第5話
「わたしの母親は、介護放棄してる」
「え?」
話の展開が急だけれども、僕はついていく。
「正確に言うと放棄じゃなくって、介護できない、ってことなのかもしれないけれど、わたしの母親は重度のうつ病。姑、つまり、わたしの祖母は母親が嫁に来た時から同居家族の中で唯一血のつながりのない母親を何かと敵視していた。母親は表面は従順だったけれども、心の中では祖母を呪っていた。すべてが祖母との関係のせいだけじゃないとは思うけれども、うつ病の原因のかなりの部分はそうじゃないかと思う。祖母は、下のことは自分ではできない。小も大も垂れ流し。おむつを履いてる。母親ができないから、日中はヘルパーさんに来てもらって、朝と夜、それから土日はわたしがおむつを換えてる。炊事洗濯もわたしがやってる」
「お父さんは?」
「祖母が寝たきりになった頃、家を出てった。不倫。今は生活費だけ振り込んでくる。離婚はしてない」
「・・・ごめん」
「ううん。母親は父親というよりは、そんなくだらない息子の親のくせに威張ってきた祖母のことを許せない、というか、ああ、こんな程度の姑になんで仕えてきたんだろう、っていう馬鹿らしさから自分でうつ病になっていったのかもしれない」
「・・・」
「祖母のことを悪くは言いたくないけれども、自業自得だと思う」
「それは・・・」
「わたし、冷たいでしょう。姿かたちも醜いくせに、その上冷たい。だからいじめられるのかもしれない」
「そんなことはないと思うけれど」
「わたしにも責任があるのと、あとやっぱり、ゴウなんだろうね」
「ゴウ?」
「カルマ、って言ったほうが今時はわかりやすいのかな?'業'のことだよ。わたし自身の業なのか、親の業なのか、祖父母の業なのか、全部なのか。家の中もある意味地獄っぽいし、学校も小学校の時から地獄。でも、本当の地獄はもっと苦しいんだろうな、って思う。閻魔さま、っているでしょう。死んで、ほとんどの人間は地獄に堕ちると思うんだけれども、そうして閻魔様の前に行くと、「また来たのか!」って叱りつけられるんだって。その声があまりにも大きくて、地獄に堕ちた人間は、鼓膜が即座に破けてしまうらしいよ」
「倉木さんは地獄があるって信じてるの?」
「わたしが信じるとか信じないとか関係なく、事実、地獄ってあるんだもん。悪事を働いた人間はもちろん、単なる自分勝手な規準の道徳程度でいいことをした、って勘違いしてる人間も、地獄に堕ちると思うよ」
「・・・じゃあ、どうすればいい」
「それは、わたしにはわからない」
「じゃあ、どうしようもないのか・・・」
「自分ではどうしようもないと思う。人間、って、本当のことは一つもわからないと思う。例えば、わたしは自分にもどこか長所があるだろうって思ってた時もあったんだけれども、室田くん、試しにわたしのいいところを言ってみて」
僕は倉木さんの促しに、真剣に考えてみる。見た目は、正直言って女の子として魅力的かどうか以前に、申し訳ないし自分自身が最低だと思うけれども、彼女の容姿に不快感を覚える、というのが本音だ。ほかの性格や心も、いいとは思えない。
「浮かばないでしょ?」
僕は、こんな妙なことで正直に、うん、と頷いてしまった。
「人間は、本当のことは、ほとんど見えない」
倉木さんは同じような意味の言葉を2回繰り返した。そして、こう続けた。
「気持ち悪いかもしれないけれど、私の眼の奥を観てみて」
僕は、言われるままに倉木さんの左目の眼玉をじっと見つめてみた。
最初は眼玉の黒目をぼんやりと、その次には覗き込む僕の眼に焦点を合わせようとしている彼女の瞳孔の中を、そのあとは、急激にさらにその奥の、万華鏡のように沈み込んでいくように深みを作り、更に深度を増す。
「あ」
僕は思わず声を出してしまった。
Lotus in muddy water reflecting Moon. 月を映す汚泥の中の蓮。
倉木さんの眼の深さの最深のところに、もう少しで満ちそうな、満月に限りなく近い、月の光があった。
「見えた?」
彼女が、にこっ、と笑った。
Lotus & Moon naka-motoo @naka-motoo
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