第2話 冥界 ― Hölle《ヘレ》 ―




 長いのか、短いのかわからない曖昧な意識の消失。そこから冷たい感触と身を嬲る痛みに瞼が開く。


「…………今、のは」


 熱のない静寂に小さな波紋の様に響く弱々しい声。


 霞む意識の中、ぼやける視界に捉えたのは壁に備えられた灯籠の朧気な灯りに冷たく照らされる無骨な石造りの部屋にこの一室を世界と隔絶するように建ち塞ぐ幾重もの淡い鈍い光を放つ鉄格子。

 そして自分の身から容赦なく熱を奪う冷淡な石畳。

 罪人を捕らえ、拘束する為の場所――――――牢獄だ。


「…………夢、か」


 哀愁と喪失感が滲む声。

 土と血で汚れた囚人服に身を包んだ長い白髪の人影。

 その人影はおよそ成人とはいえない幼すぎる華奢な体躯で、その小さな体を包む様に隠しているのは汚れに煤けた長い白髪。その伸びきった古糸の様な白髪からは憔悴に沈む赤黒い瞳に、病人の様な白い肌と血の気のない唇が解れるように開いていた。


 そして囚人服から細く伸びる四肢は血で汚れた包帯が巻かれ、一見すれば死人と見間違えてしまうほど凄惨な姿は拘束の為に四肢に繋がる魔力制御を遮断する鎖。そしてそれに繋がる四つの巨大な鉄球のおかげで辛うじて生きている事がわかる。


「くっ……………………」


 人影は体を苛む灼熱感に奥歯を噛みしめ、場が沈黙に染まりかけた時――――カッ!! と鋭い靴音が沈黙を刺し響いた。

「――――久しいな、ノエル」

 荘厳で冷然。その懐かしい声に白髪の囚人――――ノエルは奔る激痛に堪え、顔を鉄格子へともたげる。


 ノエルの瞳に映るの見慣れた純白の軍服に身を包み、蒼の宝珠を鍔本に組み込んだ太刀を下げる一人の軍人。

「…………師匠」

 ノエルの育ての親であり、剣の師でもあり≪剣聖≫と謳われる公国最強の騎士、スコール=アランサード。


「しばらく見ない間に随分と姿が変わったな」


 冷然とした佇まいは変わりないが、わずかに驚きを含んだように揺れる声音。だが、それは当然の事だと思った。

 自分がスコールに捕らえられ、反逆者として投獄されてから三年。


 この身に宿った唯一無二と言われた【冥具】を取り出す為に公国屈指の魔導師を集め、物理的に【冥具】を取り出そうと体を切り裂かれ、魔導術では全身に巡る魔力経路を壊し魔力の供給を絶つ事をはじめ精神や魂の波長を操作し、果ては禁忌と忌み嫌われていた外法での洗脳まで施された。


 しかし、そのどれもが目に見えた結果や効果はなく、ただひたすら繰り返される。

 幾度となく体を切り刻み、中身をすり潰し、心を嬲り、壊れる寸前で修復――――そんな先の見えない凄惨な実験の日々。


 苛烈という言葉すら生温い実験と肉体に宿す【冥具】の所為か両親譲りの自慢の黒髪は一本残らず白く、瞳は紅く染まり、耳も幾分鋭い形になり、一見すれば【魔族】の様にも見える姿。


 おかげでスコールだけではなく以前の自分を知る人間はその変わりように皆表情を曇らせた。

「…………どうして、ここに?」

 思いもしなかった師の突然の来訪に、戸惑いと疑問に思考を巡らせるノエル。


 意識を失う前にも【冥具】摘出実験を施され、気が狂ってしまえば良いのにと願い、狂えずに終わってしまった現在。

 次の実験開始まで体を休めるしかない愚かでみじめな囚人に成り下がった自分に、今まで一度も顔すら見せなかった師が何の用があるというのだろう。


 戸惑いと疑問に表情を曇らせるノエルへ、迷いにも似た一瞬の間をおきつつも悠然と告げるスコール。


「魔導師共から通達があった――――お前から【冥具】を取り出すのは断念、ゆえに速やかにこれを斬首刑に処すようにとな。」

「そう、ですか」


 まるで長い間待たされたと言うように死への恐怖も、生の渇望も、動揺も無くあっさり答えるノエル。


 そのあまりにも潔さにスコールは一瞬目を見張り、これまでの要求とは違う願いに近い感情を言葉にのせる。


「ノエル、今ならばまだ間に合う。お前の力はこんな事で失っていいものではない……罪を悔い改め、女王への忠誠を誓え」

「それは、できません」


 首を振り、明確な拒絶を示すノエル。


「僕は……【魔族】と戦いたくないです。もう誰も殺したく、ない…………」

 体を嬲る激痛と疲労に次第に意識が薄れ、力なく顔を伏す。

「…………そうか、残念だ」

「……………………………」


 既に事切れたのかノエルは言葉を返す事はなく、その様子に哀愁に眉を顰め、スコールが踵を返した時――――――



 ――――――――――――ジジッ!!



 と、けたたましい音が鳴り、ソレを引き金に牢獄を鮮烈な紅が満たす。


「むっ!?」


 まるで空間そのものを押し潰すように膨れ上がる膨大な魔力に驚愕と共に、ノエルへ振り返るスコール。

 そして驚愕に見開かれた瞳に映るのはノエルの頭上に渦巻く巨大な空間の捻れと、を石畳に刻まれた巨大な紅の術式陣。


「転移魔導術だとっ!?」


 それも三年前、ノエルが【魔族】の少女を助ける為に展開したモノ。

 突然の出来事に思考が鈍るスコールを置き去りに渦から細い一本の腕が現れ、囚人服の襟を掴み、ノエルを渦へと引き込んでいく。


「【魔族】共がっ、ノエルを連れて行くつもりかっ!?」


 そう判断したと同時に立ち並ぶ鉄格子を即座に斬り飛ばし、現れた腕を切り捨てようと踏み込むスコール。 

 だが、それを予期していた様に渦の奥から幾十もの雷撃がノエルとスコールを分断。激しい爆風と共にスコールを飲み込んだ。


「ぐぅっ!!」


 そしてその機を逃がすまいと現れた腕はノエルを渦の中へと引き込み、他の追従を拒む様に空間の捻れは消滅。牢獄はしばらくの間、重い沈黙と土煙に満たされ、視界がうっすらと開けた頃。


「な、なんだこれはっ!?

「騎士団長っ!! ご無事ですかっ!?」


 荒々しい足音共に騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた牢獄番の兵士が二人、騒然とした牢獄の有様に緊張と焦りに表情を強張らせ声を上げる。

 その声に答えるように土煙を裂き、土で汚れた服を払いながら現れるスコール。


「…………無事だ、大事ない」

「ご、ご無事で何よりです!! しかし、これは行った何が起きたのですか?」

「【魔族】共にノエ……囚人を奪われた」

「なっ!?」

「今ならば空間が消滅したとはいえ、魔力の残滓と囚人の持つ【冥具】を探知すれば大方の転移先を特定できる筈だ。急いで魔導師達を此処へ」

「はっ、了解いたしました!! ただちに魔導師の手配を致します!!」


 番兵二人は有言実行とばかりに迅速に駆け出し、スコールは無惨に荒れ果てた牢獄を見やる。


「……………………」


 ――――――もう誰も殺したくない。

 

 罪悪感に塗れ、その過ちの重さに堪えきれず吐き出した言葉が脳裏に浮かび、スコールの瞳が焦燥と悲哀に研がれ、

「死に瀕してなお甘い戯れ言を吐くか……」

ノエルの想いを否定するように背を向け、歩き出す。




「殺し合い以外の道があるなら示してみせるがいい…………ノエル」




††††††††††††††††††††††††††




「…………………ん」

(凄く温かくて、気持ちいい……)

 

 微睡む意識の中、体を包む柔らかな温もりに心が和ぐを感じるノエル。

 それは久しく憶えの無かった感触で、そのあまりの心地良さににより曖昧な意識を深く沈めようとして、


「……………えっ?」


自分にとって二度と感じる事がないものへ驚愕に目を見開くノエル。


 そして真紅となった瞳に映ったのは、深緋色の天井とそこから吊されている美しい曲線で築かれた優雅なシャンデリア。

 壁には繊細な筆遣いで描かれた花や人物の絵画が幾つも並び、絢爛な金の装飾で飾られた巨大な鏡が備えられている。


 そして自分がいるのは天井同様、壁一面を深緋色で統一された気品が溢れ出る二十畳程の広い部屋の片隅。それも部屋の景観を崩さないよう控えめでありながら優美さを感じる装飾を施されたベットの上。自分を優しく包む寝具は淡い茜色で揃えられ、そのどもれもが仕立てたばかりの清潔なもので、意識が途切れる前の石畳とは天国と地獄ほどの差がある代物だ。


 ベットの脇にも高尚さを形にした様に精密かつ清廉な造りの光沢感溢れる物置棚と、座る者へ躊躇いを感じさせる程の流麗な趣を放つ椅子が一つ。

 死を待つばかりの陰湿な牢獄が品位に溢れた煌びやかな一室へ変貌し、


「な、なんでっ!?」


あまりにも懸け離れた場違いな情景に掛けられた布団を押しのけ、跳ね上がるように体を起こすノエル。


「僕、どうしてこんな所に?」


 ノエルは動揺に頭が沸騰しかけるが、冷静を取り戻そうと周囲を見渡しながら自分が置かれている状況を分析してみる。


 意識が途切れる直前、自分はスコールの話をしていた筈。

 それが目が覚めてみれば公国の城内にある賓客室にも勝るとも劣らない豪勢な部屋。


 身につけているのは薄汚い囚人服ではなく、清潔な白一色の上質な綿のパジャマ。ぼさぼさで伸び散らかした白髪も前髪は眉に掛かる程に、後ろは背中に掛かる程度と馴染みのある長さ切り揃えられており、いつものように麻の紐で結い上げれば丁度良い感じだ。


 体に至っては体の隅から隅、骨のどころか魂の芯まで嬲っていた激痛と疲労感は嘘のように消え、数え切れない程身に刻まれていた傷は跡どころシミ一つ無く消えていた。


 ここまで行くと死の淵で自分に都合の良い夢でも見ているのかと頬を思いっきりつねるが、


「…………いひゃい」


千切れるかと思う程の確かな激痛が頬を嬲っているこの状況はまさしく現実。


 ノエルが頬から手を放し、理解に苦しむ状況に呆然とする最中――――カチャッ、と控えめな音を発て部屋のドアが開いた。


「っ!?」


 瞬間、ノエルは来訪者の行動に備えようと布団をはねのけ、その場にしゃがみ込み。


「…………ぁっ」


 瞳に映し出された人影に息を呑んだ。


 目を奪われる雪の様に白い肌に、後頭部で結わえられた清廉な煌めきを宿す長い銀髪。艶やかな銀髪から覗く長く鋭い耳と漆黒の角、優美さをを宿した紅き双眸。気品を象ったようにスッと通る鼻梁に可憐で麗しい桜色の唇。


 自分よりも頭一つ分高い起伏に富んだ豊穣な肢体。首元に真紅の宝石をあしらったブローチが光り、肩が大きく開いたストライプ柄の白のYシャツと赤と黒のチェック柄のフリルスカートが清廉に包み、そこからスラリとした双脚が麗しい脚線美を成し、黒のショートブーツが足下をお淑やかに飾る。


 容姿端麗、花顔柳腰、羞月閉花――――それら賛美を贈る全ての言葉を形にした美貌は女神すら嫉妬を募らせる事を諦めさせる程だ。

 そんな唯一無二の美貌を前にただただ魅入るノエルを女神越えを果たした少女も瞳に捉え、その典雅な双眸が驚愕に見開き。


「ああぁっ!! 目が覚めたのですねっ!!」


 歓喜に声を上げると右手に提げていたバスケットを落とし、


「えっ?」


思考が追いついていないノエルへ駆け寄り、その小さな体を勢い良く抱き寄せた。


「んあっ!?」

「良かったっ、何日もお目覚めにならないから心配したんですよっ!!」

「あ、あのっ!? ちょっっ!?」


 あまりにも唐突すぎる見知らぬ少女からの熱い抱擁。それも少女の実りに実った双丘に顔を埋める形になり、例えがたい心地良さと女性特有の柔らかで甘い香りに体の芯から沸騰する感覚を覚え、一気に全身が茹で上がるノエル。


 少女は喜びに更に強く抱きしめ、安堵に涙ぐみながら笑みを浮かべる。

 更に密着度合いが増した事でノエルの沸騰率も上昇。そのままでは脳みそが煮詰まって気絶してしまうとノエルは少女の腕の中で体を捩らせながら懇願するが。


「あ、あのっ……離して」

「ずっと眠ったままなのかと不安で、不安で…………あぁ、本当に良かった」


 ノエルの声が聞こえていないのか、二度と離さないとばかりに身を預けるように体を寄せ、


「っ!? はっ、離して下さいってばっ!!」


脳みそが煮詰まる直前、少女を無理矢理突き放し抱擁から逃れるノエル。


「いっ、いきなり何するんですかっ!?」

「も、申し訳ありません!! 嬉しくて、つい…………」


 少女は目尻に溜まった涙を人差し指で拭いつつ、羞恥に顔を真っ赤にするノエルへ横路媚び混じりに謝罪する。


「でも、安心しました。その様子なら体も大丈夫そうですね」

「問題ないって…………あっ」


 と、ホッと胸を撫で下ろす少女の言葉に冷静さを欠き突然の出来事に注意が飛んでいたノエルだったが、今更ながらある事に気が付いた。


「あなたは【魔族】ですね? どうやって僕を牢獄から連れ出したのかは知りませんが、一体何の目的があって僕をこんな所へ?」

「あ、そこまで警戒しないで下さい。貴方様に危害を加えようなんて事は思っていません……って、警戒するなというほうが無理ですよね」


 先程まで羞恥心に煮詰まっていた初心な少年の姿は消え、警戒心に研ぎ澄まされた瞳で見据えるノエルを苦笑いで肯定する少女。

 少女は困惑に眉を潜めるも、ノエルの疑心を解く事を最優先にと一歩後ろへ下がり、場を仕切り直すようにコホンッ、と小さく咳払いをする。


「一先ず、貴方様が今置かれている状況について簡単にご説明いたします」

「…………………」


 ノエルは言葉を返すことなく少女を見据え、突発的な事態に即時対応できるよう周囲に注意を張り巡らせる。


「私が貴方様を転移魔導術で牢から救い出し、《人間界》から此方に来て今日で十二日程過ぎました」

「なっ!?」


 少女の言葉に思わず声を上げるノエル。瞬間、また込み上げてくる疑問を口に仕掛けたが、自分を不安げに見つめる少女の様子にグッと堪え、少女もノエルの気持ちを汲む様にに話を続ける。


「此方に到着後、ただちに魔導術による治療に施し筋肉から骨格、血管から神経系と全ての状態を正常に回復させるまでに三日。その後一日は貴方様の髪やお召し物を整えさせて頂き、残りの八日間は《人間界》からの追っ手に警戒しつつ、安静に努め看護させて頂きました。簡単ではありますが以上が貴方様が眠っている間の出来事、そして今の置かれている状況です貴方様は此方には不馴れですので色々と不便だとは思いますが、当面の間は此方で過ごして頂きたいと思っています」


 と、一端話を区切り。


「それとここでの身の周りのお世話は私が致しますので、何かご要望があれば申しつけ下さい」


 まるで自分の不安を和らげようと微笑む少女にノエルはしばらくの沈黙の後、半信半疑といった面持ちで答えた。


「……大体の状況はわかりました。でも、あなたはなんでこんな事を?」

「何故って…………」


 と、ノエルの問い掛けに少女の瞳が僅かに揺れ、気恥ずかしそうに頬を朱に染める。


「その……恩返しの為、です」

「恩返し?」


 ノエルは思いも寄らなかった言葉につぶらな瞳を丸くし、きょとんとするノエルに少女は自分の胸に右手をそっと添えはにかみながら告げる。


「私の名前はアルメリア=D=シャノアール。十二年前、《人間界》で貴方様に救って頂いた【魔族】の娘です」

「……【魔族】の女の子を助けた事はあるけど、でも十二年前って? 一体何の話をしてるんです? それにさっきから人間界人間界って……」

「あぁ、そう言えばお伝えしていませんでしたね。今、貴方様と私がいる《人間界》とは異なる世界――――《冥界》です」


 目の前にいる少女――――――アルメリアと名乗った少女の言葉にノエルはバッと後ろを向き、カーテンを乱暴に開くと突然の変化に渦巻いていた不安も、アルメリアに向けていた疑問も、周囲への警戒も全て吹き飛ばす情景が緋色の双眸に広がる。


「……う、嘘」


 蒼天にはほど遠い鈍色の空と世界を照らす太陽が二つ。

 その下には小さな町が形成できる程の島が幾つも漂い浮かび、その島と戯れる様に悠々と空を舞う大小様様の色鮮やかな竜達。


 そして自分がいるのは灰色の煉瓦を基調とし組み上げられ、建てられた巨大な城の一角。

その居城から連なるのは遠目にもわかる多くの露店や軒下に構えた店、それを囲う様に立ち並ぶ幾多の民家で築かれた活気溢れる城下町。

 世界の粧いこそ異なるものの、そこに息づく命の在り方にノエルは信じられないと目を見開き、アルメリアへとむき直す。


「ここは本当に《冥界》……それに、あっあなたがあの時助けた女の子? でも全然歳が違うし、それに僕が助けたのは三年前で……」

「それは二つの世界の時間軸の違いが原因ですね」

「時間軸?」

「はい。《人間界 》での一日は此方でおよそ四日分の時差があるんです。ですので貴方様があちら三年間過ごしている間、此方は十二年の年月が流れていたんです」

「時間の流れがそんなに違うなんて知らなかった…………」


 ノエルは知らず知らずのウチにベットの上で正座し、異世界の不可思議さに感心の声を漏らす。

 そしてアルメリアは経過心の薄れたノエルの様子に安堵する様に小さく息を付き、すぐ様申し訳なさに表情を曇らせた。


「本当であればあの時すぐにでも助けに行きたかったのですが、父に――――人間、それも軍人を助ける為に危険は冒せない、と止められてしまって…………」

「お父さん?」

「はい」


 と、アルメリアの声音に後悔と罪悪感が滲む。


「貴方様がご自身で切り抜ける可能性もありましたし、その時の私はあまりにも幼く戦う術を知りませんでした。だからどうしても助けに行きたくば、それに見合った力を身の付けろと……」


 アルメリアは姿勢を正し、見る側が息苦しさを覚える程苦々しく頭を下げた。


「私が未熟なばかりに貴方様へご迷惑を掛け、辛い目に合わせてしまって申し訳ありません」

「別に気にしないでください」


 多少の非難を覚悟していたアルメリアだったか、なんら責めの色を感じさせないノエルの声音に驚きに頭をバッと上げ。


「ですが」

「――――僕は助けて貰う資格なんて無かったのに」


 アルメリアの反論を遮る様に今にも消えてしまいそうな程弱々しい声で言葉を重ね。


「えっ?」


 言葉を重ねられた事と小さい声に聞き取れず、形の良い眉を寄せるアルメリア。


「いえ、僕はあなたに感謝こそすれ恨む事なんてありませんよ。だから、自分をあまり責めないで下さい」

「そう、ですか………」


 どこか釈然としたないアルメリアの様子にノエルは「あっ」と話を逸らす様に、小さく苦笑いを見せる。


「そう言えば僕も名乗っていませんでしたね。僕の名前はノエル=レーヴェンハイトです」

「レーヴェンハイト様ですね」

「い、いえ。ノエルって呼び捨てで大丈夫ですよ、シャノアールさん」

「で、でしたら私の事もアルとお呼びください。皆も私の事をそう呼びますので」


 アルメリアはどこか照れながらも馴染みのある愛称を告げ、


「え、良いんですか? 年上の方に……」

「大丈夫ですっ!! そう呼んで頂きたいのですっ!!」


馴れ馴れしくないかと困惑するノエルへ、顔をズズイッ、と近づけ圧力にも似た要望を再度告げる。

 ノエルは今まで感じた事のない圧力にたじろぎながらも「わかりました」と頷き、感謝と礼を込め頭を下げる。


「しばらくの間、よろしくお願いします。アルさん」

「こ、こちらこそよろしくお願いしますね、ノエル様」


 アルメリアもノエルの言葉に慌てて頭を下げ、


 ――――――コンコンッ!!


 と、軽快なノック音が響いた。

 二人は互いに頭を上げ、開けっ放しだったドアへ顔を向けるとそこには一人の男が立っていた。


 アルメリアと同じく艶のある銀髪と切れ長の真紅の瞳。整った顔立ちは涼しさと雄々しさが同居しており、アルメリアよりも頭半個分高い体は軍服の上からでも無駄なく引き締まっているのがわかる。


「ちょいと邪魔するぜ」


 優しく、それでいて力強い声。歳も二十歳前後と若く、正面脇に立つアルメリアと似た雰囲気を感じ取った。

 ノエルはアルメリアの兄か何かかと首を傾げ、青年の来訪が意外だったのか目を丸くするアルメリア。


「お、お父様」

「お父様っ!?」


 予想の上の繋がりにノエルは驚愕に声をあげ、そんなノエルに驚きながらも人懐っこい笑みを浮かべ歩き出す青年。


「どうしてこちらに? もうすぐ隣国との会合へ出向くお時間では?」

「なに、出発する前に娘の恩人の様子を見ておこうと思ってな。どうやら良いタイミングだったみたいだ」


 ノエルの正面に立ち「改めて見てもやっぱり小っこいな」と頭を軽くポンポンと叩く。


「俺の名前はツァイト、アルの親父だ。よろしくな」

「は、はい。僕はノエルといいます」

「ノエル、か。良い名前だな」


 互いに手短に名乗り、ツァイトはまるで自分の子にする様に優しく頭を撫でる。


「すまねぇな。本当は助けに行ってやりたかったんだが立場上、簡単に兵を動かす訳にはいかなくてよ……罪滅ぼしってわけじゃねぇが、暫くウチでゆっくりしてけ」

「あ、ありがとうございます…………」


 撫でられているのが余程心地良いのか、照れながらも嬉しそうに眼を細めるノエル。

 そんなノエルの様子にアルメリアがポツリと「可愛い……」と呟き、恨めしそうにツァイトを見やり、ソレに気付いてかツァイトは撫でるのをやめ視線を娘へ向ける。


「あと少ししたら昼だ。体の調子も良さそうだし、城下町の案内がてら飯でも食ってくると良い。それと俺がいない間の事は頼んだぞ」

「はい、お父様」

「それじゃ、俺は行くぞ」


 そう言ってツァイトは部屋を出て、ドアが閉まるのと同時にアルメリアがノエルへぺこぺこと何度も頭を下げる。


「申し訳ありません、騒がしい父で」

「いいえ。でも、さっき城下町の案内と行ってましたが……敵対する人間の僕があなた達の町を出歩いても良いんですか?」

「その事に関しては……あの、今のお姿であれば問題ないかと」


 ノエルの問い掛けにアルメリアが気まずそうに答え、その言葉にハッとなるノエル。


「そういえば今の僕って少し【魔族】っぽく見えなくもないですね」

「は、はい。あまり喜ばしい事ではないと思いますが……他国から移民と言う事で怪しまれずに済むと思います。それに万が一、貴方様が人間である事がばれても父の――――国王の保護命令が出されていますので国内だけですが安全は保証されています」

「そうなんですね、よかっ……た…………え? 国王? ツァイトさんが?」

「はい、国王ですが……それが何か?」


 驚愕に吃るノエルになんの気なしに答えるアルメリア。


「…………………………」


ノエルは自分を不思議そうに見つめるアルメリアを呆然と見つめ――――


(――――――僕、とんでもない女の子を助けちゃったんだな)


と、ただただ呆気にとられていた。



††††††††††††††††††††††††††



「わぁっ!! すごい人通りですね」


 と、驚きと感心に声を上げるノエル。

 パジャマから白の襟付きシャツと黒のズボンというシンプルな服に着替えたノエルは、アルメリアの付き添い兼案内により件の城下町に来ていた。


 城の窓からでもかなりの賑わいが見て取れたが、実際に目にするとこの国がとても豊かな国なのだと実感する。

 どうやら《冥界》も《人間界》同様にいくつか大陸に分かれ、国単位で領土が分かれているらしい。その中でも六大国の一つ言われるここ《フィラントロピア》はツァイトが約百年前から統治し、比較的穏やかな性質を持つ【魔族】が集まり、生計を立てているとのことだ。


 アルメリアの話では【魔族】は魔力の影響を受けやすい種族で人間に比べ圧倒的に寿命が長く、実年齢一四〇歳のツァイトが青年の姿をしているのもソレが理由らしい。


 城下町を行き交う人々も《人間界》とは異なりアルメリアのように角を持つ者や薄紫といった独特な肌をしている者。その他にも獣人や家畜なのか大柄な魔獣達が荷を引き、賑やかな通りを悠然と往来している。


 初めて異界の生活風景に目を瞠るノエルに、隣にいたアルメリアが頬を緩ませ楽しげに微笑んでいた。


「今日は休日ですし、ちょうど人通りが多くなる時間です。それにこの辺りは城は勿論のこと、民の生活に欠かせないお店が沢山ありますから自然とこうなってしまうんですよ」

「城下町ってこともあるかもしれないですが、【人間界】でも此処まで平和で賑わっている所はそうないのに……」


 と、不意にノエルが言葉を切り、アルメリアを見上げる。


「あの、アルさんは王族で王女様……ですよね?」

「えぇ、そうですが」

「その、王女様が一人で城下町に下りてきて良いんですか? それに王族の方が来たら大騒ぎなるんじゃ……」


 ノエルは不安げに周りをキョロキョロと見回し、そんなノエルに得意げに告げる。


「ご心配には及びませんよ。この国で私より強い者はお父様だけですので、護衛つけ

ていません。城下には普段から足を運んでいますから大きな騒ぎになる事もありませんよ」

「へ? 国王様の次にって……それに普段からって」

「父の方針なんです。王族は国民に開かれた王政を行い、共に歩んでいかなければならないと幼い頃から良く聞かされていました。その為、城での生活に必要なものは全て自分達の足で調達するというのがありまして、幼い頃は侍女や護衛の兵と来ておりました。ですので城下町の店や此処に住まう皆様とは大体顔見知りですし、折を見ては城で一緒にお茶会を開いたりもしていますよ」


 常識的な王族、国では考えられない事をサラリと告げ、まるで住み慣れた家の様に自然体で歩を進めるアルメリアに改めてこの国の凄さを感じるノエル。

 いくら『開かれた王政』といっても王族は王族。あらゆる面で優遇され、あらゆる危険から隔離される特別だ。幼い頃はいくらか保守的な面があった様だが、それでも王族の待遇や在り方としては異様に思えた。


 王族がごく普通の一般人と変わらない在り方を示している。これはどれだけ安定した政を行い、平和に満ち足りた国であってもありえない筈の姿。

 国王であるツァイトがどれだけの事を成し遂げ、どんな方法で今の在り方を実現させたのか自分には想像もできない。


「………………」


 ノエルは安穏と広がる穏やかで温かな日常の光景に否応なし理解し、痛烈なまでに感じでしまった――――――【魔族】も自分達人間と何ら変わらないんだ、と。

 どこにでもあるありふれた大切な日常。ノエルはそのかけがえのない光景を無言で愁いに帯びた瞳で見つめ、


「……ん?」


不意に自分を見つめる視線に気が付いた。

 その視線へ顔を合わせるとどこか嬉しそうに自分を横目で見つめるアルメリアと視線が重なり、


「ど、どうかしたんですか?」

「っ! い、いえ……その、ですね」


慌てて視線を正面に戻すアルメリア。

 ノエルの問い掛けに何故か恥ずかしそうに頬を染め、


「ノ、ノエル様とこうして町を歩けて本当に良かったと思って……」

「アルさん?」


アルメリアの言葉の意図がわからず首を傾げるノエル。

 そのノエルの反応にアルメリアは頬の赤みを一段上げ、ぎこちない笑みで取り繕う。


「そ、ソレはソレとしてどこかお店に入りましょう。この時間だとはやくしないとどこも満席になってしまいそうですし」

「は、はぁ」

「えっと確か近くに美味しいお店が」


 ノエルは半ば強引に話を方向転換したアルメリアを惑い画をで見上げた時。不意に体に軽い衝撃を感じ、


「わっ!?」


まるで鈴が地面に落ちた様なか弱い声が鳴った。


 その声にノエルとアルメリアは視線を正面に戻すと鮮やかな赤髪に鬼の様な黄色い角を覘かせた小さな女の子が尻餅をついていた。


「ご、ごめんなさい……」


 少女はぶつかってしまった事への驚きと申し訳なさに大きく丸い瞳に涙を溜めていた。


「こ、こっちこそごめ……って、冷たっ!?」


 ノエルは少女を立ち上がらせようとして、腹部に刺さる冷たい感触に動きを止め、


「これ、もしかしてアイスクリーム?」


シャツにべったりとついた冷たく淡い水色の軟らかいアイスクリームはその重さにポトッと地面に落ち、それに吊られる様に視線を奔らせると深めの紙皿が無惨にも中身諸共ぐしゃぐしゃになっていた。

 ノエルは気まずさに眉を潜めつつも、少女の手を引き立ち上がらせる。


「ごめんね、アイス駄目にしちゃって……それに怪我とかしてない?」

「うん、だいじょうぶ…………」


 少女の答えに幸いとホッと息を付き、


「ココネッ!?」


ソレとは逆に驚きと不安に満ちた声が正面から飛んできた。


 するとココネと呼ばれた少女はパァッと泣き顔を輝かせ、「お母さんっ!!」と駆け寄って来る女性に抱きついた。

 娘と同様の赤く長い髪に黄色の双角の女性はノエルへペコペコと頭を下げ、


「ごめんね、ボク……ウチの子が迷惑かけて。今、別のお洋服を買ってくるから少し待っていてくれる?」

「そんな、これくらい気にしなくても……」

「でも、良いもので仕立てて貰ってるみたいだし、そう言うわけには……」

「ぼ、僕は平気ですから、ほんとに気にしないで下さい」


ノエルと母親の押し問答にクスッと笑みを溢し、助け船とばかりに右手でパチンッ!! と、指を弾くアルメリア。


 するとノエルの腹部――――アイスの残骸を囲む様に白光の導術陣が浮かび上がり、一瞬の発光と共に消え、残ったのは衝突事故など無かった様に白さを誇るシャツ生地だけ。


 その光景にノエルと親子は目を瞠り、


「あ、あれ? アイスが消えた……」

「皆様、これで大丈夫ですよ」

「ひ、姫様っ!?」


穏やかな笑みを浮かべるアルメリアに細い眼を驚愕にさらに見開き、母親が素っ頓狂な声を上げた。


 母親の動揺っぷりにさすがに顔見知りとはいえ、ご近所さんの様に気安い関係とわけではないらしい。

 が、そんな母親の声に周囲の人々が一斉に王女の存在気が付き、その場で羨望の眼差しを向ける者や黄色い声を上げる者。中には意気揚々と駆け寄ってくる者さえいた。


「ほんとだ、姫さまだ!!」

「えっ、本当にっ!?」

「あぁ、本日も相も変わらずお美しいわ」


 安穏とした風景は一転し、場の変化に【騎士】だった時の名残か、アルメリアを背に庇う様に身構えかけ――――そっと後ろから肩を抱かれた。


「ここは私に合わせて下さいね」


 と、周囲に聞こえない様に小さく耳打ちされ。


「姫様。そっちの坊主はどなたさんだい?」


 左脇にあった八百屋から歩み寄ってきた恰幅の良い捻りハチマキが似合う親父さんが気負う事なく言葉を掛けてくる。


「こんにちわ、八百屋のおじ様。こちらは他国から移住希望のお客様です」


 それに対し同様に気さくに言葉を返すアルメリア。


「へぇ、移住か。こんなちっこいのに凄いな。でも、この国は良い所だから安心して良いぞ。それとここらに家を構えるならウチの店をご贔屓に」

「あ、はい。その時はお世話になります」


 ノエルは豪快さに笑う八百屋の親父に小さい会釈と一緒に答え、こんな感じで良いものかと視線で確認をとろうとしたが、隣では既に何人もの別の住人達と言葉を交わすアルメリアの姿が。


「………………」


 その姿にノエルは感慨深い表情を浮かべていると、


「お兄ちゃん、ここにおひっこししてくるの?」


先程ぶつかった少女――――ココネに好奇心に満ちた眼差しを向けられる。

 その無邪気さに一瞬良心が痛んだが、


「あぁ……うん、多分ね」


それとなく濁しつつ答えるノエル。


 それからノエルはアルメリアと共に城下の人々と取り留めもない世間話を交わし、小一時間が過ぎた頃。ようやく昼食にありつけたのだが……そこでもちょっとした騒ぎになったのは言うまでもない。

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