ヒーロー症候群<下>



 ……あの日の事を、覚えているだろうか。



「――――ッラァ!」


 あの日、世界が超常に堕ちる前の、あの日々の事を。

 空に線路が走る前の街を。駅に<楔>が突き立つ前の事を。

 街のあちこちに異界と接続した異界の門が開き、複数の世界と街が同一座標上に浮かび出る混沌とした光景が日常と化す前の、あの日を。


「――そんなものか幻想ヒーロー! そんなザマで! そんな腑抜けた拳で! 世界を救えるつもりかァ!」


 あの時の世界は、今よりももう少しだけ自由だった。

 それは単に俺たちの若さのせいだったかもしれないし、もしかしたら、そう思っているのも俺だけなのかもしれない。

 ただの感傷かもしれない。こっ恥ずかしい、ただの思い違いかも知れない。

 だけど、覚えている。今でもずっと鮮明に、確かに忘れずにいる。あの赤橙の夕暮れを。


「――うるせぇ!」


 吠えながら、拳を振り抜く。

 ノーガードのままのクライマックスの横っ面を、渾身の左フックで撃ち抜く。

 型も何も有ったものじゃない、不細工な、ただ全体重を拳に預けただけの一撃。

 馬鹿みたいなテレフォンパンチを、クライマックスはまるで自ら当たりに行くように、生身のままで受ける。


「――――効かん!」


 大嘘こいてんじゃねぇ馬鹿。

 しかし、かくいう俺の方も大分ガタが来てるというのが正直な所ではある。

 一度は派手に吹っ飛ばされて、そこから全力疾走でここまで来て、奴の手下を八人のしたところだ。

 全盛期ならいざ知らず、俺ももう若くないしさ。


「うらあっ!」


 更に追撃。やはり防御されなかった右拳は血で滑ったせいで満足な一撃とはならなかった。


「ふん!」


 今度はこちらの番――とばかりに、クライマックスの剛腕が唸る。

 銀に光る鋼鉄手甲、施された「惡」「滅」の装飾が目の前に迫るのを目で見て、しかし回避はせずに、俺もその一撃を正面から受けた。


「――――効くかァ!」


 大嘘こいてんじゃねぇ馬鹿。

 内心、自分自身に毒づきながら、しかしやはり、どうしても回避する気にはなれない。最速たるこの身なら、体力の落ちた今でもその程度の動きは出来る。それでも、そうしなかった。そうしたくないという意地にも似た感情が有った。

 互いに、互いの攻撃を防御することにすら倦んだように、無防備な拳を応酬する。

 不細工な戦いだった。そこには、ヒーローの戦いに抱かれるべき爽快さや正義の輝きなど無かった。

 ただ、剥き出しの感情だけがあった。血と泥にまみれた意地が有るのみだった。


「沈め、マックスピード! 世界を歪めているのは貴様だ! 世界が貴様の正しさに依存する限り、この世の嘆きは消えんのだ!」

「俺が消えて、それでその後はどうなる。お前が人を超越させて、理想の世界を作るって? あぶれた奴らは、それで結局泣くんじゃねえかッ!」

「混乱は一時だ! その後に訪れる超人の時代が、あらゆる痛みと嘆きを流し去る!」

「お前がやろうとしてるのは、救う大の虫を生かす為に小の虫を殺すって事だ。そんなもののどこに正義が有る、そんなザマで、何がヒーローだ!?」

「――――使えんのだ、正義など!」


 右ストレート。

 存在限界を超えて強度を増した鋼鉄に鎧われる文字通りの鉄拳を、真正面から顔面で受ける。

 爆発を思わせる程の極大の衝撃が、目と鼻の間で炸裂する。

 膝が笑う、視界が揺らぐ。いつか見た景色が脳裏に浮かび、消える。


「正義で人は救えん、理想では何も護れん! 故に俺は、もはや英雄では居られんのだ! 俺はただ――悪を滅ぼす鉄槌で在ればいい」

「何のために!」

「護る為に! 人の世とその理とを、悪なる超常に侵させぬ為に!」


 言い合う間にも、拳は応酬される。

 回避を棄てた故の直撃。それを踏まえた上での攻撃。

 一撃ずつ、言葉に乗せて、交換する。


「伴う痛みは俺が背負おう、流される血は俺が贖おう! その血の大河が、世界の歪み流し去ると信じている!」

「――――――ッ!」


 叫びながら、クライマックスの拳が俺の側頭部を打った。

 脳が揺れる。意識が遠のく。あるいはそれは正しいのかもしれない。異界が現れて以降、世の法則は歪んでしまった。かつての法や道徳がその存在を想定したもので無い以上、世界には根本的な改革が必要なのかもしれない。

 たが、しかし。それでも――――


「認められねぇんだよ、そんな物は……ッ!」


 この世に歪みがあるとするならば、この正義こそが歪みなのだろう。

 正しい事は、つまり痛い事だ。間違った事をするのは簡単で、楽で、気分が良い。けれど正しい事には常に痛みが伴う。正しい事は、常に自分以外の為に利益をもたらす行為でなければならない。人が社会に生きる生き物である以上、痛みを負って社会を維持する"正しい人間"でなくてはならない。

 ヒーローはその典型だ。痛かろうが何だろうが、正しい事をし続けなければならないし、その姿を以って模範とし、すべての人に同質の痛みに耐える事を強いる存在でなくてはならない。


「認めていい筈がねえだろうがッ!」


 世界は正義を求めている。正しさに伴う痛みを飲み込み、耐えるための口実を求めている。

 それがヒーローだ。その憧れによって人は痛みを背負い、涙を流し、地べたを這い、苦しまなければならないのだ。

 その痛みに、この超常に堕ちた世界は軋みを上げている。

 世界を歪めているのは、俺の正義だ。

 だが、しかし。それでも。


「お前の理想は、人を救わない」


 人の社会を救う事、人を救う事。

 齎される結果は同じであっても、それらの行動はイコールでは無い。

 例え世界が俺の正義に歪み、軋みを上げているのだとしても。俺の正義が、世界を救う事は無いのだとしても。


「俺はマックスピードだ! 愛と、勇気と! スピードとエグゾーストの戦士!」


 俺の正義は、人を救う正義だと。

 その為に至った答えこそが最速なのだと。

 叫けばねばならない。この正義に希望をかけた人の為に。この正義に憧れて、今も痛みに耐えてくれている者がいる限り。


「世界の人を、誰も彼もを救うなんて出来やしねえさ。けど俺には、だからと割り切って救える人間だけ救おうなんて殊勝な事は言えねえし、世界を変えて多くを救おうなんて大それた事も言えねえ」


 全身の骨が、内臓が、俺を構成する全てが、痛みと衝撃に耐えかねて軋んでいる。

 あと少し、もう少しだけ。お前はヒーローの身体なんだから、この位でへたばってくれるなよ。

 あと一発。それだけ動いたら寝かせてやるから。それまで――――


「けど俺は、一杯助けたいんだよ! たくさん助けて、たくさん護って、たくさん幸せにしたいんだよ! 俺は――人間を助けて生きていたいんだッ!」

「――――お前が、言うのか!」


 激昂する。

 叩きつけられる鉄拳には、クライマックスの明らかな怒りが込められていた。


「お前が! 我ら七人の中で最も狂気に祝福されて産まれ落ちたお前が! それを言うのか!」

「ああ、何度だって言ってやる! 俺は人を助ける! 弱い人を護る! それが歪みだと言うなら、都合の良い道具だと言うなら――――」


 疾走。

 一歩踏み出す毎に、肉体がバラバラになりそうに軋む。

 これで最後だ。これが、最後の一発になる。これが俺の答えだ。


「俺が――――」


 傷を抱えて走る俺の姿は、最速と言うには悲しすぎただろう。

 だが、それでも。知らしめねばなるまい。叩きつけねばなるまい。何故なら俺は、愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士。この街最強最速のヒーロー……


「――――全部救ってやる! 文句は言わせねえ!」


 ……最速ヒーロー、マックスピードなのだから。


「――――――――――――――ッ」


 最後のスピードを乗せた一撃が、クライマックスを撃ち抜いた。

 それを受けたクライマックスが倒れたのと、俺がその場に崩れ落ちたのは、ほぼ同時に。


「…………とどめを刺せ、マックスピード」

「やらねえよ。そういうのは」

「お前の矜持か」

「そうじゃない」


 互いにその場に倒れたまま、途切れ途切れに言葉を応酬する。言葉のやりとりは、拳のそれほど単純ではなかった。


「俺は正義の味方ヒーローだから、正義あんたの味方だ。だから、あんたにとどめを刺すなんて、そんな事するわけねえだろ」

「………………」


 沈黙が続く。

 もはや互いに立ち上がる程の力は無く、とどめを刺す事も、どちらにしても無理だったのだ。


「この<楔>を――――異界と人界の融合を繋ぎ止めるこの要を、俺の能力で限界まで能力を引き出し、以って融合を止め、人界を他の八界から隔絶する……それが、俺の計画だった」

「……本当にできるものかよ、そんな大仰な事が」

「出来るものだ。俺はクライマックスだからな」


 ゆっくりと、クライマックスが立ち上がる。

 ふらふらとおぼつかない足取りで。それでも力強く。


「……なんのつもりだよ」

「すまんな、建速……お前がどうしようと、何を言おうと、俺はもう止まらん。止まれんのだ。もはや俺は、ただ悪を滅ぼす鉄槌としてしか居られんのだ」


 <楔>に触れる。

 黒い雷が迸る。俺の体は、動かない。


「よせ――――――――」

「然らばだ、マックスピード」


 瞬間、塔全体を、星を揺るがす振動が襲った。

 それは、世界の軋みそのものだった。




***




 振動を察知して私たちが上階へ辿り着いたその時、目に付いたのは倒れるマックスピードと、<楔>に干渉するクライマックス。


「な――――――」


 負けたのか? 彼が? まさか。そんな筈は無い。


「……来たか。安心しろ、敗けたのは俺だ。だが、俺は俺で、俺の業を全うさせて貰う」


 爆ぜる雷光。黒い雷は、その存在がもつ絶頂クライマックスの性能を引き出す超越の業。

 人界と異界との融合を阻む<楔>の性能を引き出せば、或いは世界から超常を排す事も可能かもしれない。


「駄目です! そんな事をしたらどうなるか誰にも解らないんですよ!? さっきの振動を感じなかったんですか!? それにこんな事をすれば貴方だって……」

「無論、ただでは済むまいよ。俺も、世界も」


 言いながら、能力の負荷によってか、或いは発生する力場によってか、クライマックスの輪郭が歪んでいく。

 次元干渉の反動が出ている。このままでは世界がどうこうの前に、クライマックス自身が異空間の狭間に消えてしまうだろう。


「俺は、世界を憎むまいとしていた。憎むべきは人でなく、その犯す罪であり、業であると信じていた。だが、違ったのだろうな……どうでも良かったのだ。俺は、俺から大切なものを奪って、尚も歪んだまま回る世界が憎かったのだ。歪みを食って、それでも生き続ける人の姿から目をそらしたかった。俺にはそれが出来なかったから。俺には――正義ヒーローは眩しすぎた」


 妻子を喪って、それでも英雄として在り続けた彼は、いつしか自分自身の正義に歪められていったのだろうか。人を救うと言いながら、一方で人を殴り伏せる。守るために戦うというヒーローの本質は、いつしか彼の信念をも歪めてしまったのだろうか。

 止められはしないのだろうか。マックスピードには出来なかった。私にも、恐らくは何の言葉もかけられないのだろう。

 終わってしまうのだろうか。世界は歪みのままに軋み、砕け散る他に無いのだろうか。


「――――――――ッ!」


 クライマックスの存在が揺らぐ。次元の歪みに呑まれていく。

 マックスピードは立ち上がろうともがく。

 私は意味もなく駆け出した。そうしたところで何ができるわけでも無かった。

 例えば彼を止められる人間が居たとして、それは私では無いのだ。

 結局の所、彼の歪みを止められるのは――――


「――――――――クライマックス!」


 駆け出した私をゆうに追い越して、何かが通り過ぎて行った。

 それは尋常の視力しか持たない私には殆ど消えたようにしか見えない超常の速度で駆ける人間――――彼が生み出した、幼稚で歪んだ英雄ヒーローのようなものだった。


「なんのつもりだ、クライハイ」


 クライマックスに食いかかって、しがみついて、クライハイは彼を<楔>から引き剥がそうとしていた。

 自らもまたクライマックスと共に消滅の危機に瀕しながら、彼は、決してその場を離れようとはしなかった。剥き出しの意思が、歪められた超常の肉体を器にそこに立っていた。


「わかんねぇよ…………っ!」


 今にも泣き出しそうな声で叫んで、クライハイはクライマックスの体を掴んだ。

 泣き出す寸前の声、涙をこぼす直前の瞳。

 響く声は、崩壊を始める建物の騒音の中で、尚も悲痛に響いていた。


「ただ、俺は――――」


 二人の輪郭が、急速にボヤけた。空間が歪んでいる。これがその為に起きる事象である事を、私は知識ではなく実感として理解した。


「俺は―――あんたに憧れたんだッ!」


 崩れる壁、崩落する天井、舞い上がる粉塵。眩む視界、歪む世界。

 クライハイは轟音と衝撃に翻弄されながら、叫んでいる。自分の思いを、その中心にある己の真を。


「俺のお気に入りは、あんたが悪を倒すビデオだった! ああなりたかった! 俺は選ばれたかった! 運命に選ばれて、苦難に愛されて、試練の果てに英雄になりたかった! だからあんたに従ったんだ! ――――俺は、あんたみたいになりたかったから!」


 ……結局のところ、これしかないのだろう。

 正義が彼を歪めて、世界が彼を追い詰めても、彼は生きる事をやめなかった。

 そんな彼を助けるなら、救うのならば。それは友の拳でも、取るに足らない少女の祈りでもないのだろう。

 結局のところ、彼を救えるのは彼自身なのだ。彼が歪めてしまった世界の中に、彼が価値を見出す以外にはないのだ。

 それを促す事が出来るのは、その手によって歪められた者だけなのだ。


「あんたがこれを歪みと言うなら――俺の憧れを否定するなら――――」


 限界に達した歪みによって、空間が爆ぜる。

 崩壊が始まっていた。世界の、それそのものの。

 既存の世界法則から今あるものを隔離するという目的の下に、世界が崩れていく。

 その余波によって、爆心地にほど近かったクライハイが吹き飛んだ。凄まじい速度で。冗談のように。

 最速のヒーローは動けない。私には何もできない。

 ならば、彼の死は避け得ないのか。

 

「――――――――――ッ!」


 揺れが収まった。

 崩壊が止まった。

 世界の歪みは、唐突に霧散した。

 その事実を私が確認するよりも速く、事は起こっていた。

 目に見えない速度。最速と呼ばれるそれには及ばないまでも、私の目には追えない。

 英雄の疾走とは、そういうものだ。


「なんで………」


 吹き飛んだクライハイは、崩落した壁から空へ投げ出される寸前に、その手を掴まれ、助けられていた。

 当然の事だった。何故ならそれをなした彼はこの街で最初のヒーロー。後にも先にも彼以上の英雄の存在を許さない、完全無欠の正義の味方――"ラストヒーロー"クライマックスなのだから。


「俺の…………」


 自身の野望の完遂――世界を救うという行動を前にして、彼は、救わずにはいられなかったのだ。

 どれだけ歪んでも、最後の最後で、人を救うという自らの正義を曲げることは出来なかったのだ。

 恐らくは、そういうものなのだろう。歪みを生むと知りながら、辛く、苦しいと知っていながら、その痛みと、歪みと共に生きていくしかないのだろう。

 彼が英雄であるかぎり。決して癒えることのない、ヒーローという名の病に侵された限りは。


「…………俺の、敗けだ」




***




 ……あの日のことを、思い出していた。



「ちくしょー、覚えてやがれ!」

「いつでもかかってこい!」


 敵の数、4。いずれも上級生。六年生が二人、四年生が一人。もう一人は中学生。

 戦力差は火を見るよりも明らかであり、俺の敗北は何よりも動かし難かっただろう。

 ――――だが、俺は負けない。公園の平和は、今日もヒーローによって守られた!


「なめんなよてめえ! 先輩に言いつけてやっからな! 高校生だぞ!」

「何十人でも連れて来い!」


 両手のグローブは、拳を握れば中で砂鉄が固まる特別製の正義の鉄拳。

 悪を倒す正義が必要ならば、俺に敗走は許されない。

 それが、正義と言うものだ。歪めてはならないものだ。

 どこまでも真っ直ぐに、貫かなければならないものだ。

 どんなに痛くても、辛くても、きっとこれは、続けなければいけない事なのだ。他の誰にでもなく、自分自身のために。

 それが、ヒーローだから。


「俺は、正義のヒーロー…………」


 決めポーズ。正義の特権。ヒーローのお約束。

 高らかに名乗りを決める俺を見て、あの娘が……今日の俺が守った女の子が。笑ってくれた。


「ありがとう。クライマックス」



 ――……この時呼ばれた名前は、今も俺の胸に。

 腐り果てた呪いのように。燃え続ける灯火のように。

 消えることなく、いつまでも。いつまでも。




***



 クライマックスは連行されていった。

 恐らくは、超常犯罪刑務所へ送られる事になるのだろう。

 マックスピードの推測では、きっと報道される事はないだろうという事だった。

 この街の正義の象徴だった男が事件の主犯だと報じれば、街はかつてない不安と混乱に陥るだろう。

 この街にとって、ヒーローとはそういう存在だ。


「クライマックス、笑ってました。連れて行かれる時」

「ああ。ムショの中は知り合いばっかりだろうからな。結構楽しみだったのかも」


 自分が捕まえた怪人や犯罪者。彼らが待つ獄中へ送られながら、クライマックスは笑っていた。

 見る者から一切の不安を消し去るような、ヒーローの笑み。

 それだけで、十分だった。


「で、お前たちはどうすんだい」


 マックスピードの視線の先には、覆面の男たち。クライマックスに異能を目覚めさせられた彼らは、未だ未成年であった事、クライマックスの計画についてはなにも知らなかった事、そして彼自身の証言によって、単にクライマックスに利用されただけとして、罪に問われる事はなかった。

 むしろクライマックスに生命を歪められた被害者として、彼らは放免されたのだった。


「変わらねえよ」


 私たちに背を向けたまま、クライハイが言う。


「少なくとも、俺は」

「そうかい」


 クライハイの顔は見えない。けど私には、不安は無かった。

 彼はきっと大丈夫。彼はきっと、この歪みに寄り添って行けると。


「ここが俺の原点オリジンだ。こっからだ、俺は。こっから……這い上がってやる。お前を超えて、俺は本物になってやる」


 顔は見せないまま、振り向かずに、クライハイは吠えた。

 私には解る。同病相憐れむというやつか。彼もまた、私と同じヒーロー症候群なのだから。

 そのまま歩いて、彼の背中がネオサッポロの夜に消えていくのを、マックスピードと二人、しばし見送った。


「ねえマックスピード」

「なんだ少女」

「引退、するんですか?」

「ん?」

「今朝『俺もそろそろかな』って」

「ああ……」


 眉間に皺を寄せて、低く唸る。

 次なる言葉を、私は固唾を飲んで待った。


「そう思ってたんだけどなぁ……クライマックスのオヤジがあんまり元気だったんで、俺ももうしばらく行けそうかなと思ってよ。……まあアレよ『生涯最速』ってやつでよ、やってこうかなと」

「…………そうですか」

「なんだ、不服かい」

「いいえ」


 とぼけた顔で言うマックスピードの手には、クライマックスが残した「惡」「滅」の鋼鉄手甲。

 きっと、彼はこれからも走り続けるのだろう。なぜなら彼は、愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士。この街最強最速の男――――


「やっぱり、マックスピードは最高です」





***




 ……あの日の事を、覚えている。



『皆様こんにちは。本日もネオサッポロシティチャンネルのお時間がやってまいりました。お相手はこの私、キティ長島』



 敵の数、4。

 いずれも凶器を帯びている。異形の身体。人の理を外れた、怪人。


「なんだァ、てめぇ」


 一人が、俺に気づいた。

 追って他の三人も俺に視線を送る。

 闘わなければ、ならない。


『様々な超常が日常に変わったこの街では、多くのヒーローが日夜平和の為に戦っています。現在ネオサッポロに居るヒーローは850人以上で、依然増加中だそうです。これだけのヒーローが居れば、きっと今日も誰かのオリジン。皆でヒーローの誕生を祝いましょう』


 何処からか聞こえるラジオ放送。

 今日もきっと、誰かのオリジン。何処かで、誰かが戦っている。己の正義の為に。世界が歪んでいても、その正義だけは、きっと変わらない。

 ゆえに、俺は名乗るのだ。己の正義の為に。掲げた拳を振るう意味を、示す為に。


「俺の名はクライハイ。あの人の正義を何処までも天高く響き渡らせるヒーローよ」


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マックスピード:ザ・ヒーロー アスノウズキ @8law

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