なにか

りもぺん

第1話ここではお静かに

『おしずかに』


平仮名で書かれた紙を示され反射的に口を押える。


その行動に満足したのか、髭を蓄えた老人は満足そうに二度頷いて、どこかへ行ってしまった。


「お前が大声出すからだぞ」

隣のユージが小声で言う。

「だって」

こっちも小声で話す。


「ユージが変なこと言うから」

そう、ユージが変なことを言ったから。だから自分は大声を出してしまったんだ。


「なんでだよ。なにも変なこと言ってねぇだろ」

「変だよ。なんだよ。宝の地図見つけたって」

ばかみたい、と言うとユージは顔を変な風に歪めた。

「ホントだよ。ほらこれ」

出してきたのはボロボロになった、地図らしきもの。


「これ、完璧に誰かのいたずらじゃん」

なんたって、手描きなのだ。

「ユージが書いたの?」

「違うって!ホントに見つけたんだよ!」

「どこで」

「あっちの部屋……」

「非常口の横の?」

うん……とユージは目を逸らすが、じっと睨めばすぐに顔を両手で覆った。


「そんな目で見るなぁー!」

「勝手に部屋入っちゃダメって言われてんじゃん」

「だってさぁ。入っちゃダメってことはなんかあるってことじゃねぇの。実際にこんなんあったし」

「てか、盗んできたってことでしょ。いーけないんだ」

「持ち主いないじゃん!」

あー言えばこー言う……と手描きの地図を見る。

地図はロが4つ並んでいて、そのうち3つには、向かい同士二辺に3つ四角がくっついていると、残りの向かい同士二辺に1つ四角がくっついているがある。3つ全部同じ。で、一番右のロの1つの四角にバツがついている。


「あれ。これ、このアパートだ」


自分たちが今いる1階。郵便ポストが並んでいる向かいの壁にもたれながら、上を見上げる。

ロの形に作られているアパートはここだけだって母さんたちが話していた。この3つと1つの四角が部屋だとしたら、完璧にこのアパートの部屋の並びだ。


上から太陽の光が四角く落ちている。セミの声が遠くに聞こえる。暑い。



「なぁ、これ夏休みの自由研究にしねぇ?」

「えぇ?」

何言ってんだ、と言えば、ユージは真剣な顔をしている。

「アパートの探検!」

「そんなの自由研究にしていいの」

「何でもいいって先生言ってたじゃん!」

「えぇ~4年生にもなって自由研究が探検って」

「悪いかよ」

「別に……」

悪くはないとは、思う。面白そうだし。

でも、4年生に上がったとき、先生たちが言ってた。

「これから上級生だ」って。

上級生って、ちょっと大人な感じがするのに、宿題の研究がそんなんでいいのだろうか。

「じゃあ決定な!共同制作ってやつだ!一緒にやるぞー!」

大声で拳を上げるユージに、慌てて口の前で人差し指を立てる。

「しーっ!また怒られるよ!」

「ご、ごめん……!」

もう、と周りを見渡すが、誰も来る気配がない。

どうやら大丈夫みたいだ。ほっと息を吐く。


「よし、じゃあ2階からだ」

ユージが楽しそうに言いながら広げる地図を、二人で見る。

部屋は全部で8つ。4階まで全部同じ。

それじゃあまずは、と2階に向かう。

1階からぐるりと四角く階段を上がると、部屋が見える。

「そういえばさ、何を研究するの。自由研究なんだから、探検だけじゃダメでしょ」

「あー……じゃあ、この地図を、完成させるってことで」

ユージはこういう楽しそうなことには、昔から、すぐにいろんなことを思いつく。

いつかユージの父さんが、「悪知恵が働く」って言ってたけど、悪いことだなんて思わない。だって、どんなこともワクワクすることに変えてしまうんだから。


それぞれの部屋の番号を、地図に書き込んでいく。

全部の部屋番号を書き込んで、3階に向かう。

「なぁユージ、このバツ印、何だと思う」

んー?と覗くユージの頭。前はユージの方が大きかったけど、今は自分がユージを少し見下ろす感じになっている。成長期と言うやつだ。

「だから、その部屋に宝があるんだろ」

「ホントに宝あると思ってるのー」

「別にいいだろ!その方がロマンがあるってんだ!」

「ロマンの意味わかってんのかよー」

わかるしーというユージに笑いながら、3階の部屋を回る。

番号を書き込んで、4階へ向かう。


階段を上がると、太陽が目を貫いた。

「うっわ、まぶしい」

手を目の上にかざしても耐えきれず、目を細める。

いつの間にか夕方になっていたらしい。


夕暮れは、正直言って、あまり好きじゃない。

昼間は普通なのに、夕方になったとたん、全部が全部真っ赤に染まるから。

そこが、怖い。

全部赤に飲み込まれそうで。

最初から真っ赤なら、怖くないのに。


「大丈夫か?」

こっちを見上げるユージに、大丈夫、と言う。言おうと、した。


けど、声が喉に張り付いていて、全然出てこない。


黙ってしまったことにユージはさらに心配そうな顔をする。

「ゆーじ、」

やっと声が出たけど、その場でうずくまってしまう。


「シズカ」

ユージに呼ばれて、体がびくっと反応する。


「なに」

「お前明日、学校行けよ」

「なんで」


「ずっと俺と一緒にいたらダメだから」

「なんでぇ……」


すっと、影が動く気配がする。

顔を上げれば、ユージの後ろ姿が、ある部屋の前にある。


その部屋は、地図でバツ印がついていた部屋。


「な、シズカ。お前もう、大人にならなきゃ」

「やだ」

「わがまま」


大人になんか。

「ユージを忘れなきゃいけないなら、大人になりたくない」



「ばかだなぁ」

振り向いたユージは、笑っていた。

その後ろ。


ボロボロになった、ドアも外れてしまった部屋。

昔、ずっと遊びに行っていた部屋だ。黒焦げだけど。


「なぁシズカ、大人になれって、忘れろって意味じゃないよ。

おばさんたち、そういう意味で言ってるんじゃないよ」

「じゃあ、なに」

「思い出にしろって言ってるの」


「俺をここじゃなくて、シズカの中の、記憶の本に閉じ込めてよ。

ここにいるのは楽しいけど、もうそろそろ、俺も眠たいし。

シズカは面白い話よく考えるし、そこに俺を連れてってよ」


な?と笑うユージは、小学二年生の頃のままだ。

「ユージ、さみしくないの」

「さみしくねぇよ。母さんもいるし。あ、でも、父さんが心配かなぁ。

シズカ、お前父さんのこと見ててくれない?」


その言葉に少し笑う。

「ユージのお父さん、声でなくなっちゃったけど、でも、筆談でも丁寧語なんだよ」

変だよね、と言えば

「父さんっぽいや」

とユージも笑った。


「そろそろ家に帰らなきゃ」

「……そうだね」

「シズカ。ゆっくりでいいから」


その言葉に頷く。

「ユージは優しいね」

「そうか?」

「そうだよ」

手に持っていた地図を見る。

小学一年生の頃、ユージの思い付きでアパートを探検した時に書いた地図。

ふにゃふにゃな図形は、自分が書いたんだったか、ユージが書いたんだったか。

「……ありがとう。さよなら」

「さよなら。自由研究、がんばれよ」



てんてんてん、と階段を下りれば、髭を蓄えた老人がいた。

『どうでした』


『おしずかに』と書かれた隣に、そんな文字があった。


「さよなら、言ってきた」

『そう。祐司は何か言っていましたか』


「おじさんのこと、よろしくって」

ユージのお父さんと目を合わせながら言えば、少し目を見開いた後、閉じられる。


『ありがとう。静くん』

その文字に、頭を振る。


「ユージが優しいから」



一緒に外に出ながら、特別に入らせてもらった、もう無人のアパートを見上げる。

近く取り壊されるそこに、「ありがとう」と呟いて。


今の自分たちの家に帰るため、車に乗り込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なにか りもぺん @rimopen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ