最後の朝ごはん

ボンゴレ☆ビガンゴ

最後の朝ごはん

 夢に死んだ妻が出てきた。


 妻とは高校時代から付き合って、24歳の時に結婚した。

 夢に出てきた妻は高校生時代の姿で、セーラー服を着ていた。夢の細部は覚えていない。夢の中で妻と何を話したか、それも覚えていない。でも、温かい気持ちになれる心地よい夢だった。



 朝、目が覚めた私はいつものようにストレッチをする。最近腰痛が激しくなってきた。年には勝てない、といったら同僚に笑われるだろうか。

 パジャマを脱いでクローゼットからスーツを取り出そうとして、気がついた。大事な商談の時に着る勝負服のグレーのスーツが見当たらない。

 クリーニングに出した記憶はないし、私は几帳面な性格なので、呑みすぎた晩でもきちんとプレス機にズボンをかけてから寝るくらいだから、ここにないというのが不思議でならない。

 はて。一体どこにやってしまったのだろう。腕を組み考えてみるが、思い当たる節がない。

 昨日の晩も酒を飲んだせいか、記憶が曖昧になっている。昔は朝まで飲んで出社、なんてこともしたのに情けないことだ。


 一度気になると解決するまで他の行動がおろそかになる私ではあるが、さすがに出社前に家中を引っ掻き回す気にはなれない。物忘れが激しくなってきたという自覚はある。でも、自分のスーツの置き場までわからなくなってしまうのは正直ショックだ。

 まあ、どこか別の部屋に置いているのかもしれないな、と無理やり自分を納得させる。

 夏の朝は早い。カーテンの隙間からは6時前だというのに日差しがベットに一筋の光の道を作っている。

 最近はめっきり早起きになってしまった。これも年か。少し薄くなった頭を掻いて苦笑い。

 出社までたっぷり1時間はある。いつもは新聞を読んでから出かけるが、今日は電車の中で読むことにして、スーツを探すことにしよう。

 ドアを開けて廊下に出る。部屋の中は冷房が効いていて心地よかったが、廊下に出ると一気に夏の湿気と暑さが体を包み込んだ。

 と、違和感を感じた。


 人の気配がする。

 食卓の方だ。まさか、泥棒か?


 寝室を出て恐る恐る人の気配のする方向へ向かう。こんな金もない親父の家に盗みに来る奴などいるだろうか?

 いや、最近は外国人犯罪も増えているとらしいし、どうしよう。何か武器になるようなものはないか?

 無いな。金属バットでも枕元に置いておけばよかった。

 そんなことを思いながらも、何の対策も無いまま恐る恐る食卓のある部屋のドアを開ける。


「おっはよー。早いねー」


 は? ぽかんとしたまま見つめてしまった。

 女の子だ。私の予想に反して、女の子が台所でたくあんを切っていたのだ。


 エプロン姿。よく見るとセーラー服を着ている。女子高生じゃないか。


 ちょっと、待て、どういうことだ。50代のおっさんの家に女子高生が朝っぱらから飯を作っている。

 頭に週刊誌の記事が浮かぶ。


【神待ちJK!!】 

 『驚愕!! 家出少女の実態。一晩泊めてもらうためだけに、体を差し出す!』


 ちょっと待て、昨日は確かに少し酒を飲んだが、どこかでこんな女子高生を拾ってきてしまったなんて記憶は無いぞ。だが、スーツの場所も覚えてないくらいに物忘れが激しくなってきている自分の記憶はあてにならないような気もする。

 いやいやいやいや、でもさすがに女子高生はないだろう。

 

 犯罪じゃないか。未成年略取。7年以下の懲役。パッと頭に独房入りする自分の姿が浮かんで頭を抱える。


「ほら、そんな所に立ってないで、朝ご飯ができるまで座って待っててよー」


 屈託無く笑う少女。笑顔は可愛らしい。死んだ妻の若い頃にそっくりだ。タイプの顔だ。いやいや、違う違う。相手は女子高生だよ、子どもだよ。さすがに私だって分別のある大人だ。そうだよな? 

 自分のことがわからなくなる。

 

 少女は冷蔵庫から味噌を出し、手際よく鍋にとく。味噌のいい匂いが私の鼻腔をくすぐる。


「ほらほら、でかい図体でそんなところに立たれてると、邪魔だよー」


 少女の口調はまるで緊張感もないし、とても馴れ馴れしい。こんな子と私は間違いを犯してしまったのだろうか?


 断固それはない。ないと思う。ないよな?

 全然記憶にないんだから自分すら信じられないけども。


 背中を押されて食卓につく。


「あ、今日グレーのスーツ着るんでしょ。洗面台のハンガーにかけておいたからね。脱いだパジャマはちゃんと洗濯カゴに入れておいてよー」


「あ、ありがとう」


 何を雰囲気に流されて普通に答えているんだ私は。


「7時半に迎えが来るからねーそれまでに準備してよー」


 迎え? 何のことだ? 私はこの女子高生とどこかに出かけるのか? 何だ何だ、朝からわけのわからんことだらけだぞ。 


 待てよ。そういえば、今日夢を見た。妻の夢を。

 何を話したのかは覚えていないけれど、彼女は高校生の頃の姿だった。


 もしかして、とバカバカしい想像が思い浮かぶ。口に出すのも憚れるくらいの。


 (死んだ妻が昔の姿で戻ってきたんじゃないのか?)


 でも、そんなことないだろ。霊感なんて私にはないし、そもそも霊の存在など信じていない。さらに言えば、もし幽霊として妻が出てきたとしても、女子高生姿だというのが解せないし、幽霊が味噌汁なんて作るか?


 私は勇気を出して尋ねた。


「あの…、ごめん、君、誰だっけ?」


 少女は固まった。拍子に鍋をかき混ぜていたおたまを落としてしまう。

 カシャんと床に転がるおたまの乾いた音。

 その音にびくりとする。


「やっぱり、私のことわからないの?」


 驚愕というべきか、諦めというべきか。そんな表情で私を見る。


「ごめん、昨日の記憶がないんだ。君、家はどこだい? ちゃんと親御さんに連絡して帰った方がいい」


 少女はとても寂しそうな目をしてこちらを見たが、何も言わずにまた料理を始めた。


「ちょっと、聞いてるのか? いや、なんだ。悩みがあるんだったらおじさん聞くぞ。でも、ちゃんと家には帰った方がいい」


 味噌汁の匂い。フライパンの上をソーセージが音を立てて転がっている。


「というか、いつからいたっけ? 本当ごめん、記憶が曖昧で。なんか勝手知ったる他人の家って感じで料理作ってるけどさ」


 少女は動きも止めず呟いた。


「ずっといたよ……」


「え?」


「ずっとこの家にいたよ…」


 この少女は何を言っているのだろう。

 何やら気味の悪い感じがした。


 こんな少女は知らない。

 記憶を辿って見てもさっぱり思い当たる節がない。

 もしかして、本当に妻の霊なのか?

 私を迎えに来たというのは、もしかして、私は死ぬのか、などと考えてみたが、それも違う気がする。


「ずっと…ってどういう意味だい?」


「とりあえず料理ができるまで座っていてくださいよ。」


 私はたまらず言う。


「いやいや、知らない子が台所で料理してるってのに黙っていられないだろ?」


「最後くらい座っててよ!!」


 少女は叫ぶ様に言った。

 私は勢いに負け黙ってしまった。

 フライパンの上のソーセージは焦げていた。


 私は不安になりながらも席についた。

 悪い子ではなさそうだった、そして私の事をよく知っているようだった。


 しかし、『最後』とは一体何のことなのか。


 少女は出来上がった料理を持って来た。


 私は黙ってそれを食べた。

 なぜか、とても懐かしい味がした。


「おいしい?」


「うん。おいしいよ」


「ありがとう」


 短い言葉をかわす。


「なあ、君は一体誰なんだ? さっきの『最後』ってどういう意味ななんだ?」


 私の問い掛けに対しても彼女は俯いたままで何も言わなかった。

 私が沈黙に耐えられなくなったちょうどその時、彼女は口を開いた。


「パパね。ママが死んでから少し疲れちゃったんだよ。仕事だってもう辞めたのに毎日スーツ着て出かけようとするし、ヘルパーさんには暴力を振るうし。

 でも、私はパパが好きだからできる限りのことはした。大学だって諦めて就職することにしたよ。パパの世話だって本当はずっとしたいと思ってる。でも就職活動もあるし、お医者さんとパパと何回も話し合って今日から施設に入ることになったでしょ。覚えてない?」


 覚えていない。


「だから一緒に食べる最後の食事だったの…。毎朝、パパは私の事を忘れて、そのたび不安になっているパパを見るのはもう辛いの……」


 少女は泣いていた。


 思い出せない。


 この少女の事も、自分の事も……


 何もかも……。





 終

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