ヒーロー症候群<上>



 高らかに聖戦の開始を宣言し、駆け出した謎のヒーロー集団。

 首領の名は"ラストヒーロー"クライマックス。この街で、かつて最も信頼されたヒーロー。

 その、唐突の乱心。

 止めなければならない。何故なら私はこの街の正義の象徴、"最速ヒーロー"マックスピードの、その相棒なのだから。

 しかし、問題が一つ。


「ごほっ、ごほっ、うえっ……っ!」


 身体能力の差。

 クライマックスの能力によって超人の肉体を得た彼らに、常人が――悲しいほど体育に適性の無い小娘の私が――追いつける道理は無い。

 見失った。そして、息切れしすぎてむせていた。


「ま、まずいぞ……どうしよう……」


 奴らの目的が判然としない以上、ねぐらの見当もつかない。

 どうしよう。これはマズイ。せっかくマックスピードに仕事をまかされたのに――――!


「お困りのようだね、お嬢さん」

「貴方は……!」


 背後から声。

 横には、オープンカフェのテーブルが並んでいる。声の主は、そこに腰掛けた客なのだろう。

 誰なのかは、解っていた。匂いがした。嫌味の無い高貴な香りの香水と、紅茶。瀟洒な匂いに混じって尚濃厚な、鉄の匂い。

 この街最凶最悪のテロリストにして、マックスピードの宿敵。全ての希望を嘲笑し、鮮やかな絶望に変える恐怖の怪人。輝きの簒奪者――――


「灰色怪人グリザイユ……!」

 

 かつて、なし崩し的に彼の支配下に置かれた列車強奪事件に於いて出会って以来の再会。

 あの時彼は、爆弾を付けられて上空数百メートルから落下したはずだ。

 それが当然のように生きている。彼もまた、この街を生きる超常の一人である事の、何よりの証明だ。


「おっと、振り返るのはやめたまえ。ヒーローの相棒が怪人と呑気に立ち話などしていては、醜聞のネタだ。もっとも、君の相棒の評判はもう落ちようが無いかな」

「…………何の用ですか、グリザイユ」

「なに、いつかのお詫びをと思ってね」

「お詫び?」

「先の事件。結果的に君を人質にする事になってしまったが……本来女性を危ない目に遭わせるのは、私のやり方では無いのだよ」


 グリザイユはあくまでも紳士的だった。

 この紳士さを、マックスピードにも見習って欲しい気が、少しした。


「お詫び代わりに、昔話をしてあげよう」

「そんな時間は、」

「昔々、20年前。この街は超常に堕ちた」


 私の声を全く無視して、グリザイユは続けた。

 歌うような、軽い口ぶりだった。


「超常に堕ちた街を守るために立ち上がった、始まりの七人。その中で最も正義感に溢れた男。後にも先にも彼以上の英雄は現れないと、人々は口にしたものだ」

「…………クライマックス」


 マックスピードを含む、始まりの七人。街に超常が現れたその時から、怪人としてその宿敵であり続けた彼は、故に知っているのだ、この街の歴史を。闇に堕ちた大英雄クライマックスの、過去オリジンを。


「彼は七人のリーダーとして、その馬鹿が付く程に愚直な正義感を以て、常に先陣を切って戦った。この街最初にして最大の脅威……第七世界の支配者≪緋の日輪≫を退けられたのも、ひとえに彼があの際物揃いの七人を纏め上げたのが大きいだろう」


 グリザイユの声は、どこか茫洋と、遠くに向けられているようだった。

 或いは、昔を懐かしんでいるのかもしれなかった。


「あれほど憎い敵は居なかった。『善は急げ』を甚だしく履き違えたあの男との決着も、幾度となく邪魔されたものだ。本当に、厄介な男だった。……あの日まではな」

「あの日?」

「…………知るまいな、小さな事件だ。怪人が民間人を殺めただけの。この街でこの手の話を聞くのは、道に落ちた硬貨を見つけるより容易な話だろう。殺したのが、世に名高い至高のヒーローに恨みを持つ怪人だった事と、殺されたのがその妻子だった事を除けば」

「…………!」


 ヒーローに恨みを持った怪人。

 逆恨みで襲われたのはその妻子。

 変わったのは、その日から。


「つまらない話だ。ごまんとあるような、陳腐な筋書きだ。妻子を殺されたヒーローは、それでもその怪人個人を恨む事は無かった。『罪を憎んで人を憎まず』。彼の正義は、愚直すぎた」


 そこで、グリザイユは一旦言葉を切った。

 昔話は、終わったのだろうか。


「ここからは推測だ。徹底して人では無く罪を憎んだ彼が、その憎しみの果てに到達した正義の境地。ロクな物では無いのは当然として、その憎しみは何処へ向かっただろうかね、お嬢さん?」


 話を振られた私は、慎重に言葉を選んだ。間違えた言葉を口にすれば、何かが壊れてしまうような、そんな気がした。


「――この多重顕現都市。超常が日常に変わってしまった、この世界そのもの」

「…………」


 グリザイユは答えない。沈黙は、恐らくは肯定だった。


「彼は、自身の能力で超人を生み出している。ゆくゆくはすべての人間を超人に作り変える気だろう、夥しい犠牲を伴ってね。この世の全てが超人ならば、弱者が――妻子が死ぬ事は無かったとでも思っているのかもしれないな」

「そんな、そんなのは間違ってる」

「推測さ。ただの、何の根拠も無いね」


 仮に、とグリザイユは言葉を繋ぎ、


「この推測が正しかったとするならば、彼らは何処へ向かっただろうね?」

「九界の融合を留める場所……この街の中心。ネオサッポロステーション」


 グリザイユは答えない。沈黙は、恐らくは肯定だ。

 代わりに、グリザイユは呟く。


「あの日、妻子が死んでからも、彼は人々にとって理想の英雄であり続けた。だが、思えばあの日こそが彼の―――ラストヒーロークライマックスの、本当の誕生オリジンだったのかも知れないな」

「――――それは、違うと思います」


 声が震える。相手の格を考えれば当然だ。

 だが、ここは反論しなければならない。これだけは、譲れない。


「妻と子供が殺された後の、憎しみに取り憑かれた彼が本物で、それより前の彼がそうでないなんて認めない。彼のこれまでの正義を、絶対に否定なんてさせません」


 声の震えた、私の格好つかない啖呵を微笑で受け止めて、グリザイユは言った。


「――及第点、と言った所かな。奴の相棒を名乗るなら、その程度の聞き分けの無さは必須だろう。その答えは、是非本人に叩き込んでやるといい」

「もちろん、そのつもりです。私は、あの人の相棒ですから」


 返答に代えて彼が零した笑は、明らかに嘲笑とは別の響きを孕んでいた。

 どこか子供じみた、いたずらめかした笑いだった。


「ならば、いずれまた会うだろう。その時こそ、輝く君の死を簒奪しよう――――グリザイユの名の下に」


 振り返る。

 その先に怪人の姿は無く、声がしていた筈のテラスの空席には、鈍く銀に光るネジが一本転がるのみだった。




***




 頭が重い。

 加えて体が重いのは、実際に感じる重さと同等の瓦礫が体を埋めているからだろう。

 こんな状態で、全身打撲のボロ雑巾のような様で、まだ生きている。ゴキブリ並みにしぶといのも、足に並んで俺の取り柄の一つだ。

 死にはしない。そう簡単には。

 具体的には、存在限界まで性能を引き出された機械化拡張義肢アームド・スマッシャー、『百腕巨頭ヘカトンケイル』の放つ荷電粒子砲の直撃とビル一棟分の崩落に巻き込まれても、なんとか数十分ばかり気を失う程度で済むくらいだ。

 だが、しかし。それだけだ。

 どうにも立ち上がれない。立ち上がる気になれない、と言うべきか。


『人の足を止めるのは絶望でなく諦観だ。俺たちは、決して自分自身の正義を諦めてはいけない』


 クソ真面目な正義漢が言った言葉が、鈍い思考に反響リフレインする。

 うるせえ、と内心で呟いた。初めてこの言葉を聞いた時と同じ感想だった。

 あの時、ただ力が強いだけの事を、強さと履き違えていたあの頃。

 俺を打ち負かしたあの男は、得意満面にそう言いやがったのだ。


『力が強いだけでそう名乗れるほど、正義の味方は甘くないぞ――――お前のその拳は、悪を砕くために有るんだ』


 瓦礫の隙間から、街の混乱が聞こえる。

 とんだ冗談だった。

 こんなご大層なセリフを吐いておいて。あの最高に自堕落でクソ以下な生活から足を洗わせておいて。この街の人間に希望を振りまいておいて。

 その結果が、こんなものか。

 響き渡る混沌。齎される破壊。逃げ惑う市民。

 身じろぎを一つ。瓦礫の山が、僅かに崩れた。


「誰か――――」


 外は混沌に呑まれている。この街の日常。であるが故に、これこそがヒーローが挑み続けなければなない最大の巨悪。


「―――――助けて、ヒーロー……!」


 見も知らぬ誰かの声。理屈でなく、倫理でなく、理想でなく、信念でない。

 ――――絶望の空にその名を呼べば、ヒーローは現れる。

 それが、それだけが、超常に堕ちてしまったこの街の、ただ一つの真実。

 あの時の、あの馬鹿真面目な正義漢が追い求めて、結実した正義の形。

 身じろぎを一つ。瓦礫の山が崩れる。

 そのまま、力任せに身を起こして、この身を埋め尽くす縛めを跳ね飛ばす。

 ――誰かが助けを呼べば、何度でも立ち上がる。

 俺は悪の敵では無く、正義の味方。弱者の味方だ。


「――――勿論、助けるさ」


 泣き崩れる市民の傍に立ち、そう告げる。

 俺が来たからには、もう何の心配も要らないと。

 いつもひたすらに、お約束ハッピーエンドを飽きもせずになぞり続けて来た。求めるのは、常に最高速の平和な日常リフレイン――――そう俺は、それ以外の結末を許さない、不寛容なスーパーヒーローだ。


「マックスピードが来たからには、0.2秒で解決だぜ」


 駆ける。

 一歩目から最高速度に達する正義の疾走。場所の見当は大方付いてる。

 少女が先に向かってるだろうから、ヤバくなる前には追いつかねば。

 なんたって、『善は急げ』が俺のモットーだし。




***




 ネオサッポロステーションは、この混沌の大都市ネオサッポロの、文字通りの中核である。

 かつての札幌駅が異界との接続によって異次元化したこの施設には、今の私たちが住む<第一世界>と、<第二世界>から<第九世界>まで観測された9界の融合を繋ぎ止める次元の<楔>が存在する。

 この楔が消えれば、今私たちの住む<第一世界>は、水滴がより大きな水滴に吸い込まれて一つになるように、より存在強度の高い他の8界に吸収され、引き裂かれ、崩壊してしまうだろう。

 ここにある<楔>は、人界の異界への吸収を留める為のものであり、であるが故に、この街を未だ人間の住む世界たらしめる心臓部なのである。


「お早い登場だな、『相棒』?」


 落ち着き払った様子で、クライマックスは背後に追いついた私に言った。

 その付近には、クライハイをはじめとした人造の超人達が彼を警護するような陣形で囲んで居る。


「"ラストヒーロー"クライマックス、貴方の野望はこれまでです」

「ここまでだと?」


 重厚な金属音を伴って、クライマックスの機械化拡張義肢アームド・スマッシャーが掲げられる。


「俺のがか? ――この世から超常を排して、一体何の非があるのだ。それこそがヒーローたるものの目指す究極だろう」

「どんな犠牲を伴っても、それで涙を流す人が居ても?」

「必要ならば」

「ふざけるな!」


 頭がくらくらした。血が上って、何も考えられなかった。

 それでも言ってしまった。言わずには居られなかった。


「貴方は最高のヒーローだったはずだ! そのヒーローが……正義の味方がそんなことを口にするな!」

「正義の味方か」


 クライマックスは笑う。感情の乏しい、ただ表情を歪めただけの、渇いた笑いだった。


「俺はもう、そんな不確かな存在ものでは居るに居られんのだ。もはや俺はただ、悪を滅ぼす鉄槌で在れば良い――悪の天敵で在れば、それで良い」


 クライマックスが踵を返す。

 追いかけようとした所で、男が――クライハイと名乗った覆面の男が立ち塞がった。


「クライハイ、その女の相手をしてやれ。始末がついたら合流しろ。残りは俺と共に来い。もはや邪魔は入るまいが、念の為にな」

「待て!」


 構わず駆け出そうとした私の鼻先に、クライハイの金属バットが突きつけられる。


「ガキは帰って寝てろ。良い子にしてりゃあ、お前も人間を超えて明日の朝を迎えられるかもな」

「本気で言ってるんですか」

「ああ。心底な」

「貴方は、超人になったつもりですか」

「つもりもクソもねえ。俺は選ばれて、んだ。あの人のおかげでな」

「ふざけるな」


 私は、目の前の覆面の男の顔を見た。スリットの奥の目を見た。濁った光を返す、彼の目を。


「……気に食わねえな、ガキ。てめェよほど明日が要らねえらしいな」

「私も貴方が気に食わない。最初に見た時から」

「抜かせやガキ」

「仮にもヒーローを名乗るなら不良のような言葉遣いを止めなさい。それに、私は18です。貴方もそう違わないように見えますが?」

「…………気に食わねえ」


 目がくらむ。震えているのは恐怖じゃなく、武者震いだ。

 臆すな。私は、マックスピードの相棒だ!


「――――今の説教、高くついたぞ」

「…………っ!?」


 瞬間。目の前からクライハイの姿が消える。

 その運動能力は、何の能力も持たない人間の私には追いきれない。


「舐め腐りやがって、てめェすんなり逝けると思うなやァ!」

「…………くっ!?」


 反射的に、声のした方向とは逆方向に跳ぶ。

 一瞬前まで私が立っていた地面は、振り下ろされた金属バットの一撃によって砕け、瓦礫の飛沫を散らした。


「…………っ! そうやって、暴力で物を言うのは止めなさい!」

「うるっせェんだよォ!」


 再びの轟音。飛びのいて避けたそこを、超高速で何かが通過する。

 当たれば骨が折れる程度では済まないだろう。

 何としても直撃は避けねば。


「――――――っ!?」

「ちょろちょろしてんじゃあねぇ!」


 避けようとした私の体が、その寸前、空中に縫いとめられる。

 襟首を掴まれていた。そのまま、人を腕力でもって、私の体が宙を舞う。


「がっ、――――」


 辛うじて受け身を取ったものの。全身が軋むような痛みに、感覚が支配された。息が出来ない。吸えない。吐けない。

 激痛にもがく私を見下ろして、クライハイはそこに立っていた。死神のように無慈悲に、死の鉄槌を振り上げて。


「見晒せクズが――――選ばれねえ人間は、こうなンだよ」


 振り下ろす。

 避ける手立ては無い。ただの人間に過ぎない私が、この状況で出来ることは――――


「――――助けて、マックスピード!」


 ただ一つ。信じること。

 信じて、縋って、助けを求めて。ただひたすらに信じることだけ。

 ――絶望の空にその名を呼べば、ヒーローは現れる。その、この街でただ一つの、真実を。


「――おう、任せろ」


 死の鉄槌を食い止めたのは、最速の疾走。

 誰も傷つけさせない。不幸にしない。その果てに辿り着いた結論こそが最速。

 そう、彼はこの街1番の頑固者。

 ――――ハッピーエンドを繰り返す、不寛容なスーパーヒーロー。


「俺の名はマックスピード。助けを呼ばれりゃ0.2秒で現れる、最速無敵のヒーローよ」


 高らかに名乗りを上げて、絶望の空に正義の味方は舞い降りる。

 

 

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