拾肆話 鋼人零壱
「みーちゃん」
町中を駈け廻り、開人はようやく美織の姿を見つけた。
美織は、開人の住居があるバーの入り口で、膝を抱えて座り込んでいる。
最近は仕事着のスーツ姿の美織しか見ていなかったので、ブラウスにカーディガン、アンクル丈のパンツという私服姿の美織は、開人の目に新鮮に映っていた。
「……もう、会えないかと思ってました」
今朝方から、美織はそんな不安を感じていた。昨晩みた夢はどういうわけか先輩が転校する前日の記憶だった。また同じことが起こるのではないか? 不安に思い、開人の住居を訪れてみると、始めから誰も存在していなかったかのように中はもぬけの空。家具の類も全て処分されていた。
もしかしたら忘れ物でも取りに戻って来るのではと思い、一時間前からこの場所で待っていたのだ。
「何も言わずに立ち去るつもりだったけど、親友に説得されて目が覚めたよ」
美織の頭を優しく撫でると、開人は美織の隣に腰を下ろした。
「僕が最初に君の前から姿を消した時のことを覚えているかい?」
「……はい。当時の私の人生の中で、一二を争う大事件でしたから」
「僕が消えた理由を、君に話すよ」
「消えた理由?」
「うん」
優しく頷くと、開人は美織の肩を抱き寄せた。突然のことに美織も驚くが、嫌な感じはしなかった。
「僕は、君に恋をしていた」
「えっ?」
頓狂な声を上げ、美織は赤面して開人の顔を見つめる。結果、頬の赤みがさらに増してしまった。
一方通行な想いだとばかり思っていた。
だって先輩は、そんな素振りは全然見せなかったから。
「……だったらどうして、私の前から姿を消したんですか?」
12年振りに告げられた思いは、ある意味では辛いものだった。両想いになれていたのなら、なぜ先輩は姿を消してしまっただろう。
「鋼人である僕が高校生活に溶け込む上で、自分自身に課した三つのルールがある。一つ目は、卒業と同時にその土地を去ること。二つ目は、何らかの理由で鋼人の正体が露見、あるいはその恐れがある場合、即刻その土地を去ること。そして三つ目は……誰かに恋心を抱いてしまった時、その土地を去ることだ」
「どうしてですか……」
「愛した人に、辛い思いをさせたくなかったから」
「あっ……」
開人のその言葉で、美織は全てを察した。その答えは、今の自分達の姿そのものだ。鋼人である開人は何年経っても17歳の頃の姿を保っている。対して、普通の人間である美織は、順当に歳を重ね現在は27歳。
時間の流れは、決して平等ではない。
「外見的に歳を取らない僕の存在は、君を悲しませると思った。だから、想いが膨れ上がる前に僕は姿を消した」
「……私のために」
「……いや、今になって思えばあれは逃げだったんだ。君に真実を告げる勇気が無くて、僕は君のためと言い訳をして逃げだした。肉体的には強靭でも、精神的にはまだ未熟だったんだね」
「だけど、今はこうして真実を話してくれています」
「12年越しにね。とんだヘタレだよ」
苦笑する開人の頭を、こんどは美織は優しく撫でてやった。
「先輩。私は今でも、あなたのことが好きです」
「みーちゃん……」
「一緒にいさせてください」
「……駄目だ。僕はもう、この町にはいられない」
「だったら、私があなたについていきます」
美織の瞳は真剣そのものだった。決して感情だけで言っているわけではない。それは紛れもない彼女の意志であり、願いなのだ。
「それは駄目だよ。君は、この町に必要な人だから」
琴美が理不尽に命が奪われ、その犯人が生徒から慕われる網川だった。生徒達の精神的ショックは凄まじいものだっただろう。真実を知り、その上で生徒達の心の支えとなる大人の存在は絶対に必要だ。今、美織という存在を欠けさせてはならない。
「生徒達を支えてあげられるのは、君しかいないんだ。僕だって君と一緒にいたいけど、独占は出来ない」
「……先輩」
美織の心は揺れていた。
女として愛する人と共にいたいという思い。教師として生徒達の心の支えになってやりたいという思い。
天秤になんて掛けられない。だけど、選ばなければいけない。
「私は……」
教師としての矜持。大人としての責任。そして、愛する人から託された想い。
美織の答えは決まっていた。
「生徒達のために、私はこの町に残ります……」
言葉に出すのは辛かった。だけど、それが美織の選んだ答えだった。
「ありがとう」
美織の身体を開人は優しく抱きしめる。開人の愛した女性は、やはり優しい人だった。
「これで、お別れなんですか」
開人の胸に顔を埋めて、美織は涙声で言う。
「一時的にね」
「えっ?」
涙目の美織が顔を上げる。
「僕はこの町を離れたら、鋼人としての自分と向き合ってみようと思うんだ」
「鋼人である自分と向き合う?」
「今回の事件で色々と考えさせられた。鋼人として僕はこれからどう生きていくべきなのか。じっくり考えてみようと思う。そして、答えが出たら――」
美織の頬を伝う涙を指先で救い上げると、開人は不意に、美織の唇に自身の唇を重ねた。
――えっ? えっ?
半ばパニック状態になりながらも、美織はその状態を受け入れた。憧れの人と唇を重ねる。それだけでとても幸せだった。
「僕は君を迎えに、この町へと戻って来る」
「それって……」
「僕なりの愛の告白」
「……先輩!」
嬉しさのあまり、今度は美織の方から唇を重ねた。機械の身体である開人の唇は生身の人間よりもやや冷たかったが、そんなことはまったく気にならなかった。
「みーちゃん。いや、美織。僕の姿は何年経っても変わらない。それでも僕を愛してくれるかい?」
「もちろんです。あなたの方こそ、私が歳を重ねてお婆さんになっても、変わらず愛してくれますか?」
「もちろんだよ。僕は君を愛し続ける」
両想いは12年越しに実った。これは奇跡だったのか必然だったのかは分からない。確かなのは、二人が今、本当に幸せそうな顔をしているということ。
「あなたを残して先に逝ってしまうであろうことだけが、不安です」
先に最期を迎えるのは自分であろうと美織は悟っていた。だけど、そんな不安は途端に希望に変わる。
「そうとも限らないよ。鋼人は外見的には歳を取らないけど、身体の活動限界は定められている。鋼人の活動限界の平均は約100年。僕はすでに40年稼働しているから、残りの寿命は60年くらいということになる」
「それって」
「うん。美織が90歳近くまで生きる前提になるけど、僕達の最期の時は、それ程変わらないと思うんだ」
「嬉しい」
共に老いることは出来なくても、最期の時は同時期にやってくるかもしれない。死ぬ時のことを思って喜ぶというのも妙な話だが、人生を共有出来ているようで嬉しかった。
「美織。最後に、僕の本当の名前を君に教えようと思う。君と出会った頃に名乗った名も、友永開人もあくまでも偽名だから」
本当の名を教える。それもまた、彼の誠意の表れだった。彼が自分からこの名を名乗るのは、何十年振りのことになるだろう。
「僕の名は
「朝霧零壱」
愛する男性の名を、美織は復唱する。彼女にとっても、この名前はとても大切な物となった。
「美織。僕はそろそろ行かなくてはいけない。一時的にお別れだ」
「……名残惜しいですが、また会えると分かっているから……悲しくはありません」
これは強がりだった。本当ならもっと語らっていたい。だけど、彼はもうこの町にはいられない。
泣き顔は見せずに、せめて笑顔で送り出してあげたい。
「クラスのみんなのことは頼んだよ」
「もちろんです。あの子達に笑顔を取り戻させてみせます」
「春彦にもよろしく」
「はい」
「またね、美織」
零壱の姿は、美織の視界から一瞬で消えた。それは、別れ際の悲しい顔を見られたくないという、零壱の強がりによるものだった。
鋼人は泣くことは出来ないが、泣きそうな顔になることはあるのだから。
「零壱さん。私、待っていますから」
その言葉はきっと、零壱の耳にも届いたことだろう。
零壱が去ってから数分後。
美織は深呼吸をして大きく伸びをした。
考えるのは、これからのことだ。
学校の再開は四日後を予定している。生徒達のメンタルケアにマスコミ対応。課題は山積みだが、教師として、一人の大人として、生徒達のために全力を尽くす所存だ。
春彦のように、すでに前へと踏み出している生徒もいる。彼らもきっと協力してくれるはずだ。一丸となって、これからのことに立ち向かっていかなくてはいけない。
「頑張るぞ!」
自らに言い聞かせるかのように、美織は海に向かって叫ぶ
それに対する返答のように、優しい海風が美織の頬を撫でた。
了
鋼人零壱 -ハガネビトゼロイチ- 湖城マコト @makoto3
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