結末
……それから……。
二月の末。僕たちは……高校卒業の日を迎えた。
結局、十月のあの日以来。僕は、森子と一切口を利いていない。同じ学校だから顔は合わせるけど、毎日、無視される日が続いていた。
だけど、僕は、今日こそ言おうと決めていた。もう一度……付き合って下さいと。
負け犬の詞は、六十曲分くらい書きためた。森子を失って、どん底になった気持ちを、十月のあの日から、毎日、毎日、書きためた。
同じく彼女を失って、もう恋愛も枕営業もこりごりだと嘆くシドさんが、ノリノリでだめ出ししてくれている。負け犬男二人の負け犬ソング。これに曲をつけていくから、今から森子とラブラブになっても、曲が足りないなんてことはBlauer Himmelが解散するその日まで、おそらくないだろう。
シドさんに見つかったらきっと怒られるだろうけど……卒業証書を受け取った後、僕は……もうすっかり丈の合わなくなった、えんじ色の高校ジャージに身を包んだ。三年間、高校生活を見守り続けてくれた、えんじ色の三年一組眞鍋のゼッケンがついた、高校ジャージ。
僕は、これでもう一度、森子に告白するのだ。
森子は、高校生活最後の玉砕覚悟で愛を告白しようと群がる男達に取り囲まれていた。
そんな男達が、ジャージに身を包んだ僕を見て「何しに来たんだ、元彼が」と、睨みを入れてくる。そんな男達をかき分け、僕は、森子の前に立った。
「……なによ」
森子が、身長百七十八センチになった僕を睨み上げた。
「好きだよ」
口ではそう言いながら、僕も森子をにらみ返す。
「もっかい、付き合って下さい」
シドさんに命令されて、昨日代官山で整えてきた、おしゃれな金髪。ファンの子からもらった、可愛らしい人造サファイアの小さなピアス。眉毛だって整えた。顔だけはばっちり決めたそんな僕を包むのは、ださいえんじの高校ジャージ。
それをみて、周りの男達が笑った。
「だっせえ」
「うっさい。だけど、これが俺なんだ。ありのままの、俺だ!」
僕は、周りの男達を一喝する。
「森子、俺と付き合って。もう、ファンの子と君を哀しませたりしないから。ちゃんと、両立するから」
そう言う僕を、百四十五センチあるんだかないんだか、とりあえず小さくて可愛らしいその丸い目で、僕を見上げる。
「い・や」
……僕は。玉砕した……
ゼッケンがついたままのジャージ姿で、僕は校庭にくずおれる。
「……東京ドームでライブするほど人気が出たら……もう一回付き合ってあげる」
森子の言葉に、僕は顔を上げる。
「それを見届けなくちゃいけないから……私、ずっとBlauer Himmelのファンでいることに決めてるの」
僕の前に座り込んで、森子がにっこりと笑った。
「三年間、私の追っかけ、お疲れ様。これからは、私があんたの追っかけよ」
「……森子……?」
僕が名前を呼ぶと、森子がにっこりと微笑んだ。
・抱きしめるのはダメ。キスも、もちろんエッチもダメ。
・ファンの前では(ファンクラブの)「会長」と呼ぶこと。
・普通のファンの人々と、同じように扱うこと
……さまざまな制約を付けられたけど……それから二年経った今も、森子は僕の隣にいる。
シドさんは、Blauer Himmelに加入するのあたり、「マリモ」という名前に変えた。
なんでも、失踪した彼女を追いかけようと、ヒッチハイクで飛び乗ったトラックが地元方面ではなく反対の北海道行きだったそうで、阿寒湖のマリモを見て、なんだか人生が変わったような気がしたからだそうだ。……もう一度ヒッチハイクで帰って来たために、あの日のライブは間に合わなかったそうだ。
「もしも、そのトラックが地元に着いて……彼女にちゃんと会えてたら……お前、どうしてた?」
僕がそう訊ねると、マリモはにっこりと微笑む。
「彼女と二人で実家ん家業継いで農作業に精ば出しとった。子どもは今頃三人目が腹に入っとうくらいっちゃろう。三十五過ぎたら、母ちゃんの跡ば継いで、村の村長ばやらんといけん」
マリモにしては地に足の着いたまじめな回答に、僕は思わずぶっと吹き出した。
「そっちの方が幸せだったんじゃないの? こんな、明日の分からない道より」
「嘘」
マリモはじっと遠くを見つめたまま、そう呟いた。
「彼女にはもうすでに優しくてかっこいい旦那さんがいて、お腹にもしっかり赤ちゃんが入ってて、もう俺なんか入っていく隙間もなかった」
そんなマリモの回答に、僕は思わずマリモの顔を見つめた。
「……ちゃんと会ってんじゃん」
……北海道のマリモを見て人生観が変わったって言う話の方が嘘かよ。
「それに……俺はあのとき、リコさんに振られてよかったと思うとるよ。実家で農作業して、村長になっとったら……」
マリモが、静かにそう呟いて、ふっと遠くを見つめる。
マリモの視線の先には……プールの中ではしゃぐ、黒いスタッフTシャツを着たお団子頭のちびっ子がいる。
「おい、凛子!」
僕がそのお団子頭を呼び止めると、ちびっ子がちょっと顔を上げて、僕の顔を見つめる。だけど彼女が僕たちを振り向いた瞬間、彼女の着ている黒いTシャツに向かってハクトが水鉄砲を撃った。
「ハクちゃん、止めてよ」
凛子は嫌がり、ハクトから水鉄砲を取り上げようと、ハクトを追いかけて遠くに行ってしまった。いい年をして本気で追いかけっこをする大人二人を見て、マリモが思わず吹き出し、大きな声で笑う。
「実家帰ったら、こんなおもろいこと、なかろうもん」
「……前から聞きたかったんだけどさ……その……マリモって、凛子のこと……好きだったり、する?」
「うん、好いとう」
僕の問いかけに、マリモがふんわりと笑って即答する。
その適当な答え方に、あんまり本気度を感じなくて……僕は「そう」とだけ答えて、また、ハクトと凛子の方に目をやった。
「マリモは、みんなのことが好きだもんな」
「もし、俺が二年前、実家に帰っとったら、あん
そう言うなり、マリモはプールの中に入り、ハクトを追いかける凛子の小さな身体を抱き上げた。そして、もう片方の手でハクトを捕まえ、水の中に放り投げる。
「てめえ、マリモ、なにしやがんでえ!」
ハクトは水浸しになって怒ったけど、マリモと凛子がそんなハクトを見てゲラゲラと笑った。
「セツヤ」
ふいに、マリモが、僕を振り返る。
「俺をBlauer Himmelに入れてくれて、ありがとうな」
ばっちりと目と目を合わせて。あの、甘ったるい声で。マリモが、僕に感謝する。そんなマリモの顔がとてもカッコ良くて、僕は思わず頬を赤らめた。
「お……おう」
「……な、セツヤ。東京ドーム。行こうな」
「うん」
マリモの提案に、僕は大きく頷いた。
太陽が、沈む。
大きな大きな太陽が、暖かい光で僕たちを照らしながら、沈んでいく。
ひらり、ひとひら 舞い落ちる
ふわり、ふうわり ほのかに
夕暮れ時にふと思い浮かぶ君の笑顔
ちょっとさびしそうだったなあとか思いながら歩く
言葉をかけないと 振り向いても貰えないのに
君と話せる日はもう そう多くないのに
明日の朝 声をかけたときに
ちょっと迷惑そうに「おはよう」って言ってくれるだろう
そんな君の表情が見たくて ついつい……
ひらり、ひとひら 舞い落ちる惑花
ふわり、ふうわり ほのかに惑香
サヨナラアシタ TACO @TACO2016
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