マックスピード:シンドローム

超人賛歌




 ……あの日の事を、思い出していた。





「ちくしょう! 覚えてやがれー!」



 世界は未だ超常を知らず、しかしその実、脅威に満ちていた。


「6年のたっちゃんに言いつけてやっからな!」


 敵の数4。いずれも2年上の上級生。戦力差は火を見るよりも明らかであり、勝敗は幼児でさえ容易に想像できただろう。

 しかし、それでも。退く訳には行かない。食い下がり、勝利する。俺の敗北は、即ち世界の終末を意味するのだ。

 この公園も、砂場も、ブランコもすべり台も、すべて上級生やつらの無法の下に奪われてしまう。

 これぞ世界の危機だ。そんな事は許されない。故に、俺は戦うのだ。巨悪を退ける正義が必要ならば、俺に敗走は許されない――公園の平和は、今日もヒーローの手によって守られた!


「お、お前なんかたっちゃんが来たら一発だからな! たっちゃんやべえんだぞ! 中学生の兄ちゃん居んだぞ!」

「――いつでも来い!」


 悪を討てば、その裏に更なる巨悪が

顔をみせる。

 世界の真理。正義の宿命。なれば来い悪党どもめ。正義の名の下に打ち倒すのみ。

 右手のグローブは特別製。強く握れば中で砂鉄が固まる正義の鉄拳。

 どこからでもかかってこい。世界の平和は俺が護る。


「逃げもかくれもしないぜ、なぜなら俺は……」


 決めポーズ。

 何度も、何度も、鏡の前で繰り返し練習した。ヒーローの特権。

 華麗に決めて、逃げ帰る悪党の背に、高らかに名乗る。


「俺は、正義のヒーロー……――」



 ――……その時名乗った名は、今もこの胸に。

 輝く夢のように。腐り果てた呪いのように。

 消えることなく、いつまでも。





***




「時間だな」


 果てなく高い摩天楼の足元。林立するコンクリートの巨塔達の隙間。

 正午の日も、この混沌の都市の間隙を照らし尽くす事は出来ない。

 灰色の都市。頭上からは暴走寸前の速度で駆け抜ける天空鉄道の走行音が降りしきる。

 九つの世界が融合する街。あらゆる幻想が収束する場所。かつて人々の思い描いた全ての空想が陳腐な日常に堕した街

 ――ここは、ネオサッポロ。混沌の街。不可解と理不尽が渦巻く、暴走する世界の中心――


野望ゆめを叶える時だぜ」


 ――そして、これから俺のものになる街。


「その為の力は手に入った。今こそ俺たちが脚光を浴びる時だ」


 目深に被ったフードの下から、その場に居合わせた者達を見渡す。

 手には思い思いの武器に凶器。そして覆面。あるいはマント。

 ――その姿は、ヒーローのそれに他ならないだろう。俺も同じような格好をしている。すなわち、こいつらは俺の仲間だ。


「――超人賛歌を歌おうぜ。この世の果てまで響くほどに」


 詩人めいている。と、仲間の一人が笑う。覆面の下から笑い返す。

 嘲笑でも、高笑いでもない。ただ静かな、世界の変革を楽しむ為の笑み。

 今こそ、変革は為されるのだ。俺の手によって。俺たちの手によって。


「俺たちが最強になるために――古い看板は降ろして貰うぜ。ヒーロー共」


 その肩書きも栄光も、もはや過去のものだ。これからそうなる。全てを置き去り過去にしてこそ、俺たちの原点オリジンが始まるのだ――


「まずはお前からだ。正義の象徴。この街最強最速の――――」




***




 "最速ヒーロー"マックスピード!


 九つの異世界が突如同一座標上に顕れたこの多重顕現都市、ネオサッポロに、市民の愛と平和を守るニューヒーローの誕生だ!

 若干22歳のニューフェイスながらも、その実力は折り紙つき! 誰よりも早く現場に駆けつけ、誰よりも早く怪人を殲滅する愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士、その名も最速ヒーローマックスピード!

 その疾走は知覚の領域を易々と踏み飛ばした、正にゴッドスピード! 誰をも寄せ付けず、弱きを助け強きを挫く完全無欠のスーパーヒーロー! 助けが欲しけりゃ奴を呼べ! 0.2秒で現れる、その名は……


(20年前の某紙、最速ヒーローマックスピード徹底解剖特集より)




***





『皆様こんにちは。本日も、ネオサッポロシティ・チャンネルのお時間がやってまいりました。お相手は私、キティ長島』


 午後。ネオサッポロの喧騒の隙間。初夏の日差しの射すオフィスに、気怠げなラジオの音が響く。


『天気は概ね晴れ。所によりダークマターの集中豪雨が予測されますので、お出かけの際は傘をお忘れ無く』


 ネオサッポロシティ・チャンネル。"第五世界"出身の新進気鋭の猫人アイドル、キティ長島がラジオパーソナリティを務める、ごく平凡なラジオ放送。

 ミーハーなアイドルファンであるこのオフィスの主が垂れ流すラジオを聞き流しながら、私は机仕事の合間にパソコンでニュースをチェックする。


『様々な超常が日常に変わったこの街では、多くのヒーローが日夜平和の為に戦っています。現在ネオサッポロに居るヒーローは850人以上で、依然増加中だそうです。これだけのヒーローが居れば、きっと今日も誰かの原点オリジン。皆でヒーローの誕生を祝いましょう』


 ニュースになるのは主に若手の活躍だ。『"特攻ヒーロー"ムジョルニア、夜のハイウェイで交通整理』『"マイペースヒーロー"アンダンテ、アイドル活動に意欲的?』『"極幻ヒーロー"ハンゾウ、市内トリックアート展に参上!』……

 芸能ニュースとさした違いも無い内容にざっと目を通して、画面を下にスクロールさせる。


「俺のニュース有ったか?」

「ありませんね」

「なにぃ?……っかしいなあ、なんでだろ」

「最近余り活躍してませんからね」

「こう同業者が増えるとなあ、ちょっと活動しづらくもなるぜ」

「言い訳ですね」

「……毎度手厳しいねしかし」


 非難するようなおっさん――タンクトップに青白ストライプのトランクス一丁というご覧のザマでありながらもこの街最強の一角を担い、"最速ヒーロー"の異名を持つ正義の象徴マックスピード――の声を聞き流して、マウスを操作していた私の手が、思わず止まる。

 視線は、そこに表示された一件のニュースに釘付けになった。


「お、なんだ。俺のニュース見っけた?」

「……クライマックス、引退ですって」

「はあん?」


 "ラストヒーロー"クライマックス。カリスマ的な英雄性ヒロイズムで幾度となく世界規模の事件を解決し、生ける伝説と化した男。漆黒の装束に走る「X」と巨大な機械の両腕がトレードマーク。ネオサッポロが異界と接続した直後の暗黒時代を生きた七人の第一世代ヒーローの内の一人。


「クライマックス……いいヒーローでした。質実剛健で、誠実で」

「なんだよ、『生涯現役クライマックス』がキャッチコピーじゃなかったのかよ」

「……体力の衰えが原因だそうですよ」

「締まらねえな、どうも」


 ふん、と鼻息一つ。

 同世代の引退報道に思うところがあったのか、ふてくされた子供のように、マックスピードはその2m近い巨軀をゴロリとソファに横たえた。

 仕事中だ、と咎める事は無い。いつものことだからだ。安物のソファだけが、その重みに抗議するかのように軋みを上げた。


「……そろそろかな、俺も」

「……え?」


 不意に、天井を睨みながら、ため息まじりに。

 呟くように小さく吐き出された言葉に、私は思わず硬直した。


「それは、どういう――」


 動揺を隠しきれずに問いただそうとした私の声は、けたたましいアラート音によって遮られた。


「……さあ、出勤だ」


 気怠げに立ち上がり、手早く衣装コスチュームに袖を通す。

 彫像のような筋肉の陰影を浮かばせる純白のスーツ。たなびくマント。胸に描かれた青い稲妻めいた「S」の飾り文字――

 アラートから27秒。この街最速最強の男の姿が、そこにあった。


「今日も世界を救うとしよう」


 相棒である私を抱えて、ヒーローは開け放たれた窓から、混沌の街の空へと飛翔した。





***




 マックスピードは最速のヒーローである。

 最速とは、理不尽なまでの彼の能力と同時に、迅速な事件対応を指す言葉でもある。

 マックスピードの動いた事件は、報道陣が駆けつける間も無く収束するのが常であり、これが彼のヒーローとしての最大のウリであり、同時にエンターテイメント性の欠如という最大の欠点にも繋がる要因なのだった。

 その最速ヒーローに抱えられて、いつものように警報から数分とかからず現場へ到着した私達が見た物は――

 

「――あら?」


 怪人。

 そしてそれを、思い思いの凶器で打ち据える市民――


「いや、あれは……!」


 ――否、ヒーロー。その姿をしたもの。

 おだった子供のコスプレじみた安いヒーロー装束。形ばかりの模倣――そう見えているのに、しかし。この男たちが怪人を倒しているという現実。


「なァ、怪人」


 その中の一人、主犯格と思われる男が、倒れた怪人の顎を金属バットの端で持ち上げ、その姿を嘲笑する。


英雄性ヒロイズムって解るだろ?ヒーローが持ってる超常の力――例えば、目からビームが出せるとか、死ぬほど足が速いとか、そういうのだよ」


 フードの下の覆面は、その顔を覆いながらも、その凶暴なまでの笑みを覆い隠せはしない。

 男はさらに暴力的に怪人を見下ろし、言う。


「選ばれた者だけが持ち得る、超人としての特性――それを持って悪さをする奴を怪人、そして善行を為す者を、この街ではヒーローと呼ぶワケだが……」


 唐突に、男が怪人の顔面を蹴り飛ばした。周りに居る男の仲間達が、一斉に笑った。


、弱すぎだろ!」


 嘲笑。

 打ちのめされ、完全に戦意を失った怪人は、うずくまって頭部を守り、震えている。


「なァおいどうした! 世界に選ばれた悪人様よ! 選ばれたンだろォ!? 特別なんだろうがッ! 立てよ! 立って戦え! ヒーローを倒して、世界を台無しにして見せろよ、この――」


 致命的な暴力となって振り下ろされる金属バットが、うずくまる怪人の頭部を打ち砕く、その軌跡の途中。


「――その辺にしとけよ」


 割り込んだのはヒーロー、マックスピード。

 その手に握り止めた金属バットが、強靭極まる握力に軋む。

 致命の一撃を逃れた怪人は、転がるように走り、その場を逃げ去った。


「遅かったな、最速ヒーロー。待ちくたびれたんで先にヤっちまった。悪りぃな」

「……最近のガキってのはどうも嫌味っぽくてイヤだぜ」


 獲物を掴まれた覆面の男と、マックスピード。

 両者の間に、一触即発の空気が流れる。


「嫌味の一つも言いたくなるさ、アンタのせいで怪人クズを一匹逃した」

「あのままやってたら殺すつもりだったんだろうが」

「何か問題が?」

「ああ、有る」


 ――瞬間、轟音。


「――――聞く気は無ェなァ! ショボくれた骨董ヒーローの説教なんざ!」


 獲物である金属バットを掴まれたまま、蹴りを繰り出す覆面の男。

 常人の三倍超に相当するであろうその一撃をもう一方の手で受けるマックスピード。

 同時に、男の仲間も周囲からマックスピードへ飛びかかる。


「――――――ラァッ!」


 気合い一閃。円を描く回し蹴りで、群がる敵を、文字通りに一蹴する。

 神速。常人であるところの私では、その一連の運動動作を目で追うことすら適わない。

 

「――――はっ! なるほど腐っても最速ってワケかい! こいつァとことん虫唾が走るなァ!」


 咆哮しながら、覆面の男は手にした金属バットで再びマックスピードを急襲する。

 拳の甲でその攻撃を受ける度、硬質な金属音が響く。ただ快楽と暴力衝動を解き放つ為だけに振るわれるそれは、男の容姿から想起される英雄性などは欠片も持たない、単なる暴力でしか無かった。


「……名乗れよ」

「あァ!?」

「ヒーローやってんだろうが。なら名乗れよ。戦うんなら、まずは名乗るのが作法ってもんだぜ」


 飛び上がって空中から側頭部を襲う一撃を、マックスピードは手刀で弾き返す。

 男はその衝撃を逆に利用して、空中で身体を反転。勢いのままに大上段からの一撃を叩きつける。


「なら名乗ってやるよ――俺の名はクライハイ! 怪人クズ共の悲鳴を何処までも天高く響き渡らせるヒーローよ!」

「そうかい、なら――――」


 瞬間、マックスピードが獲物を抑えた手を返して、それを掴む。

 目にも止まらぬ速度。男――ヒーロークライハイがその危機を知覚するより一瞬早く、掴んだバッドごとクライハイを振り回し、壁に叩きつける。


「――俺も名乗らせて貰おう。俺はマックスピード。生意気なガキには説教してやらにゃ気が済まん面倒なヒーローよ」


 ギロリと、マックスピードが周囲に待機するクライハイの仲間を見渡す。

 おそらくは彼らのリーダー格であったのだろう。クライハイがやられた状況に、彼らは一様にたじろいで、後ずさった。


「かかって来るなら、お前たちも名乗れ。そうすれば、ヒーローとして相手をしてやる」


 一歩、ヒーロー姿の男たちが後ずさる。一歩退けば、二歩目は恐ろしく近い。二歩退けば、後は敗走在るのみ。彼らが二歩目を退こうとした、その時。


「――――なら、名乗らせて貰うか」


 声。聞こえたのは遥か頭上。天空鉄道の線路が落とす影のパターンを、人型の巨影が破る


「マックスピードっ!」


 その影の正体を、私は知っていた。だから叫んだ。

 破滅的な質量を秘めた機械の両腕。スーツ。たなびくマント。その全てが、夜を塗り込めたかのような漆黒。そして、胸に走る真紅の「X」――――


「――――クライマックスだ」


 かつてこの混沌の街が魔道に堕ちたその時。超常の黎明期を支えた、7人のヒーロー。

 その一人。マックスピードと肩を並べる、この街最強の一角――――

 彼の前にヒーローは無く、彼の後にヒーローは無い。唯一無二にして絶対至高の大英雄――――故にその名は、"ラストヒーロー"クライマックス。


「よしなに頼むぞ"最速ヒーロー"。そして早速だが、今日限りでその看板は降ろして貰う」


 腕。

 常人の数倍の質量を孕んだ巨大な機械の両腕。

 その質量の全てに、更に上空からの重力加速を加算して、マックスピードに叩きつける。

 落雷の如き衝撃に、マックスピードが膝をつく。衝撃は地面を伝い、周囲半径5mに、真円のクレーターを創り出した。


「相変わらず手緩いな建速タケハヤ。最速というには余りに愚鈍――お前ならば、数秒とかからぬ間に一人残さず殲滅し、この攻撃を避ける事など造作も無いだろうに」


 事も無く、まるで偶然に再開した旧友へ声をかけるように気安く。

 死の一撃を見舞いながら、クライマックスの言動や所作には、なんらの動揺も見られなかった。


「……くたびれて隠居したんじゃなかったのかい、ラストヒーロー……!」

「表向きはな。だが、知っているだろう? 俺は生涯現役クライマックスだ。……お前はしばらくそうして居ろ。話はこれからだ」


 漆黒の巨腕が、それを両手で受けるマックスピードを圧する。足元はミシミシと音を立てて亀裂を走らせ、質量の暴力によってその場に釘付けにする。

 何者も、止める術を持たない。マックスピードも、そして当然、この私も。この場にいる誰もが、クライマックスの挙動に固唾を飲み、その言葉を待っている。


「聞け! ネオサッポロの市民達よ!」


 高らかに響くはヒーローの声。雄々しく、固い決意を持って。厳然と語る。


「20年前――あの日、"消失"と呼ばれたあの日を境に、かつての札幌市は姿を消し、超常は日常へ堕した」


 マックスピードは動けない。ヒーローは現れない。何故なら彼は至高にして絶対の英雄。後にも先にも彼以上の救済性を持つヒーローは存在し得ない故に、その名を"ラストヒーロー"。

 ――あり得ないのだ。至高の英雄の歩みを止める者の存在など。


「――私はこれより、世界をあの忌まわしい日より前に戻す!」


 超常の廃絶――世界を危機から救うのがヒーローたるものの宿命ならば、その根源を断つ事に如何な異論が有ろうか。

 そう宣言するクライマックスの声が、ネオサッポロの摩天楼に響き渡る。


「全ての超常を打ち破り、世界を取り戻す! 全ての怪異どもを打ち砕き、世界に清浄を齎す!」


 静止する世界。足を止めた最速ヒーロー。立ち尽くす私――

 覆面の男は――ヒーロー クライハイは、かすかに笑った。


「超人賛歌を歌うのだ! 喉が潰れ果てるまで。より正しき世界の為に!」


 その為に、まず。

 そう、言葉を続けて。ラストヒーローは、英雄としての己を構成する、その力の根源を解放する。


「人々よ、強く在れ。不正を喰らう超越の光に――――」


 雷光。

 迸る赤黒の稲妻。可視化された"力"のイメージ。ラストヒーローの力の根幹たる、その英雄性ヒロイズムの発現――

 

「――――悪の天敵となるのだ!」


 稲妻に打たれた市民が倒れる。

 クライマックスの異能の発現。その存在と名声を構成する彼の<英雄性>そのものの顕現――物体の持つ潜在能力を限界クライマックスまで引き出す、超越の業。

 それを人に用いれば、どうなるか。


「――――そこまで腐りやがったか、クライマックスッ!」


 過剰な能力の増大。人間の限界を超えて引き出される力の奔流。

 耐えられる人間は僅か。

 往来は一瞬にして混乱を極める地獄絵図と化した。


「そうだ。これが俺だ。俺が、この街のヒーロー共の歴史に幕を引く。ラストヒーローの名においてな」

「謎が解けたぜ。あの覆面のガキ共はお前が"力"を引き出した連中だな」

「そうだ」

「……適合できなきゃ、死んでたんじゃねえのか?」

「必要な犠牲だ。悪を滅ぼすために」

「ふざけるな!」


 上から負荷をかける側と、それを下から支える側。どちらがより困難かは火を見るよりも明らかだった。

 しかしその状況で、マックスピードは、徐々に異常質量を誇るクライマックスの機械腕を押し返しつつ有った。

 ――当然の事だった。何故なら彼は、このクライマックスと同じく超常の黎明期を支えた大英雄の一角であり、今なお現役でその力を振るう紛れもない強者であり、この街最強最速の、愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士―――"最速ヒーロー"マックスピードなのだから。


「てめえの計画なぞ知った事か! それがどんなに素晴らしくったって、その為に踏みにじられる人間が居て良いワケが無えッ!」

「……ああ、そうだろうな。解っていたよ。お前なら、当然そう言うだろうさ」


 そう言ったクライマックスは、その漆黒の面の奥でどんな表情をしていたか――

 マックスピードを拘束しつつ、クライマックスは声を上げる。マックスピードに向けてでは無い。市民に向けてでも。その相手は、彼に付き従う覆面の部下達。


「行け、我が子らよ! 我らが悲願を果たす為に! ――――聖戦を始めるぞ!」


 鬨の声。先程までマックスピードに気圧されていた彼らは俄かに勢いを取り戻し、クライハイを筆頭に、一目散に駆け出した。


「――――少女!」


 マックスピード。叫ぶような呼びかけ。私に向けた、声。


「――――追え!」


 是非も無し。その声が聞こえる前に、既に私は駆け出している。

 この街には多くの人が住んでいる。その全てが善人だとは言えないし、そんな人々を全て助けたいとまでは、私には思えない。

 けど、それでも。その人々が徒らに危害を受ける事を、受け入れる事は出来ない。何も知らない人々を利用して、何かを為そうとする者を、許す事は出来ない。

 何故なら私は、この街最強最速にして愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士――"最速"ヒーローマックスピードの、その相棒なのだから。


「――――はいっ!」


 先に走り出した、覆面の男達を追う。

 背後に残したマックスピードを、振り返る事は無い。

 彼は強い。それを誰よりも知っているのは私だ。それを疑うのは侮辱だろう。


「役に、立ってみせる」


 対等になってみせる。彼の相棒として。正義の象徴に、並び立つ者として。





***





「賢明な判断だ」


 クライマックスは、顔色の窺えない声音で告げる。


「二手に分かれた敵を、相棒に追わせる。当然の判断だな。相棒が信用に足る能力を持っているなら」

「はっ」


 鼻で笑ってやる。こいつは何も解ってない。


「あの少女はしっかり者で、パソコンが使えて、算数が得意なんだ。俺の苦手な事は全部できるんだぜ」

「喧嘩屋のお前に出来ない事など山ほど有るだろうよ。立派になったもんな"最速ヒーロー"。チンピラ同然だったお前が」

「褒めんな気持ち悪りぃ。――アンタはあの頃から変わらねェな、あの頃と同じ、クソ真面目な勘違い野郎のままだ」

「何?」


 押し返す。異常なまでに巨大な、腕の形をした鉄塊による戒めを。

 そう、この男は勘違いしている。今自分が相手にしているのが誰なのか、どんな態度で接するべき相手なのか。


「こんなもんでいつまでも俺の頭ァ抑えてられるつもりか? ふざけろよ"ラストヒーロー"。俺の名前を言ってみろ」


 巨腕を跳ね除ける。漆黒の、悪を滅ぼす為の鉄塊を。ドルン、と音が響く。俺の体から出る音。超人の肉体を躍動させる、生命の脈動。俺は愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士。マックスピード。


さ。お前の事はな、マックスピード。――お前は秩序の奴隷。正義を騙る暴力装置だ」

「やめろ」


 間合いを保ったまま、俺たちは円を描くようにジリジリと移動する。

 戦端を開く時を待っていた。怪人と相対したヒーローがそうするように、戦う為の全てを研ぎ澄ましていた。


「お前の口で……正義ヒーローを否定するセリフを吐くんじゃねえ――――ッ!!」


 突進。

 火蓋を切るのは常に俺だ。最速の速攻こそ俺の必勝パターン。

 対してクライマックスは飽くまで落ち着いて、巨大な両腕を構える。

 頭が眩む。際限なく加速を続ける肉体に追随して、思考の速度が上がる。1秒を数分にも引伸ばすような感覚。かつてあの男と背中を合わせた記憶が、思い返される一瞬が、やけに長く感じた。


「――そういう熱くなる所も、よく解っている。友だからな」


 神速に乗せた俺のとび回し蹴りを、機械腕の甲が受ける。火花が散る。砕けはしない。この腕もまた、クライマックスの能力によって存在限界までの性能を引き出されている。

 奴が手にすれば、なまくらの果物ナイフもエクスカリバーに早変わり。これが、奴の無敵の所以だ。


「そう、友だからな。俺にはよく解っている」


 ドルン、と鼓動の音。どこまでも貪欲にスピードを上げる心臓エンジンの鼓動。

 拳。蹴り。手刀。踵。抜手。拳。拳。拳…………1秒に繰り出される連撃は10発を超えて尚も加速を続ける。全てに必殺の威力を込めた連打。この地上の誰にも対応出来はしない。それは、あのラストヒーローでも同じ事。

 だが、しかし。


「――――お前の弱点は、痛いほど解っている」


 この男は、かつてこの街最強であった男であり、後にも先にも彼以上の英雄の存在を許さない究極のヒーロー、クライマックスであり――この俺の友達、スガラ 天蔵テンゾウだった。


「――――――――――ッ」


 赤黒い稲妻が、視界を過る。

 あと僅か一撃で、その堅牢な防御を打ち破ろうというその時に放たれた、彼の能力。その矛先には、先の混乱で親とはぐれたのか、一人呆然と泣きじゃくる一般人の子供。


「それが、お前の弱点だ」


 人間の限界を無理矢理突破させる、劇毒の稲妻。子供が浴びればタダでは済むまい。反射だった。俺は戦闘を放棄して、子供を庇った。庇ってしまった。


「―――― 一手遅れたな、最速ヒーロー」


 機械の腕が、その全力を駆動させて、拳を叩きつける。

 天地を失って揺れる視界の中、俺は吹き飛ばされる自分を、他人事のように遠く感じていた。


「――お前は変わらないな。反吐が出る」


 吐き捨てる。

 クライマックスが、ビルに叩きつけられた俺に掌を向ける。

 その中心のカメラのレンズのような透き通るガラスには、倒れるヒーローの姿が映る。

 単眼の怪物めいたレンズが、光を収束させる。必殺の破壊を齎す前兆。鼓動の音が遠い。超人の肉体は、動かない。


「眠ってくれ、建速タケハヤ。そうすれば、お前は何も見ないで済む。それが、俺のせめてもの慈悲だ」


 閃光。

 漆黒の腕から弾けた光が視界を埋め尽くし、全てを飲み込んだ。

 



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