マックスピード:ザ・ヒーロー

蜂郎

第一部

マックスピード:リフレイン

わたしのヒーロー





 ……あの日の事を、覚えているだろうか。




 薄暗い部屋。ブラウン管に浮かぶ光のパターンにかぶりついたあの日の事を。

 壊れかけのビデオデッキは伸びかけのフィルムを回し続け、映し出される情景はどこまでも鮮明に、強烈に。同じ情景を焼き付ける。

 流れる映像は破壊と混沌。空は真紅で、街は廃墟。悪人は高く笑い、人質をその手に奪い、誇る。

 戯画化された絶望。そこにあるのはそれだけで、だから、手に汗を握って、祈った。

 「助けて」と。誰かがそう望めば、必ず彼は現れる。

 これがただ陳腐ちんぷな勧善懲悪の筋書きである限り、彼は誰よりも早く現れ、誰よりも速く打ち倒し、何よりも疾く平和を守る。

 真紅の空をその拳で砕き、悪を挫き、人質を救い出すーー

 約束された結末。故に、繰り返される陳腐な展開の連続。救済のリフレイン。

 襲い来る次の脅威、その次の脅威、その次の、次の次の次の次の……

 全ての脅威を陳腐な結末に塗り替える、絶対無敵の正義の化身。

 絶望の空にその名を呼べば、彼は必ず現れる。

 誰よりも疾く、故に誰よりも強い、その男の名はーー





***





「あー……なんだったっけ?」




 ……お気に入りのビデオ、というのをお持ちだろうか。



 例えば、学生の頃に初めて出来た彼女とビデオ屋で借りた恋愛映画とか。

 例えば、家族との思い出やらが収められたビデオテープだとか。

 ……或いは、ガキの頃に見たチープなマンガアニメだとか。

 好きで好きで、もう内容も役者の演技も一から十まで知り尽くして、セリフもそらで言えるほど見てるのに、それでもまた繰り返して見ちまうような、そんなビデオってヤツが。

 何度も何度も見てるのに、見るたびに違う発見が有ったりして。楽しいよな。

 輝かしい記憶の一ページ。思い出はセピア色だ。


「なんだったっけ、名前……思い出せないけど……なあ、おたくにもそう言うの、有ったりしたかい?」


 ……足元で砕け散った鉄の残骸を踏みしめながら、原形を留めないそれに……倒す前に名乗ってたのに名前の思い出せない機械怪人に語りかける。


「2分05秒57」


 物言わぬ鉄くずに代わるようにして、淡々とした少女の声が傍から答える。

 ティーンエイジャーのそれとは思えないほど冷静でクールな声音。どうにもバツが悪くなって、頭を掻いて適当に答えた。


「……中々のタイムだな」

「前回より26.63秒、戦闘時間が長引いています」

「前のより強かったからさ。この、こいつ……あー」

「鬼械帝国四天王、轢殺怪人トランプル」

「そう。名前の割に、中々強かったんだ」


 歳をとると倒した怪人の名前を思い出すのも一苦労だ。

 なんせ毎回代わる代わるで、かれこれ20年だ。今まで何体倒したかなんて、わかりゃしないしさ。


「ヒーローってのも楽じゃないんだ。わかるだろ?」


 冷淡な顔で少女は……俺の相棒サイドキックは、俺を見返す。

 ほらな、楽じゃないんだよ。子供を笑わせるのと同じくらいにはさ。







***





 "最速ヒーロー"マックスピード!


 九つの異世界が突如同一座標上にあらわれたこの多重顕現都市たじゅうけんげんとし、ネオサッポロに、市民の愛と平和を守るニューヒーローの誕生だ!

 若干22歳のニューフェイスながらも、その実力は折り紙つき! 誰よりも早く現場に駆けつけ、誰よりも早く怪人を殲滅する愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士、その名も最速ヒーローマックスピード!

 その疾走は知覚の領域を易々と踏み飛ばした、正にゴッドスピード! 誰をも寄せ付けず、弱きを助け強きを挫く完全無欠のスーパーヒーロー! 助けが欲しけりゃ奴を呼べ! 0.2秒で現れる、その名は……




***





「……"最速ヒーロー"マックスピード」


 額に入れて事務所の壁に飾った自分のデビュー記事を何の気なしに読みながら歯を磨く。

 特に見るでもなくつけっぱなしになったテレビは、朝のニュースを気怠げに垂れ流している。

 第二世界ニライカナイの人気歌手ローレライ恵の熱愛発覚と、旧豊平川に流れ着いた子クラーケンのクラちゃんの心温まるニュースの後で、型遅れの冴えないヒーローが2分少々で怪人を倒したいつものニュースが、写真一枚だけつけておざなりに報じられた。

 ここは、多重顕現都市ネオサッポロ。現世に隣り合う九つの異世界が、絶えず混ざり合いながら同時に存在する混沌の街。

 『絶望の空にその名を呼べば、ヒーローが現れる』

 異世界の異形、怪異、災厄、有象無象の魑魅魍魎が跳梁跋扈するこの街では、そのシンプルな言葉こそが、唯一不変の真理である。


「おかしな番組です」

「ああ」


 腹をボリボリやりながらあくびを噛み殺して、デスクについて、俺に代わって事務作業をこなす相棒の少女に答える。この年若い助手は、机仕事はからっきしの俺とは違って有能だ。

 流石若いだけあってパソコンはお手の物で、お金の管理もパーフェクト。

 あとはもう少し色気が有れば……などと口には出さず、歯を磨いたまま、声に表情も乏しい彼女に答える。


「ローレライ恵ちゃんがあんなチャラ男と熱愛なんて絶対ウソだぜ」

「違います」


 この混沌の坩堝たる多重顕現都市ネオサッポロの雑多に過ぎる朝の喧騒に有っても、彼女は何処までもクールだ。無意識の内に、少し背筋が伸びる。


「マックスピードのニュース。1分15秒しか流れませんでした」

「最速ヒーローだからな。ニュースの尺も最速よ。HAHAHA!」


 冷ややかな視線が鋭く刺さる。どうやら冗談に失敗したようだ。


「誰が街の平和を守ってると思ってるんですか」

「んー」


 ……あの日の事を覚えているだろうか。

 あの日、かつての北海道札幌市が、突如として混沌の異形都市となった、あの日の事を。

 あの日を境に、元から有った人間世界に対する外世界からの侵略の激化に伴って、様々な異能や超常を操り戦うヒーローという職業が脚光を浴びる事になった。

 そんな事を、もちろん聡明な彼女は先刻承知だろうが、まあ年長者としては、色々言っておかなくてはならない。


「あー……何もヒーローだけが街の平和を守ってるわけじゃ無いぞ、少女。他にも警察とか、自衛隊とかがこう、頑張ってだな……」

「しかし、実際問題として警察や自衛隊に異世界からの侵略に対抗する手段は有りません。現状頼りになるのは特異体質を持ったヒーローだけ……違いますか?」

「あー……まあ、そうだな……うん」


 事もなく少女に丸め込まれる。下手をすれば親と子位には歳が離れてる筈だが、どうも年齢だけで解決する問題ばかりじゃ無いらしい。

 とは言っても、一応無駄に長生きしている身としては、偉そうに説教せねばならん時もある。


「あー……お前、お気に入りのビデオとか有るか?」

「……ビデオ持ってません」

「そうじゃなくて……DVDとかでもいいよ。有るだろ、なんか。昔、何回も繰り返して見たやつ」

「……」

「俺のそれはな、安いヒーローアニメだったよ。俺がガキの頃は、サッポロももっとまともな街だったし、俺みたいなヒーローも居なかったからよ、想像の中のヒーローだ。そいつがな、俺に言ったんだよ」

「……ヒーローだけが正義の味方じゃない?」

「そう。ヒーローを支える奴が、本当のヒーローさ」

「…………」


 少女は納得が行かない様子だ。ジェネレーションギャップか、この歳の離れた相棒とはコミュニケーションがうまく取れない


「だから、まあその……なんだ」


 言いかけた所で、脱衣籠に寝巻きと一緒に放り込まれた端末が鳴る。


「おっと、いっけね」


 怪人の出現を報せるアラート。急いで歯磨きを済ませ、コスチュームに袖を通す。


「出現場所は中央区南4条西7条目付近」

「了解了解」


 アラートから23秒、着替え完了。最速ヒーローだから、まあこのくらい……ってなもんだ。


「…………あの、」

「いくぞ相棒。捕まれ、遅れるな」


 少女が何か言いかけた気がしたが、今はひとまず仕事だ。

 何だかもごもご言ってるが、黙って聞いてる時間は無い。

 まったく、最近の若いやつってのはどうしてこう歯切れが悪のかね?



***



「我は鬼械帝国四天王、変形怪人モーファー! マックスピード! 今日がお前の命日よ!」


 相棒を脇に抱えて現場にダッシュで直行すると、案の定怪人さんが自己紹介中だった。

 昨日のがその一で、こいつがその二か。こいつら四天王って設定好きだよな。


「とくと見よ! 我が変形……」

「悪いな、あんまり意味は無ぇけど急ぐんだ」


 怪人が名乗るより早く、最速で詰め寄って顔面を蹴り上げる。

 ドルン、と低くエンジンの音。超人的肉体を駆動させる際に響く、俺の鼓動の音。俺は最速で、愛と勇気とスピードとエグゾーストの戦士だ。


「卑怯……っ」


 それ聞き飽きてんだ。悪いな。

 顔面を蹴り上げられて体制を崩した所へ間髪入れずの右フック。顎を砕き、ローキックで膝を砕く。必勝パターン。


「そおらあっ!」


 止めの一撃。変形怪人が変形する前に胸部から核を引きずり出して、フィニッシュ。


「残念だったな、あー……」

「変形怪人モーファー」

「そう。それ。……お前の地獄までのタイムは……」

「1分52秒」

「それだ」


 相棒である少女の助けを借りながら決め台詞を決めて、怪人の残骸を踏みしめる。

 現場に報道陣が駆けつけるよりも早い。完璧な決着。


「……全盛期ならこんな敵30秒で倒してました」

「水さすなよ、完勝だったろ」

「でも、マックスピードは……」


 相棒の説教が始まる、その直前


「あ?」


 何処からともなく現れた鉄の腕が彼女を掴んで、抱え上げる。

 虚空から次元を割いて現れるその有り様は、異界の侵略者たる者の証明だ。


「抜かったなヒーロー! 我こそは鬼械帝国皇帝、シニスターギア! 人質は貰った!」


 続けて二体、恐らくは残りの四天王と思われる怪人を引き連れて、皇帝と名乗った怪人は相棒を攫って行く。

 組織のボスクラスが、このタイミングで出張ってくるのは、完全に予想外だった。奴らはいつも自分の部下が悉く潰されて、いよいよ進退窮まるまで踏ん反りかえってるのがお約束で、つまりはここでは出て来るまいとタカをくくっていたのだ。奴らの力なら、確かに自分含め三体の怪人を、世界の壁を超えて召喚する事など造作も無いだろう。


「――くっそ、ベタな上にセコい手ェ使いやがって……!」


 背に着いたジェットパックを全開にして、怪人達はネオサッポロの摩天楼の隙間を飛び抜ける。

 このまま持久戦に持ち込む気か。三対一なら、確かにそれが合理的だろう。


「上等だ! やってやんよこの野郎!」


 敵を追って、摩天楼を跳ぶ。

 あの日、ガキの頃、擦り切れるほど見たビデオで幾度も直面した場面。

 人質を取った悪役と、追い詰められるヒーロー。何番煎じのリフレイン。


「――――マックスピード!」


 怪人に囚われた相棒が叫ぶ。


「大丈夫か少女! 待ってろ!」

「お気に入りの、ビデオ!」


 普段クールな相棒が必死の形相で叫んでいる。

 お気に入りのビデオ? この場面で何を言ってる?


「私のお気に入りのビデオは、ヒーローの活躍を収めたビデオでした!」


 遠ざかりながら、高速で飛行する風切り音に阻害されながら、その声は尚も鮮烈だった。


「そのヒーローは最強で、どんな怪人も一瞬で倒してしまう! その様はまるで同じ場面のリフレインで、次第に人々はつまらないってそのヒーローから離れて行きました!」


 ヒーロー稼業が娯楽の側面を持つ以上、つまらない戦闘は致命的だ。

 だから俺は落ちぶれたのだ。パワーもスピードも、全盛期には遠く及ばない。


「けど私は知ってるんです! そのヒーローが誰より早く敵を倒すのは、みんなの安全を誰より考えてるからだって!」


 ドルン、とエンジンの音。

 高速で稼動する俺の肉体の音。超人の鼓動の音。


「誰より早くて強い、そのヒーローは0.2秒で助けに来てくれる――」


 俺のお気に入りのビデオの中の、あのヒーローもそうだった。

 リフレインみたいに同じ結末。同じように敵をやっつけて、絶対に負けない。

 絶対に誰も不幸にしない、傷つけない。

 そう、彼はバッドエンドが嫌いなーーハッピーエンドに取り憑かれた、同じ結末しか認めない不寛容なスーパーヒーロー。


「――――助けて、マックスピード!」


 応、と答える間も無い。

 神速。一瞬の内に終わらせてやろう。

 俺は最強で最速で、愛と勇気とエグゾーストの戦士。

 最速ヒーロー、マックスピードだから――!


「来るかマックスピード、我こそは四天王――」


 量産型デザインの雑魚に構う暇は無い。

 半呼吸の内に、その頭を踏みつける。


「速――」

「当たり前だ」


 更にそれを足場に跳躍。名も知らぬ四天王を地面に叩き落として、次の敵へ


「な、」


 先と合わせて一呼吸。一瞬にも満たぬ内に間合いを殺し、またも足場にして跳躍。地面に叩きつける。


「貴様は、貴様は――!」

「お前の地獄までのタイムは、計測する時間すら与えねぇ」


 跳躍。

 加えて、回転。神速の超回転によって生じる空気摩擦が靴底に火を灯す。

 誰も追いつけない。何者も触れられない。


「あばよ、だ!」


 神速の蹴りが、炎と閃光を伴って鬼械帝国皇帝、シニスターギアと名乗った怪人を打ち抜く。

 それは、いつかのビデオに収められて、どこかの少女が繰り返し見た映像と同じ、ハッピーエンド以外を認めない正義のヒーローの活躍と言えるだろうか。


「どうよ」


 助け出して脇に抱えた相棒に、そう聞いてみた。


「15秒」

「あ?」

「怪人三体を倒したタイム」


 そう言って、相棒は笑った。

 ヒーローに憧れる子供の笑顔ってやつは、何度繰りリフレインしても悪い気がしない。


「やっぱり、マックスピードは最高です」



***



 ……あの日の事を、覚えているだろうか。



 チビで無口な私は周りに馴染めくて、いつも家で一人、薄暗い部屋で膝を抱えて、あのヒーローの活躍を見ていた。

 繰り返される情景。平和と、正義の為の戦い。

 同じビデオを繰り返して、繰り返して、そこにあるヒーローの活躍だけが、私の希望で、笑顔だった。

 憧憬はいつしか現実に変わり、私はあの日焦がれた最速の疾走に、最も近いところに居る。

 絶望の空にその名を呼べば、ヒーローは現れる。

 ヒーローは今、私と共に在る。




***



 翌朝のニュース番組では、人気人魚歌手のローレライ恵のまさかの7股報道よりも、クラーケンのクラちゃんが河川敷のホームレスにケバブにされたニュースよりも早く、どこかの冴えないヒーローが15秒で怪人を倒したニュースが流れた。

 何度も、何度も。冴えないヒーローの一番のファンである少女は、録画したニュースを繰り返し繰り返し何度も見た。

 ハッピーエンド以外に認めない甘ったれの彼女にとっては、きっとお気に入りのビデオになったことだろう。

 昨日の件でボーナスも入った事だし、今夜は回らない寿司でも食わせてやるとしよう。

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