正義の象徴
首の爆弾リングがバイブする。
機械音の後、小型マイクからノイズ混じりの音が聞こえる。怪人からの着信だ。
『やあ、マックスピード。調子はどうかな』
「あァ? 最悪だ馬鹿。こちとら四時までお楽しみ……」
『やれやれ、相変わらずのダメぶりだな。前回以来輪をかけて腑抜けていると見える』
悪寒。
背筋を氷柱でなぞられるような、暴力的なまでの寒気。
恐怖に似た、まごう事なき戦慄。
『ご機嫌ようヒーロー。私を覚えているかな?』
「てめぇは……!」
その声の主。忘れられるはずもない。幾度となく戦い、その都度倒しきれない宿敵。俺がヒーローとして生きる上で、常に最大の壁であり続ける男ーー
「いつブタ箱から出て来やがった、灰色怪人グリザイユ……!」
『覚えていてくれて何より。君に報復する為に先日自主的に出所させて頂いた』
ドルン、とエンジンの音。
超人的スピードで疾走する俺の肉体が発する鼓動の音が、戦慄と恐怖によって。凍りつくように早められていく。
「抜かせ、また何度でもぶち込んでやる」
『また殺さないつもりか。やれやれ、反吐が出るほど甘いな。そんな事だからこんな状況に陥るのだ。彼女も呆れているよ』
時速500キロの天空鉄道と並走しながら、全身から冷たい汗が噴き出す。
「……少女に替れ」
『嫌だと言ったら?』
「さっさと替れ!」
いやらしい笑い声を残して、声が遠ざかる。
『もしもし、マックスピード?』
「少女! 無事か!? そいつは……!」
少女の短い悲鳴の後、再び老紳士……グリザイユが通話に割り込む。
『充分かね。早く来た方が良い。既に<グレイ>と共に待っているよ』
「てめぇ、その娘に手ぇ出したら、今度はブタ箱じゃ済まさねえぞ」
『それは楽しみだ』
通話が切れる。
宿敵の再登場。人質。これがフィクションなら笑える状況だ。ガキの頃に見たあのビデオのヒーローなら、こんな時どうするだろう。
「……上等だぜ。やってやらあよ、グリザイユ……!」
***
「ふむ、いい反応だ。彼は君にいたくご執心のようだな」
何処からか取り出したティーセットで紅茶を啜りながら、怪人が笑う。
「あなたは一体……」
「知らないかな。まあ無理もないが」
当然、彼の事は知っている。
マックスピードの宿敵。大事件の中心で常に笑っている最悪のテロリスト。
輝きの簒奪者。灰色怪人グリザイユ。
マックスピードは怪人を殺さない。多くのヒーローがそれぞれの正義の元に戦うこの街では、怪人の命を奪うヒーローは珍しく無い。しかし、マックスピードはデビューから一度もそれをしていない。先日の機械怪人も、人工知能は生きたまま超常犯罪刑務所に収監されている。
その信念故に、彼を脅かす宿敵は、決して減らず、彼を狙い続けるのだ。
「……一体、なにが目的でこんなことを?」
「目的はただ、色を奪うこと」
ステッキを弄んで。車内ですでに鉄の塊と化した、かつてこの事件の首謀者であった者を見下ろして。
「世界には、ただ死が在ればいい。生の色は要らない。ただ灰色であることが美しい。全ての死をこの手で刻みたいのだよ、私は」
「…………やはり狂人だ、貴方は」
「怪人さ。正しく、世に仇なす公共の敵」
不意に、グリザイユがステッキで窓の外を示す。
眼下に摩天楼を見下ろす車窓には、憤怒の表情を貼り付けた男の顔。マックスピード。
「そしてアレがヒーロー。そう、それだけのことだ」
そして、死闘が幕を開けた。
***
「やあ、遅かったな最速ヒーロー。もうじき暴走列車は駅に着くぞ。ホームに突っ込めば、どんな被害が起きるかな。賭けでもしようか」
「悪趣味野郎が、性懲りも無くまた出てきやがって……!」
くつくつと笑って、怪人は言う。
「我々は同じコインの裏表。光と影。君がいる限り、私は消えない。そういうものだろう?」
「……お前の戯言に付き合ってるヒマはねえ」
グリザイユの背後。かつてこの事件の首謀者であった男が、今や軋みながら呻く鋼の怪異と化したものが蠢めく。その胸の中心には、ありえない速度で0時を目指して進む歪んだ時計の針。
「これは<グレイ>。私の能力によって生み出した傀儡。駆動する墓標。刻まれ続ける死そのもの……この時計が止まる時、彼は真の死者となり、彷徨える鋼の屍者となり、私の野望を果たす使者となる」
人間の肉体を鋼に変え、その命を糧に駆動させる闇の秘術。怪人グリザイユの能力によって生み出された怪物。
「この能力によって、私はーー」
「ーー悪りぃな、特に意味はねぇけど急ぐんだ」
ドルン、とエンジンの音。
最速で接近して顔面を蹴り上げんとする俺の一撃は、巨大な鋼鉄の塊によって防がれる。
「そう急くな。もっと気品を持って、優雅に、な?」
蹴りを防がれた体制から、右拳を振り下ろす。
またも防がれる。体制不十分の拳では、流石にこれは砕けない。
「なら、よお!」
一撃で無理なら、壊れるまで叩き込む。単純な話だ。
空気摩擦によって発火する拳。僅か十秒の間に叩き込んだ拳の数は、多分大体四百発くらい。
「すっ、飛べやァ!」
アッパーカット。かつて人であったものの、かつて顎であった部位を的確に撃ち抜く。天井を突き破って外に出た敵を追って、外へ。暴走列車の天井へ降り立つ。
「不可解な。そのまま砕くなり車外へ叩き落とすなりすれば良かったろうに」
「あんまりやりたくねぇんだよ。そういうのは」
「相変わらず甘い。そいつはお前を殺そうとした男だぞ」
「そういうこっちゃねえんだよ」
言い終わるより早く、鋼鉄の怪異が殴りかかる。サイドステップで回避が最適。欠伸が出るほどの速度。しかし、
「避けてもいいのか? ヒーロー」
背後には少女。回避すれば直撃。選択肢は無い。怪異の拳を正面からガードする。
「マックスピード!」
「……心底理解できんよ、ヒーロー。敵も味方も誰一人本気で打ち倒さずに、終わりになど出来るものかね」
いつしか、怪人の表情からは笑みが失せ、剥き出しの虚無が覗いている。
世界を呪うような目。見知った宿敵の目だった。
「故に、私は全てを打ち倒し、
立ち上がる。
口の中に溜まった血を吐く。今の衝撃で骨が何本かイかれた。足の筋にも大分負荷がかかっている。
機動力が完全に削がれれば、それは最速ヒーローの死を意味する。
「マックスピード……!」
そんな目で見るなよ。大丈夫だからさ。
「味方も、敵も。弱ければ弱いほどお前は追い詰められる。難儀なものだなヒーロー? 全てを守ると抜かすのか? 結構だな。ならば全て背負って、這いずり回って世界を救って見せろ。それが望みなのだろう」
そうとも。それこそが望みだとも。
常に最速の結末で、常に最高速のハッピーエンド。それ以外は認めないし許さない。
誰も傷つけさせない事こそがハッピーエンドの条件ならば、俺は必ずそうしよう。
「護れなくっちゃあ、戦う甲斐がねえんだよ……!」
故に、全てを終わらせよう。全て何一つ殺めずに、以って終わりとしよう。
それが出来る。何故なら俺は、愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士。
最速ヒーロー、マックスピードなのだから。
「行くぜ」
疾駆。疾走の勢いのまま、鋼鉄の傀儡を、歩く屍体を殴る。
胸の時計は0時まで残すところ約5秒。一歩、次なる加速を踏み出す。
「――――マックスピード!」
おう、なんだい少女。
「その人――助けてあげてください!」
是非も無し。神速。故に、不可能も無し。
「見せてやるぜ、久々にな」
殴りつけたまま、再び疾走。
一歩目で最高速。二歩目で更にその先へ、更に先へ、先の先の先の先へーー
ヒーローであるが故。護りたいと願う故。辿り着いた解こそが最速。
見せてやる。これぞ最速の救済劇。
迫り来る死からさえ、救ってみせる。
「――マックスピード:ライジング!」
***
――刹那、マックスピードの体が眩い閃光そのものとなって、空間を走り、消えた。
「――馬鹿な」
追って、鋼を打つ硬質な音。連続していたそれは次第に感覚を狭め、次第に一つの長い高音の塊にーー鋼の断末魔と化した。
「無駄だマックスピード! その男はもう数秒足らずで……」
あと数秒、たったそれだけの時間で、あの男に残された時間は使い果たされる。
グリザイユの手によって刻まれた死は完全にその身を蝕み、彼を鋼の死者へ新生させる。
「……数秒?」
――故に、私は笑った。
結末への布石は揃った。ならば私は、笑うだけだ。あの人のように。私の憧れたあの人が、勝利の名乗りと共に繰り返しそうしたように。
「それは5秒ですか? それとも2秒? 1秒?」
怪人の虚ろな闇を湛えた目が、私を見る。
しかし、退かない。彼が戦う限り、退く事は許されない。
何故なら私は、愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士……この街最強の男、最速ヒーローマックスピードの、その助手なのだから。
「彼の代わりに私が言います。解っているのでしょう、怪人。輝きの
鋼を打つ音は、その間にも強さと苛烈さを増す。
猶予はあと一秒足らず……そう、余りに長すぎる。
「――貴方の敗因はただ一つ、彼に時間を与えすぎたこと」
刹那。閃光。
視界を焼く光の炸裂の後、怪人と私との間に、彼は着地した。その手に、鋼の棺桶から救い出され、人の姿に戻った男を抱えて。
白いヒーロースーツ。たなびくマント。胸に走る青い「S」の文字。
凡ゆる絶望を砕く最速の男。正義の象徴の姿が、そこに在った。
「さて、手駒は潰したぜ。どうする怪人」
これが、最速。
これが、最強。
私が憧れ、追い求めたヒーローの、その究極。ハッピーエンドを手繰り寄せる、理不尽な正義の疾走。
「ああ」
怪人、グリザイユは天を仰ぎ、つまらなそうにため息を漏らした。
「つまらないな。せっかく死を刻んでやったのに。つまらないその男を、私の記憶に刻んだのに。忘れてしまうな、これでは」
加速を続ける暴走列車の上。その声は、掻き消されて殆ど聞こえない。
「手駒が潰されたなら逃げるさ、然らばヒーロー。私を追うのは、この列車を止めてからにしたまえよ」
言うが早いか、怪人は空へ……上空数千メートルの世界へと、さらりと身を投げて見せた。
「やれやれ潔いこって」
崩れた天井から戦いの一部始終を見ていた私は、そこでふと、彼の異変に気付いた。
「マックスピード、爆弾は?」
「ああ、ちょっとな。イタズラしてみた」
彼はそう言って下方の空を指差す。
その先には、猛然と自由落下する怪人、グリザイユ。
「まったく、私は『傷つけない』対象に入らないのかね」
ネオサッポロ上空に、一発の花火が上がった。
「ダサかったからさ、あいつにつけてやった。ま、憂さ晴らしにはなったかな」
「いつの間に……」
「最速だからな、シュッと外して、サッと付けた」
「それが出来るなら、最初からピンチでもなかったんじゃ……」
「ん」
ギクッ、とあからさまにマズイ顔をして、マックスピードは踵を返した。
「ま、まあその話は後にしようぜ、あいつの言う通り、まずはこいつを止めにゃあ」
出来るんですか、と私は問う。答えは解りきっているが、お約束は何度繰り返しても悪くない。
「できるさ、俺は愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士……最速ヒーロー、マックスピードだからな」
***
事件解決後、当初の首謀者であった怪人が拘束され、連行されて行く。
「ちょっと、すいません」
私は警官に連行される彼の元に近づいて、その胸ぐらを……上着の上から二つ目のボタンを掴み、引きちぎる。
「あっ」
「預かっててあげます。私は捨てませんから、ちゃんと罪を償って、取りに来て下さい」
「うぐぐぐ………!」
泣きながら連行されていくその背中を見送って、私は事件解決にホッと胸をなでおろす。
「やるな。今のはナイスフォロー。300マックスピードポイント進呈だ」
「いつも見てますから」
一時の混乱には見舞われたものの、ここは混沌の多重顕現都市ネオサッポロ。事件の顛末は、早くも日常の中に溶けようとしていた。
「あの人、第二ボタン捨てられたから、こんなことしたんですって」
「そいつはひでぇな」
「彼……グリザイユは、どうしてこんな事をしたんでしょう?」
私の問いに、マックスピードは一瞬遠い目をしてから、呟くように。
「似たようなもんなんじゃねぇか。結局、あいつもさ」
自分が大事に思う物の為に世界を壊そうとした怪人。
同じなのだろうか。あの灰色の紳士も、また……
***
ネオサッポロ某所。とある教会の廃墟。
「また負けてしまったよ」
灰色の服と髪に煤を付けて、尚も瀟洒な雰囲気は欠片も損なわぬまま、紳士は椅子に腰掛けて、虚空に語りかける。
「けど、いつか勝ってみせる。そうして、いつかきっと君の死を、君の存在を、世界の全てに刻みつけて、永遠に記憶させてやる」
狂おしい誓い。妄執。老紳士は灰色のソフト帽を脱ぎ、虚空へ……その視線の先の、聖母のごとく美しい女性の絵に向き直った。
「君の為に。君を愛した、僕のためにね、グレイ」
鮮やかな色彩に彩られた絵には、控えめな灰色の文字で、それを描いた男の名前が添えられている。
老紳士は、ショットグラスに並々注いだウォッカを聖女の瞳に掲げ、飲み干した。
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