奈々美(ナナミ)
中学入学を間近にひかえたある日、兄と私は両親の前に座らされた。二人とも真剣な表情で、何か重大な事が発表されると子供ながらに感じた。
『お前たちは私の本当の子ではない』
それはありがちでちょっと面白くない。
『お前たちは血の繋がらない兄妹だ』
兄のことが大好きだった私には、ちょっと嬉しい事かも。将来結婚できるなら、今から作戦を練らないといけないし。
色々なシチュエーションが頭の中で乱舞した。だけど、どれも違っていた。
「私たち九乱家は、この世界の住人ではない」
えええーーー!!
私、宇宙人なのーー??
大きな黒目にグレーな身体。大人になったらピアスしようと思っていたのに、
ホントは耳が無いなんて・・・
気持ちまでグレーになっていた私をおいて、両親の話は続いていた。後で兄に聞いたところ、私たちは宇宙人ではなかった。
魔法使いだって。
宇宙人の後ではちょっとインパクトがない。
春休みのほとんどは家族で過ごした。何だか我が家に伝わる術を、兄か私が継がなきゃいけないそうだ。その訓練っていうか、素質を見る検査っていうか、なんか色々やった。運動神経は兄も私も良かったので大して差はなかったけど、肝心の適正みたいなので決まっちゃった。
「奈々美、すまない」
何度も兄に謝られた。
「仕方ないよ。私、頑張るから」
不思議なことに、反抗心は沸かなかった。ただひたすら、父と兄の指導のもと、私の青春は修行で埋め尽くされた。
ど田舎・・・あ、いや、大自然豊かな街で育った私も、高校を卒業する日が近づいてきた。都会の大学へ行きたいって言ったら、きっと反対されるだろうな。別に大学へ行きたいわけじゃないんだけど。街から離れたいのは、兄に素敵な彼女ができて、失恋してしまったからなんだ。
兄が別の女性にやさしくする姿なんて、とても見ていられない。
ダメもとで言ってみた。
世の中を知るいい機会かもな。
あっさり認めてくれた。
ただし、私が継承した『力』は人前で使わないこと。それだけが街を出る条件だった。
私は、兄より素敵な男性を見つけるため・・・じゃなかった。社会勉強のため、私の街より都会な街へ踏み出た。
私って、自分では分からないけど、男性にも女性にも好かれるタイプらしくて、すぐに友達ができた。そして、色々な男性から告白された。
残念ながら、兄を超える人はいなかった。
サークル活動したり、バイトしたり。私は大学生活を満喫していた。
ある日。バイト先のファストフード店で、妙な感覚に襲われた。
殺気に満ちた視線。
辺りを見回してみるけど、どこから見られているのか分からない。こんな平和な街で殺気を感じるなんて。人に恨まれるような事もしてないし。自分では気づかないうちに傷つけている可能性もあるけど、ここまではっきりとした殺気は有り得ない。
だってこれは、本気で殺すつもりの殺気だ。
ひとりの客と目が合う。
彼は私のことをじっと見ていた。気になってさりげなく、とかじゃなくて、はっきり私を見ている。
知らない男性だ。同じ大学の人かな。何で私を見ているんだろ。
まさか私に一目ぼれ?
いやいや。自信過剰にもほどがある。誰かと見間違えてるんだよ、きっと。私ってどこにでもいそうな顔してるし。
「--さん。・・・奈々美さん」
先輩に呼ばれていた。
慌てて返事をする。
「手が止まっているわよ」
「す、すいません」
途中だった作業を再開する。
最後にもう一度だけ。その男性の座っている席を見る。あれ?・・・いない。店内を見回すけど、何処にもいない。
彼はほんの数秒で店から出たらしい。
普通の人なら有り得ない移動速度だ。
普通の人なら・・・
あの日以来、殺気も感じなかったし、彼も店に来なかった。
一体何だったのだろう。
気になってはいたけど、時間が経つと薄れていった。
友達と買い物に出かけ、お洒落なレストランで食事して。高校を卒業するまで、私には自由な時間がほとんど無かった。だから、そんな何でもない事がすごく楽しかったりする。
あ~、今日も一日楽しかったなあ。
友達と別れ電車に乗る。私の住むアパートは、距離より家賃で決めたから、少し遠い。いつも人でいっぱいの車内も、この時間の乗車はまばらだ。私の感覚では、約八割の客が酔っ払いのサラリーマン。あとは塾帰りの学生。私みたいな大学生はほとんどいない。
私の乗った車両には、私と泥酔状態のおじさん、二人だけ。おじさんはつり革にぶら下がりながら、窓に映った自分に謝っている。
気になっているけど、知らないフリをする。からまれると困るしね。
電車が減速する。
この時間この駅で乗車する人はいない。だけど、今日に限ってホームに人が立っていた。顔まですっぽり隠れる黒いローブを着た人たち。私が見た限り三人いたと思う。
あれってコスプレ?・・・何かのイベントの帰りだろうか。
電車が停まりドアが開いた。
外気と一緒に殺気が吹き込んできた。
うわ~。これヤバいよ。ヤバいやつだ。殺気がまっすぐ私に向かってるよ。街を出たら命を狙われるって両親が言ってたけど、あれは冗談じゃなくてホントだったのね。
九乱家は異世界から来た魔法使いで、ある物を守るためこの世界で暮らしている。いつか狙う者が現れる。この『力』はそれを守り抜くためのもので、そのための修行だ。
まさかそんな日が来るとは、夢にも思わなかった。はっきり言って不安しかない。魔法使いと対戦したことないから、本当に効果があるのどうか。いやいや、そもそもさっきの人たちが魔法使いかどうかも分からない。
緊張で胸がドキドキしてきた。
ドアが閉まり、電車が走り出す。右の車両に二人、左に一人。怖くて前しか向けない。前の席のおじさん。気持ちよく寝てるけど、ちょっと騒がしくなると思うよ。だけど私のせいじゃないからね。
そこだけ音が消えたみたいに無音で扉が開く。あららら。来ちゃったよ。気配だけじゃなくて視界に入ってきたよ。
「お前が、九乱(くらん)の、継承者か?」
どどど、どうしよう。
違います、って言って通用するのかな。
「微かだが、魔力反応がある。『クラン』の家系のものだ」
左側の男性が言った。
「ひ、人違いだと思います」 奈々美。
「例のモノの反応は?」 右の男性。
「それは分からない。厳重に封印されているようだ」 左の男性。
「わ、私、九乱の人じゃありません」 奈々美。
「手荒な事はしたくない。我々はお前たちが隠し持っている物が欲しいだけだ。素直
渡せば、このまま消える」 右の男性。
「隠しているだなんて。な、何のことですか?」
しまった・・・受け答えてしまった。
「拘束して調べよう」 右側、後ろの男性。
顔は見えないけど、声からだとみんな男だ。
こんな柄の悪そうな人たち(奈々美の勝手な解釈)に拘束されたら、とてもヒドい事をされそうだ。
私は大きく息を吐いた。
電車が緩やかなカーブを曲がって加速した。
次の駅まで、あと一分か二分。幸いこの車両には、酔って寝ているおじさんだけだ。
ここなら『力』を使っても大丈夫だよね。
「私の家が代々守ってきた物が何なのか、私は知りません。だけど、誰であろうと人が触れてはいけない物だと教わりました。だから渡せません」
しばらく使っていないけど、六年間の積み重ねはダテじゃない。父親に認めてもらった時の自分をイメージする。
感覚も肉体もためらいなく最高値へ到達する。
魔力とか魔法とか、正直どんなものか分からない。はっきり言って、テレビや映画で観た知識しかない。この三人の実力も分からない。
だけど胸の鼓動は落ち着きを取り戻した。
「仕方ない。実力行使だ」
右の男。
聞いた事のない言葉を、お経のようにささやき始める。
車内の空気感が変わった。物が歪んで見えるのは、光の屈折に影響を与えるものがあるから。
これがたぶん魔力。
今の状態なら、感覚を視覚として認識することができる。
私の家系は魔法使いだけど、魔法は使えない。代を重ねるごとにいらないものをそぎ落とし、必要なものだけを残した。
寝ているおじさんの上。車窓から大きな手が、おじさんの身体と同じくらい大きな手が飛び出た。私を掴もうと、大きく広げて迫ってくる。
私は両腕を前に上げる。
『力』を使うには、呪文も儀式もない。きっかけは感覚と肉体を最高地点まで引き上げた時。これをストレス無しでできればいつでも使える。
私の両腕が真っ黒に変色する。
大きな両手は、私の黒い手に触れた瞬間、音も無く消える。男の人たちの動揺が私にまで伝わってきた。
「これが、クランの力・・・」 左の男。
初めてだったけど、上手くいったみたい。
これで分かったぞ。私の力は効果がある。自信を持って左右を見る。どこで売っているか分からない黒っぽいローブを着た人たち。車内灯で見える顔は私と同じ人の顔。青白くて弱々しい。
なんだ、大したことないじゃん。
両腕を左右に広げる。肩の高さに来るまでに、私の腕は消えて、届かないはずの左右の男の首を掴む。
突然目の前に現れた黒い手が、自分の首を掴んでいる。外そうにもその手を掴むことができない。なんだこれは。一体どうなっているのだ?・・・って感じで驚いている男二人。
ためらったら私がやられる。
大きく腕を振る。
二人の男は窓をすり抜けて車外へ消える。
残った右側後ろの男が呪文をささやき始めた。元に戻った腕を(腕は黒いまま)男に伸ばす。
片手は男の口をふさぎ、片手は陣を描こうとする手を掴む。
「くそう!」
男はその後、人を侮辱するような汚い言葉を吐いたけど、私には理解できなかった。
最初の二人同様、車外へ出てもらう。
ちょうどその時、電車が減速して車内アナウンスが流れた。
電車を降りて、据え付けの硬い椅子に座る。なんだか上手く歩けない。両手を見ると、勝手に震えていた。
今頃になって、自分がすごい体験をしたんだと自覚する。
放心状態の私の前を、コントみたいな足取りで通過するおじさんたち。よくあれでホームから落ちないよね。
両手で顔を覆い、深い息を吐く。
両親は、こんな危険がある事を知ってて、私を都市(まち)に送り出したのだろうか。まあリスクはあると思っていただろうけど、二百年近く何も起こらなかったわけだから、それ程深刻に考えていなかったんだろうな。
私もそうだし。
感覚としては五分くらい、じっと座っていたと思う。
さっきの魔法使いたちが生きていて、追いかけてくる可能性を考えると、すぐにでもこの場を去った方が良かったんだろうけど、そこまで頭も身体もうまく機能しなかった。
震えが止まって足に力が入るようになった。
私は立ち上がる。
改札に向かおうと階段を目指した時だった。
「九乱、奈々美さん」
澄んだ良く通る声が、私を呼び止めた。何の疑いもなく振り返る。
ホームの端に男の人が立っていた。距離があって顔ははっきり分からないが、同年か少し上くらい。見覚えはない。だけど私の名前を知っていた。どこかで会った?・・・私が忘れているだけ?
「はじめまして。僕は霧野静という者です」
きりの、せい?
誰だろう。聞いた事ない名前だ。
「実は君と話をしたくてここへ来たんだけど、先客があったようだね」
・・・あっ!
バイト先での記憶が蘇る。
あの時、バイト中に殺気を感じた日に、テーブルから私を見ていた人だ。
ちょっと待って。
先客って誰のこと?
「なかなか興味深い魔法だよ。継承する時に術式も移行するんだね。身体に直接刻んで感情でコントロールするなんて、面白い発想だ」
解説している。
この人も魔法使いみたい。見た目は普通の、ちょっと格好良い男の人。だけど、それだけで悪い人じゃないとは言えない。
きりの、せい・・・さんは困ったような顔をした。
何気に歩いて、私に近づいていた。
身構える私。
「ちょっと待って。僕は君と戦うつもりはないから。・・・あ、でも、僕も君が持っている物を欲しがっているわけだから、君からすればさっきの連中と同じか・・・」
そうか、それじゃあ警戒するよね。
勝手に納得してる。
なんだろう、この取り残された感は。警戒している私が間違っているみたいだ。これが作戦なら、まんまと嵌められていることになる。
「日をあらためるよ。話をするにはタイミングも場所も悪い」
彼は背を向ける。
そっちは線路しかない。
「じゃあ、まあ、頑張って」
ホームを飛び降りた。
「危ない、と思ったら逃げるんだよ」
そう言って線路の上を歩く彼。
いやいや。あなたのほうが危ないと思いますが。
二日後。
彼がバイト先にやって来た。客としてレジに来て注文を終えると、
「アルバイトが終わったら、ちょっと時間ないかな?」
だって。
ナ ンパされているみたいだ。
「ねえねえ、さっきの人、奈々美をクドいてたよね?」
同じバイト先の友達に詰め寄られる。
「どうするの? あとで会うの?」
「ちょっと格好良かったよね」
でしょー!
私を置いてみんなで盛り上がっている。
非常に変な状況になって、頼んでもいないのに気を使ってくれて、私はバイト先で独り取り残された。
会う約束はしていなかったけど、バイトが終わる時間は伝えていた。裏口から出たとき、彼の姿を探す自分がいた。
なんだろう。彼を初めて見たときからある、この不思議な気持ち。今までに出会った男性とは明らかに違うもの。大好きだった兄への感情とは別の、言葉では表現しにくい気持ち。
すぐそこまで出かかっているのに。自分の事なのに、はっきりしなくて気持ち悪い。
「やあ、奈々美さん」
突然後ろから声をかけられて、身体がビクッってなっちゃった。
「悪いとは思ったけど、待たせてもらったよ」
変なところを見られてしまった。
恥ずかしくて振り向けない。
「もし差し支えがないなら、一時間・・・いや、三十分でいいから話をさせて欲しいんだけど、どうかな?」
とっさにうなずいてしまう。
「じゃあ、近くのファミレスで・・・」
私を追い越した彼の背中。少し後ろをついて行く。赤信号で待っている間、ちょっとだけ冷静な気持ちになる。
もしかして、バイトが終わるまでずっと、あそこで待っていたのだろうか。
何時間も。
普通に考えれば気持ち悪い人なんだけど、見た目がさわやか好青年なので、悪い気がしない。
ファミリーレストランの入り口。彼はドアを開けて私を待っている。
話を聞いたらさっさと帰ろう。決心してドアをくぐる。
一瞬景色が歪んで、店内の雑踏が消えた。
「え?」
顔をあげると、私は見知らぬ場所に立っていた。
「えええ、ええ~っ」
その場で二回転して答えを探す。どこにもレストランがない。
分かるのは、ここが室内じゃないってことだけ。
つか、ここは何処?
「上手くいったか?」
「ここまで来れば、大丈夫だ」
街灯の下。暗いところから聞こえる声。
残念ながら聞き覚えのある声。先日電車で会った右の男と右側後ろの男だ。もうひとりいないけど、今は気にする余裕がない。
「なな、なんで?」
それしか言葉が出なかった。
右側後ろの男がささやき始める。
黒い地面が丸い形でいくつも光る。あ、これって、テレビとかで見たことある。魔法陣とかいうやつだ。
なんか化け物みたいなのが出てくるんだよね・・・・あららら。ホントに出てきたよ。
動物には好かれるタイプだけど、この子たちはダメみたい。威嚇のうなり声をあげて、私を取り囲んだ。全部で六匹。中型犬くらいの大きさで、攻撃的な鋭い牙を持っている。
「九乱、奈々美」
フルネームで呼ばれた。
「死にたくなければ『魔眼』を渡せ」
右側後ろの男。
死にたくなければ、ってきたか・・・
つか、『まがん』ってなに?
九乱家が代々守ってきたモノを、私を含め兄も両親も知らない。知らないけど、ご先祖様が守ってきたからそうしている。『まがん』ってのは、きっとそれの名前なのだと思う。
「渡しません」
断言した。
こんな状況でもめげない私。エラいぞ、わたし。
「仕方ない。死んでもらうしかないな」
凶暴犬(奈々美が勝手に命名)が動いた。
肌が顔しか出てないから分からないだろうけど、私の身体中では魔法文字が走り回って演算を開始した。
両腕と両足が黒くなる。光を通さない、別のモノに変化した証拠。
獣の鋭い爪が、地面を駆ける音がする。
この日のために修行した。だけど、ホントに来るなんて。
凶暴犬の動きが変わった。向かってくるのは一匹だけ。
いける!
私の五感は半端なく鋭い。
腕を振る。
私の黒い右腕は、肘から先が消えて凶暴犬の目の前に現れる。
ゴキン、と骨の砕ける音。そのまま地面に倒れる。
残り五匹。
私を囲んで、威嚇のうなり声をあげながら、少しずつ距離を縮めている。警戒したって無駄だよ。私の攻撃距離は五感で感知出来る範囲。黒くなった腕と脚は、眼で見えないとこでも届いちゃう。
飛び掛かって来る前に片付けてしまえ。
そう思った時だった。
どこからか聞こえる呪文。この声はたぶん左の男。探そうとする間もなく、私は激痛に見舞われる。
目が痛くて開けていられない。
鼓膜が破れてしまったくらいの痛み。
集中力が切れて黒い手足が元に戻ってしまった。
「この間のようにはいかんぞ」
右の男が言った。
五感の強化が徒(あだ)になった。普通の人には聞き取れない超音波みたいなものが
私の身体を蝕んだ。
立っていられない。
その場に座り込む。
鋭い牙を持った獣たちがすぐそこまで迫っていた。
殺される!
でも、どうすることもできない。
「困るなぁ。今日は僕が先なんだけど」
彼の声がすぐ近くで聞こえた。
魔法使いの男たちが明らかに動揺していた。
霧野 静。
彼が私の目の前に立っていた。
私を苦しめていた超音波は止まっていた。
「貴様、どうやってここが?」
右の男。
「君たちのことだから、何か仕掛けてくると思って、マーキングしておいたんだ。正解だったよ」
マーキング?
犬や猫がするマーキングのこと?
男たちの反応が薄い。
彼の言った意味が解ってない感じ。
「マーキングは、メールのやり取りをするものだけど、相手の魔力を感知して、居場所を特定することができるんだよ。GPS代わりってわけ」
彼が説明した。
何となく理解できた。
「さて、ここからは僕が相手をするよ。遠慮しないでいいから、三人まとめてかかっておいで」
穏やかな口調で威嚇している彼。
男たちは戸惑っている様子。
彼って、そんなに凄い人なの?
申し訳ないけど、正直凄い感じがしない。私の父や兄のほうが強いオーラが出てると思う。
「こっちは三人いる。天才だか何だか知らんが、魔法世界を追放された男だ。臆するな」
三人の誰かが言った。
同時に五匹の獣が一斉に唸り声をあげる。
ちょっとヤバいんじゃない。
私は立ち上がって集中力を高める。
彼が振り返った。
この状況でニコリと笑顔。
不思議な感情が沸き上がる。
「君はそこでじっとしていて」
彼が言った。
「お腹はすいてない? 何かおごるよ。すぐ終わるから、食べたいものとか考えていて」
獣が同時に五匹、突進してきた。
危ない!!
鋭い牙が彼の目の前まで迫っていた。
何かをしたわけでじゃない。
獣たちは脚をもつれさせて転がった。立ち上がると、今度は仲間どうしで本気の噛み付きあいを始めた。
どうなってんの?
「召喚獣はね、主従関係さえはっきりしちゃえばいいんだよ」
彼が言った。
つまり、こういうことらしい。獣たちを従わせる魔法を上書きして、支配権を奪った。そして仲間どうしで殺し合うように命じた。そう言われるとそうなんだぁ、て感じだけど、それって簡単に出来るものなのだろうか。
大体、彼はいつ魔法を使った?
「ひるむな!」
エコーのかかった声で魔法の呪文が響いた。
足の下で何かが動いている。
地面から何かが飛び出した。
コンクリートと土の塊が細長く盛り上がって、生き物のようにクネクネと動いていた。まるで蛇のように。先端は頭の形をしている。
ホントに蛇だ。
「なるほど。そうきたか」
彼が言った。
「契約を交わして魔力を上げてるけど、ほころびだらけだね」
彼は蛇のようにうねる塊に片手を向けた。
「ほどけ」
彼が言った。
心地よいくらいの風が吹いてきて、そのあとすぐに蛇は崩れ落ちた。
「な、なんだと!?」
もう一度魔法を発動しようと、詠唱を始めたけど、何故か途中でやめちゃった。
「くそう! 何故だ。言葉が出てこない」
左の男が一生懸命言葉を思い出そうとしている。とても滑稽な姿。
これも彼の魔法なのだろうか。
「拘束」
彼がそう言うと、男たちの動きが止まった。五感を集中してみる。すると、男たちの身体全体を光の帯が包み込んでいた。
これが彼の魔力。
男たちのと違って、とても綺麗で暖かい感じがする。
「さて、ここで殺してしまうのは簡単だけど、その前に誰の命令で動いているのか、白状してもらおうかな」
彼が言った。
男たちは動かない身体を何とかしようともがいている。白状する気はないようだ。
「ま、大体見当はついているけど。そうだな、今度はコソコソしないで直接来れば、彼女に伝えてくれるかな?」
解除。
その言葉で男たちを包み込んでいた光の帯が消えた。
再び襲ってくる様子はない。
音もなく、輪郭がぼやけて、男たちは消えてしまった。
「あらら。連れないなぁ」
そう言って振りかえる彼。
「さて、ちょっと時間が遅くなっちゃったけど、まだ大丈夫かな?」
うなずく私。
「じゃあ、この近くの ファミレスで・・・ああ、この辺りはないのかな。さっきの場所まで戻らないと・・・」
そうか。
さっき彼を見て感じたのは・・・
彼のこと何も知らないのに、私は彼に惹かれているんだ。笑顔を見た途端、胸の奥が苦しくなった。顔が熱いのは赤くなっているからかもしれない。
彼は私の運命の人だ。
そう確信した。
「奈々美さん、ついてきて」
歩き出す彼。
慌てて後を追う。
暗がりでよく分からなかったけど、どうやらここは駐車場らしい。色褪せた白線が規則正しくひかれている。
物置小屋の壁の前で止まる。
彼が腰にぶら下げいるキーホルダーみたいなものを手に取る。
「ペルっち、よろしく」
キーホルダーに話しかける彼。
目の錯覚かもしれないけど、キーホルダーが彼の指を噛んだように見えた。
信じられないことに、その小さなキーホルダーは、みるみる膨らんで、白くてフワフワな毛並みの動物に変化した。
私でも知ってる種類の猫。
ペルシャ猫だからペルっちか。
これも魔法の力なのだろうか。
「さっきのファミレスの近くまで」
彼の足にすり寄っている猫に話しかけてる。
白いペルシャ猫は、彼の顔をじっと見て、次に私をじっと見た。
「同じ世界での移動は、多少の誤差が発生するが、問題ない程度だ」
猫がしゃべった。
色んな事があって、もうこの程度では驚かない。つーか、感覚がマヒしているだけ。
ペルっちは、壁に飛びついてそのままくっついた。猫の爪はすごいな。
体毛の質感が変わってきた。
ついでに形も。
壁に長方形の亀裂が入って、白いドアが浮き出てきた。ペルっちは尻尾がハンドルのドアノブに変化した。
ど○○○ドアじゃん!!
「さ、どうぞこちらへ」
彼が手を差し出す。
私は魔法がかかったみたいに、彼の手を掴んだ。
深夜のファミレス。
何でもないこの場所で、私は九乱の家系の話と魔法世界の話を彼から聞いた。
身体はここにあって、心は異界に飛ばされたような感じ。
現実離れした話を、私はレストランの窓際の席で聞いていた。
「おーい、奈々美さん。話聞いてるかな?」
彼の声。
はい、聞いてます。
「つまり、魔法世界から私の家系が持っている『まがん』を奪いにやってきて、あなたはそれを守りに来たと」
うなずく彼。
「守りに来た、というより、正確には僕も奪いに来たんだけどね」
微笑む。
駄目だ。その顔を見るとキュンとしてしまう。
「キリノ家の者が『魔眼』を宿すことも、君たちクラン家が『魔眼』を守り続けることも、そろそろ終わらせたいと思っている」
終わらせる。
「ただ、今回『魔眼』を狙っている相手は少々厄介な相手だから、それを何とかしないと」
あの男たち以上の魔法使いが来るってことか。今回はたまたま彼が近くにいたから良かったものの、私が独りの時を狙われたら、正直不安だ。
「そこで、しばらく君を見張ろうと思っている。もちろん、プライベートな部分はきちんと守る。まだ君と出会って間もないけど、信用してもらえるなら許して欲しいのだけど、どうかな?」
微笑む彼。
まただ。その顔はやめてほしい。何もかも許してしまいたくなる。何なら、私の部屋で一緒に生活したらいいじゃないですか、なんて言ったら変に思われるだろうか。
彼と暮らす生活。
馬鹿だ。何考えてるんだろ。
「わ、分かりました。よ、よろしくお願いします」
わぁ~、どうしよう。声が上ずっちゃった。
「ありがとう。僕の事、信用してもらったと 思っていいんだね?」
うなずく私。
彼が手を差し出した。
握手。
暖かくて包容力を感じる。
「これからよろしく、奈々美さん」
彼の笑顔を見て、また顔が熱くなった。
十日経った。
『魔眼』を狙う魔法使いたちは、懲りずに何度も私を襲った。この世界では、昼間は魔力が弱いらしくて、夜ばかりやって来た。
彼、静の戦いぶりは素人の私が見ても感動もので、ローブを着た魔法使いたちが何人来ようと、どんな魔法を使おうと、いつも冷静で的確だった。
柔よく剛を制す。
その言葉がぴったり当てはまると思った。
ごく自然に、まるで初めからそうだったように、静は私の部屋の中にいた。
二人の仲が親密になるのに、それほど時間はかからなかった。彼も私を見た瞬間、ピピッと感じるものがあったんだって。それって相思相愛じゃん。
こんな時に不謹慎だけど、幸せ過ぎてニヤけてしまう私。静への気持ちは、大好きだった兄を軽くこえてしまった。
「彼女は魔法世界でも名の知れた魔法使いだから、うかつに動けないのだろうけど、さすがにしびれを切らしているだろうな」
静が言った。
「その人、『魔眼』を手に入れてどうするつもりなの?」
聞いてみた。
「前にも言ったけど、『魔眼』を宿すととても強い魔力を得ることができる。彼女はその力を利用して、まずキリノの家系を皆殺しにして、次にギルドを壊滅状態に追い込むだろうね。
『魔眼』を二百年独占してきたキリノ家に強い嫉妬のようなものを抱いていた し、ギルドという組織の仕組みに前から不満を持っていたから」
「組織への不満とかは、個人の考えがあるから分かるけど、キリノ家に嫉妬っていうのはどういう事?」
彼は私を見た。
あれ、聞いちゃマズイ事だったかな。静が困ったような顔をしている。
「単純に、キリノ家が『魔眼』を独占しているから、というのもあるけど、実はもっと深い。二百年前の魔法世界は彼女の家系が力を持っていた。ある日、魔法書庫の隠し部屋から『魔眼』が発見されて、調べた結果、契約を交わして身体に宿すと、魔力が格段に上がることが分かった。彼女の家系の魔力をはるかに超えるくらいにね」
私はペットボトルを持ち水を飲んだ。
今後の展開は想像がつく。
強い力はどの世界でも争いしか産まない。
私の予想通りだった。誰のものでもない『魔眼』を手に入れようと、魔法使いどうしで争いが起こった。
「で、その場を静めたのが僕のご先祖さん。彼は何らかの方法で『魔眼』と契約して、力ずくで争いを止めた。まあ、そこまでは良かったのだけど、その後の行動がよく分からない」
静は間を開けた。
何だろう。
「当時魔法書庫の管理をしていたクランの家系を魔法世界から追放して、一番勢力のあった彼女の家系の代わりに魔法世界を治めるようになった」
クランの家系を追放?
「だけど、結局彼独りでは魔法世界の治安を守ることができなくて、当時魔力が強かった三人の魔法使いを長として組織が形成された。その形は今でも続いている」
『魔眼』の力を使って彼女の家系の地位を奪い、私のご先祖さまを魔法世界から追放した。
それだけ聞けば、確かに不可解な行動だ。
でも実際は違う。自分が『魔眼』と契約することで争いを止めて、さらにもうひとつの『魔眼』を隠して、これ以上の争いを防いだ。そういう事だと思う。
彼女の家系から権力を奪った理由は分からないけど。
現在の魔法世界で、『魔眼』が複数あることを知っているのは、ごく限られた者しかいないそうだ。
だから今しかない、と彼は言う。
静はこれ以上の争いをなくすため、『魔眼』を破壊しようとしている。それが正しい事なのかどうか、私には分からない。
私はただ、静を信じついていくだけ。
さらに五日経った。
黒いローブの魔法使いたちは、パタリと現れなくなった。静に敵わないから、もう来ないんじゃないか。なんて思ってしまった私の発想は、単純過ぎるだろうか。
はい、単純でした。
バイトの帰り道。いつもなら人も車も多い通り。今日に限って鎮まりかえっている。
精神を集中して目を凝らす。
何だろう。いつもと空気感が違う。
静はすぐ近くにいるのかなぁ。
「ボスキャラ登場」
真横に立っている静が言った。
不意をつかれて、身体がビクッとなった。
「もう! 」
肩を叩こうとしたけど、静の表情を見て止めた。
いつになく真剣な顔。
そうか。彼女が来たのね。
前を向く。
ぼやけた景色に赤いコートを着た男が、ひとりふたりと現れる。
横一列。総勢十五人。
中央がひとり分空いている。
現れたのは、明らかに彼らとはレベルが違う女性。
一目で分かった。
彼女だ。
「久しぶりね、霧野 静」
彼女が言った。
「やあ。相変わらず魅力的だね」
静が返す。
赤いコートに黒いタイトな服。細身だけどスタイルが良い。場の空気を変えてしまうくらいの存在感。
とても綺麗な女性(ひと)。
「直属の部下を連れて登場とは、後でギルドに怒られるよ」
「問題ないわ。『魔眼』を持ち帰れば、ギルドも納得するでしょうしね」
それは残念、と静。
「僕がいる限り『魔眼』は渡さないよ。だから、例え君でも重罪が課せられる」
彼女が微笑む。
「このメンバーを見ても勝てる気でいるのね。大した自信だわ」
静が一歩前に出た。
私をかばうように。
「まずはお手並み拝見といきましょうか」
彼女が目配せをする。
男たちが横一列のまま前進。
「静、私も戦う」
私だって戦える。
静が振り返った。
「奈々美、無理しなくていいからね」
駄目とは言われなかった。
うなずく私。
「さて、君の精鋭部隊がどれ程なのか、お手並み拝見」
左手を上げる。
空中に小さなモニター画面が現れる。
これが彼の戦闘スタイル。
相手の攻撃を瞬時に分析しながら、的確な攻撃で倒す。どんな状況でもこれをやっちゃうからスゴい。
「こっちは準備いいよ。いつでもどうぞ、天草 紫乃(あまくさ しの)さん」
静が言った。
私は意識を集中した。
キリノL 九里須 大 @madara
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