第4話

 数日後、劉は延焼した研究室の前に立った。室内は煤け、台式計算机はどれも形を留めていなかった。

「何か進展でも?」劉は現場検証の捜査員の一人をつかまえて尋ねた。

「今はまだ検証中だ」捜査員は言葉を濁した。

 歩み寄った背広姿の男が捜査員の肩を叩いた。捜査員は男に敬礼すると、その場をそそくさと離れていった。

「これは電脳病毒(コンピューターウイルス)の仕業だ」男が言った。

「でも、こんなことができる病毒なんて・・・」

「発火が起こったのはどういう状況だった?」

「電子郵件を開いた時でした」

「誰からの?」

「徐という学生ですが」

「徐か。やつは今回の電脳恐怖手段(サイバーテロ)における嫌疑犯(容疑者)だ」

「徐が?」

「公表はしていないが、犯行声明があった」

「信じられない・・・」

「やつは解密高手(クラッカー)だったんだ。自ら放つ病毒でここを消失させるため、それまで徐自らがここに潜伏していたわけだな。事件の数日前から、病毒の感染先を探知する信号が頻繁にこの学院から発せられていたという記録もある」

「病毒の感染先とは?」

「脆弱な微軟(マイクロソフト)製の視窓(ウインドウズ)主機(サーバ)などだ。数年前にあったワーム攻撃を覚えているか?」

「黒色星期五(黒い金曜日)や楊基都督(Yankee Dodle)とか、ですか?」

「SQLスラマーだよ」

「ええ、そういえば」

「英吉利(イギリス)の電脳研究者が公開した編碼(コード)を、この国の黒客(ハッカー)が改変したとされる。その黒客はハンドル名を『獅子』として知られている。今回の犯行声明文には『紅星★電脳連盟』という組織名が使われているが、これはSQLスラマーが公開された『黒客連合』が母体と疑われる。当局は反国家的犯罪として『紅星★電脳連盟』を追求している。この組織は、民運分子(民主化活動分子)、東突(東トルキスタン分裂主義)、疆独分子(新疆独立主義者)、蔵独分子(チベット独立主義者)の一群とも関連があるとみている。首謀者の一員とされる徐は恐怖分子(テロリスト)並びに異議分子(反体制分子)として手配された」

「そうですか・・・」

「研究の方は残念なことをしたな」男は懐から葉巻を出し火をつけた。

 その火を劉は虚ろな表情で見つめた。劉の研究成果は後援(バックアップ)も含め消失し、その後の研究も無期限停止と決定されていた。

「当局としては専門家を増強させたい。君のような。今回のような高知犯罪(知能犯罪)に対処するため」

「当局とは?」

 男は懐から身分証明書を出すと劉に示した。そこには国家電網応急処理中心(国家コンピューター・ネットワーク応急処理センター)・魯某との名前があった。

「僕に捜査に協力しろと。僕のような局外人(アウトサイダー)が?香港に帰ると決めているんです」

「それはどうかな?海帰派の君には、党も数々の支援をしてきたはずだが。第一、徐を追いたいとは思わないのか?すごすごと香港へ逃げ帰るつもりか?」

 劉は海帰派と呼ばれる海外留学経験者の一人だった。この海外留学帰国組に対しては高技術(ハイテク)・風険企業の育成・起業支援を目的に資金援助・免税などの優遇措置が採られていた。約50万人に上るといわれる海外留学生の頭脳流出を食い止め、帰国を促すことが目的だった。その結果、帰創現象(海外帰国者の企業創立ブーム)も顕著となりつつあった。

「少し、考えさせてください」

 男は劉の肩を叩くと部屋を出ていった。そして、葉巻の煙が漂っていた。

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電脳病毒 翳間 皓 @n5dhsfpt

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