ヒーロー症候群<中>



「よう、また会ったなチンピラ」


 私の目の前に躍り出たマックスピードが、クライハイの振り下ろす金属バットを片手で受け止めながら言う。


「生きてやがったのか、最速ヒーロー……!」

「ヒーローだからな。そう簡単に死にやしねえのさ」


 ジリジリと力比べを続けながら、マックスピードはクライハイから目を逸らさないまま、言う。


「状況を教えてくれ、少女」

「クライマックスは駅の上階へ……恐らくは<楔>の下へ向かったと思われます。付いて行った護衛が7人。恐らく、手勢はそれで全てかと」

「なるほどな」


 ドルン、と低くエンジンの音。

 大気を震わせたのは、超人の肉体を稼働させる、彼の心臓の鼓動。


「……つまり、こいつを倒してさっさと行かなきゃマズイって事か」

「待って下さい」


 マックスピードが振り返って私を見る。クライハイもまた、私を見ている。

 怪訝な顔つきだった。私の真意を測りかねた顔だった。


「この男は、私に任せて下さい」


 助けを求めれば、ヒーローは現れる。それはこの街の真実で、彼がその真実の忠実な執行者であるにしても、私はそれに頼り切ってはいけないのだ。

 わたしが彼の相棒である以上、助けを求めるのでなく、私は彼を助けなければならならないのだから。


「……そうかい」


 不意に、力くらべの均衡が崩れる。

 その一瞬に両者は大きく後ろへ飛び退いた。仕切り直しだ。

 マックスピードは私の隣に立ち、言った。


「解った。なら任せる」

「はい。任せて下さい」


 そしてそのまま歩き出す。この先の、クライマックスが待つ、その場所へ。


「――行かせる訳ねェだろがッ!」


 全く自分を無視して通り抜けようとするマックスピードに食ってかかるクライハイ。

 今度は、私がその前に立ち塞がる番だ。


「幸運を祈るぜ、相棒」

「そちらこそ。ご武運を、相棒」


 言い終わるや否や、一陣の風となって駆け出す最速ヒーロー。

 彼の行く道は、私が開かなければならない。私は彼の相棒だ。誰よりも早く駆け抜けるあの人の霧払いだ。


「さあ、相手になりますよ。クライハイ」


 もう助けは来ない。

 ここから先は、私の戦いだ。






***





 ネオサッポロステーション。この街の象徴である天空鉄道を中継する中心地であり、異界技術によって地上777階の超高層建築を実現した、ネオサッポロの心臓部である。

 その最上階。世界の全てを睥睨するような展望スペース。777階全フロアの中心を縦一直線に巨大な柱。或いは、一本の<楔>。

 その先端の前に、クライマックスは居た。


「醜い街だとは思わないか」


 凡ゆる感情の消え果ててしまったかのように渇いた、ザラついたクライマックスの声。


「八つの異界に蝕まれ、その侵食を拒みながらも、その技術に縋らねば生きられぬ……寄生虫のような街だ」


 クライマックスの周囲には彼が自身の能力で潜在能力を引き出す事で人間を能力を獲得した8人のヒーロー達。彼らは、クライマックスの声には答えない。人形のように、そこに居る。


「そしてヒーロー。……度し難い存在だろう? 悪が無ければその存在を許容されぬ暴力装置。秩序の奴隷。民衆の道具共」


 クライマックスが振り返る。ガラス玉のような、光を返さない空虚な目が、その中心に俺をとらえた。


「なあ、マックスピード。正義の象徴。この街最速のヒーローよ」


 踏み出す。最速の疾走ではなく、確かな一歩として。

 かつての友へ向けて、今は止めるべき敵を目掛けて。


「お前は――――」


 クライマックスの傍で待機していた奴の部下達が、同時に駆ける。

 ドルン、と低くエンジンの音。正義を執行する、その為の駆動音――

 踏み出す。同時に、世界から音が消失する。


「所詮――――」


 クライマックスの声の、その間隙を縫う様に突撃する奴の部下達。

 先頭の男を手刀で叩き落とし、二人目にボディブロー。

 死に体になって悶絶する二人目の背中を踏み台に跳躍。空中からの急襲によって、同時に3人目と4人目を処理。


「ただの――――」


 踏み出す。

 更に加速。低く響く、心臓のエンジン音。

 目の前の急加速に反応を置き去られた5人目は、己の首を打ち、意識を刈り取った手刀の衝撃にすら気付きはすまい。

 駆け抜けながら、6人、7人。同じく意識を奪う。


「――――」


 さらなる加速。もはやクライマックスの声すら置き去って、俺の肉体は駆動する。

 最後に弾き飛ばされた8人目に、俺の姿が目視出来たかどうか。

 肉体の加速に伴って、思考時間が引き延ばされる。今のクライマックスの声と、かつて共に在った頃のクライマックスの声が重なって、消えた。


「――――ゴチャゴチャうるせぇんだよ、この野郎」


 エンジン音。怒りを乗せて咆哮する、超人のエグゾースト。

 半呼吸の間に、更に加速。クライマックスへ向けて跳躍しながら回転。神速の回転によって加算される運動エネルギーが拳に蓄積される。

 塔の様に巨大なクライマックスの拡張義肢が、盾の如く立ちはだかる。

 しかし、そんなものは関係無い。もはやこの拳を防ぎ得るものなど無いと言うことを、俺は現実として認識していた。


「――――――――ッ!」


 炸裂音。

 放たれた打撃は、刹那の間に17発。

 着弾はほぼ同時に、響いたのはただ1発の炸裂音のみ。

 クライマックスの両腕を覆う鉄塊が砕け、飛散する。

 この間、登場から12秒。

 最速でクライマックスへ辿り着いて、その胸ぐらを掴む。


「いつまでも下らねえ事をベラベラと……いつからそんなみみっちい男になった?」


 ガラス玉の様なクライマックスの目を見た。吐き気のするような、腑抜けた目。あの頃の、ラストヒーローと呼ばれた男なら決してしなかったような、世界に倦んだような目。


「相棒はどうしたマックスピード。クライハイを倒してここまで来たんだろう? 死んだか? 亡骸は見たか? それでもお前はクライハイを殺さずに見逃したのか? なあ最速ヒーロー」

「生きてるさ。アイツの相手はあの娘に任せた」

「馬鹿め、それはと言うのだ。お前は相棒に死ねと命じたのか?」

「逆に聞くが、お前は手前の部下に『殺せ』って命令したのか? ラストヒーローよ」


 静寂。

 例えるならば、一本の線路の上。互いの目的地は、目の前に猛然と迫る対向車の後ろにしか無い。己の本懐を遂げるには、暴走寸前の速度で迫る対向車を、更なる速度と暴力によって粉砕し、踏破して進むより他に無いという。窮まった緊張感。――今、ここに在るのはそれだけだった。


「名乗れよ、お前が俺に言ったんだぜ。ヒーローの作法って奴なんだろう?」

「…………ああ、そうだったな」


 鋼鉄の拡張義肢を砕いた下から出てきたのは、彼本来の両腕。

 彫像のような筋骨の上に纏う鋼手甲には、片腕ずつそれぞれ『惡』『滅』の意匠。この街に初めのヒーローが現れた頃の、ラストヒーローと呼ばれた男の代名詞だった武装。


「俺は"ラストヒーロー"クライマックス。ただ惡を滅ぼす鉄槌として立つ者。世界の超常ゆめを終わらせる者」

「俺は"最速ヒーロー"マックスピード。ただ平和の為に疾る者。世界の日常ゆめを、永久とこしえに護るヒーローよ」


 向かい合い、名乗る。

 互いが互いの信念によって激突するならば、名乗らなければならない。

 それが、ヒーローの掟。

 この街の真実を執行する者の、破れない流儀。


「――行くぞ英雄ヒーローッ!」

「――来い、幻想ヒーローッ!」


 激突は不可避。

 俺たちが、ヒーローと呼ばれるで在る限り――――




***




「俺を、止めるだと?」


 マックスピードを取り逃がしたクライハイが、獣の唸り声のように、低く言う。


「自殺願望でも有るのかてめぇ、なあ、の分際で? 俺に勝てるつもりか? あ?」

「勝てるつもりです。所詮は貴方も人間に過ぎないのだから」


 クライハイの目が血走った。

 逆鱗に触れた確信があった。人間を超えるということ、己が超人であるという事への執着。

 その、恐らくは彼の核心を土足で踏み抜いたという実感があった。


「……もういい。もう喋るなガキ。どの道お前はの世界には必要ねぇ……超人賛歌を歌って逝けや」

「すべての人間を超人に変えて、以って平等とする世界? そんな歪なものを讃える歌なんて、私は歌いたくない」

「黙れ」


 喚くでも怒るでも無い、ただ静かな制止。

 「黙らせる」という目的のために、もはやあらゆる手段を選ばないと決めた者の、ゾッとするほど冷たく静かな宣言。


口で、それ以上の理想を貶すんじゃねえ」

「貴方こそ、その安い暴力で一体どれだけの信念を嘲笑えば気が済むんですか」


 もはや引き下がれない。

 互いに互いの中心を否定しなければ先へは進めないから。

 今目の前に立つ敵が、自分の最も踏みつけてはならないものを、踏みつけようとしているから――――


「ガキが、俺の理想ゆめを否定できるのは――――」

「私の憧れゆめ嘲笑わらえるのは――――」


 踏み出す。

 互いに互いへ向けて距離を詰め、迫りながら、吠える。

 絶対に誰にも否定させない、嘲笑わらわせない。同一の音を重ねるこの咆哮こそが、もはや引き返し不可能な、私たちの地獄への招待状―――


「「――――だけだッ!」」


 叫んだ直後、クライハイは私の目には殆ど瞬間移動にしか見えない人を超えた速度で距離を詰める。

 同時に金属バットを振りかぶり、叩きつける。

 私はクライハイが視界から消えたのを確認した直後に、その先に攻撃が無いことを祈って斜め前方へ飛ぶ。


「――――くだらねぇ!」


 読まれていた。あるいは私の行動など目視してから余裕を持って対処できるとでも言うのか。

 怒号と共に私の横腹につま先がめり込む。痛みと衝撃に呼吸が止まり、視界が霞む。全身を床に打ち付けながら転がるようち吹き飛ぶ私に、クライハイが駆け寄る。殺すために。黙らせる為に。恐らくは、選ばれなかった哀れな人間の存在をこの世からことごとく消し去る為に。


「見ろ! これが差だ! 選ばれた者と、選ばれなかった者の! 俺は選ばれたんだ! 選ばれて、ヒーローになったんだ!」

「――――っ」


 体が痛む。どこかしら骨が折れたのかも知れなかった。もしかしたら内臓も傷んでいるのかも知れない。

 だけど、引けない。引くことは出来ない。は、きっとこんな状況でも絶対に諦めないから。だから、相棒の私がここで諦める訳にはいかない。


「だあああああああああっ!」


 突っ込んできたクライハイに、私は自分から駆け寄って距離を殺した。

 予想外の行動に意表を突かれたか、反応を僅かに遅らせたクライハイに、私はしがみつく。


「離せ!」

「……離しませんっ!」


 金属バットの柄が、額を打った。裂けた皮膚から流れた血が視界を赤く染める。

 しがみつく私の両腕は震えていた。恐らくは、肉体の限界が近い。今すぐ横になって、眠ってしまいたかった。全てを投げ出してしまいたかった。

 しかし、それは許されない。

 彼への憧れが、私の背を押す限り、そして――


「お気に入りの、ビデオ」

「あァ!?」

「私のっ、子供の頃の、お気に入りのビデオは!」


 ――クライハイの為に。私と同じ憧れに突き動かされて、ここに立つ者の為に。


「最速のヒーローの活躍を収めたビデオでした! いつも最速で、だれよりも早く現れてみんなを守るヒーローのビデオ! 私は、それに憧れていました!」


 選ばれた者が居る。神のいたずらによって数奇な運命の下に産まれ、宿命に愛され、苦難に祝福され、あらゆる試練の果てに栄光を掴み取る者が。

 人は、それをヒーローと呼ぶ。


「だから私もっ、ヒーローになりたかった! 私もっ、あの人みたいになりたかった!」


 そして、選ばれた者が選ばれた者として在る事が出来るのは、数多の選ばれなかった者の上に、その存在が在るからに他ならない。

 選ばれなかった者は、ただ外野から選ばれた者の活躍を見ることしか出来ない。


「けど、私はチビで力も弱くて……あの人みたいにはなれなかった! ――私は、選ばれなかった!」


 私は、選ばれなかった。私は苦難に嫌われ、宿命に愛されず、ただ人間として生きてきた。

 それを幸せだと言う者も居る。それが分相応で満ち足りた生き方だと。けど、それで満足できない者も、ここに確かに居るのだ。


「けど、あの人は、私に言ったんです! 『ヒーローを支えるのがほんとのヒーローだ』って、だから、わたしは――」

「うるせぇ!」


密着状態から振り下ろされた拳が、頭部を打った。視界に火花が散る。意識が遠のく。それでも、しがみつく力はゆるめない。


「ごちゃごちゃと! 今度は説教か! 何様のつもりだ!?」

「――っ、私は、ヒーローになるんですっ! 選ばれなくっても! 主役にはなれなくっても! それでもそうなれると、あの人が言ってくれたからっ!」


 止まらない。止まってたまるか。最速じゃなくても、最強じゃなくても、そこに悪が在るなら戦う。救いを求める者が居れば助ける。能力の有る無しでなく、その心こそがヒーローなのだから。


「大事なのは、能力の有る無しなんかじゃないんです! 選ばれたかどうかじゃないんです! ヒーローは、産まれながらにして者の事じゃない! 自らの意思でとする者のことなんだって!」

「黙れぇッ!」


 鬼気迫るクライハイの表情が、眩む視界に見えた。

 殺意に歪んだような、泣き出す寸前の子供のような、悲しい顔だった。


何が悪い! 超人でありたくて、何が悪いんだ! 俺は選ばれたかった! 宿命に愛され、苦難に祝福され、果てなき試練の果てに世界を救いたかった! それの何が悪い! 俺はヒーローになりたかったんだ!」


 ほとんど叫ぶように、クライハイは言う。

 きっとこれが、彼の真実なのだ。はじめからなんとなく解っていた。彼は、私と同じだった。初めから、同じ目をしていた。

 ヒーローに憧れる者の、光り輝くような、目を。


「俺は選ばれたんだ! あの人に! あの日憧れたあの人に、俺は選ばれたんだ!」

「なら――――」


 ただ、彼の憧れは、利用されてしまった。正義すら容易く歪むこの街で、彼の想いはあまりに純粋すぎたのだ。

 ただ、それだけのことに過ぎないのだ。


「――――拳を振るう理由に、他人を使うなっ!」

「――――ッ!」


 どんな正義にも信念が有る。正義とは信念であり、それを守る事こそがその本質なのだ。

 だから、相容れなければ、時には名乗りを上げてぶつからなければならない。

 だから――


「自分の信念を他人に預けるな! 自分の拳を他人に使わせるな! 使われるな! ヒーローなんでしょう! 貴方は! だったら自分で選べ! 選ばれたとか選ばれなかったとか、そんなんじゃなくて、自分で選べ! 貴方はもう選んだ筈だ! だから、――――お前の名前を言ってみろ!」


 もう一度、私の頭部を拳が打った。腑抜けた一撃だった。自分の信念でなく、他人のそれによって振るわれる、スカスカの攻撃だった。

 そして、それが最後になった。


 「……俺の名前は、クライハイだ……ああそうだ。俺は選んだんだ。あの人についてヒーローになれるなら、何も要らねえって。そう願ったんだ」


 クライハイの声は震えていた。

 視線は上げないでおいた。きっと今の顔は、見られたく無いはずだと、そう思ったから。


「けど、ああクソ……それで何を、女殴って、説教されて、こんなザマで俺は……何をっ……!」


 しがみついたまま。視線を上げないまま。

 私は彼にかける言葉を探していた。自分と同じ姿の彼に、かける言葉を。


「俺は、あの人みたいになりたかったのに……!」

「……貴方は選んだんです。選んで、けど間違えてしまった。なら、また選べばいいじゃないですか。今度はまた間違えないように、自分で選べばいいじゃないですか――今日を、貴方の原点オリジンにすれば、いいじゃないですか」

「俺は――――」


 ズン、と重い地響き。音の出所は上階。

 恐らくその音は決着を――最高速マックスピード最高潮クライマックスの、その存在の全てをかけた死闘の、決着を意味していた。


「……行きましょう」


 私は、クライハイに言った。互いにどちらの勝利を願うかは違っても、私たちにはその結末を見届ける義務がある。

 共にヒーローに憧れる者として。

 決して癒えない、ヒーロー症候群におかされた者として。

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