が『魔眼』について調べていることを。
「古代魔法について、少し調べたいことがありまして」
ほう、とナギ。
「君が古代魔法に興味をもつとは、意外だな」
「偉大な先輩方にご教授して頂きたくて。何かヒントが見つかるかも知れませんし」
ナギの表情は変わらない。
天草家の魔法は特殊で、魔力を糸のように細くして実体化させることが出来る。古代魔法とは全く別方向のものだ。
当然、ナギは私の言葉が嘘だと分かっている。
「案内人はいるかい?」
首を振る。
「では、ごゆっくり」
軽く一礼して振り返るナギ。
幸い、監視はつけないようだ。
書庫は魔法の種類や年代でそれぞれの棟があり、古代魔法は最奥の棟だ。そこの一角に、建て替える前の壁が残されている。
私はその壁を目の前にして、新ためて過去の偉大な魔法使いに脱帽する。
壁一面には、魔法の術式や魔方陣、魔法文字が描かれているが、未だに解析されていない。何のためのものなのか、全く分からないのだ。
分かっているのは、この壁の向こう側に隠し部屋があって、『魔眼』が保管されていた、ということだけだ。
人はその壁を『キリノの遺産』と呼び、未来の我々に解明出来るか試しているのでは、と言われている。
おそらく彼はこれを解読した。だから魔法世界を去った。
霧野 静。
この世界で私が唯一認めた魔法使い。
彼はここで何かを知り、何かをするために現実世界へ行った。私はそう確信している。
ここに来たのは、彼が知った何かを得るため。恐らくは、壁の向こうにある隠し部屋に何かがある。向こうに行くには、壁に描かれた魔法文字を解読しなければならない。
私には出来ない。だから静とは違うアプローチを考えた。
念のため、近くに誰もいないか気配を探る。やはり監視されていない。私が『魔眼』について調べているのを知っていて、この対応。暴かれないという自信なのか。
甘いな。
かつて魔法世界を治めていた天草家を 卑下しているとしか思えない。
壁の前に立ち魔法を発動する。
魔力を糸のように細く変化させて、壁に触れる。魔法による障壁はないが、壁の向こうへ侵入することは出来ない。さらに細くしてみる。すり抜ける程の隙間はあるが何かが邪魔をする。
なるほど。
これは暗号によって開くタイプのものか。『魔眼』の真名と同じく、発音も記憶することも出来ない言葉がカギとなっているようだ。
これを静は解いたのか。
彼は霧野家のなかで、特別魔力が強いわけじゃない。弱い魔力を補う知識と独特の発想で、天才と呼ばれた努力家の魔法使い。
敵にまわすと厄介な男だ。
それでも私は『魔眼』の秘密を暴き、魔法世界で権力を 手に入れたい。
魔力の糸を壁全体に張り巡らす。それに術式を加えて解析を始める。
・・・四文字、五文字?
言葉が浮かび上がるが記憶に残らない。
仕組みを解析する。
記憶に残らないなら方法を変える。
魔力 を眼に集中させて、映像で読み取る。
ル・・・ル・・・
発音は出来るようだ。
「ルヴェーラ」
言葉を口にした途端、壁の魔法文字が動き出した。文字が生き物のように動いて、配列が組み換えられる。同時に、魔力の糸が壁の向こうへすり抜ける。
成功だ。
やはり壁の向こうには部屋がある。糸を部屋全体に伸ばす。
何もない。
でも、わずかだが魔力の痕跡がある。
意識を集中する。
残された情報が私のなかに入ってきた。
どうせ戦うなら、彼が最高の状態で 完膚なきまでに叩きのめしたい。クラン家の末裔を探させながら、霧野 静の居所も調査した。
現実世界の人間は、魔力をほとんど持っていない。いくら押さえ込んでも、魔力感知に優れたドアノブ型の使い魔が、彼らを見つけるだろう。
ハンマ、ヘイマ、リュウマ。彼らを雇い、百人単位で現実世界へ送り込んだ。
彼らはよく働いた。クランの末裔は山奥の小さな街に住んでいた。霧野 静を見つけたという情報は入らなかったが、百人単位で送った彼らは十数人に減った。
現実世界の人間が魔法使いと戦えるはずがない。
なんの痕跡も残さず、彼らを倒せるのは魔法使いしかいない。
彼に会うのが楽しみになってきた。
クランの末裔と接触したが、『魔眼』は持っていなかった。若い世代に継承したようだ。生き残った彼らを全員そちらへ仕向ける。
『魔眼』を継承したクランの末裔を発見し、静と接触したという情報が入った時、彼らは三人にまで減っていた。さらに五十人雇う。
十人をひとつのグループとし、私の策を持たせて襲ったが、末裔を守る静には通用しなかった。
私の計画を邪魔する敵だが、期待以上の戦いぶりに嬉しくなった。それでこそ私が見込んだ男。
もう限界だな。
天草家のなかでも、選りすぐりのメンバーを集めて、現実世界へ向かった。ギルドを通さない部隊派遣は極刑だ。
『魔眼』を手に入れれば関係ない。
異界へつながるドアを前にして、私の心は踊っていた。 こんなに戦うことが楽しみなのは久しぶりだ。
二十五年生きてきた全てを賭けて、彼と対峙しよう。
彼は強いが負けるつもりはなかった。
「久しぶりね、霧野 静」
はやる気持ちを抑える。
彼と最後に会ったのは、修行に出した弟の了に会いに行った時だったか。彼の弟も同じ師のもとで修行していた。
三大魔法使いのひとり、『魔女』の称号を持つアンナのところだ。
近年の傾向は、養成所に入るのが主流だけど、私は実践的な魔法を教えたかったので、アンナを選んだ。
彼女は弟子を取らないことで有名だったが、とても気分屋で、素質に関係なく、自分が育ててみたいと思えば弟子にする。そんな女性だった。
了は弟子入りを許された。
何年か経って、了の様子を見に行ったことがある。弟には嫌がられたが、両親が早くに他界したので、私としては親代わりの感覚。それに、了はとても才能のある、次期当主として申し分ない弟だった。
了の成長ぶりは予想以上だった。まずはひと安心。彼の弟は、本当に霧野の子なのかと思う程ひどい有り様だった。でも、これからの伸びしろと、『魔眼』の宿主になるかもしれない可能性を考えると、安心はしていられない。
今のうちに潰しておくか。
いや、待て。
彼かもしれない。
百年に一度の天才の言われている彼、霧野 静が『魔眼』の宿主に選ばれたなら・・・
そんな事を思っているとき、偶然彼がやって来た。
デキの悪い者ほど可愛い、というやつか。
修行中、彼が助言すると彼の弟せつなはすぐに 理解して、問題をクリアした。
なるほど。
静は噂通りの男だった。
洞察力、判断力、指導力。彼は全てを兼ね備えた男だと感じた。
瞬間に分かった。近い将来、私の計画を阻むのは、この男しかいないと。
「こっちは準備いいよ。いつでもどうぞ、天草 紫乃(あまくさ しの)さん」
彼が笑顔で言った。
合図を送る。
遠慮はしない。連れてきた精鋭部隊の一斉攻撃。火、風、水、土、四種の魔系をバランス良く配置した。十五人の同時攻撃を独りで対処できる魔法使いを、私は知らない。
「さすが天草家の精鋭部隊だね。魔法も魔力も桁違いだ」
彼が言う。
思わず笑ってしまった。
この世にこんな魔法使いがいるのか。
画面を開き、相手の魔力特性を分析しながら、術者を攻撃する。
火柱は目標を大きく外れ、氷結魔法はその火柱に焼かれる。揺れるはずの地面は、術者の足元を崩して、彼らを奈落へと誘う。
陣形はたった独りの魔法使いに乱された。
「でもね、いくら魔力や魔法が強くても、術式を変えてしまえばいいんだよ。ほら、僕たちに全然届かないでしょ」
静が言った。
なるほど、そういうことか。
魔法の術式にはある法則がある。組み合わせが出来るものと出来ないもの、と言えばいいか。魔法の相性みたいなものがある。火系の魔法と氷系の魔法は、同時に発動することが出来ない。だから普通は複数の多系列の魔法使いを連れて戦う。それが常識だ。
彼にはその制約がない。どんな魔法でも組み合わせることが出来る。魔法と魔法とを繋ぐ術式を得意としている。それはつまり、実際には不可能なはずなのだが、相手の発動した魔法の術式が分かれば、追加し改変することが出来る、ということだ。
この男、百年に一度ではなく、千年に一度の天才かもしれない。
「し、紫乃様。ど、どうすれば?」
部隊の長。
服が炎で焼かれ酷い姿だ。
「三人を防御にまわし、あとはそのまま彼を狙って、魔法を放ち続けなさい」
「ですが、あの男には・・・!」
長を睨み付ける。
私の命令は絶対だ。反論は許さない。
「仰せのままに」
反転して部隊に指示を出す。
自ら放った魔法を自らの魔法で防ぐ。
実に滑稽な姿だ。
誰にだって限界がある。
彼だってそうだ。いつまでもこの攻撃を防ぐことはできないだろう。部隊の魔力が尽きそうになったら、私が分け与えればいい。
五分・・・十分・・・
さすがに私の部下にも疲労の色が濃くなってきた。
彼は、本当に同じ人間なのか?
「頑張るね。さすが天草の精鋭部隊」
静が言った。
彼を見て、私の部下に眼を向ける。
まさか・・・!
「攻撃をやめなさい!」
一斉に魔法が止まる。
土埃と蒸気が立ち込める。
静を見る。
「 あれ、バレちゃったかな?」
彼は全く疲れていない。
有り得ない。
他の者に魔力を分け与えるには、寿命を差し出す、服従を誓うなどの条件付きの契約をして、何万通りもある中から選んだパスワードで、他に分けられないようにロックする。
魔法の術式が解読出来ても、その魔力を自分のものにするには、そのパスワードを解かなければならない。
静は術式を解読し、パスワードを解いて、部下の魔力を送り返していたのだ。
部下の魔力が尽きるまで、魔力供給する私の魔力が尽きるまで、彼の攻撃は止まらない。このまま続けても、自分で自分の首を絞めるだけだ。
恐ろしい男。
部下には荷が重すぎる。
「下がりなさい」
私は部下の前に出る。
「それだけの力があるのに、なぜ魔法世界を去ったのかしら?」
聞いてみた。
静は笑顔のまま、胸元のモニター画面を消す。
「 僕は、『魔眼』を奪い合う争いを無くしたいと思っている」
意外な言葉。
「あなたは、もうひとつの『魔眼』も奪うつもりなの?」
彼は首を振る。
「違うよ。どちらも破壊するつもり」
破壊する?
「ずいぶん勝手ね」
私は彼に怒りをおぼえた。
「どさくさに紛れて『魔眼』と契約し、天草から権力を奪っておきながら、あなたは破壊するつもりなの?」
そんな勝手は許さない。私はもうひとつの『魔眼』を手に入れて、再び天草の力を取り戻す。
私は魔力を体内に溜めた。
「やっぱり素直には聞いてもらえないか」
静が言った。
「できれば紫乃さんとは戦いたくないんだけどなぁ」
魔力の糸を伸ばす。
元々形も色もないから、肉眼では見えない。だからと言って安心できない。彼なら見える方法を見つけているかもしれない。
「 紫乃さんがここにいるってことは、あの壁を解読したってことでしょ? スゴいなぁ。僕なんか五年もかかったのに」
大袈裟な手振りで話す彼。
凄いのはあなただ。
二百年誰も解けなったものを解いたのだから。私は魔力の痕跡を探る能力に長けているから、あなたの残した魔力を参考にしただけ。
たった五年で解読したあなたのほうが凄い。
「僕の言葉が届かないかもしれないけど、『魔眼』に関わらないほうがいい。普通に考えてさ、『魔眼』の持つ魔力を片目だけの贄で契約できるなんて、割りが合わないと思わない? 」
彼の言葉を聞いて、つい手が止まってまう。私も前から疑問に思っていたことだからだ。
「初めに契約したキリノが、本当に片目だけの贄で『魔眼』の中の魔法使いを納得させたのか。僕の考えを言わせてもらえば、片目の贄はとりあえずの仮契約で、本物は別にあるんじゃないかな。宿主になる権利はキリノ家になく、『魔眼』が決める。その事に答えがあると僕は思っている」
キリノ家に産まれながら、なかなか公平な意見を持っている。
だけど、今さら引き下がるわけにはいかない。天野家の当主として、『魔眼』を手に入れ、再び魔法世界を治める。
それが天野家にとっても、次期当主となる了にとっても最良の選択だと確信している。
「あなたがどう考えていようと、私の気持ちは変わらない。『魔眼』は頂くわ」
何百、何千の糸で彼を囲う。
ロヴェールのような鉄壁の防御魔法でない限り、糸は彼に巻きつき命を絶つ。
彼は左手でモニター画面を開き、見えないキーボードを打ち始めた。
この状況で、まだ解析する余裕があるのか、霧野 静。
魔力の糸を放つ。
逃げるスキなどない。
先に笑ったのは、静のほうだった。
彼の姿がかすんで見える。
私の躊躇が糸にも伝わった。
距離にして十メートル。外すはずがないのに、私の糸は大きく乱れた。
誤差を修正しようとした私の腕を、何かが掴んだ。
黒い腕。
これはクランの力。
肉体の一部を、光も通さない触れることも出来ない体質に変化 させる魔法。肉体強化の類(たぐい)だ。
そして彼。
私の視覚を惑わしたのは幻覚魔法か。しかも、魔法の養成所で初期に学ぶ簡単なもの。
こんな魔法に 引っ掛かるとは。
「紫乃さま!」
部隊の誰かが近づく。
「問題ありません。想定内です」
魔法は魔力の量で決まる。
一割増やす。
静の姿がはっきり見える。
掴まれた腕は動かせないが、もうしばらくこのままにしておこう。魔力の糸に影響はない。
別の目的もあるから。
途切れた糸を再構築。
更に魔力を増やす。
視覚だけでなく、人の体温、心臓の鼓動にも対応して糸を放つ。
さあ、どうします、静?
考える時間など与えない。
クランの腕が離れた。
黒い腕が私の糸を掴もうとしている。触れた瞬間、魔力の糸が消えた。
なるほど。
魔力を 無効化する能力があるのか。
これで確信した。
その力で『魔眼』を封印しているのね。
詠唱を破棄して魔法発動。
大気を操り風を起こす。人など吹き飛ぶくらいの嵐。
これならクランの力でも防げまい。
静の左手が異常な早さでキーボードを打つ。
コンマ何秒。
魔力の特性、魔法の構成を解析して、針の穴ほどのスキを狙われる。
風向きが変わって、私が嵐に巻き込まれる。
彼は攻撃を返すだけ。
魔力を更に増やす。
魔力の糸を細く、先端を鋭利にして放つ。
風の力を利用して、糸の速度を上げる。一本でも届けば、彼を止められる。
私の放った風魔法に、別の魔力が混ざっていた。
身体の変調。
耳鳴り、悪寒。手足が麻痺して視界もぼやける。これは魔力で作られた擬似毒。
魔力を上げることで、毒の力を弱める。
風に乗った糸は不規則な動きで乱舞する。
捉えた。
静を拘束した。
魔力の糸を操り手足の自由を奪う。これで動けまい。
なのに、何故 笑っていられる?
「やっぱり、僕のセコい魔法じゃ止められないか」
静が言った。
魔法を追加する。
彼女 に糸は通用しないから、直接魔法をかけて身体を拘束した。
「ちょ、なにこれ。身体が動かない」
手招きする。
クランの女は、自分の意思に関係なく、私のほうへ歩きだす。
「身体が・・・勝手に・・・」
離れていくクランの女を見ても、身動きひとつしない静。
それが正解です。
少しでも動けば、魔力の糸が反応して肌に食い込み、肉片となるでしょう。
「もうひとつ忠告していいかな?」
静が言った。
返事はしないが耳は傾ける。
「キリノ家以外の者が『魔眼』を宿したら、どうなるか知っているのかなぁ?」
そんな事ですか。
「知っています。この二百年間で二度、実際はもっとあったかもしれませんが、どの例も失敗に終わっています」
『魔眼』を狙っていたのは私だけではない。一番欲しがっているのはギルドの幹部たち。直接手は下せないので、流れの殺し屋や異端な魔法使いを雇って。
公になっているだけで二回、キリノ家の宿主が襲われました。
覚醒前なら取り出すことができる。
ギルドはその事を知っていた。
「今まで、キリノ家以外の者が『魔眼』を宿して、成功したことがない。魔力の強さとか知識とか、そういうのじゃないんだよ」
彼の言葉を聞いて、私は彼に目を向ける。
私が、何の準備もなく、『魔眼』を奪いに来たと思っているのですか?
静は、私の表情を見てすぐに察した。
「まいったなぁ」
彼はそう言って、すぐ表情を変える。
「だけどね、キリノ家以外の者が『魔眼』を宿して、定着する確率は低いよ。僕の予想では、一割以下じゃないかな。最後は『魔眼』の魔法使いとの相性だからね」
私は微笑む。
「過去の英雄など、私がねじ伏せてみせます」
負け惜しみじゃない。
成し遂げる 自信が私にはある。
「怖いな。紫乃さんなら本当にやってしまいそうだ」
だけど、と彼は続ける。
「この世に絶対はないからね。僕はこれ以上抵抗せず、魔力を温存するよ。暴走した時のためにね」
さらりと言うところが彼らしい。
暴走した『魔眼』を止める術など、無いはずなのに。
魔力の糸を 彼の体内へ。それなりの痛みがあったはずなのに、彼は表情ひとつ変えなかった。
採血。
少しだけ彼の血液をもらう。
これが『魔眼』を定着させるための方法。
「静、大丈夫なの?!」
目の前に立っているクランの女が叫ぶ。
他人のことを心配している場合ですか。あなたはこれから死ぬかもしれないのですよ。
相手を思いやる気持ち。
『愛』という感情は、人を強くも弱くもする。そんなものは私には不要です。
私を睨むクランの女。
魔法を発動して、手足が異質なものとなる。私の術を解こうとしているようですが、肉体強化しか出来ないあなたには無理です。
黒く変色した部分がさらに伸びている。手足だけでなく、全身を変化させるつもりですね。
それは好都合です。
「奈々美、駄目だ。魔法を解いて」
彼が言う。
「すぐ助けるから」
女が返す。
自分を犠牲にしてでも彼を助けたい。
その調子です。あなたの行動は、私の助けにもなるのですから。
魔法詠唱。
静を捉えた糸とは別の、術式を加えた糸を放つ。
頭以外の全身が黒くなった女の体内へ。
あなたの魔法特性は理解しました。あとはキリノの血を使って『魔眼』を探すだけ。仕組みは分かりませんが、『魔眼』はキリノの血に強く引かれるので、あなたの中にある異界がいくら広くても、私の糸が見つけ出すはずです。
「あれ、なんで? 身体が元に戻らない」
女が言った。
もう遅い。
あなたに拘束魔法をかけた段階で、全て私の手中に あるのです。
配下に命じる。
静を囲み、万が一に備える。彼が何かをしようとしても、これで少しは出遅れるはず。
魔力の糸が何かに触れた。
いいえ。何か、ではなく、これは私が求めているもの。
ついにこの日が来ました。
見たことも、触れたこともないけど、これは間違いなく『魔眼』。
さらに集中する。
今のままでは拒絶される。糸の先端に、静の血液をまとわせる。
感触が変わった。
「静、どうしよう! 何も出来ない・・・」
弱い女。
もうあなたに出来ることはありません。
糸が掴んだものを引き寄せる。
「奈々美、そのまま何もしないで。すぐ助けるから」
静の声。
彼が何か画策している様子はない。自慢の解析も、その状態では無理でしょう。
『魔眼』を取り出す。掴んでいる感覚はあるけど視認は出来ない。恐らく術式で覆われているのだろうけど、魔力的なものは感じない。
「紫乃さん、これが最後だよ。『魔眼』を元に戻して」
静の言葉など無視をする。
「さあ『魔眼』よ、私の身体を選びなさい」
『魔眼』が宿主を選ぶ基準は分からない。
霧野の家系でさえも選別される。
これは賭けです。
天草家のため。過去の栄光を取り戻すため。
何も起こらない。
『魔眼』を顔に近づけても、体内に入った様子はない。
静を見る。
何もしていない。
糸を巻き付けているので何も出来ないのだけど、彼への警戒は緩めない。
彼は目を閉じて下を向いている。
・・・・何だろう。
この違和感はどこから来るものなのか。
糸で掴んでいる『魔眼』に変化はない。
「仕方ないな。あまり使いたくないんだけど・・・」
静が何か口ずさんでいる。
聞こえたはずなのに、記憶に残らない。
魔法の詠唱じゃない。
・・・・まさか。
いや、あり得ない。だって・・・・
目を開けて顔を上げる。
静の瞳がやや緑がかっている気がする。
無(ウィアド)
静を縛る魔力の糸が消えた。
魔法世界で主流の術ではない。使える者もほとんどいない古代の魔法。
「何故あなたがルーン魔法を・・・?」
霧野の家系にルーン魔法を使う者がいただろうか。魔法の特性は基本的に遺伝します。
約二百年前。古代魔法を使う術者が絶滅した。稀にその魔術回路を持つ者がいたが、魔力消費が多い古代魔法は、時代に適さず敬遠された。
それ以前。主流の魔法はルーン魔法だった。
『魔眼』に宿る者は、二百年以上前に存在していた魔法使い。
ひとつの条件として、古代魔法の回路が必要ということ。
『魔眼』は、この世にふたつ。
Ν(
静の指の動きに合わせて、空中にルーン文字が現れる。
私は、ルーン魔法に詳しくないけど、これは拘束魔法ですか。
G(
「静・・・魔力の色が違う」
クランの女の声。
魔力を視覚で認識しているのかしら。
私には見えない。
でも、今までの彼と違うのは分かる。
この魔力量・・・・
私も部下たちも動けない。
静はゆっくりと近づいて手を伸ばした。魔力の糸で掴んだ『魔眼』に触れて、クランの女の体内へ戻しています。
「・・・静」
女の安堵した顔。
「もう大丈夫。魔法を解いて」
黒く変色した身体が溶けるように消えていく。
「『魔眼』はこの世に二つのはず。説明しなさい。あなたは一体・・・・」
静に見つめられた。
やはり瞳の色が緑がかっている。
「申し訳ないけど、君の部下さんたちは死んでもらう」
O(
「命が尽きるまで殺し合って」
彼の言葉に強い魔力を感じる。
私の部下たちは拘束が解けた途端、仲間たちに向かって攻撃を始めた。
火炎で燃え尽き、氷結して砕け散った。
ここは結界の中。
現実世界に影響はないし、誰も気づかない。
「さすがに天草家の当主を殺すわけにはいかない。しばらくしたら拘束が解けるから、
じゃぁ、と静は女を連れて背中を向ける。
「待ちなさい。どういう事なの?」
答えないと分かっているけど、聞かずにはおれない。
彼の使い魔がドアノブに変化して、壁にドアが現れる。
「紫乃さん、次はないからね」
彼はその言葉だけ残して、ドアの向こうに消えてしまった。
噂というのは本当に恐ろしいものです。
それが事実かどうかに関係なく、勝手に独り歩きしてしまう。
魔法世界でも同じです。
私は精鋭の魔法使いを連れて、天才と呼ばれた霧野静に、どちらが天才魔法使いか勝負しろと、大勢で戦いを挑み、返り討ちにあった。
そういう事らしいです。
まあ、ほとんど正解なのですが、これでは私が悪者です。
『魔眼』が手に入らかった今、私はただの犯罪者。追放まではされなかったけど、魔法世界の辺境、現実世界で言う田舎に追いやられ、監視が二十四時間つく生活をしています。
魔法世界を束ねるギルドは、秩序を乱す者にとても厳しい。特に、強大な力を持とうとする者に対して。
以前から、反抗的だった私は注目されていました。きっかけがあれば、すぐにでも退出させる。そんな空気を感じていた。
だから、『魔眼』の情報が簡単に集まったのも、行動が上手く進んだのも、ギルドが関与していたかもね。
霧野家は、『魔眼』所有家系なので特別待遇ですけど。
男たちに、全裸でボディチェックされるのにも慣れてしまいました。当然、お風呂にもトイレにも、男の監視員がついています。
私が監視員たちに凌辱されても、それが規則と言われれば従うしかありません。
弟のリョウは、監視員の目から逃れ、アンナの家を出たそうです。
メールを送りました。二人にしか分からない暗号を混ぜて。
霧野に関わるな
その言葉をどう捉えたか。
送ってすぐに、アンナの家を出たから、きっと伝わっているはずです。
おっと・・・・
よそ見をしていて、転がっていた監視員の頭を蹴ってしまいました。
間もなくギルドから処刑人たちが来ます。せいぜい派手に暴れて、時間を稼がないと。
リョウ。
後は頼みます。
私は、天草の再建など望んでいません。
せめて。
せめて、霧野に一矢報いて。
あなたなら・・・・
私の可愛い弟なら、『魔眼』を手に入れる事が出来るかもしれない。
最後に、ひと目だけ、リョウの笑顔を見たかった。
キリノL 九里須 大 @madara
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