第4話 選択 ― Wahl《ヴァール》 ―
「あ、がっ…………」
苦悶に歪んだ声音が空へ消え、ガシャリと重苦しい鉄の音を響かせ崩れ落ちる複数人の兵士。
一人の倒れた兵士の手から零れた両刃の剣を右手に取り、黄角赤髪の少女を左手で抱きかかえ、数十人の甲冑姿の兵士と対峙するノエル。
鉄壁を誇っていたであろう灰の城壁は北口同様、炎の波状爆発により決壊。周囲の民家にも飛び火。辺りは暴虐の炎と高熱に嬲られ、住民達は突然起きた惨状と襲撃者の襲来に悲鳴と怒号を上げ逃げ惑っていた。
「ごめんね、来るのが少し遅かったみたいだ…………」
深紅の瞳に映る痛ましい情景にノエルは後悔と悲哀に弱々しくも声を絞り出し、
「――――コレが【魔族】共の住む世界か」
と、冷淡な声で太刀を片手に持ち、一人の兵士を引きずり歩く白軍服姿の男を睨み付ける。
「…………師匠」
「……存外、【魔族】も我等とあまり変わらぬか」
「……んっ」
目測といえど淡々と国力を推し量っていくスコール。そしてその左右には兵士達がジリジリと間合いを計りながら徐々に迫り、その威圧感に黄角赤髪の少女が恐怖にノエルの首にギュッとしがみつく。
視線と注意。その二つが自分から逸れている今、攻撃もしくは撤退の絶好の
体が本能的に不用意な動作を拒否している。だが、それも仕方がないことだった。
現状でいえば自分は完全に詰んでいたからだ。
自分が城からここに駆け付けるまで約一分。到着した時には既に兵の詰め所は見るも無残に破壊され、つめていた兵士達も皆、捕縛されていた。
人間側の兵が逃げる住民達を捕縛しようとしていたところ、寸でのところで割って入ることができたが、こちらは三年という長い空白の期間があり、剣の技量や魔力制御の精度、身体的能力に諸々と致命的一歩手前まで鈍っている。
そんな自分が相対するのは自分の師であり《剣聖》たる男と、その男に鍛えあげられた精鋭六十ほどの兵。戦力差は比べるまでもなく圧倒的に不利だ。
「…………っ」
ノエルはスコールの動きを警戒しながら周囲を探り、
(昼間にあった……確か、名前はココネちゃんだっけ。せめて、この子だけでも)
ココネの母親の姿を探すが、逃げ去っていく人々の中にはその姿は無い。
「生きていた事にも驚いたが……お前はよくよく【魔族】の幼子に縁がある様だな」
憐みにも似た視線と声音に剣の切っ先をスコールに向ける。
「……ただの偶然、だと思いますよ」
「ただの偶然、か…………だが、それで二度も私に刃を向けるということは、やはりそちら側につくのだな」
「違います。師匠、僕は…………」
「…………未だ迷うか。だが、お前はここで討たせて貰う」
スコールは静かに太刀をノエルへ向け、兵へ命を下す。
「――――反逆者を討ち取れ」
「くっ!?」
無情の号令と共に取り囲む様に展開していた兵が一斉に突撃を開始。
殺意に鼓舞する兵士達にノエルは剣を強く抱きしめ、
「伏せてくださいっ!!」
「っ!!」
突如、頭上から響く声に咄嗟にココネを抱き隠し、身を伏せた。
それから一瞬後、天から降り注ぐ雷撃の雨が突進する兵達を強襲。
スコールは雷撃の雨を切り払い、
「この魔導術は…………ノエルを連れ去った者か」
身を焼き貫く雷の衝撃に兵達は激痛にもがき叫び、絶叫の終わりと共に一人残らず倒れ伏す。
雷雨の収束と共にノエル達を背に降り立つのは額にうっすら汗を滲ませたアルメリア。
「二人共、無事ですかっ!?」
「な、なんとか」
「ヒメおねえちゃんっ!!」
ノエルとココネは救援の現れたアルメリアに安堵を溢し、すぐに立ち上がる。
「良かった、怪我もないようですね」
「えぇ、でも町が…………」
ノエルは沈痛の面持ちでアルメリアの隣へ歩み寄り、
「承知しています。ですが、それよりもあの方は十二年前の…………」
苦々しい面持ちでスコールを睨み付けるアルメリア。
スコールは戦況の変化に特に動じる事もなく、倒れ伏す兵士達を見やり、意外という風にアルメリアへ視線を据える。
「魔導術の無詠唱発動、なかなかの手練れとは思っていたが……兵を一人も殺さずに無力化とは情けのつもりか? それにノエルを連れ去り生かしている様だが一体何が目的だ?」
「兵の方々は命まで奪う必要が無いと思っただけです。それとノエル様を此方にお連れしたのは貴方方から救う為、それ以外の理由はありません」
「『救出』とはとても【魔族】の言葉とは思えんが……まぁいい。どちらにせよ、貴様程の強力な【魔族】……私の手におえる間に討っておくべきだな」
そう、スコールが口にした瞬間。場には揺るぎない殺意と冷徹な魔力が満ち、甲高い金切り音と共に太刀に雷光が収束。
「――――――敵を裂き射貫け」
スコールの命に呼応し鍔に埋め込まれた蒼の宝珠が煌めき、数百の蒼剣が姿を成し、その全てがノエル達へと射出され、剣の弾幕が襲う。
「っ!?」
「盾よっ!!」
瞬間。アルメリアが指を弾き、紅の導術陣が展開。右手を蒼剣へ突き出し、紅い魔力障壁がノエル達を円状に護り包む。
刹那、紅の障壁へ蒼の剣雨が突き刺さり、目映い閃光と共に爆散。煉瓦と土砂が飛び散り土煙が舞い上がる。
アルメリアは障壁越しに伝わってくる蒼剣の威力に苦悶の表情を浮かべ、
「くっ、なんて威力……」
頭上で雷光が閃き、障壁が轟音と共に砕け散った。
砕け散った障壁は光の粒子として霧散し、噴煙を引き連れスコールがアルメリアの背後に回り込み、
「っ!?」
「なっ!?」
動揺に硬直するノエル達を置き去りに、慈悲無き一撃を放つスコール。
咄嗟に背へ障壁を展開する、が、展開した障壁事吹き飛ばされ民家へと突っ込むアルメリア。
次々と民家をぶち抜き、十を超えた所で住民の憩いの場の一つでもある公園の噴水に激突。大量の水を飛び散らせ、中央の噴水塔にもたれかかる様に座り込むアルメリア。
喉の奥から込み上げてくる灼熱感に堪えられず吐血。吐き出した血は自身に注がれる水と混ざりながら流れ、激痛に嬲られる体を胸元から足下を赤へと染め上げる。
「かっ、はぁっ…………ぁっ……」
(な、なんて威力…………破られなかったとはいえ、障壁がまったく役に立たないなんて)
痛みに朦朧とする意識の中でアルメリアは今の一撃で直感した――――スコールの力は恐らく父ツァイトと同等。ハッキリ言って自分では相手にならない、と。
十二年間、休むことなく魔導術と体術の鍛錬をしてきた。それこそ父以外の誰にも負けない程自分を鍛えてあげ、ノエルを救う為に強くなったと思っていた……なのに、これではまるで意味がない。
スコールへの賞賛と自分への無力感。二つの感情に苛まれながらも立ち上がろうとして。
「――――――今の一撃を堪えるきるとはな。だがっ!!」
「ッ!?」
正面から突き刺さる声にバッ!! と顔を上げ、瞳に映ったのは太刀を振り上げ迫り来るスコールの姿。
「くっ!?」
「これで終わりだっ!!」
一切の躊躇いなく振り下ろされる無情の一撃。
アルメリアは咄嗟に障壁を張ろうと右手を掲げるが激痛がそれを阻み、雷光の軌跡が淀みなく振り下ろされ。
「オオオオオオオオオオオオオオッ!!
獅子の如き猛然たる咆哮と共に目映い紫電がそれを阻んだ。
「むっ!?」
「させっ、ませんっ!! 」
スコールの瞳が感情に揺れ、映し出されたノエルの姿にすぐ様研がれる視線。
ノエルは受け止めた太刀を切り払い、その反動を利用して後方に跳躍し間合いを取るスコール。
「フゥッ…………」
「…………………」
ノエルは張り詰めた緊張と間に合った事への安堵に大きく息を付き、スコールは荘厳な眼差しで太刀を正眼に構え直す。
「ノエル、様…………あの子は?」
「ココネちゃんならここへ来る前に避難中の住民に任せてきました」
「よ、よかった…………」
「ここは僕に任せて、アルさんは町の皆さんの所へ」
全神経をスコールに集中させたまま視線だけをよろめき立つアルメリアへ向け、指示を出すノエル。
「だ、駄目です。ここは私が……」
「アルさんでは……いえ、僕とアルさんだけでは師匠は止められません。僕ができるだけ時間を稼ぎます、その間に兵をできるだけ集めてください。それに先程アルさんが倒した兵の人達の捕縛、住民の皆の避難に消化活動と色々――――」
――――――お願いします、と言いかけて不意に口を噤み、スコールを見やるノエル。
下手に街中で戦っては被害が増えるばかりか、ココネや他の避難住民達を巻き込みかねない。
(師匠の目的は僕。なら、ここで時間を稼ぐより僕がここから離れた方がはやい、か)
正眼に構えた剣を右脇に引き腰だめに構え、緊張と畏れを吐き出す様に大きく息を付き――――――瞬間、ノエルはスコールを間合いに捉え、紫電を纏った刃をり下ろす。
「っ!?」
その踏み込みの速度と深さにスコールは咄嗟に受け、
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
獣じみた咆哮を火蓋に激しい斬撃の応酬が始まり、周囲の建物や石畳を蹴散らしながら南城門へ通じる道を駆け抜けていく。
(できるだけ町の外へ)
ノエルとスコール。二人の斬撃がぶつかり合う度に周囲の物が吹き飛び、斬撃の応酬数が増えていく。
それににつれノエルの体に大小様々な裂傷が奔り、小さな体を赤く染め上げられ、疲労により次第に動きが鈍くなっていき、斬り結ぶも重い横薙ぎにより弾き飛ばされる。
「ぐぅっ!?」
ノエルの体は木の葉の様に軽々と宙を舞い、脇に建ち並んでいた城壁に激突。強固な石壁を悠々と突き抜け、
「――――――
ノエルが城壁の外へ吹き飛ぶと同時にスコールが【
「クッ!!」
ノエルは激突の衝撃で霞む意識の中、咄嗟に体勢を立て直しながら着地。大気を貫き裂く撃ち出された蒼剣を捌き、躱し、いなして凌ぐ。だが――――バキィッ!! と、唐突に蒼剣を凌いでいたノエルの剣が無情にも砕け散った。
「なっ!?」
「まだまだっ!!」
それを
「あがっ!?」
全身を容赦なく貫く激痛に両膝から力が抜け、その場に崩れ落ちるノエル。
それに合わせ突き刺さった蒼剣も役目を終えたと言う様に光の粒子となって消え、大穴が空いた城壁を乗り越えつつ、歩み寄りながら蒼剣を次々と再具現化していくスコール。
ノエルはそんな淡々としたスコールを視界に捉え、力の差に唇を強く噛みしめる。
(――――やっぱり今の僕じゃ師匠には届かない)
勝てなくとも多少なりとも時間を稼げると思っていた。が、自分が仕掛けてから三分と経っていない。
せめてもの救いは城壁を突き破り、外へ出られた事。
ノエルはあと僅かでも時間を稼ごうと立ち上がろうとするが、大量の出血により震え出す体がそれを拒否する。
血で霞む視界に薄れる意識、激痛と脱力感に縛られる体。
「く、そぉっ…………」
場を満たしていた蒼剣がスコールの握る太刀へと収束――――目映い蒼の雷光が迸る。
「――――――止めだ」
尊敬していた師から告げられる慈悲無き断罪の音。それを引き金に振り下ろされた太刀から放たれる巨大な蒼き雷が悉く大地を蒸発させ、神の如き速度で迫る。
迫る贖罪の雷にノエルが諦めに瞼を閉じかけた時――――天から紅き光を身に纏い、蒼雷の前に立ちはだかる人影に深紅の双眸が大きく開く。
「――――アルさんっ!!?」
ノエルの叫びにアルメリアは答えず、迫る蒼を拒絶する様に正面へ両手を振るい重ねるアルメリア。
意志を具現化する様に巨大な紅の術式陣が大地に刻まれ、紅の閃光が圧縮――――アルメリアの眼前に展開される何重もの強固な真紅の障壁。
「ッ!?」
だが、その真紅の障壁を蒼が次々と斬り砕き、最後の障壁まで易々と蹂躙する。
最終障壁と蒼の雷が火花と互いの閃光を撒き散らしながらせめぎ合い、
「くっ!?」
「駄目だっ、逃げてっ!!」
体に掛かる負荷に表情を歪めるアルメリアへ懇願するノエル。
しかし、アルメリアがその言葉に応える事も引く事もなく障壁を展開し、紅の障壁に亀裂が刻まれ――――瞬間、雷を弾き飛ばすと同時に砕け散り、右肩から左脇腹にかけアルメリアの体に紅の軌跡が奔った。
「か、はぁ………ぁっ」
華奢な体を飾る鮮やかな血飛沫。可憐な口元から零れる鮮血。
散りゆく蒼と紅の幻想的な光の中で崩れ落ちるアルメリアの姿に、ノエルの瞳が悲痛に歪み。
「アルさんっ!?」
体に刻まれたものとは違う痛みに強張ったノエルの声に、力を失っていた両脚に気力が込められ、よろめきながらもその場に踏みとどまったアルメリア。
「逃げて、くだ……さいっ」
体を裂く痛みに震える声でつげ、左手で傷口を押さえ右手で指を弾く。
瞬間、ノエルの足下に紅の術式陣が展開するが瞬く間に砕け、アルメリアの表情が苦痛と無力感に曇る。
「くっ…………」
魔導術を展開できない――――魔力を使いすぎた。
各避難所への防御障壁展開に城下の火消しに、人間兵達の最低限の治療と捕縛魔導術。そして今の攻防での障壁展開でごっそりと持っていかれた。
せめてノエルの治療だけでもと思ったが、それすらも叶わぬ程体が衰弱している。
ノエルもそれを理解し、気力を振り絞り声を上げ、
「僕の事はいいからはやく逃げてっ!!」
「逃げません」
一瞬の迷い無く即答するアルメリア。
「だって、今度は私がノエル様をお救いする番ですから」
アルメリアは顔だけをノエルへ振り向かせ、口元を綻ばせる。
「――――――大丈夫ですよ。こう見えてもお姉さん、結構強いですから」
気丈でありながら儚い、それでいて安らぎをおぼえる――――美しい笑顔。
「ッ!?」
そのあまりにも純粋で真っ直ぐな慈愛に満ちたアルメリアの笑顔に、ノエルは深紅の双眸を大きく揺らし、心の中に波立つ感情の波紋に――――ギッ!! と歯を噛みしめる。
(――――僕は今まで何をしてたんだ)
人の業の深さを、残忍さを、冷酷さを、愚劣さを知ったあの日から。
自分の愚かさから、無知さから、向き合うべき現実から、自らが犯した罪から。
目の前に経つ少女は自分と出会ってから十二年間、ずっと望む未来の為に歩き続けていたというのに――――――
(――――僕はずっと逃げてただけじゃないか!!)
心の底、臆病という殻を砕き溢れている自身への怒り。だが、それすらも今なら甘えであり、逃げだとわかる。
ノエルは内で荒ぶる感情を糧に、体の悲鳴を無視して立ち上がる。
「ノエル様っ!?」
「まだ立つか……だが、これ以上お前達に時間を割くわけにはいかぬ。早々に処理させて」
「させませんよ、そんな事」
スコールの冷徹に研がれた殺意を、揺るぎない明確な意志を宿した声音で斬って捨てるノエル。
それからフラつきながらも地を踏みしめ歩くノエルの姿に、スコールの視線が僅かに開く。
ノエルはそのままアルメリアの横を通り抜け、
「アルさんは下がっていてください」
「駄目ですっ、そんな体ではっ!!」
自分を止めようと伸ばされたアルメリアの手をそっといなし――――
「――――大丈夫。今度は負けませんから」
アルメリアへ誓い、それを果たす為にそっと微笑むノエル。
その穏やかで優しくも、揺るぐ事のない信念が滲む笑顔にアルメリアはごく自然に、ごく当たり前に、それがこの場において最も相応しい行いだと直感し――――ただ一言。
「――――いってらっしゃいませ」
信頼と敬畏を込めた笑顔でノエルを送り出す。
アルメリアへ感謝に小さく頷き、スコールの前へ歩み出るノエル。
「…………師匠は憶えていますか?」
「何をだ?」
「三年前、僕に――――お前の『正しさ』を示してみせろ、って言った事」
「…………そんな事もあったな」
「でも、きっと僕には『正しさ』なんて示せない――――だから、もう迷いません」
突然の掛け合いにスコールは無表情を崩さず、ノエルは悲痛に表情を歪め告げる。
「今ここで貴方を止めて
「護る、か……できるのか? 今のお前に?」
「できるとか、できないとかじゃありません――――――やるだけです」
脆く、淡い、確証のない選択。その選択に覚悟を据え、ノエルは求める――――自身に宿った己が【
「――――――来たれ、大罪の王よ」
その刹那、誰のものともわからない無数の魔力がノエルを中心に空間を喰い潰し――――――無尽蔵に膨れ上がる。
数え切れない魔力の高まりと合わせ黒と白、二色の曼荼羅模様の導術陣が大小関係なく次々と入り乱れる様に展開。激情の如き魔力の奔流は導術陣にに抱かれ、ノエルへと収束、包み込んでいく。
「っ!?」
「これは……っ!!」
その異様な光景にアルメリアとスコール、それぞれに動揺と驚愕が奔り。
「――――――我が身を糧に姿成し、汝が同胞を喰らえ」
詠唱が進むにつれ、無数の導術陣はノエルを飲み込み、一個の巨大な黒と白の繭へと変貌。
その中に収束された無数の波動はまるで胎動のように響き、
「舞い降りろ――――【
覚悟を据えた咆哮に応え、血飛沫の如き紅の稲妻が繭を裂き――――【
緋色の稲妻に充てられ鮮烈な輝きを纏う長い銀髪。
銀髪を裂き天を衝く大小二対の漆黒の角と鋭く尖った長い耳。
深淵の闇と血の如き紅が入り交じった鋭く研がれた瞳。
漆黒と純白。相対する二つの色でおられた装束を纏った幼く華奢な体躯に、右手に握られた流麗な曲線を描く緋色の太刀。
「ノ、ノエル様?」
完全たる【魔族】と化したノエルから感じる強大な魔力と、それに繋がれた数えきれない同族の気配に思わず問いかけるアルメリア。
本来、魔力というのは人間であろうが【魔族】であろうが自身のものだけが肉体に存在し、その気配はただ一つ。だが、今のノエルは自身の巨大な魔力を核に数えきれない力をその身に繋いでいる。
それはまるで隷属を強制し、支配するかのように。
驚愕と動揺に掛けられたアルメリアの問いに静かに頷きながら師を見据え、スコールもまた変貌した弟子の姿を哀愁と郷愁に研いだ瞳で見つめる。
(――――この姿になったノエルと対峙するのはいつぶりか)
――――――【
数多ある【冥具】の中で唯一、自身の主を選ぶ武具。
その特性は二つ。一つは今から千年以上前に討ち倒され強力無比と謳われた【魔族】――――その莫大な魔力と膂力を宿主に顕現させ、単身で一国を滅ぼせるだけの力を与える【魔族化】。実験後、徐々にノエルの容姿が変化したのもこれが原因だろう。
そしてもう一つは主の肉体の治癒を行う自己治癒能力。現に先程まで追っていた瀕死の重傷も無かった様に完治し、万全な状態を取り戻している。
が、この特性こそノエルが【冥具】の真実を知って以降【
この力は今までノエルが殺めてきた【魔族】の魂を内包、消費し、かすり傷から致命傷と重さに関係なく一つの傷に対して一つの魂を消費する。消費された魂は文字通り消滅し、転生といった産まれ変わりができない完全な死――――――終わりだ。
しかし、それを理解していながら解放したと言う事は――――――
「――――――師匠」
と、スコールの思考を遮る様にノエルが言葉を紡ぎ、視線が重なる。
重なったノエルの瞳に映し出されたのは絶対不変の覚悟。
その消える事のない灯り火にスコールはそっと祈る様に瞼を閉じ、
「――――――
自らも己の覚悟を蒼剣へと換え、闇夜を蒼き矛で埋め尽くす。
閉じた瞼を開き、己が信念を据えた瞳でノエルを捉え。
「来い――――――」
「――――――はい」
戦闘開始の宣言。
その刹那、二つの莫大な魔力の上昇、蹴った大地が砕け散り、太刀と太刀がぶつかり合う鋭い剣戟が場を裂いたのは同時。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
ノエルとスコール。二人の咆哮を飾る様に紅と蒼の稲妻が奔り、二人の姿が掻き消える。
瞬間、アルメリアの正面に広がり茂っていた木々が天高く斬り飛び、それと入れ替わる様に空を埋め尽くす蒼剣が数百メートル離れた先へ降り注ぎ、巻き起こる粉塵と稲妻の巨大な柱。
「なっ!?」
驚愕に目見開くアルメリアを置き去りにし、地が爆ぜ木々が薙ぎ飛ばされる情景に耳を劈く様な轟音が華を添える。
その中心ではノエルとスコールが互いに一歩も引かず薙ぎ、捌き、振り下ろし、受け止め、躱し、突き、いなしの乱撃を咲かせ、渾身の力を持って斬り結び交差すると同時に互いに距離を取る。
が、攻撃の手を緩めないというように蒼剣は敵と定めた者へ容赦なく降り注ぎ、
「グゥッ!!」
豪雨の如く撃ち出される蒼剣の雨を捌きながらも、額をはじめ装束を裂き刻まれた無数の傷に、悔恨を滲ませるノエル
(――――――【
太刀の斬撃こそ防いでいるものの【
(手数の差もあるけど圧倒的に足りないんだ………僕が)
力、速度、魔力の最大量のどれもが師と互角か、それ以上であるにもかかわらずこうも一方的押されるのはひとえに自身の技量の問題だ。
技量は単純な身体能力では補いきれない戦闘における揺るぎない勝利を手にする為に絶対に必要なもの。三年間、投獄されたツケが今ここに来て致命的な要因となっている。
このままではいずれ内包した魂が底を尽き、敗北は必死。その前になんとしても勝機を見出さなければならないのだが……。
「【
「くっ!!」
ノエルの焦燥を見透かす様に檄を飛ばすスコール。
「そもそも、自らが過ちだと疎んでいた【
蒼剣の雨を自在に駆け、ノエルへと太刀を奔らせるスコール。
振り下ろされる斬撃を大地へと受け流し、その反動でスコールの肩へ太刀を振るうノエル。が、飛来する蒼剣の雨に阻まれ、咄嗟に後ろへ跳ぼうとするが一本の蒼剣に右足の甲を貫かれその場に縫いつけられ。
「ぐっ!?」
「今まで築いてきた人生全てを犠牲にしてまで【魔族】に付き、我ら人間を一人残さず滅ぼす事がお前の望みだったのかっ!?」
振り下ろされた一刀を寸での所で受け止め、その衝撃で足下が陥没し吹き飛ぶも鍔競り合いへ持ち込むノエル。
「僕、はっ……そんな事、望んでなんか、いませんっ!!」
「ならば何故貴様はそちら側に達、私を阻む?」
一瞬でも気を緩めれば太刀ごと切り捨てると言わんばかりの眼光。
「アルさん、が……言ってくれたん、です」
その眼光をノエルは全身全霊を持って受け止め、
「人と【魔族】はっ、互いに、手を取り合って…………共に歩んでいけるってっ!!」
自分の中にあるはずもないであろう真摯さをかき集め、力みに震えながらも告げる。
「いつか来るそんな未来の為に、僕は今、貴方と戦うんですっ!!」
「共存、だと…………戯れ言を通り越して哀れだなっ!!」
怒気に研がれていた眼光に暗い感情が交じり、鬼の形相を見せ、ノエルを蹴り飛ばすスコール。
「がっ!?」
「何千年と繰り返されてきた醜い争いと悲劇の連鎖が、たかだか一人の人間と一匹の【魔族】が馴れ合った程度で変えられる筈がないっ!!」
一欠片の可能性すら冷徹に切り落とすスコール。
まるでスコールの感情を読み取る様に闇を蒼く照らす剣の矛先が標的へと定められ、
「っ!!」
ゆうに数百を越える蒼の剣雨がノエルへと振り注ぐ。
「くっ!!」
息を付く暇無く降り注ぐ蒼剣をがむしゃらに弾いていくノエル。
だが、やはり防ぎきる事はできず何十という蒼の剣が小さな体を嬲り、徐々に治癒速度を上回って鮮血を咲かせながら貫いていく。
「人間と【魔族】の共存などという浅はかで、哀れで、愚かな過ちはここで――――――」
「――――――過ちなんかじゃないっ!!」
その叫びと共に飛来する蒼剣を一振り左手で掴み取り、スコールの激情を体に突き刺さる蒼剣ごと、怒りとは違う激情ではねのけるノエル。
「アルさんが、あの人が見つけた『正しさ《ネガイ》』が過ちだと言うのならっ――――きっと世界には正しい事なんて何もないっ!!」
ノエルの咆哮と共鳴し膨れ上がった魔力が蒼剣を飲み込み――――緋色の剣へと姿を変える。
「なっ!?」
スコールは目の前で起きた現象に研がれていた瞳を驚愕に大きく見開き、
「世界中の誰もが間違いだと言っても僕は、僕だけは絶対に正しいって信じるっ!! 人と【魔族】が手を取り合って生きていける未来……その未来だけはきっと『正しい』って!!」
体の奥底から溢れでる抑えきれない想いを一対の緋色の矛に込め、飛来する蒼剣を切り落としていく。
そして悠々とノエルの体を貫いていた蒼剣の数が急速に減り、緋色の軌跡がその数を増していく。
「くっ――――――【
その様子に言い様のない焦燥が込み上げ、それに呼応する様に蒼の宝珠が光り輝き、次々と蒼剣が生み出されていく。
その数は留まることなく増えていき、ゆうに万を超えた。が、ノエルはその光景に恐れ怯むどころか、更に動きを加速させていく。
(――――――もっと速くっ!!)
一対の緋色の矛を振るう速度は勿論のこと、体捌きも無駄をそぎ落とすと同時にその鋭敏さを増していき。
(――――――もっと鋭くっ!!)
それはまるで錆び付き朽ちた太刀が死線という製錬で研ぎ澄まされていく様な情景。
(もっと速く!! もっと鋭くっ!! もっともっと強くっ!! もっともっともっとっ!!)
剣振るう度に刻まれる緋の軌跡は悉く蒼の剣雨を凌駕し、それでもなお迫る剣の弾幕に緋色の稲妻を纏う一対の矛を振り上げ、
「たとえこの手に掴めなくてもいいっ!! いつか人と【魔族】が一緒に生きていける世界を未来に生きる人達が掴めるのなら――――――どんなに間違いだと、罪だと言われても僕はこの道を歩くって決めたんだっ!!」
己が見出した道を叫び示し、覚悟を据えた一撃を振り下ろすノエル。
渾身の一撃は顕現されていた全ての蒼剣を砕き、その光景にスコールは瞬時に悟る――――――ノエルが自身に届いた事に。
瞬間、操者の意志を汲む様に【閃剣繰主(せんけんそうしゅ)】――――――蒼の宝珠がこれまでにない強烈で鮮烈な輝きを放ち、
「――――――
莫大な魔力と共に漆黒の闇を壮烈な蒼で塗り替える。
「っ!?」
瞬間。左手に握る緋色の剣がノエルを拒む様に砕け散り、
「――――――収束」
空を塗り替える百万の刃がスコールの太刀へと収束し、高密度に圧縮された魔力により刀身を蒼へと変わる。
ノエルは弾む息を抑えながら眼前に広がる蒼剣の海を見据え太刀を脇に構える。
そしてスコールも一部の洩れもなく完全に制御し、圧縮した力を鞘へと収め、腰だ
めに構える。
「我が全力の一撃を持って貴様を斬り捨てる」
場を斬殺する冷徹な殺意。その殺意にノエルは太刀を握る手に力を込め、魔力を最大まで高める。
(――――――
それは今までの様な物量による攻撃ではなく、ただ単純な抜刀による一撃。
だが、最高レベルの魔力を一切の無駄なく制御し、圧縮された力を極限まで高められた技量によって放つ一撃は斬れぬもの無しの絶対無二の矛。まともに斬り合えば太
刀ごと斬り捨てられる。
「…………………………」
だが、今ここで自分は逃げるわけにも負けるわけにもいかない。
そして何より、今ここでスコールを越えなければこれから先、きっと自ら選んだ道を歩み続ける事などできはしないのだから。
ノエルは最大まで高められた魔力を太刀へと流し込み、極限まで重ね研ぎ澄ませていく。
緋色の刀身からは淡い光が揺らめき、その力を示す様に強烈な圧迫感を放つ。
「……………………」
「……………………」
ノエルとスコール。互いに重い沈黙で視線を重ね、二人の研ぎ澄まされた魔力の波動に大気が震え、慟哭が鳴った時――――――その時は来た。
「「ッ!!」」
瞬間。大地が爆ぜ、緋色と蒼が鋭い軌跡を描き、雷光が奔り、斬撃の音が場を裂く――――――それら全てが同時。
一方は自身が見出した道を歩む為に、もう一方は己が掲げ貫いてきた『正義』の為。互いに己の全力を持って放つ一撃。
「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」」
二人の咆哮ごと緋色と蒼の閃光が二人を飲み込み、周囲の木々を薙ぎ払い消し飛ばす。
辺り一帯を粉塵が覆い隠し、世界を蹂躙する様に鳴り響く轟音。
それから暫くの間、轟音が辺りを一頻り嬲り続け、音が静まると決着を告げる様に風が凪ぎ、
「……………………」
「……………………」
沈黙に向かい合う影が二つ。
そこへ静けさを取り戻した空からフラつきながらも一つの影が舞い降り、
「――――――ノエル様」
アルメリアは翼を折りたたみながら安堵の表情で勝者の名を呼ぶ。
「――――――決着はつきました」
ノエルはアルメリアへ事の終わりを告げつつも、その場に膝をつき険しい表情を浮かべるスコールの首元に切っ先を突き付け見据える。
スコールの左肩から右脇腹へ掛け刻まれた太刀傷からは血が流れ、その手に握られていた蒼の太刀は刀身の根本で寸分無く切断されていた。
「――――師匠。兵を連れて《冥界》から撤退してください」
唐突に告げられた言葉にスコールは驚愕に目を見開き、後ろで顛末を見守っていたアルメリアは予期していたのか、賛同する様に頷いた。
「できる事なら二度とこの国には来て欲しくはないのですが………………」
「…………わが国が手を引いたとしても他の国々は手を引くまい」
ノエルの懇願に怒りを滲ませ、言葉を返すスコール。
「そもそも私一人退けた所で人間と【魔族】の戦いが終わるわけでもない。他国が《冥界》へ侵攻すれば、この国に限らず多くの国で今と同じ事が起こる」
「………………」
「よしんば他国が侵攻しなかったとしても、私は再び《冥界》へ――――この国に剣を向けるぞ」
と、そこでスコールはコホコホッ!! と小さく咳き込み、一呼吸後に傷の痛みを糧に敵意に研がれた瞳を向ける。
「お前が『正しさ』と信じる戯れ言を護りたいのならば――――敵を殺せ。そこにいる【魔族】の娘がほざいたという『共存』を成し遂げたいのならば、異を唱える者全てを、な。なりふり構わず戯言を実現したいのならば恐らくそれが最も正しい選択だ」
意にそぐわない者を力で淘汰する。それが人であろうが【魔族】であろうが、獣であろうが最も効率的で世界の真理。おそらくはそれこそが世界を築き上げてきたであろう唯一の共通点。
異を唱える者全てを排除すれば残るのは志を共にした者だけであり、歪であっても望むものは手に入る。
そんなスコールの辛辣な言葉にアルメリアは厳しい表情で唇を結ぶが、ノエルはそっと切っ先を首元から離し、
「僕はもう人間も【魔族】も……誰も殺しません」
「これだけの戯言を誰も殺さずに成そうなど出来るはずが……っ!?」
無いっ!! と、甘い幻想を斬り捨てようとしたスコール。
だが、
「【堕天の
一片の迷いも、欠片程の不安も、塵程の恐れもない――――温かな信念と言う意志で満たされたノエルの笑顔に言葉を失い、根負けした様に小さな溜息を付き、眩しげにノエルを見上げるスコール。
「間違いであろうとも歩み続ける……それがお前が見出した『過ち《セイギ》』か」
「はい、それが僕の信じる『正しさ《アヤマチ》』です」
ノエルとスコールは互いに満ち足りた表情で言葉を交わし、
「――――撤退する」
寄り添い合い闇夜を照らす一対の満月の下、響くのは穏やかな宥和の声音。
それから一刻後――――弟子と師の別れと共に闇夜の強襲劇に幕が降ろされた。
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