キリノL
九里須 大
序章
アンナの街が冬から夏になったのは、せつなが修行半ばで家出して間もなくの頃だった。
まわりから色々聞かれるのだが、特別な理由は無い。何十年と同じ季節で過ごして来たので、そろそろ変えようと思っていた。たまたまそれがリョウやせつなの家出と重なった。それだけなのだが、まわりはその事を大げさにしたがる。弟子が二人とも家出して、傷心して心機一転を計った、とか、今まで氷結魔法では魔法界で一番だったが、霧野レイラの魔力に負けたから、誇示するのをやめた、とか。
どちらも当たらずとも遠からず、ではあるが、それは真実ではない。
噂が十分広まった今となっては、どうすることもできず、だからといって弁明するつもりもない。
アンナ本人もあまり気にしていなかった。
ある日の午後。アンナはいつものように、テラスでお茶を飲んでいた。空は青く風も穏やか。魔法世界も現実世界も何事もなく平和なようだ。
家出した弟子が突然帰ってきて、少しにぎやかな日もあった。もう弟子は取らないと決めていたのに、成り行きで引き受けてしまった。しかもその弟子がキリノ家の血筋の者で、魔法界で天才と呼ばれた彼の娘とは。
彼女はせつなを招き、天草了を引き寄せた。
平和的な解決とはいかなかったが、心配していた元弟子の元気な姿を見れて、アンナは感謝していた。
カップを置いて草原の向こうに目をやる。波の穏やかな海が、草の切れ間からかすかに見える。
思えば、全てはあの日から始まっていたのかもしれない。
霧野静がせつなをここへ連れてきた日から。
丘の上を、アンナの家に向かって歩く人影。
口元まで持ってきたカップを、テーブルに戻すアンナ。彼女の心境は複雑だ。なんというか、因縁めいたものを感じてしまう。
目視で顔を確認できなくても、魔力特性を感じれば誰だか分かる。
「まったく・・・親子揃ってよほどヒマとみえる」
アンナは嘆息する。
彼は、草原を何度も見返しながら、テラスのすぐそばまでやって来た。
「ご無沙汰しております、アンナ様」
一礼する男。
五十代くらいの顔立ちのはっきりした男。若い頃はさぞモテたに違いない。
「珍しい客が来たからって、もう驚かないよ」
アンナの言葉に、彼は首を傾げる。
「噂には聞いていましたが、本当に雪が無いのですね」
「あんたの家族が引っ掻き回してくれたからね。すっかり溶けちまった」
苦笑する男。
核心をつかれ、返す言葉がない。
彼の名は、霧野ナギ。せつなの父で、あかねの祖父だ。ついでにレイラの夫でもある。
「ご挨拶に伺おうと思いながら、時間ばかり過ぎてしまって、こんな間抜けな日になってしまいました。大変申し訳ございません」
そう言って深く頭を下げる。
「息子たちだけでなく、孫までお世話になっているようですね。ありがとうございます。そして、大変ご迷惑をおかけしました」
また一礼。
「よく魔法書庫から出られたね」
アンナの言葉にナギは微笑む。
「優秀な副官がおりますので」
『魔眼』奪取事件で登場したリサのことである。彼女が優秀なのはアンナも良く知っている。
怒らせると怖いことも。
「みなさんお元気ですか?」
ロヴェールとタージのことである。
「残念ながら、まだ生きてるよ」
微笑みで返す。
ちょっとした世間話。魔法書庫やギル・ドについて近況を話すナギ。アンナはあまり興味無い様子だったが、彼女は魔法世界の最高責任者のひとり。一応の報告は義務的に済ませておく。
ところで、とアンナがナギに話しかける。
「あんたの孫のあかねに『魔眼』が宿ったんだけど、同じ時代に『魔眼』が二つ存在している事を、あんたはどう思う?」
キリノ家の当主なら知っているかもしれない。アンナはそう考えた。
ナギは質問されることを予測していたのか、驚く様子はなかった。
「私には分かりません。『魔眼』に関することは、宿った本人に直接『魔眼』が伝えるようですし、管理する家系ですが詳細を記載した文献なども一切残されていません。実を言うと、初代キリノが『魔眼』とどうやって契約を交わしたのか、それすらも分からないのです」
文献が無いことは意外だった。
どの時代の誰に宿るのか分からない。管理は宿った本人に一任されている。だからこそ『魔眼』は宿主を吟味し選択する。宿主がいなければ消え、時機がくれば、またどこからか現れる。
「要するに、『魔眼』が複数あることを知らなかった、ってことだね」
「そうですね」
何か隠している気がした。
「私の思ったことを言ってもいいかい?」
一瞬だけ、ナギの顔がこわばる。
彼も同じことを考えているはずだ。さっきの表情でそう確信した。
「あんたの息子の静は、誰もが認める天才魔法使いだった。なのに彼は魔法世界を去ってしまった。そして現実世界で結婚して、あかねが生まれて、交通事故で死んだ」
魔法世界から去ったからといって、魔法が使えないわけでない。その世界に歴史的影響を与えた場合、魔法の制限や罰則が設けられているだけで、誰にも気づかれないようにすれば、魔法は自由に使える。
つまり、魔法使いが交通事故程度で死亡するのは、ちょっと考えられない。
アンナはその事が言いたいのだ。
ナギは顔を背けてしまった。これ以上アンナを直視できなかった。
「私は静が何か画策したんじゃないかと思っている」
少しの沈黙。
ナギは下を向いたままため息。
「そうですね。私もそう思います」
顔を上げる。ほっとしたような、穏やかな表情だった。
「ご存知でしょうが、魔法書庫は一度全壊したことがあります」
「二百年前、書庫で『魔眼』が発見されて、取り合いになったやつだね」
うなずくナギ。
発見者は初代キリノ。書庫で働いていた彼は、偶然隠し部屋を見つけて、そこに『魔眼』が封印されているのを発見した。調査したところ、それを肉体に取り込めば誰でも魔力が格段に上がることが分かった。
力はいつの時代も争いの火種となる。
殺し合い、派閥。最後は魔法書庫襲撃に発展した。
その争いを治めたのが初代キリノ。彼は『魔眼』と契約を交わし、独占することで争いを鎮めたそうだ。詳細は資料が残されていないので不明だ。
「現在の建物の一角、古代魔法の資料があるところに、当時の建物の壁が使われている場所があります。はっきりした理由は分かりませんが、二度と争いを起こさないための戒めではないかと言われていますが、そこに静はよく通っていました」
魔法の術式のようなものが壁一面に描かれた二百年前の壁。秘密めいたその壁を、人は『キリノの遺産』と呼んでいた。『魔眼』の秘密が描かれていると言われ、多くの研究者が調査したが、誰も術式を解明できなかった。
「私は静が、その壁の秘密を解いたのではないかと思っています」
「それで『魔眼』がひとつだけではないと知った」
アンナの言葉にうなずく。
「ただ、そこでまた疑問点があります。静は何故自分に『魔眼』を宿らせなかったのか。何故自分の娘に宿らせたのか」
ここに答えはない。
知っているのは、静本人だけだ。
風が少し強くなった気がした。
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