マックスピード:ライジング

暴走列車、サンダーボルト





 ……昨夜の出来事を、覚えているだろうか。



「おーおー遠慮は要らねえよ! もーじゃんっじゃん持って来てちょうだい!」


 混沌の多重顕現都市、ネオサッポロ。九つの異世界が同一座標上に存在するこの都市では、その娯楽も混沌の様相を呈する。

 違法合法の如何を問うことすら馬鹿らしい無数のドラッグ、更に刺激的な、他世界文化の妙を垣間見る食物屋台の数々。

 酒も、食事も、女も、突き詰めれば底無しに刺激が得られる。それがこの街、ネオサッポロ。その中心、大歓楽街ネオススキノである。

 ……しかし、そんなものは必要無いだろう?

 無限の快楽? 際限無い刺激? 全くもって不要だとも。今ここにあるものだけで、世界はこんなにも満ち足りているじゃないか。

 そう、元来人間とは、陽と地と詩とで満たされる程度のものなのだから――


「やーん今日のマッちゃん太っ腹〜」

「いやーっはっははは! 僕ちゃん今夜は格別にリッチなのよ! 聞くかい! 俺があの……なんたら言う機械怪人をやっつけた話を!」

「聞きた〜い!」

「そうかそうか!はっははは!」


 ――そう静かに思索し、結果、俺は先日果たした仕事の報酬を握って、行きつけの店で遊ぶ事にしたのだった。

 際限ない快楽? 何を馬鹿な。ここでこうしているだけでこの上無く癒されるのだから、これこそが世界の真理なのだ。

 脇に抱えたボインの姉ちゃんが、俺のヒーロースーツの胸に象られた青い「S」の文字をなぞる。

 笑いが止まらない。可愛いお姉ちゃんとお酒を飲むだけで、大抵の事は満ち足りている。


「けどマッちゃん、今若い助手雇ってるんでしょ? その娘にここの事バレたらマズイんじゃないの〜?」

「構いやしねえよ! 男が呑むって言ってんだ、誰にも文句は言わせねえ!」


 ……見栄を切ってはみたものの、実際そこんとこビビってるのは内緒だ。

 冷や汗を押し流すように、グイッとジョッキを呷る。

 胸元の開いた服のグラマラスなお姉ちゃん達を両脇に抱えて、アルコールを行き渡らせて。ああ、なんて全能感。


「ほんとに大丈夫なの? もういい歳なんだからあんまりハメ外しすぎちゃダメよ? マッちゃん」

「大丈夫大丈夫! こんなもん屁でもねえさ……そう、何故なら俺はーー」



***




 "最速ヒーロー"マックスピード!


 九つの異世界が突如同一座標上に顕れたこの多重顕現都市、ネオサッポロに、市民の愛と平和を守るニューヒーローの誕生だ!

 若干22歳のニューフェイスながらも、その実力は折り紙つき! 誰よりも早く現場に駆けつけ、誰よりも早く怪人を殲滅する愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士、その名も最速ヒーローマックスピード!

 その疾走は知覚の領域を易々と踏み飛ばした、正にゴッドスピード! 誰をも寄せ付けず、弱きを助け強きを挫く完全無欠のスーパーヒーロー! 助けが欲しけりゃ奴を呼べ! 0.2秒で現れる、その名は……


(20年前の某誌、最速ヒーローマックスピード徹底解剖特集より)




***




『抜かったな! 最速ヒーローマックスピード!』


 午前8時30分。通勤ラッシュのネオサッポロ、大通りを起き抜けに疾走する俺の耳に、やかましい高笑いが響く。

 昨夜の全能感は何処へやら。最悪な体調の体を引きずるようにして、遮二無二足を動かす。

 二日酔いの頭にガンガン響く声の出処は、首と、両手足首につけられた揃いのリング。おしゃれで付けてるワケじゃない。流石にそこまで悪趣味じゃないし。


『今、お前に嵌められたリングには高精度の発信機と爆弾が搭載されている。私との距離が一定以上離れると爆発する仕組みだ』


 ご丁寧に説明するヴィランは大抵ザコだ。と軽口を叩く間も、つもりも無い。はっきり言って、今回はピンチだ。何故なら、今回の相手はーー


『――せいぜい走るがいい。暴走するサッポロ天空鉄道を追ってな!』


 ……な、ピンチだろ?

 いくら最速っても、流石に電車と持久走はあんまりだって思わないか?


『このサッポロ天空鉄道! かつて異界との接続によって死滅した地下インフラに代わって建造された道! 先のネオサッポロ五輪に際し延線が図られ、現在は……』

「いいから、人質の声を聞かせろ」


 キンキン響く小物の声を無視して、本題を切り出す。

 ピンチの要因はもう一つ。これだ。


『もしもし、マックスピード?』

「少女! 無事か!?」


 俺の相棒兼助手兼事務所の事務員さんの少女。

 最近のティーンエイジャーは漫画や映画で脳内分泌物ドバドバ出してるせいで恐怖を感じる器官が麻痺しているらしいので、こんな時でも普段通りに抑揚のない、クールな口調だ。


『バカですか、貴方』

「えっ」

『<おんなの子のお店>ではしゃぎすぎて、酔っ払って路上で寝てた隙に首に爆弾はめられるヒーローがどこに居るんです』

「あー……」

『そのせいで危ない目に遭っているのは私なんですよ。何か言いたいことは無いんですか?』

「……すみません」

『あやまるなら市民にもです。貴方は正義の象徴なんですから。貴方がこんな間抜けな失態を演じたとあっては、みんな不安になります』

「…………はい」



 ……元気でなによりだ。正直、しばらく声は聞けなくても大丈夫そうだ。向こうがっていうか、こっちが。


『ふははは! カカア天下だな! マックスピード!』


 うるさい。あとなんか違うぞそれ。


『ふはは! ならば追いついてみろ!この暴走列車にな! 来るがいい最速ヒーロー! この俺を止めてみろ!』



 言われるまでもない。

 神速でシメてやる。これ以上相棒を怒らせる前に。




***




「まったく」


 ふん。と息を吐いて、私は窓の外に視線を移した。異界の技術によってされた超高層ビル群を見下ろす天空鉄道の車窓風景。この街の日常ではあるが、やはり壮観だ。こんな時でもなければじっくり見ることも無いので、私はしばしそれを眺める事にする。


「随分と落ち着いているんだね、お嬢さん」


 と、不意に隣の席の紳士が言う。

 灰銀に光る総白髪。いかにも高価そうな灰色のソフト帽に、これまた仕立ての良い三揃いの灰色スーツ。

 瀟洒しょうしゃな雰囲気を香水のように纏った、格調高い匂いのする男性だった。

 白いヒーロースーツに白いマント。胸に青く「S」の文字を頂いて二日酔いと戦う何処かのヒーローにも見習わせたい、そんな、ある種の高貴さが有った。


「職業柄です。そちらこそ随分と落ち着いているようですが? ムッシュー」

「歳をとると、大抵の事には驚かなくなるものさ」


 事も無げにそう言う紳士の目には、確かに些かの動揺も無い。平静に凪いで、私の隣で車窓を眺めている。


「職業とは? 聞いてもいいかな、お嬢さん」

「ヒーローの相棒です」


 心なしか、声を張ってしまう。事実誇らしい仕事だ。例え相棒がだらしない女好きのダメおっさんでも。


「ほう。道理で、年の割にシャンとしている」


 紳士さんの言葉に、私はさらに鼻を高くして胸を張る。

 我ながら子供じみてはいるが、そう言われて嬉しく無いわけが無い。


「そういう紳士さまは何を?」

「わたしは……」


 その時、バンと派手な音を立てて、前方車両から件の犯人が戻ってきた。


「くっそぉあの野郎! もう10分も経ってんのに全然引き離せねえ!」

「正確には12分43秒……4秒……」

「うるっさいよ人質ィ! 黙ってろッてンだよ!」


 どうやら相当イラついているらしい。恐ろしいが、ヒーローの相棒であるところの私としては、この場面でも気丈に振る舞わなければならない。意を決して、私は怪人に向き直り、


「どうして、こんな事をするんですか」

「何ィ?」


 ギョロリ、と目玉が動き、その中心に私を捉える。爬虫類じみた、狂気を秘めた恐ろしい目。

 ぐっと恐怖をこらえて、私は怪人との対話に臨む。


「天空鉄道をジャックして、このまま『駅』に突っ込む気ですか? そんなことをすれば九界の融合を留める楔が砕けて大変な事に……」

「うるせぇぇ! ブッ壊れちまえばいいんだよォ!こんな世界はァ!」

「……一体、貴方に何が有ったんですか? 聞かせてください。せめて、私に」


 怒りに濁っていた怪人の目が、不意に暗く沈む。

 狂気から正気へ。人は、理由なくは狂えない。そこには必ず何かしらの原因がある筈なのだ。


「……第二ボタンだ」

「え?」

「…….高校の卒業式の日。俺は三年間好きだった女の子に呼び出された」


 暗く。陰鬱に。怪人は語り始めた。


「その女の子は、俺に『第二ボタンを下さい』と言った。俺は嬉しかった。彼女も俺を好きだったんだと。俺は、彼女に第二ボタンをあげた。だが、」

「……だが?」


 ごくり、と生唾を飲んで続きを促す。

 なんとなくオチが見えるだけに、余計聞くのが怖い。


「あの女は友達と賭けをしていたんだ。どちらが多く制服の第二ボタンを貰えるかを!」


 怪人の瞳に、再び狂気が宿る。

 これが、これこそが、この怪人のオリジン。その怒りと破壊の原点に他ならないからこそ。


「そしてあのアマ! 俺の第二ボタンを! 俺の想いを! ゴミみてぇに捨てやがったんだ! 許さねえ! なあおい許せねェよなァ!? そんな奴ありえねェよなァ!?」

「アッハイ」

「うおおおおおぉぉん!!」


 慟哭どうこく

 余りに悲しい、世界に対する怪人の悲哀……


「落ち着いてください。それで世界を破滅させても、結果的にはなんの解決にはなってないというか、そもそも仕返しにすらなりませんよ」

「お前になにがわかる! 美少女め! お前のようなのが俺の気持ちを踏みにじるんだァ!」


 色々こじらせた発言で自分の殻にこもる怪人。しかしここで退いては、相棒失格。ここでこの怪人を説得して事を収めれば、私の株もうなぎのぼり。あの人も私をぞんざいには扱えないはず!


「うるさぁい! 世界なんかより俺の恋心の方がずっとずっと大事なんじゃあ! 報復してやるんじゃあ!」

「けど、きっと楽しいこともありますよ!」

「なにぃ!?」

「そう。やまない雨は有りません。明けない夜は有りません。貴方の悲しみも、きっといつかは晴れるはずです!」

「う、うう……」


 怪人がたじろぎ、その目に僅かな人間性が揺らぐ。あと一息。もう少し。もう少しで落とせる……


「じゃ、じゃあ俺と付き合ってくれるか?」

「いや、それはちょっと」


 思わず素が出た。

 だって流石にそれは、なんというか、無理でしょう。


「うわあああああああぁぁん!! 裏切ったぁぁぁぁぁ!! 女が! 女が俺を裏切ったよぉぉぉおおお!!」

「お、落ち着いてください、私は……」

「うるせぇぇぇ! ぶっ殺してやるぅぅぅ!!」


 逆上して襲いかかる怪人。

 ああそんな。ごめんなさいマックスピード。こんなヘマをするなんて……


「やれやれ、煩くてかなわないな。せっかくの旅が台無しじゃないか」


 声を。怪人の暴虐を遮ったのは、あの紳士だった。


「貴方は……」

「静観を決め込むつもりだったが、どうやらあの男だな。この事件に噛んでいるヒーローは。やれやれだ。こんな間抜けに遅れをとるとは」


 手にしたステッキの先で、怪人の額に触れる。

 それだけで、怪人は冷や汗を垂らして、金縛りにあったように動かない。

 格の違い。持って生まれたもの。持ち合わせたもの。その全てにおいて、この老紳士が怪人を上回っているのが、私の目にも明らかに分かる。


「つまらない男だ。君などを使った所でロクな駒にもならないだろうが…….まあ、それはそれだ」


 ずぶり、と老紳士のステッキが怪人の額に沈み込む。

 余りの光景に、私は声の出し方すら忘れてしまって、その場に凍りついて動けない。


「さあ、死を刻め<グレイ>」


  ステッキを引き抜くと、怪人はその場に倒れ込む。

 同時に、体内から無数のネジやバネを突き出させては撒き散らしていく。

 喰われている。内側から、鋼の何かによって、内部から喰われ、作り変えられている。


「弱い死だ。記憶する価値も無い」


 そして、そこで老紳士は私に向き直る。

 静かに凪いだその目は、底なしの虚無を孕んでいるように、この時の私の目には見えていた。


「だが、あの男は別だ。あの男の死は永遠に刻み、記憶する価値が有る」


 老紳士の手が伸びる。渦巻く虚無を撫で付けるように、その掌が、私に触れた。


「悲鳴を上げてくれ。助けを呼んで、あの男をここに呼び寄せるんだ」


 呼吸すら忘れてひりついていた私の喉は、ここで不意に声の出し方を思い出し、ネオサッポロの空に細い悲鳴を響かせた。



「――――助けて、マックスピード!」

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