最終話 深海の死闘

『ファックユー!』

「サノバビッチ!」


 サヨリとゴーマンの交渉はあっという間に決裂した。

「下手に手出しすると<スレッシャー号>みたいなりますわよ」

 サヨリはゴーマンを脅して通信を切った。

 スレッシャー号は1963年に衝撃音とともに沈没した原子力潜水艦である。原因不明の事故だが巨大生物との衝突が事故原因の一つに挙げられていた。


「オトヒメを感知しているとはサーベラスも量子レーダーを持っていますわね」

「こちらでも確認しました。無人潜水艦は今のところ沈黙しているので不明ですが」

 サヨリの推測をチエコが裏付けた。

「お互い見えていると考えるべきね」

 ここからは新時代の潜水艦戦だ。

「有視界戦闘か……」

 サヨリはポンと手を打った。

「サーベラスの目をふさぎましょう」

 ニッと悪い笑みを斗真にむけた。


 ~~~~~


「艦長、量子ソナーがゴーストだらけで使えません」

 水測員が青くなって報告をあげる。

「やってくれたな魔女ども」

 ゴーマンが威嚇するようなうなり声をだした。

「ケルベロス1、2、3に攻撃を指令しろ」

「アイサー!」


 ~~~~~


「この峡谷に潜りましょう」

 サヨリは海図の大陸棚に深く切れこんだ渓谷を指し示した。

 ボース=アインシュタイン凝縮体を使った量子コンパスのおかげでGPS信号のとどかない海中でもシーキャットの現在位置は簡単にしかも正確に把握できていた。


 ケルベロスからの魚雷をかわして峡谷深く沈降していくシーキャット。

 崖っぷちに命中し後方で魚雷が虚しく爆発する。

 爆発の余波を抜けてケルベロスが追跡を開始した。さらに魚雷を発射する。


「しつこい犬ね」

「量子レーダーを確認しました」

 サヨリは斗真をにらんだ。

「人魚たちはみんなサーベラスに行ったみたいで返事がないんです」

 申し訳なさそうに頭をかく。

「オトヒメさまは?」

「ぼくの声は届いてるはずだけどやっぱり返事はありません」

「オトヒメさまは後ろをしっかり追いかけてきてるわ。魚雷がちょうど尻尾を通り過ぎたところ」

 チエコはオトヒメに祈った。

「オトヒメさま魚雷をちょいと壊していただけませんか?あとわたしを色白にしてください」

「その白くした分をわたしにくださると嬉しいのですが」

 色素の薄いノリエがあとに続いた。

 祈りが通じたのか魚雷がすべて爆発した。

「やったー!さすがオトヒメさま!」

 ノリエがガッツポーズをとる。

「深度1000、魚雷の圧潰深度に達しただけ」

 ミツが喜びに水を差す。

「その証拠にほら、まだ黒い」

 チエコと色白の自分の腕を比べる。


「普通ならもっと浅いところで潰れているはず。深深度魚雷でしたね」

 ユウがサヨリにささやいた。

「ええ、でもこれでケルベロスの攻撃手段はなくなりましたわ」

「サヨリさん、一匹先回りしてきます」

 シーキャットのはるか上方浅い深度で追い抜いていくケルベロスがいた。

 深海では高い水圧のため、さすがのシーキャットも速度が落ちていた。

 珍しくサヨリの眉間にしわが刻まれた。

「峡谷の水深はどれくらい?」

「2400メートル、さらに深くなりつつあります」

 ユウが即答した。

「ミサキさん2000につけて」

 発令所の空気が凍りついた。

 シーキャットの潜行限界を越えていた。

「サヨリさん、ケルベロスはおそらく3500以上は潜れるかと……」

 ユウが震え声で念のため確認した。

 無人潜水艦は例外なく有人型より深く潜れる。人間のために費やすリソースを外殻などにまわせるうえ安全係数を小さくとっているためだ。

「ノリエさんアームの準備を」

 サヨリはこたえず新たな指示をくだした。

格闘戦ドッグファイトよ。覚悟なさって」


 シーキャットが水圧に軋みはじめる。

 乙女たちは生きた心地がしなかった。


 深度2000でケルベロスは待ち構えていた。

「こいつ角が生えてきやがった」

 チエコがうめいて過去の画像と比較した。

衝角ラム装備とは念のいったこと」

 サヨリはなかば呆れたような口調だった。

 体当たりなど有人艦にはとてもできない攻撃方法であった。

「スズ、手伝って」

 ミサキが呼びかけた。

「ぎりぎりで右にかわして。わたしが180度ターンさせるからノリエはカン……んんっ、得意技をお願い」

 ミサキはカンチョーと言いかけて恥じらい頬ピンクに染めた。

「お·ま·か·せ」

 恥じらいとは縁のないノリエが赤い瞳でウインクを返した。


 相対距離がみるみる詰まっていく。

 ケルベロスの衝角が迫ってくる。

 操縦桿を握るスズはコールタールの中を進んでいるような嫌な感覚を味わっていた。

 シーキャットがこんなに重いと思ったのは初めてだった。

「ここっ!」

 舵を素早く的確に切る。

 ケルベロスがその動きに追随する。人工知能にしかなしえない反応速度だった。

(遅れた?)

 スズの血の気がどっと引いた。

 ノリエが急流下りの船頭さながら左のタングステンロッドでケルベロスを押しやる。

「しゅっ!」

 ミサキが鋭い呼気とともにシーキャットを反転させた。

「ケツががら空きだ!」

 ノリエが咆哮した。

「ガンヂョーッ!!」

 アームを突き出しロッドをウォータージェット噴射口に狙いたがわずぶちこんだ。


「メーンタンクブロー!急速浮上!」

 サヨリが立ち上がった。

「マサエさん、1番2番深深度魚雷<抱き枕>装填!」

『抱き枕バンバン!来たよこれ!』



 魚雷発射室ではベッドの上に抱き枕よろしくぶら下がっていた深深度魚雷にマサエとアキが別れを告げていた。

「お前を抱いて寝た夜は忘れないよ」

「元気でね。元気に爆発してねー」

 魚雷発射室で寝起きする二人にとってはまさに起居を共にした仲間だった。

 キスをして送り出した。



「1番2番発射!」

 サヨリはタイミングをはかり命じた。

 シーキャットは魚雷発射可能深度だがあとを追って浮上をかけたケルベロスはまだそこまで到達していなかった。

 2本の抱き枕はそれぞれ標的のケルベロスに命中した。

 破砕音を低く長く轟かせてケルベロスは水底に散っていった。


「魚雷、1。来ます!」

 ミツがツインテールごとヘッドホンを両手で押さえた。

「サーベラスね」

 魚雷は峡谷の縁から飛び出してきた。

 オーソドックスにパッシブソナーで魚雷発射音を頼りに撃ってきたのだ。

 だが魚雷はシーキャットを無視して通り過ぎていった。

「オトヒメ狙い?」

 しかしあらゆる物理的攻撃は効かないはずだった。だからこそパワーバランスを壊しかねない脅威なのだ。

「あれかもしれない」

 斗真には心当たりがあった。

「アメリカが以前捕獲に失敗したときに使った薬品、つまり毒物」

「毒物?」

「ぼくは怒らせるだけで効果はないと注意したんだけど、スマトラ島沖でロストしたのは消滅したからだと主張する人たちもいたんです」


「魚雷、爆発しました」

 量子レーダーの映像をクルーたちが注視した。オトヒメの動きが激しくなっていた。

「どう?」

「オトヒメさまは怒っています」

 斗真はオトヒメの声に耳を傾けた。

「ブルートライアングルのときとは比べものにならないくらい怒り狂っています」


「ユウさん、あとはおまかせします!」

「え?ちよっとサヨリさん」

 サヨリは発令所を飛び出していった。


 サヨリは艦長室にワンタッチして魚雷発射室に駆け込んだ。

「マサエさん、これを射出して」

 サヨリは両手に持った高級ブランデーの瓶を差し出した。

「はぁ?」

御神酒おみき


 魚雷発射管から圧縮空気でヘネシーとレミーマルタンが射ち出された。


『サヨリより全クルー。オトヒメさまが怒りをしずめるようお祈りをささげてください。地震や津波をおこさないようお願いしましょう』

 サヨリの涼やかな声がシーキャットに流れた。


 チエコは柏手を打って祈った。

(オトヒメさま、なにとぞ落ち着いてください。暴れないでください。あと色白にしていただけるとありがたいです)


 オトヒメは螺旋を描いてシーキャットを取り巻き、そしてサーベラスへと向かった。

 地震や津波を引き起こすかわりにサーベラスに怒りを叩きつけた。

 激しく揺さぶり尾を打ちつけ締め上げひっくり返した。

 原子炉が緊急停止しサーベラス艦内は阿鼻叫喚に満たされた。


 スレッシャー号の悪夢が再現されようとしていた。ゴーマンはサヨリの警告を思い出し神に許しを乞うた。

 オトヒメのあぎとが大きく開かれサーベラスをくわえた。

 亀裂が走り艦内に浸水が始まった。

 そこでようやくオトヒメは怒りの鉾をおさめシーキャットへと引き返した。

 緊急浮上システムが作動した。スレッシャー号の教訓から原子炉が停止しても浮上できるようになっているのだ。

 サーベラスは海上へとほうほうのていで浮上し難をのがれた。


 〜〜〜〜〜


 夜になりシーキャットの艦内照明が赤に変わった。


 サヨリは今後のことを考えていた。

 通常動力の潜水艦であるシーキャットの航続距離では南極までの往復は不可能だった。

 かといってオトヒメをともなって日本の母港に帰投するのは危険すぎた。万が一の場合甚大な被害をもたらすことになってしまう。

 最善の策は補給を受けながら南極を目指すことだがアメリカがそれを許すとは到底思えなかった。へたに時間をかけるとアジア太平洋条約機構APTOがらみで圧力をかけられたりして身動きがとれなくなるおそれがあった。

 シーキャットが機密のかたまりでなければ行けるところまで行ってあとは出たとこ勝負というのもありなのだが。


「シーキャットが原子力潜水艦ならよかったのにね」

 ユウがぼやいた。

「まったくね、チエコさんどこかに原潜が落ちていませんこと?」

 サヨリは冗談をとばした。

「いやだサヨリさん、原潜なんて落ちているわけないじゃない……アハハ……ハァッ?嘘みたい!サヨリさん原潜が落ちてます!」


 シュウの信天翁が泥にめり込んでいた。

「原子炉は生きているようです」

 チエコが蒸気タービンの騒音から判断した。冷却システムの作動音と温排水も確認できた。

「乗組員は無事かしら」

「楽しく麻雀をしているようです」

 心配するサヨリにミツが教えた。

「肝のすわった艦長のようですね」

「あ、四暗刻を積もりました」

 快哉を叫ぶシュウの大声にミツはボリュームをしぼった。


 〜〜〜〜〜


 南極を目指して航行を始めたシーキャットと信天翁。充電ケーブルが接続され原子炉から有り余る電気を供給されていた。


 2隻の前に潜水艇エビフリャーが現われた。どうやら人魚たちが気をきかせて運んできたようだ。

 シーキャットは漂流していたエビフリャーを収容した。

「わたしのエビフリャー!」

 チヅルが撫でまわした。


「本当に女の子ばかりじゃないか」

 セイルから双眼鏡でのぞくシュウ。

「しかも美形ぞろい」

 副長がつけたした。

「だがしたたかだ」

 シュウは苦い表情を浮かべた。

 泥から掘り出してもらって武装解除もしないとなれば感謝するしかない。

 しかしシーキャット艦長サヨリは助ける前に交換条件を出してきた。南極旅行のエスコートだ。

 守るべきブルートライアングルが消滅し、オトヒメをアメリカやAPTOに渡さないとなれば協力するにくはなかったが……。


「ではいただいていきますね」

 サヨリがシュウに声をかけた。

「ああ」

 シュウは不機嫌そうに返答した。

 シーキャットのアームが大量の食料、飲料水などを信天翁から積み込んだ。

「また遊んでくださいましね」

 シュウはとっとと行けとばかりに手を振る。

 麻雀で勝負を挑まれ負け分を現物で持って行かれたのだ。

「腹黒女サヨリめ!」

 シュウは口の中で罵った。



            終わり









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海遊少女隊 シーキャット 伊勢志摩 @ionesco

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